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「ランドリック王子、どうか落ち着いて下さい」
従者に宥められながら、強い怒りの表情をたたえてこちらを睨み付けてくるのは、黒髪の貴公子だ。
わたしがアイヴォン伯爵家で階段から落ちるのを助け、治癒魔法まで施してくれた彼。
(彼が、王子? そしてルピナに怒っている?)
戸惑いを出さないよう、わたしは促されるままに椅子に座る。
第二王子ならわかる。
ダンガルド様はお義姉様の婚約者だったのだから。
けれど何故、第三王子であるランドリック様がルピナお義姉様を訪ねるのだろうか。
「ルピナ。お前は、こんなことになってもまだ、その態度を改めないんだな」
態度?
身に覚えがない。すくなくとも、第三王子に助けられたことはあるものの、そのほかの面で彼と出会ったことはないはずだ。
この修道院で会うのも初めてのはず。
「……何のお話なのでしょうか」
「とぼけるな!」
ダンっとテーブルを叩かれる。
思わず悲鳴が漏れたが、とっさに口元に手を当てて抑え込む。
彼の怒りがわからない。
ルピナお義姉様はダンガルド様や辺境伯のご令嬢だけでなく、ランドリック様にまで何をしたのだろうか。
「治療の手を抜いているんだろう。噂は聞き及んでいる。相変わらず貴族しかお前の治療は受けさせないつもりか? 兄上はお前を庇っていたが、俺にはわかっている。公爵令嬢の事ですらぞんざいに扱ってたんだ。そんなお前がまともになる日なんて来やしない。わかったか!」
何をわかれというのだろう。
治癒魔法が拙いのは、ルピナお義姉様よりもともと劣るからだ。
手を抜いているわけではない。
精一杯治療しているが、不慣れで人数もこなせていない。
けれど説明するわけにもいかない。
わたしは、彼にとってルピアお義姉様なのだから。
「……ご不快にしており、大変申し訳ありません。慣れない環境にまだ戸惑い、本来の力が出し切れていないのでしょう。精進させて頂きます」
深く、頭を下げる。
頭の上で息を飲む音がした。
顔を上げると、ランドリック様が面食らった顔をしている。
しまった。
お義姉様は人に頭を下げるような方ではない。たとえそれが王子であっても。
心臓がどきどきとする。気づかれるだろうか。
けれどそんなわたしの不安をよそに、ランドリック王子はすぐにまた、不機嫌そうな顔に戻った。
「はっ、どうせそれも演技だろう。お前は、高位貴族への嫌味もそうとはとられないように遠回しに言うのが得意だったもんなぁ? 義姉となるシュマリット公爵令嬢に働いた数々の無礼を俺は決して忘れないし、許さない。修道院に入っただけで罪を償えたなどとは思うなよ」
強い怒りの眼差しをわたしに向け、彼は従者と共に面会室を去っていく。
(お義姉様……どれだけの人を、虐げてきたのですか?)
ベジュアラ・シュマリット公爵令嬢は第一王子ファイライル・ルトアール様の婚約者だ。
貴族名鑑にもお名前は載っていたが、わたしが一番よく聞いたのは、お義姉様の口からだ。
『あんな平民と変わらない容姿の女がこのわたくしよりも上の立場になるなんて、間違っているわ』
ルピナお義姉様は、ご自身の美貌に強い自信を持っている。だから自分よりも劣る容姿に見えるシュマリット公爵令嬢が、未来の王太子妃となる事実が許せなかったらしい。
『あぁ、いやだ! 今日のドレスはあのベジュアラと色が被っていたわ! あんな冴えない女と同じ色のドレスだなんて恥ずかしいったら。あのドレスを選んだのはお前だったわね? お前はクビよ!』
パーティーから戻るなりそんな風に叫んで、侍女を本当にクビにしたこともある。
婚約者だったダンガルド様のそばにハルヒナ子爵令嬢が現れるまでは、お義姉様から出る悪口はいつもシュマリット公爵令嬢だった。
シュマリット公爵令嬢とファイライル様の婚約は、幼少期に結ばれている。第三王子のランドリック様とも幼馴染となるのだろう。
あの様子を見るに、未来の義姉としても大事な方なのだろうことがうかがえる。ルトアール王家の兄弟仲の良さは、社交界に出ないわたしでも知っていることだ。
だというのに、ルピナお義姉様は家で悪口を言うだけでなく、シュマリット公爵令嬢をも表立って虐げていたというのか。
(あぁ、いえ、表立ってではないわね。ランドリック様は遠回しに嫌味を言うのが得意だったと言っていたのだから。けれどあからさまにではなくとも、シュマリット公爵令嬢にはわかるようにいたぶっていらしたのね……)
お義姉様なら公爵令嬢相手であっても、やりかねないとわかってしまう。自分が罰されないぎりぎりの発言を見極めつつ、相手を貶める。
どれほどの恨みを買っているのだろう。
そしてその恨みは、今後すべてお義姉様の身代わりであるわたしに向けられるのだ。
(ランドリック様も、ルピナお義姉様として存在しているわたしに、二度とあの優しい瞳を向けてくれることはないのでしょうね……)
階段から落ちかけた時、魔石で治療を施してくれた彼は、とても優しかった。
けれど今日会った彼の瞳は、怒りと憎しみに満ちていた。
つきりと痛む胸を抑え、わたしは途中だった患者の治療に急ぎ向かった。