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◇◇◇◇◇◇
魔法障壁の結界が施されたロルト辺境伯領の城門をくぐり、馬車がロルトの街へ入る。
(随分栄えているように思えるわ)
ルピナお義姉様が毛嫌いしていた田舎の辺境領。
けれどその町並みは、王都ほどではないにしても、賑やかで美しい。
王都よりも石造りの家が中心なのは、魔物の脅威に常にさらされているからだろう。王都では一階は石造りでも二階以上は木造の家が多かった。
城壁も、王都の城壁よりも高く作られている。城門に施されていた魔法障壁とはまた別の結界が街を覆っているようだ。
やはり常に魔獣と隣り合わせの世界では、これほどの守りが必要なのだ。
そしてわたし達は、その脅威の元凶たる魔獣王を倒しに行く。
知らず身体が震えかけたが、わたしは腕を掴んで震えを止める。
馬車が滑らかに城につく。
「ルピナ」
ランドリック様から差し出された手を、今度は戸惑うことなく受け入れた。
「えっ。辺境伯にはお会いできないのですか?」
ロルト辺境伯城の侍女の言葉に思わず聞き返す。
城についてすぐ、わたしとランドリック様、それに騎士団の皆様はそれぞれ客室に通され、身支度を整えさせられていた。
湯あみも既に用意されていて、想像していた歓迎とは良い意味で違っていたので、驚いていたのだ。
着の身着のままで魔の森へ向かわされることも予想していた。
王族であるランドリック様がいるからこその待遇かもしれなかったが、やはりロルト辺境伯の怒りは収まっていないのだろう。
愛娘をルピナお義姉様に侮辱されたのだ。
その憎き相手が訪れたのだから、それ相応の対応が待っていると思っていた。
通常であれば、長旅を労われる晩餐会と、魔獣の王に関する情報交換が行われるはず。
けれどロルト辺境伯にお会いになれないとなると、話は違ってくる。
「城主様は体調を崩されたお嬢様に(・・・・・・・・・)付き添っていらっしゃいます。指示があるまで、決して部屋から出ないよう言付かっております」
『体調を崩されたお嬢様』
その部分に特に力が込められていたように思うのは、気のせいではないだろう。
侍女は言葉遣いこそ丁寧だが、ルピナに対する敵愾心が強く出ているようだ。
(当然のことですよね……)
ロルト辺境伯にはご子息が二名ほどいらっしゃるが、ご令嬢はミミエラ様ただお一人。
末娘である彼女を、辺境伯はもちろんのこと、上のお兄様たちも可愛がっていらっしゃるとか。溺愛といってもいいほどだと聞いている。
そんな大切な娘をルピナお義姉様は大勢の貴族の前で貶めたのだ。
「ミミエラ・ロルト辺境伯令嬢のお見舞いをさせて頂けますでしょうか……?」
そっとご提案した瞬間、侍女の一人が持っていたトレーを床に投げ打った。
「何を馬鹿なことをおっしゃるのですか! 貴方が、いいえ、あんたがお嬢様を苦しめているのに会わせるはずがない!」
「待ちなさい、お前は何を言っているの! ルピナ様、この者の非礼を深くお詫びさせて頂きます。大変申し訳ございません」
一番年かさの侍女が、怒りに震える侍女の頭を強引に下げさせた。
「ロベルタ様、なんでこんな人に」
「お黙りなさい!」
ロベルタと呼ばれた年かさの侍女は、悔しげな若い侍女を引きずるように部屋を辞していく。残った侍女は無言でトレーを片付け、こちらも早々に部屋を立ち去った。
迂闊な発言だった。
体調を崩されているのであれば、癒しの力で治してあげられるかと思ったのだ。
けれど、ミミエラ様の体調不良は、気の病のようだ。
わたしが、ルピナお義姉様としてこの地にやってきてしまったから。
ヴェールは修道院を出ても外してはいないが、ぎゅっと掴む。
絶対に、この素顔を晒さないようにしなければならないだろう。
ルピナお義姉様と同じこの顔は、きっとミミエラ様のお心を傷つけるから。
――前代未聞の辺境伯不在で行われた晩餐は、まるで葬式のような静けさだった。
◇◇◇◇◇◇
魔の森へは、時を置かずして出立することになった。
辺境伯領の北西に位置する魔の森は、ロルト辺境伯の城から馬車で二日の距離にある。
魔の森に近づくにつれて、獣も凶暴さを増すようだ。
途中で何度か遭遇しているのだが、王宮騎士団の行く手を妨げる障害とはならず、おおむね順調に進んでいるのだろう。
馬車の窓から見えるロルト辺境伯領の騎士達は、統率の取れた動きで不審な行動はないように思う。
(ランドリック様からは、決して馬車から出るなと言われているけれど)
いまこの馬車の中にランドリック様は同乗していない。
ロルト辺境伯が、罪人であるわたしと王族であるランドリック様の同乗に不快を示したからだ。引き離されることにランドリック様は懸念を示したが、いまはロルト辺境伯のご子息であるフォースナー様と共に馬で並走している。
わたしの隣には、ランドリック様が選んだという王宮魔導師団所属の魔導師であるヴェッタ様と、ランドリック様と常に一緒だった護衛騎士のチェリド・ボットラ様がついてくれている。
ボットラ様はもともと修道院でもランドリック様の護衛騎士として会っていたから、顔見知りだ。そしてヴェッタ様はどことなくモナさんに似ている。さらさらとした黒髪のせいだろうか。瞳の色は銀ではなく黒いのだが、親近感が持てた。
正直、ロルト辺境伯領側の人たちと同乗することにならなくてよかったと思ってしまう。
トレーを投げた侍女だけが、特別にルピナお義姉様を憎んでいるわけではないのだ。
ミミエラ・ロルト辺境伯令嬢は、この地で愛されている姫だった。ご家族だけでなく、領民からも。それを、皆の視線で痛いほどに感じた。
辺境伯領の騎士達の態度は、ぎりぎり不敬にならない程度には、当たりが強い。
特に、ミミエラ様の兄上であるフォースナー様は、ルピナお義姉様を強く憎んでいらっしゃる。ランドリック様が心配するのも無理のないことだった。
窓越しに、フォースナー様と目が合う。
こちらに舌打ちが聞こえてきそうなほどに強く顔をしかめられ、わたしはそっと目をそらす。
『魔物のいない王都での戦績が、どれほどのものであろうと、ここでは児戯に等しいと身をもって知ることになるだろう』
出立前に吐き捨てられた言葉には、王都からの騎士達も一瞬殺気だった。
フォースナー様のルピナお義姉様への憎しみは、そのまま王都の騎士達への不信感につながっているようだ。
そして辺境騎士団も、フォースナー様と同じ意見のように思える。
協力し合わねばならないというのに、こんな状況で魔の森に向かわなくてはならないのか。
(せめて、わたしではない聖女が来ていたなら、状況は違っていたのでしょうか……)
ロルト辺境伯の指名なのだから、拒否権などなかったけれど、魔の森に入る前から対立してしまっている雰囲気に気持ちが沈んでいくのを感じる。
ちらりと、護衛騎士のチェリドさんと、王宮魔導師のヴェッタさんを見る。
チェリドさんは無言で周囲を警戒しているように見えるが、ヴェッタさんは本を読みふけっている。これから魔獣との戦いが待っているのに、随分と余裕がある。
「ヴェッタは、いつもこうなので気にしないほうがいいですよ」
わたしの視線に気づいたチェリドさんが小声で囁く。
「戦闘中も本を読まれるのですか?」
「いや、流石にそこはわきまえているはず。いや、大丈夫なはずだよ」
やや自信がなさげなのは何故だろう。
「お二人は、お知り合いなのですね」
「そうですね。自分はランドリック様の護衛騎士として常に王城にいますし、ヴェッタは王宮魔導師です。必然と会う機会が多いのですよ」
「討伐もご一緒にされたことがあるのですか」
「何度か。ヴェッタの補助魔法は広範囲の強化です。身体はもちろんのこと、魔力も強化されます。ルピナ様の治癒魔法も強化されますから、通常よりも治癒しやすくなると思いますよ」
「それはとても珍しいのではないでしょうか」
そこまで強力に他者の能力を強化する魔導師は、王都でも少ないのでは。
「……チェリド。おしゃべりはそこまでだ」
いままで無言で本を読みふけっていたヴェッタさんが本をぱたりと閉じた。
チェリドさんの顔に緊張が走る。
「来るぞ」
何が、と言いかけて息を呑む。
窓の外に巨大な黒い影が見えたからだ。
「魔鳥か?」
「おそらくな。はぐれだろう。私達が出るほどではないが、チェリドはドアを守ってくれ」
「了解」
馬車が止まった瞬間、チェリドさんが外に飛び出しドアの前に立つ。
聞いたことのない鳴き声を上げて、巨大な魔鳥は飛来する。
大きな影が一行を覆った。
「ルピナ様。何があっても外に出てはなりませんよ?」
「は、はい」
ヴェッタさんに念を押されて、頷く。
(でも怪我人が出たら?)
馬車の中からでは治療できない。
一瞬見えた姿は、とても大きかった。黒い鴉のような、広げた翼は人よりも大きく見えた。
「一羽ではないのか」
窓の外をにらんだままのヴェッタさんが呟く。
馬の嘶きと共に馬車が大きく揺れた。馬車の椅子から落ちそうになり、ヴェッタさんに支えられた。
「失礼」
ヴェッタさんが席を移動してわたしの隣に座る。
「馬が興奮しているようです。いま揺れを抑えます」
ヴェッタさんが何か呪文を呟くと、わたしの身体が見えない何かに包まれた。それと同時に、揺れを感じなくなった。
「チェリド! 馬が随分怯えているようだが、何を手間取っている?」
「魔鳥だが、動きがおかしい。だがたったの二羽だ。すぐに討伐されるだろう」
窓から見える範囲では、ランドリック様の姿が見えない。
フォースナー様が大きく剣を振りかぶり、急降下してきた魔鳥の鋭い鉤爪を薙ぎ払った。
叫び声をあげる魔鳥は、そのまま羽を大きく羽ばたかせ、突風を巻き起こす。
騎士達のマントがはためき、砂ぼこりが巻き上がる。
(えっ)
いつの間にかたくさんの魔鳥が集まってきている。
最初の二匹に比べ、ただの鴉のような大きさの小魔鳥だが、瞳の色が赤い。
騒がしい鳴き声と共に、黒い魔鳥の集団は次々と騎士達に襲い来る!
「駄目だ。離しませんよ」
思わず外に出かけたわたしを、ヴェッタさんに肩を掴んだまま止められた。
「でも、怪我をしていらっしゃいます、すぐに治療しなくては」
「いまあなたが襲われると、治療するものがいなくなる。貴方を守りながら戦うには、この馬車の中にいて頂くのが一番です」
ぐっ、っと唇をかみしめる。
確かにこの魔鳥の群れの中に飛び出せば、ただでは済まない。
けれど皆が戦う中、見ていることしかできないだなんて。
馬車の窓に、戦うチェリドさんが見えた。小魔鳥がその腕に鉤爪を立てる。そのまま後ろに倒れ込むように引きずり倒し、別の小魔鳥が顔面目掛けて急降下してくる!
叫びそうになった。
「チッ、面倒な」
パチンとヴェッタさんが指を鳴らすと、チェリドさんに突っ込んできていた小魔鳥が火だるまに包まれた。
そのまま軌道をそれてチェリドさんの真横に落下する。そしてチェリドさんは腕に食い込んでいた小魔鳥の鉤爪を剣で切り落とし、そのまま小魔鳥を貫いた。
「おいっ、ヴェッタ! もう少し安全な魔法を使ってくれ!」
「なに、顔面を鉤爪で抉られるよりはましだろうが」
軽く言い返しながら、ヴェッタさんは指を数回鳴らす。
そのたびに馬車の周囲で小魔鳥の叫びが響き、ぱたぱたと炎に包まれた死骸が落ちていく。
「ルピナ様。そう震えなくとも大丈夫です。この程度で大怪我をするような人材はここには連れてきていませんから」
言われて自分の身体が震えていたことに気が付いた。
大怪我は負っていなくとも、皆、怪我をしているはず。
チェリドさんもすぐに戦線復帰しているが、小魔鳥に抉られかけた腕からは血が滲んでいる。
(ルピナお義姉様なら、馬車の中からでも治療できた?)
わたしは、相手の身体に触れていなければ治療できない。
(どうか、早く終わって……)
祈るしかなかった。





