◆ランドリック視点◆
(これは、何が起こっている?)
いつも通り、ルピナに会いに修道院を訪れた。
明るく出迎えてくれるはずの修道女達が、形式ばった挨拶と共に去っていく。
柔らかな空気に包まれていた修道院全体が、ピリピリとした嫌な空気に包まれている。
緊急の患者でも運び込まれたのか?
それならば、ルピナは治療院の方へいるだろう。
院長への挨拶も後回しに、俺は急ぎで治療院へ回る。
(また、魔力切れぎりぎりまで治療しているのだろうし……)
ルピナは、いや、ルピナと名乗っている彼女は、無理をし過ぎる。
きっとそれは、生来の性格なのだろう。
自分を犠牲にしてでも、他者を助けてしまう彼女から目が離せない。
治療院に近づくにつれて、争う声が響いてくる。
(……ルピナ?)
見知った声にトゲが含まれていることに首をかしげる。
「どうしてわたくしが平民の治療をしなければいけませんの?」
後ろ姿だが特徴的な輝くばかりの銀の髪で、ルピナだとわかる。
彼女に数人の修道女が苦情を言っているようだ。
「ルピナ、最近ずっとへんよ? 以前は率先して助けてくれていたわ」
「私達がルピナを頼りすぎて、ルピナも限界が来ちゃったんだよ。ルピナも辛かったんだよ。わかるでしょ?」
「モナさん。でも……」
「わかったわかった、あんたも働きっぱなしだもんね。でもさ、ルピナの侍女のベネットさん? 彼女がルピナの代わりに頑張ってくれてるんだし、ね?」
ルピナに詰め寄っていた修道女達は、モナに宥められてそれぞれの持ち場に帰っていく。
けれどルピナはお礼を言うどころか、尊大な態度で髪を払って去っていく。
(いまのは、何だ? あの仕草は、まるで……)
ルピナが、俺に気づいた。
「ランドリック様! お会いしたかったわ」
駆け寄ってきて、するりと取られた二の腕にぞわりとした感触が走る。
「あ、あぁ。だが、いまのは……」
「いまの?」
「患者の治療をしていないのか?」
「いいえ、違いますわ。わたくしに相応しい患者はきちんと見ていましてよ?」
「相応しいって……」
――平民など、掃いて捨てるほどいるではありませんか。どうしてこのわたしが治療しなければいけませんの?
以前ルピナが言い放った言葉が頭に響く。
「あ、えっと、もちろん、重症な患者の事ですわ。薬で治るなら、魔力を無駄に使うこともございませんでしょう? ほら、ランドリック様も無理をするなとおっしゃって下さっていたではありませんか」
取り繕うようにヴェール越しに笑う彼女の指先は、爪の先まで長く美しく整えられている。
ずっと見てきたからわかる。
声は同じ。
後ろ姿も変わらない。
けれど指先も性根も、彼女とは何もかもが違う、この女。
突き飛ばしたい衝動に駆られる。
(これは、ルピナだ。俺が愛した彼女じゃない。本物の、ルピナ……っ)
「ランドリック様?」
触れられている腕を払い解きたいのを我慢して、なんとか頷く。
(駄目だ、いまここで俺が気付いたことをこの女に知られたら、ルピナと名乗っていた彼女はどうなる⁈)
そもそも彼女は無事なのか。
いますぐその胸ぐらをつかんで問いただしたいが、駄目だ。
この女が本物のルピナなら、俺の愛する彼女を害することなど躊躇いもない女なのだから。
王城で会っていたころは俺を敵視していたルピナが、何故急に俺に好意的なのかもわからない。
いままでどこに潜んでいたのかもわからないが、この女の機嫌を損ねれば、最愛の彼女が危険に晒される。
不必要なまでにべたべたと触れてくる行為に吐き気を堪えながら、俺は精一杯笑みを浮かべる。
(そうだ、この女は、こういう女だった。見目の良い者にだけ癒しを与え、媚びてくる)
俺の顔は、どうやらこの女の好みだったようだ。
それでも幼馴染のベジュアラを守っていたことが気にくわないのだろう。
ベジュアラよりも盛大な結婚式を挙げたいだの、最高級の宝石をだの。
耳が腐りそうな戯言を聞き流し、やっと解放されたときにはもう陽が大分傾いていた。
(俺は、どうして彼女の本当の名前を聞かなかった?)
ロルト辺境伯の城で、彼女に想いを伝えた。
彼女がルピナではないこと、ルピナの身代わりをなぜかさせられていることはわかった。
何か深い事情があるのだろうと思い、問い詰めることをしなかったことが悔やまれる。
(あの時に問い詰めてさえいれば、彼女は無事だったかもしれないのにっ)
ダンっと、力いっぱい修道院の塀に拳を叩きつける。
彼女がルピナとして過ごしているなら、本物のルピナがどこにいたのか。
せめて秘密裏に調べていれば、いまこんな事にはならなかっただろうに。
「は、ははっ……」
浮かれていたのだ。
彼女に想いを伝えて、受け入れてもらえたことに。
自分が愚かすぎて情けない。
何もかもから守るつもりでいたのに、何もかも守れなかった。
「ランドリック様……」
控えめにかけられた声に、振り返る。
モナだ。
ヴェール越しからでも、彼女が沈んでいるのが伝わってくる。
「なぁ、モナ。彼女は」
「あれは、ルピナじゃない! ルピナじゃないんです。信じてください、いままでが演技なんかじゃなくって、あたしたちが見ていた彼女と、いまの彼女は同じだけれど違ってて!」
「モナ、落ち着け」
いいながら、俺は周囲に防音の結界と、姿をくらませる魔術を展開する。
これで、周囲からは認識されづらく、何を話してるかも聞こえない。
「ランドリック様、不敬なのはわかっています、でも彼女はいなくなってしまったんです。だっていまの彼女は、修道院のベルだって、門を開けないんです。本物のルピナじゃないからだわ」
「つまり、モナもあれは俺たちの知るルピナじゃないと気づいたんだな?」
「当然です。あんな、患者を粗雑に扱うのがルピナのはずがありません。いまのルピナは、薬草を見分けることすらできないんです。部屋で育てていたセンナギ草は気味が悪いと言って捨てようとしていました。身の回りの世話も侍女のベネットさんに押し付けています。薬草の調合だって、爪が汚れるといって拒否しています。どうやったって、ルピナのわけがないんです」
「モナ……」
「でもみんな、だんだんと、本性が出てきたんじゃないかって言いだし始めて……王都での悪女たる噂の方が、本当だったんじゃないかって……ルピナは、そんな子じゃないのに……あの子は、誰よりも一生懸命で、自分の命よりも患者の命を優先しちゃうような、そんな子なのに……」
肩を震わせて泣くモナを、そっと支える。
「あたし、見たんです。ベネットさんを連れて来たルピナの妹の後ろ姿。すごく、ルピナにそっくりで驚いたんです。顔は、帽子で隠れて良く見えなかったけれど……あの綺麗な銀髪は、ルピナによく似てました。そんなこと、ありえないとは思います、でも、もしかしたら……」
入れ替わっている、のか?
モナが濁した言葉の先を考える。
アイヴォン伯爵家は、治癒魔法に長けた一族だ。だから、その関係者なら、治癒魔法が使えてもおかしくはない。
一度も妹にあったことはないが、以前本物のルピナが騒いでいたから覚えている。
確か妹は婚外子だ。いつぞやのパーティーで噂を聞いた令息がルピナに聞いてしまったのだ。「新しく妹ができたそうで。今日は連れていらしていないのでしょうか」と。
ルピナが烈火のごとく怒り狂い、ダンガルド兄上と俺が止めに入った。
ルピナ曰く、義妹は下賤の血が混じったまがい物で、治癒魔法も使えないと。病弱で社交もできないお荷物だと。
それ以降、ルピナに妹のことを聞く命知らずはいなかったし、俺も存在を思い出すこともなかった。
だが、もしもその妹がルピナによく似ていたなら?
ルピナの銀色の髪と藍色の瞳は、アイヴォン伯爵によく似ている。
母方でなく父親に似たのであれば、あるいは?
だからこそ、あれ程にルピナが怒りをあらわにしたのではないだろうか。
病弱で社交もできず、治癒魔法も使えないとルピナは言っていたが、それが真実かは疑わしい。ルピナは他者を貶めることに躊躇いなどないのだから。
妹の名前は、何といっただろうか。
「ロザリーナと名乗っていたそうです」
口に出したつもりはなかったが、出ていたらしい。モナの言葉に頷く。
(ロザリーナ。それが、貴方の本当の名前なのか?)
ルピナより、ほんの少しだけ薄い藍色の瞳を思い出す。
誰よりも優しくて、自分を虐げる相手すら癒したかけがえのない人。
(絶対に、探し出して救い出して見せる)
ぐずついていた鈍色の空に、光が差し込んだ。





