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ランドリック視点・ルピナという悪女

(あの指先は、一体……?)


 ルピナが修道院の門をくぐるのを陰から見送って、俺は違和感を拭えない。


(たった数日で、貴族令嬢の手があそこまで荒れるものか……?)


 あの女の手は、あり得ないほどに荒れ果てていた。

 握ったこちらの手が痛みそうなほどにごわつき、あかぎれがいくつもあった。王宮に仕える下級メイドですら、あそこまで荒れた手をしている者はいない。


 平民と変わらない、いや、下手をするとそれ以上なのではないだろうか。

 自分の美しさに絶対の自信を持ち、聖女という称号をかさに着て、第二王子である兄の婚約者という立場を手に入れ、社交界で女王のように振る舞っていた最悪の女。


 あの女が、あんな荒れた手を放っておくだろうか。

 それに何より驚いたのは、子供を助けに即座に路地裏に飛び込んだことだった。


 俺があの場にいたのは、修道女達にルピナが仕事をさぼって街に遊びに行っていると聞いたからだ。

 それを知った俺はそれ見たことかと思った。


 先日の不可解なまでにしおらしい姿は、やはり演技だったのだと納得できた。

 この修道院でも仕事をさぼり、周りの修道女達に自分の仕事を押し付け、遊び惚けているのだと。


 王城でもそうだった。

 あの女は、高貴な身分の、それも見目の良い男しか治療しない。


 聖女でありながら、他の治癒術師に治療を押し付けて、自分は楽をしていた。

 俺の兄の婚約者でありながら、数多の男と浮名を流していたのだ。穏やかな性格の兄は知らなかったかもしれないが、貴族の間では噂になっていた。流石に純潔を失うような愚かな真似だけはしていなかったようだが、問題はそれだけじゃない。


 ルピナは、自分が一番でないと気が済まない人間だった。

 婚約者だったダンガルド兄上を不満に思っていた。

 第二王子だったからだ。


 誰よりも美しく、聖女でもある自分が王太子の婚約者でない事を常に不満げに思っている様子だった。

 だというのに、兄の周りに自分以外の女が近づくのを嫌悪した。


 最近の被害者は、図書館司書になったハルヒナ子爵令嬢だろう。

 彼女は、司書であるから王宮図書館にいただけだった。


 けれど王宮図書館は勤勉なダンガルド兄上が最も好む場所で、怠惰なルピナが嫌悪している場所だ。

 ハルヒナ子爵令嬢とダンガルド兄上が二人きりになるなどありえないのだが、ルピナはそれでも許さなかった。夜会にでも出向くような派手なドレスで王宮図書館に入り込み、激しくハルヒナ子爵令嬢を罵倒する姿が目撃されている。


 俺がその現場にいたなら、即座にルピナを捕らえて牢にぶち込んでやったのに。

 ハルヒナ子爵令嬢は、その時に髪をルピナに切られている。


 上手く編み込んで整えているようで、一見して切られたとはわからないようにして過ごしているが、切られた衝撃は大きいだろう。


 その時点で、ルピナと婚約破棄をさせたかったが、ダンガルド兄上が止めたのだ。「誤解を与えるような言動を私がしてしまったのかもしれないから」と。


 甘すぎる!

 あの時点で処分していれば、ロルト辺境伯の不興を買うことも無かったのに。

 思いだして思わず舌打ちが漏れる。


 ロルト辺境領は魔の森に接している。

 毎年魔物刈りを行い、大規模な大暴走が起きぬよう、国の安全を守る要の領だ。

 その辺境伯の愛娘に暴言を吐くなど、正気の沙汰じゃない。

 今でもあのパーティー会場でルピナが吐いた言葉が耳に残っている。


『そんな野暮ったい女が辺境伯の娘でいることが間違っているのよ! 高位貴族ならもっときちんと着飾って頂戴。貴方のせいでまるでわたくしが悪いみたいじゃない!』


 下位貴族だと侮って皆の前で嗤い者にした娘が、辺境伯の娘だと知った瞬間の叫びだ。

 衛兵に捕らえられても、決してあの女の口から謝罪が出ることはなかった。


 それにルピナは、ベジュアラ・シュマリット公爵令嬢のことも常に虐げていた。

 シュマリット公爵令嬢は、俺の三つ年上のファイライル・ルトアール兄上の最愛の婚約者だ。


 彼女は俺と同い年で、幼馴染でもある。

 そして、ルピナが願ってやまない王太子の婚約者。


 ハルヒナ子爵令嬢が現れるまでは、ベジュアラがずっとルピナの標的だった。

 ベジュアラは、落ち着いた柔らかい茶色い髪と、穏やかな榛色の瞳をしている。

 親しみやすいその色合いは愛らしく、けれど平民にもよく見られる色合いだった。

 だから、ルピナはよく平民のようだと馬鹿にしていたのだ。


 むろん、伯爵令嬢で聖女でもある彼女であっても、公爵令嬢で王太子の婚約者であるベジュアラは、面と向かって虐げることのできない身分だ。


 だから、一見そうとわからないようにいびっていたのだ。

 ベジュアラと同じ色のドレスを着た下位令嬢を褒め称え、『ベジュアラ様も彼女のような髪型が似合うのではないかしら。あぁ、でも、彼女は愛らしいから、ベジュアラ様には今の落ち着いた髪形が素敵ですわね』と皆の前でくすりとほほ笑んだり。


 一見すると下位令嬢を褒め、ベジュアラのことも認めているかのように聞こえるそれは、言い換えれば『下位令嬢に負けていましてよ、顔も髪形も』という意味だ。


 もともとルピナは聖女になる前から華やかな容姿ときつい性格で、大人しいベジュアラは苦手としていたが、ルピナが聖女となり、ダンガルド兄上の婚約者となったことで接点が増えてしまっていた。


 ベジュアラは、幼い時からずっと王妃教育を学んできた人間だ。

 ルピナのような見た目だけの女とは違う、努力と研鑽をし続けた淑女だ。


 そんな彼女は、ルピナと王城で会ってしまうたびにどんどん笑わなくなった。

 俯きがちで、自信を失っていった。

 人前では、王太子の婚約者としてどんなに辛くとも凛と背筋を伸ばして涙を見せなかったベジュアラが、ルピナにいびられて陰で何度も泣いていたのを俺は知っている。


(そうだ、ルピナは悪女だ。性根が腐った屑だ。そんな女の指が荒れていたから、それが何だというんだ。子供を助けたのだって、ただの気まぐれだろう……)


 こんな、修道院まで帰宅を見守る必要なんて少しも無かった。破落戸がまだいるかもしれなくとも、わざわざ俺が隠れて護衛につく必要がどこにあった?


 あんな女は、みすぼらしく惨めに死んで路地裏にでも転がるのがお似合いなのだから。


 ……そう思うのに、俺の腕の中で眠っていた子供を、優しく撫でていたルピナが頭から離れない。遠慮がちに俺にお礼を言う声も耳に残っている。


(あぁっ、くそっ!)


 俺は頭を振る。

 考えるな!

 俺は、あの悪女を見張り続けるだけだ。

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