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どのくらい馬車の中で祈っていただろう。
「ランドリック様が魔鳥を打ち取ったぞ!」
そんな騎士の叫びと共に歓声が上がった。
はっとしてヴェッタ様を振り向くと、こくりと頷かれた。
走りたい勢いで馬車から飛び出す。
脅威がないなら、もう皆を治療できるはず。
「チェリドさん! まずは貴方からです。どうか治療させてくださいませ」
すぐそばにいたチェリドさんの腕を掴み、思いっきり治癒魔法を使う。
血が滲むだけでなく深く削れていた腕の肉が盛り上がりみるみる再生していく。
「助かった。死にはしないが、痛くはあるからね」
「ルピナ様。強化魔法は既にかけてある。思う存分治療してやってください」
ヴェッタさんが苦笑気味に馬車から降りてくる。
わたしは怪我をした騎士達を言われるままに治療する。普段だったらこんな勢いで治療してしまってはすぐに魔力切れを起こしていたが、ヴェッタさんのおかげでほんの少し力を籠めるだけで治療できていく。
「あぁ、聖女様、ありがたいです」
「本当に元聖女なのだろうか。あまりにも手際がいい」
「……俺の傷は治さなくても、あっ、もう治ってる!」
口々に感謝や驚かれるが、ヴェッタさんの予想通り誰一人重傷者はいない。
(よかった、本当に)
ほっと胸をなでおろすと、悲痛な馬の鳴き声が聞こえた。
「馬車はもうダメだな」
蹲っている馬と、そのわきに御者がため息をついている。
「あの、この子は」
「足をやられたようでね。激しく揺れていたでしょう」
大きく揺れた時だろうか。
ヴェッタさんのおかげでそれ以降は揺れを感じることはなかったが、馬が怪我をしていたからなのか。
そっと近づくと、暴れる気力もないのか項垂れている。
「ごめんね、どうか、じっとしていてね」
触れても大丈夫そうなので、かがんで怪我の様子を見る。
「……馬を、治療なさるのですか」
不意に見知らぬ王宮騎士に話しかけられた。
「えぇ。このままでは、動けないでしょう?」
このままでは、この馬はここで破棄されるだろう。それはつまり、見殺しにするということ。わたしの治癒魔法で治してあげられるのに、そんなことはさせられない。
馬車を引くのはもう無理でも、脚の治療ができれば、ロルト辺境伯領まで連れて帰ることができる。
ぐったりと苦し気に横たわる馬の背を撫で落ち着かせ、折れた足の上にそっと手をのせる。
痛みにびくりと頭を持ち上げる馬を抱きしめるように、脚に治癒を施していく。
ヴェッタさんの広範囲強化魔法の影響がまだ残っているのか、思いのほか簡単に脚の治療ができた。
ひょこりと立ち上がった馬は、嬉しそうに耳を上下に動かした。
「良かったわ、もう大丈夫ね」
問題なく歩けそうな様子にほっと胸をなでおろす。
「それほどまでに、馬車で移動したいのですか」
先ほどの騎士がまだそばにいたようだ。何かをこらえるような表情に、違和感を覚える。
「いえ、そういうわけではなく……」
「弟は見捨てたくせに、馬をお前は治すのか!」
「きゃっ!」
思いっきり突き飛ばされて、わたしはその場に倒れ込む。
「お前がっ、治療を拒んだせいで! 弟はもう二度と騎士になれないんだぞ! こんな簡単に一瞬で治せるくせに、どうして拒んだんだよ!」
胸ぐらをつかまれ、ヴェール越しに思いっきり頬を叩かれた。
「お前のっ、お前のせいで!」
怒りのままに振り上げられた剣に足がすくんで動けない。
けれどその剣がわたしを切り捨てることはなかった。
異変に気付いたランドリック様が王宮騎士の腕をねじり上げていた。
「ランドリック様、お離し下さいっ、こいつは、こいつがっ!」
抵抗する王宮騎士の腕をねじ上げたまま、もう片方の手で兜のバイザーを跳ね上げる。
露わになった顔は、痛みと屈辱で歪み、瞳は血走っている。
「いいや離さない。お前はジフ・セロナだな? 何故ここにいる!」
「ははっ、こんな女の為にお怒りですか? 貴方だって、この女にはさんざん煮え湯を飲まされていたではないですか」
「質問に答えろ。お前はこの討伐部隊に組み込まれていなかったはずだ」
不意に肩に手を置かれてびくりとすると、ヴェッタさんが側に立っていた。その隣にはチェリドさんもいて、二人はわたしを背に庇うように前に出る。
「そんなもの、簡単ですよ。この女を憎むやつは大勢いるってことです」
「つまり、誰かと入れ替わったんだな? くそっ、全員兜を外せ!」
ランドリック様の怒声に、周囲の王宮騎士達が次々に兜のバイザーを上にあげる。
けれど何名かは、兜に手を触れたまま、外そうとしない。
逃げ出そうとした数名は、けれどすぐそばにいたほかの王宮騎士団に即座に捕らえられた。
「王宮騎士団は随分と統率がとれているようですな」
ねっとりと、侮蔑を隠しもしない口調でフォースナー様が揶揄ってくる。
「……このような事態を引き起こしたことを謝罪させて頂きたい。申し訳なかった」
嫌味に対してランドリック様が即座に頭を下げたことに、フォースナー様は一瞬息を呑む。
けれどフォースナー様の苛立ちはそれだけではおさまらないようで、わたしを睨むとにやりと口の端を上げた。
「王族であるランドリック様に頭を下げられては、こちらも引くしかありませんな。しかしながら、問題の元凶はそちらの元聖女のご様子。歩きたくないがために馬を治したようですが、治癒の力が随分と有り余っているようですし、ここは、皆の為にも元聖女様にも歩いてもらってはいかがだろう」
「何を言っている?」
「ははっ、ランドリック様にはわかりませんか? 馬車を使わずに歩いて頂くだけですよ。なに、治癒の力で疲労を回復すれば、魔の森まで歩くことなど造作もないでしょう。どのみち魔獣が現れた以上、馬車での移動は困難なのだから。元聖女様としては当てが大きく外れたでしょうが、なに、二本の足は歩くためにあるのです。ぜひ使って頂きたい」
出来るわけがないでしょうがという彼の心の声が聞こえてきそうだ。
「歩けとおっしゃるのならば、わたしはそれで構いません」
「ほぅ? いい心がけですな。ぜひとも歩いて頂きましょう!」
フォースナー様は満足げに頷いて先頭に戻っていく。
「ルピナ。無理をするな」
「いいえ、本当に問題ありません。馬車は、捕らえた騎士達をロルト辺境伯領へ送り届けるのに使って頂ければと思います」
このままここに置いておくわけにもいかず、さりとて、連れていくにも危険が伴う。
ルピナお義姉様を憎む者たちがわたしを害せば、魔獣王との戦闘が不利になる。
癒し手を失った騎士達には、後がなくなるのだ。
ランドリック様はもちろんのこと、この戦いに連れ立った皆を全員無事に返したい。
「馬たちを強化しておいたわ。これで騎士達を乗せて戻れるでしょうよ」
ヴェッタさんがわたしが治療した馬に身体強化をかけてくれたようだ。
ぶるるんと頭を軽く振る馬は、先ほどよりもずっと元気そうに見えて、こんな時なのに嬉しくなる。
縛り上げた騎士達を馬車に詰め込み、見張りの騎士を数名付けてロルト辺境伯領へ向かわせる。魔獣の心配を感じたが、先ほどの魔鳥ははぐれであり、来るとしても魔の森から来るのだから、帰路には問題がないとの事で胸をなでおろす。
わたしを狙った方達だが、怪我などをして欲しいとは思えないから。
「ルピナ……」
そっと、ヴェール越しにランドリック様の指が頬に触れた。
「すまない、こんな目に合わせて」
「ランドリック様のせいではありません! これは、事故のようなものです」
苦しげに吐き出された言葉に、わたしは即座に否定する。
ルピナお義姉様を憎むあまり、正式な討滅騎士と入れ替わっているなどと、予想できるはずがなかった。
ましてや、わたしが馬を治療したことにより彼らの逆鱗に触れてしまうなど、思いもよらないことだった。
「だが……」
「大丈夫です、わたしは、治療できるのですから」
ランドリック様の指先に自分の手を重ね、そのまま、殴られた頬を癒す。
わたしの手の平からランドリック様の指先を伝わって、癒しの力が頬を癒していくのがわかるはず。
自分自身に使うことがなかった治癒魔法だが、わたしが傷つけば、悲しむ人がいるということをいまはもう十分にわかっている。
だからなのか、他人を癒すよりも難しいものの、自分自身にも治癒魔法を施せるようになっている。
正直、あまりのことに衝撃が強すぎて痛みを感じていなかった。
けれど放置すれば必ず腫れあがっていたことだろう。
口の中も少し切れていた。
ランドリック様はわたしが治療し終わった頬をヴェール越しに数回撫でて、腫れが引いたのを確認すると安心したように目を細めて手を引いた。





