予想外の事件
アリョーナはフロルとエレーナと共に、シチェルバトフ侯爵家の馬車でストロガノフ商会へ向かっていた。
その途中、警察に馬車を止められた。
「何事だ?」
フロルが怪訝そうに聞く。
「突然申し訳ありません。実は現在脱獄した囚人を探しております」
警察からは、脱獄した囚人の似顔絵を渡された。
「これは……!」
フロルはマラカイトの目を大きく見開く。
「数ヶ月前人身売買により取り潰しになったレポフスキー公爵家の長男ゲラーシーです」
警察がそう言うと、アリョーナもハッとアクアマリンの目を見開いた。
(レポフスキー公爵家は、ユーリお義兄様の生家だわ。ゲラーシーって、確かお義兄様の従兄よね。処刑は免れて労働徒刑中の)
「お兄様、私達にも見せてください」
アリョーナの隣に座っていたエレーナは、フロルの方に身を乗り出した。
アリョーナも指名手配中のゲラーシーの似顔絵を見る。
(ユーリお義兄様には全然似ていないわ)
アリョーナは少しだけホッとしていた。
似顔絵のゲラーシーは顔のパーツが醜く歪んでいる。
恐らくこれは幼い頃にユーリから殴られた影響だろう。
「指名手配中のゲラーシーの姿を見かけてはいないでしょうか?」
「いや、俺達は見ていないな」
警察からの問いに、フロルが代表して答えた。
「左様でございますか。お時間を取らせてしまい申し訳ございません。ご協力、ありがとうございました」
警察からそう言われ、アリョーナ達が乗ったシチェルバトフ侯爵家の馬車はストロガノフ商会へと向かった。
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アリョーナ達はストロガノフ商会に到着したが、何やら騒ぎが起こっていた。
「あの、一体何の騒ぎかしら? ユーリお義兄様はこちらにいらっしゃいますよね?」
アリョーナはストロガノフ商会の者達に聞いた。
「アリョーナ・イーゴレヴナ様!?」
「お嬢様がいらしたのか!」
アリョーナが来たことにより、ストロガノフ商会は更に騒つく。
「アリョーナ・イーゴレヴナ様、落ち着いてお聞きください。その……ユーリ・ネストロヴィチ様が……誘拐されました!」
「え……!?」
商会の者の言葉に、アリョーナは言葉を失う。
(ユーリお義兄様が誘拐された……!? 一体どこに……!?)
アリョーナの呼吸が浅くなる。
倒れそうになるアリョーナをエレーナが支えた。
「ストロガノフ商会の建物に強引に入る者がおりまして、止めたのですが相手はナイフを持っておりまして……」
「それで、そのままユーリ・ネストロヴィチ様に暴行を加え、気絶させて連れ去ったようで……」
ストロガノフ商会の建物内は荒らされ、商会の者達の中には怪我をした者もいた。
ユーリを誘拐した犯人を必死に止めようとしてくれたことが分かる。
「あ……!」
ストロガノフ商会に勤める者の中の一人が、フロルが持っている指名手配の似顔絵を指して驚愕していた。
「その男です! その似顔絵の男が、ユーリ・ネストロヴィチ様を連れ去りました!」
「何だと!?」
フロルはその言葉に驚き、指名手配中のゲラーシーの似顔絵を見る。
「つまり、ゲラーシーはユーリ・ネストロヴィチ様を連れ去る為に脱獄を……!?」
エレーナは拳をギュッと握った。
「それで、ユーリお義兄様はどちらに連れて行かれたのです?」
アリョーナはストロガノフ商会の者達に向かって問いかける。
すると、目撃していた者の中の一人が、ユーリを拉致したゲラーシーは辻馬車を使い東の方へ向かったと言われた。
とうやらゲラーシーは辻馬車を盗み、ユーリを乗せて連れ去ったらしい。ボロボロの辻馬車だった為、そこまで遠くは行けないとも予想されていた。
アリョーナはすぐに言われた方向へと走り出した。
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(うぅ……ここは……?)
ユーリはぼんやりとムーンストーンの目を開ける。
目に飛び込んで来たのは、見知らぬ廃墟。
全体的に灰色で、冷たい印象の場所だ。
ユーリはストロガノフ商会に侵入したゲラーシーに殴られ、気を失った隙にどこかへ連れて行かれた。
ユーリはふと手足を見ると、縄で縛られていた。
「ようやく目を覚ましたか、ユーリ」
「お前は……ゲラーシーか……」
ユーリはゲラーシーの顔を覚えていた。
「……労働徒刑中のはずでは?」
「脱獄したんだよ。お前に復讐する為に」
ゲラーシーの表情は醜く歪む。
「ユーリ、お前が父上に人身売買をするよう唆したんだろう!? レポフスキー公爵家の新人使用人が、金に困った父上に人身売買をするよう言っていたそうだ。それで、その新人使用人がお前と接触しているところも俺は見たぞ! お前が新人使用人に指示して父上に人身売買をさせた! そのせいで父上も母上も処刑されたし、俺も今は囚人だ! その新人使用人、ストロガノフ商会で働いていた奴らしいな!」
恨みがこもった表情のゲラーシー。
ユーリは思い出したようにフッと笑う。
(そういえば、そんなこともしていたな)
ゲラーシーが言った通り、ユーリはストロガノフ商会で働く者の中の一人に特別任務を与えていた。
それは、ユーリの生家レポフスキー公爵家に新人使用人として潜り込み、ユーリの叔父に人身売買するよう唆したのである。
ユーリは叔父一家を潰すつもりだったのだ。
計画はあっさり上手く進み、更にアリョーナの件もあったのですっかり忘れていたユーリである。
ちなみにユーリが特別任務を与えていたストロガノフ商会の者は無事である。
「それがどうした? ゲラーシー、お前は囚人らしく労働徒刑に勤しむ方がお似合いだぞ」
ユーリは呆れたように笑う。
するとゲラーシーはユーリの腹部を蹴る。
身動き取れない中、避けられないのでユーリはその痛みに表情を歪めた。
「ユーリ、俺はお前のせいで何もかも失った! その原因になったお前は死んじまえ!」
ゲラーシーはナイフを取り出した。
(死……か)
緊迫した状況の中、ユーリの脳裏にアリョーナの姿が浮かぶ。
純真無垢で、天使のような笑みのアリョーナ。その笑みはユーリの心を満たすものだった。
(アリョーナ……最後にアリョーナの天使のような笑顔を見たのはいつだったかな……? 僕が監禁してからは、アリョーナの表情は曇ったままだ。……僕がアリョーナの笑顔を……幸せを奪ってしまったのかな……)
ユーリは自嘲した。
(……僕がこのまま死ねば、アリョーナは自由になれる。……アリョーナが僕から離れてしまうのは嫌だ。だけど……僕が死ねばアリョーナは……きっと解放されて幸せになれるかもしれない……)
ゲラーシーはナイフを振り上げた。
(もう……良いかな)
ユーリはゆっくりとムーンストーンの目を閉じた。
「ユーリお義兄様!」
その時、ユーリにとってよく聞き慣れた声が聞こえた。
「アリョー……ナ……?」
ユーリはぼんやりと目を開ける。
死ぬ間際の都合の良い夢だろうかと思うユーリである。
しかしユーリのムーンストーンの目には、はっきりとアリョーナの姿が映る。
両手首、両足首に手枷と足枷がはめられているが、繋がれたチェーンは切れていた。
アリョーナは必死にユーリの元に走り、ナイフを持つゲラーシーに体当たりをした。
ゲラーシーは見事に勢いよく吹っ飛び、尻餅をつく。
「アリョーナ……!?」
ユーリは驚きのあまりムーンストーンの目を大きく見開いた。
「邪魔しやがって!」
ゲラーシーは再び立ち上がり、ナイフを持ってアリョーナに襲いかかる。
「汚れた手でアリョーナに触るな!」
ユーリは手足を縛られた不自由な体を起こし、アリョーナと同じようにゲラーシーに体当たりをした。
「ユーリ!」
「アリョーナ様!」
フロルとエレーナも急いでやって来る。
エレーナは地面に落ちたゲラーシーのナイフを、彼の手が届かない位置に蹴り飛ばす。
フロルはゲラーシーを羽交締めにし、身動きを封じた。
そこからは怒涛の流れである。
警察もやって来て、ゲラーシーはすぐに拘束されてた。
脱獄、辻馬車の窃盗、暴行、殺人未遂の罪が追加され、彼が労働徒刑から解放される日は恐らく一生なくなるだろう。
そしてユーリは薄れゆく意識の中、ストロガノフ伯爵家の帝都の屋敷に運ばれるのであった。
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