第五章:傍観者の呟き
爆発音が夜の闇を切り裂き、矯正施設の高層棟の一部が炎上する。純血監視隊のけたたましいサイレンが、遠くから響いてくる。混乱に乗じて、カオリは父が築いた隠し部屋から飛び出し、まるで獲物を追う獣のように、瓦礫が散乱する裏路地を駆け抜けていく。小さな身体が、崩れかけたビルの影に吸い込まれていく。
その様子を、数十メートル離れた別のビルの屋上から、冷徹な視線で見つめる者がいた。
タカコだった。
彼女は、サトシに告げた黒いコートを羽織り、手に持った最新型の双眼鏡で、カオリの一挙手一投足を追っていた。爆炎が彼女の横顔を赤く照らし出すが、その表情は微動だにしない。まるで、全てを予測していたかのように。
カオリが身を隠すように駆け抜けるたび、タカコの双眼鏡は正確にその動きを捉え続けた。その背後では、サトシとの会話を盗聴していたのか、複数のホログラムスクリーンが静かに点滅し、矯正施設内の混乱状況や、政府機関の通信をリアルタイムで表示している。彼女はそれらには一切目を向けず、ただカオリの姿だけを追っていた。
カオリが、最終的に政府の追手を振り切り、監視カメラの死角へと姿を消したとき、タカコはゆっくりと双眼鏡を下ろした。
その口元には、微かな、しかし確かな笑みが浮かんでいた。
「…血の檻に囚われた鳥が、ようやく羽ばたいたわね。」
タカコは夜空を見上げた。月は、不気味なほど赤く輝き、まるでこれから始まる血の歴史を予言しているかのようだった。
「これで、盤面の準備は整った。父の命を賭した行動、AB型の真実…そして、サトシという未知数。」
彼女の視線が、再びカオリが消えた方向へと向けられる。
「歴史が、運命が動き出す…。」
その呟きは、夜風に乗って消えていく。しかし、その言葉には、ただ傍観するだけではない、もっと深い意図が込められているように聞こえた。タカコは、まるでこの世界全体の運命を操るかのような、静かで、しかし確かな支配者の気配を漂わせていた。
彼女は、カオリという「鍵」が、サトシという「爆弾」と出会うことで、この血に塗れた世界に、どのような嵐を巻き起こすのかを、ただ待っているわけではなかった。彼女自身が、その嵐を呼び起こす、真の扇動者なのかもしれない。




