不穏な曇り空
ある朝、アリョーナがゆっくりとベッドから起き上がると視界がぐらりと揺れた。
更に、妙な寒気がする上に頭が少しだけズキズキと痛む。
(……風邪かしら? でも、まだこのくらいなら大丈夫なはずよ)
アリョーナは侍女達に着替えを手伝ってもらった後、ストロガノフ伯爵家の帝都の屋敷の私室を出る。
アリョーナは何とかいつも通りに振る舞い、体調を誤魔化していた。
「おはよう、アリョーナ」
ユーリは朝から優しい表情をアリョーナに向けている。
「ユーリお義兄様、おはようございます」
アリョーナはいつも通りの返事をした。
ユーリはゆっくりとアリョーナに近付き、彼女の額に触れる。
「やっぱり。アリョーナ、熱があるね。体調が悪いのに無理したらいけないよ。今日はゆっくり休むんだ」
ユーリはアリョーナの体調が良くないことにすぐ気付いた。
「でもユーリお義兄様、このくらいなら平気ですわ」
「駄目だ」
ユーリはアリョーナを軽々と横抱きにする。
「ちょっと、ユーリお義兄様!?」
突然ユーリの大きな体に包まれ戸惑うアリョーナだ。
「アリョーナ、君は最近ストロガノフ伯爵領の勉強や商会のことを色々と頑張り過ぎているくらいだ。こうなる前に無理矢理にでも休ませておくべきだったよ」
ユーリは後悔するようにため息をついた。
「ユーリお義兄様……お義兄様は昔からいつも私の体調が悪いことに気付いてしまいますわね」
アリョーナは諦めたようにユーリに身を委ねた。
「アリョーナのことを愛しているからだよ」
ユーリはアリョーナを横抱きにしている力を強めた。
「僕はね、アリョーナに何かあったらいても立ってもいられなくなるんだ。そのくらい、アリョーナのことが心配だし、愛しているんだよ」
アリョーナの白く柔らかな頬に、ユーリの唇が優しく触れる。
ムーンストーンの目からはアリョーナを心底愛おしく思っていることが伝わってくる。
「だから今日は一日ゆっくり休んで欲しい。医者も呼ぶから」
「分かりましたわ」
アリョーナはユーリに私室まで運ばれて、ベッドに寝かされるのであった。
その後、医師の診察により風邪だと診断された。薬を飲んで栄養を摂り眠れば治るとのことだ。
アリョーナは朝食に胃に優しいものを食べた後、処方された薬を飲んでしばらく横になるのであった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
昼頃にアリョーナは目を覚ました。
(朝よりは体が楽だわ)
朝よりも体は軽くなり、ふらつきや倦怠感もない。アリョーナの体調は快方に向かっていた。
カーテンを開けてみると、外はどんより灰色の雲が広がっている。
(スッキリしない天気ね)
アリョーナは軽くため息をついた。
(そういえば、今日のストロガノフ伯爵領の天気はどうなのかしら? ストロガノフ伯爵城にいるジェーニャや他の猫達は元気だと良いのだけれど)
ふと、ストロガノフ伯爵城に置いて来たジェーニャや他の猫達が気になるアリョーナだった。
ストロガノフ伯爵領は帝都ウォスコムから少し距離があるのだ。
その後アリョーナは侍女を呼び、軽めの昼食を持って来てもらった。
ユーリは料理人にもアリョーナの体調が悪いことを伝えてくれたみたいで、昼食にも食べやすいものが出されるのであった。
アリョーナは朝よりも食べることが出来て、薬も飲んだ。
(そうだわ、ユーリお義兄様に借りた本、読み終わったから返さないと)
アリョーナは昨日読み終わった本の存在を思い出し、ユーリの部屋まで返しに向かうのであった。
この日ユーリはストロガノフ商会関連の仕事があり、ストロガノフ伯爵家の帝都の屋敷に戻るのが夜になるそうだ。
アリョーナは少し寂しく思ったが、ユーリの部屋に本を返した後は体調と相談しつつ自分の出来ることをやろうと決めた。
(借りた本は、ユーリお義兄様の部屋に置いておけばいいわよね)
アリョーナはユーリがストロガノフ伯爵家の帝都の屋敷に不在と分かっていても、一応ユーリの部屋の扉をノックして入った。
ユーリの私室はシンプルで洗練された、実用性重視の家具が置かれている。
格調高く、比較的可愛らしい家具が置かれたアリョーナの部屋とは雰囲気が大きく違った。
(ここに置いておけばユーリお義兄様も気付くわよね)
アリョーナはユーリの執務机に借りていた本を置いた。
(そういえば、ユーリお義兄様は私の些細な変化に気付くわよね。今日だってそうだったわ)
アリョーナはふと今朝のことを思い出した。
(私も、お義兄様の些細な変化に気付いて支えることが出来たら良いのだけれど……)
アリョーナは自分の未熟さにため息をつき、ユーリの部屋を出ようとした。
その時、ユーリの部屋の本棚に入っていたとある本がアリョーナの目に留まる。
(あ……これ、懐かしいわね)
それは昔、アリョーナがユーリと一緒によく読んだ本である。
当時八、九歳くらいのアリョーナが読むには少しだけ難しい本だったので、ユーリに分かりやすく解説してもらっていたのだ。
アリョーナは懐かしげにアクアマリンの目を細め、その本を手に取る。
すると、本の中からメモがヒラリと落ちた。
不思議に思ったアリョーナは、床に落ちたメモを拾う。
(何これ……!?)
メモを読んだアリョーナは驚愕し、アクアマリンの目を大きく見開いた。
『アリョーナを守る為には義父上と義母上を殺すしかない。アリョーナの秘密を守る為にも』
(これ、いつもとは違うけれど……ユーリお義兄様の筆跡だわ……!)
普段は丁寧な筆跡だが、そのメモに書かれた文字は荒々しい筆跡だった。しかしそれは確かにユーリの字である。
アリョーナはメモを読み進めて心臓が冷えた。
(ユーリお義兄様は……お父様とお母様のを殺そうとしていたの……!? 私を守る為……私の秘密……一体どういうことなの……!?)
そこには荒々しい筆跡で、アリョーナの父イーゴリとアリョーナの母エヴドキヤの殺害計画が事細かに書かれていた。
(まさかお父様とお母様が亡くなった馬車の事故はユーリお義兄様が……!?)
アリョーナの呼吸は浅くなる。
(でも、あれは純然たる事故だったと警察も言っていたわよ。ユーリお義兄様がお父様とお母様を殺すわけが……)
ユーリがそんなことをするわけないと信じたかったが、混乱していて上手く物事を考えられなくなっているアリョーナ。
アリョーナの体は小刻みに震えている。
(駄目、今は冷静じゃなくなっているわ)
アリョーナは震え体を落ち着かせ、ゆっくりと深呼吸をしながらユーリの部屋を出るのであった。
窓の外には、どんよりとした灰色の雲が更に広がっていた。
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