2
※胸糞注意です……。
「まったく、狭苦しい部屋ね。このわたくしをもてなすのに不十分ではなくて?」
ロザリーナを名乗って修道院を訪れたお義姉様は、わたしの部屋に入ると先ほどまでの笑みを消し去った。側には、なぜかベネットが控えている。
あの辛い伯爵家で、唯一わたしに優しかった侍女。
皆の前ではわたしを迫害するように見せかけて、陰ではずっとわたしを助けてくれていた。
そんな彼女がルピナお義姉様の共として修道院を訪れたことに、不安が募る。
ヴェールを被っていてよかった。
表情を取り繕うなんて、わたしにはきっと無理だから。
「まぁ、お前ごときの部屋なら十分すぎるほどだとは思うけれど」
不思議なことに、今日のお義姉様は機嫌がいいようだ。
いつもなら、ほんの少しでも気に入らないことがあれば殴られるのに。
(薬草茶は駄目ね……)
いつも飲んでいる薬草茶などを出したら、お義姉様が投げ捨てる姿が目に浮かぶ。
以前ランドリック様がくれた紅茶を使うしかないだろう。大事に少しずつ飲んでいたから、まだ残っていてよかった。
「ふぅん……これ、王宮で出されている紅茶ではなくて?」
紅茶の香りをかいだだけで、ルピナお義姉様にはわかったようだ。やはり薬草茶を出さなくてよかった。
「以前の頂き物がありましたので」
「それは、やっぱりランドリック様から?」
彼の名前を出されてどきりとする。
「まぁ、聞くまでもないことよね。お前が王宮で出されるような高価な紅茶を買えるはずがないものね」
ふふっと笑って、なぜかルピナお義姉様はベネットを席に促した。
「ベネットにも紅茶を出してあげて頂戴。王宮で出される紅茶なんて、まず口にできないでしょう?」
「……失礼いたします」
表情には出していないものの、ベネットの不安が伝わってくるようだ。
わたしは彼女の分の紅茶も淹れて、差し出す。
(侍女と同じ席でお茶を……? いったい、お義姉様はなにを……?)
ベネットはわたしにとっては大切な人だけれど、お義姉様とは特にこれといって深いかかわりはなかったはずだ。
それとも、わたしが伯爵家を出されてから、関係が変わったのだろうか。
けれど覚えている限りでは、お義姉様がお気に入りの侍女とすら同じ席でお茶を楽しんだことなどない。
お義姉様にとって、爵位の低いものはどうでもいい存在。伯爵家に勤めていた侍女達は下級貴族のご令嬢もいたが、平民の方が多い。ベネットもそうだ。
準男爵位すら持たないベネットを連れてきている理由がわからない。
「ねぇ、ロザリーナ。今日はわたくし達の立場を元に戻すために来たの」
「元に?」
「えぇ、そうよ。本来この修道院へはわたくしがくるはずだったわ。代わりにお前を寄越したけれど、ランドリック様と婚約したなら話は別だわ。まさか、伯爵家を出ているからと、我が家を通さずに婚約を結ぶだなんて驚いたわよ? 修道女は修道院長の許可があれば婚約出来るだなんて。おかげで、ここへ来るのが遅くなってしまったわ」
「……おっしゃられている意味が、分かりません。彼は、わたしと、婚約して下さったのです」
「あら、違うわよ? お前じゃないわ。彼はルピナであるわたくしに求婚したのよ。わかるでしょう? 彼はわたくしを愛しているのだもの」
当然のことのようにお義姉様は首をかしげる。
ずっと、彼のことをお義姉様は嫌っていた。
目の敵にしていたベジュアラ・シュマリット公爵令嬢を庇うのが気に入らないと、けれど王族だから排除もできないと。
苛立たし気に罵りながらわたしが叩かれたのは、一度や二度ではない。
だというのに、なぜお義姉様は急にランドリック様が自分に求婚してきたというのか。嫌悪こそすれ、こんな風に喜ぶようなことではないはずなのに。
ランドリック様の求婚を受けた後、不安だったのはルピナお義姉様のことだ。
けれどお義姉様は彼を毛嫌いしていたこと、父であるアイヴォン伯爵様はわたしが政略のコマとして使えるなら喜ぶであろうこと、そしてなにより、修道女となったわたしは、伯爵家の許可ではなく、この修道院の院長の許可によって婚姻できると知って、本当に婚約出来たのだ。
「……っ」
不意に、ベネットが胸に手を当てる。
「ベネット?」
それまでじっと座っていた彼女の様子がおかしい。
お義姉様は楽しそうな笑顔のままだ。
「うっ……」
「ベネット!」
苦し気に顔を歪め、椅子からずり落ちるように床に崩れた彼女に駆け寄る。
(真っ青だわ。具合が悪いのに無理やり連れてこられたの?)
彼女の背をさすりながら、治癒魔法を施すが、何も起こらない。
「やっと、効いてきたのねぇ」
ふふっと笑う声に、ぞわりと悪寒が走る。
「お義姉様……?」
「いやだ、わたくしを義姉と呼ぶなと何度もいったのにわからないの?」
「っ、申し訳ありません、ルピナお嬢様。で、ですが、ベネットに何をなさったのですか」
「もうわかっているでしょう?」
わたしの治癒魔法で治せないもの。
石化すらも直せるようになったわたしの唯一治せないそれは――毒。
「彼女に何を飲ませたのですか!」
「なんだっていいじゃない。教えるわけないでしょ?」
「何故こんなことをなさるのですかっ、何の意味があるのですか、早く、早く彼女を治療してください!」
「大丈夫よ。ちょっと苦しいけれど、すぐには死なないし、そういうものを選んだもの。時間をかけて、ゆっくりじっくり効いていくわ」
お義姉様は面白そうに毛先をもてあそぶ。
(ベネットがなにをしたの? 毒を盛って連れてくるなんて意味が分からない)
この部屋にも解毒剤はあるが、何の毒かわからなければ使えない。
治療院には走ればもっと多くの解毒薬があるし、もしなくてもわたしなら調剤できる。けれど何の毒を飲まされたかわからなければ、どうしようもない。手あたり次第飲ませたら、それこそ毒になるのだから。
「ベネット、ベネット、何を飲まされたの? お願い、教えてっ。わたしに、貴方を助けさせて」
まだ喋れるはずだ。
なのにベネットはふるふると首を振る。
いつ盛られたのかもわからないということ?
「やっぱりねぇ。こんなのがお前は大事なのね。ただの平民なのに」
立ち上がったお義姉様が、わたしごとベネットを蹴飛ばした。
力加減など一切されないそれは、強い痛みを腹部にもたらし、一瞬息が詰まる。
「何を、なさるのですか……、彼女は、関係ないことではないのですか」
「あら? 関係あるわよ。これはお前に好意を持っているのでしょう。それはわたくしに対する明確な裏切りだわ」
「違います、彼女はわたしに好意など寄せていません。お義姉様もご存じでしょう」
ベネットはわたしを大事にしてくれている。
彼女のたった一人の肉親であるお母様の病をわたしが治癒魔法で治したから。
けれど皆の目がある前では、決してわたしを手助けなどしないようにお願いしていた。だから、お義姉様から見たベネットは、他の使用人達となんら変わらなかったはずだ。
「そうね、いつだってこいつは無表情で、わたくしがお前を殴ろうと無関心を装っていたわね」
「ご存じならなぜっ」
「お前についていこうとしたじゃない。修道院にわたくしとしてお前が行くことになって、他の使用人達はいつもと変わらなかった。けれどこいつは、わたくしと特に親しかったわけでもないのに修道院行きを名乗り出たでしょう? そしてお前はそれを断った。だから、気づいたのよ。お前たちは特別な関係だ、ってね」
嬉しそうに笑うお義姉様は、本気でベネットを殺すつもりなのだとわかる。
(あの時に、気づかれてしまっただなんて……)
わたしを気遣ったばかりに、こんなことに巻き込まれてしまうなんて。
「……すべて、いう通りにします。ベネットを、どうか、助けてください」
わたしは、深く頭を下げる。
お義姉様だけが、毒を治せる。
ベネットを助けるには、お義姉様の慈悲にすがるしかないのだ。
「ふふっ、やっと素直になったわねぇ」
ヴェールが乱暴にはぎ取られた。
「ねぇ、ロザリーナ。お前のような下賤の血が混じった女が、本当にわたくしになれるとでも思ったの? ねぇ、こんな、老婆みたいな、白みがかった髪のお前が?」
「あっ、うっ……」
ぐいっと力いっぱい髪を引っ張られて、痛みに声が漏れる。
痛がったら、余計、嬲られるだけなのに。
お義姉様は、わたしの顔がお嫌いだ。
婚外子のくせに、お義姉様によく似ているから。
扇子で情け容赦なく、何度も何度も頬に打ち付けられる。
お義姉様は、わたしの髪がお嫌いだ。
ほんの少し白いだけの、並んで見比べなければわからないほどによく似た銀髪だから。
髪を引っ張ったまま、思いっきり床に叩きつけられる。髪の毛がブチブチと音を立てて引き抜かれ、お義姉様の手に残る。お義姉様はそれを汚らわし気に投げ捨てた。
「あら、声も出ないほどだったかしら。面白くないわ」
ヒールの踵で、足を踏みつけられる。
今度は痛みに耐えられた。
伯爵家では、これ以上の折檻はいつものことだったのだから。お義姉様は一通りいたぶれば気が済むのだから。
「駄目です……ロザリーナ、さま。わたしのことは、もういいのです……どうか、幸せになってください……」
嬲られるわたしに目に涙をためて、ベネットが言う。
毒のせいで声を出すのも辛いはずなのに。
「お前、まさかわたくしがこのまま伯爵家に戻って何事も無いとでも思っているの?」
ベネットに振り返り、彼女の顎を掴む。
「お前が死んでもロザリーナが言うことを聞かなかったら、そうね、お前の母親を処分してやるわ」
「なっ……」
「あら、驚くことかしら? 平民ごときが貴族の、聖女であるわたくしに逆らったのよ? お前だけの処分で済むと思っているの? お前の母親なんていくらでも理由つけて処分できるじゃない。馬鹿なの?」
「あっ、あぁっ、あああああっ!」
「あっはは、おっかしいの! どうしてこんなことがわからないのかしら。やっぱりロザリーナが愚かだから、集まるやつらも愚かなのね!」
絶望に涙するベネットに、お義姉様は心底おかしそうに高嗤う。
(どうして、この部屋に誰も来ないの……?)
これほどの騒ぎなのに誰も来ない。
「あぁ、助けを待っても無駄よ? この部屋にはわたくしが入った瞬間から防音の魔術を張り巡らせたもの。部屋の音はどこにも聞こえやしないわ。まぁ? 辛うじて治癒できるだけのお前にはわからないだろうけれど」
そして何を思ったか、お義姉様はベネットを治療し始めた。
既にぐったりとしていた彼女の顔色が、血色を帯びてくる。
「訳が分からないという顔をしているわね? 本当に愚鈍な女。何もかも説明してあげなければならないなんて疲れるわ。でもそうね。ちゃんとはっきり言ってあげないと、お前が余計なことをしでかすとも限らないし。親切なわたくしは教えてあげる。こいつは、人質よ」
「人質……」
「そうよ。こいつはわたくしの側にいさせるわ。お前にとってこいつは大事な人だものね? いいのよ、ランドリック様に告げ口しても。こいつの命がいらないならね」
ふふっと笑うお義姉様に、わたしはもう、何もかもできないのだと悟った。
早く服を着替えなさいとお義姉様に言われるままに、修道服を脱ぎ、お義姉様が着てきたドレスに着替えた。
ツバ広のフリルがふんだんについた帽子をかぶっていたのは、顔を隠すためなのだと理解した。
仕上げに、お義姉様はわたしの身体を癒した。叩かれた頬が一瞬で痛み無く元通りに治ったのを感じる。
「誰かに見られでもしたら大変だものねぇ。可愛い義妹を虐げる姉、だなんて噂が立ったら大変でしょう? さあ、さっさと出てお行き。伯爵家の馬車はそのまま門の外に待っているわ」
突き飛ばされるように部屋の外に出され、わたしは誰にも見られないように急いで修道院を出る。陽がさしてキラキラと輝いていた廊下は、いまや雨雲に覆われた空と同じように灰色にくすんでいる。
わたしが言うことを聞いている間は、ベネットは決して害されない。だから、彼女は大丈夫。わたしは、お義姉様に逆らったりしない。
もしも、二度目の入れ替わりが誰かに知られたなら、ルピナお義姉様は、きっと躊躇いもなくベネットを殺すだろう。
わたしはもう、二度と修道院のみんなに会えない。二度と、ランドリック様にも。
顔を隠してくれるヴェールはもうない。会えば、きっと彼は気づいてしまう。
(ランドリック様……)
駆け込んだ伯爵家の馬車の中で、わたしは声を押し殺して涙を堪えた。





