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◇ランドリック視点◇

 揺れる馬車の中、窓の外を見続けるルピナをみる。

 俺が同行することを決めたのは、王命が決まってすぐだった。


 二週間前を思い出す。

 あの時は、一気に頭に血が上っていた。





「ふざけたことを言うな! 正気か⁈」


 俺は思わず机を思いっきり叩く。反動でインク壺が倒れ、黒いインクは書類を無様に染め上げていく。


「そう激昂しないでくれ。これは、陛下が許可したことなのだから」


 目の前の兄は困ったように苦笑を浮かべ、何事もなかったかのように冷静にインク壺を元に戻した。


「辺境伯領にルピナ一人で向かわすことをか?」


「一人ではないよ。例年通り騎士達も同行する」


「だが聖女は一人だけだろう! 例年通りというなら、もう一人、いや二人は同行させるべきだ。ルピナは元聖女であって現聖女ではない」


 しかもあいつはいま、自分自身に対して治癒魔法を使っていない。毒の治療もできなくなっていると院長から報告をもらっている。

 ロルト辺境伯領の魔獣は毎年の討伐対象だ。

 例年この時期に行っているもので、それ自体に否やはない。


 だが王都から派遣される聖女は通年は二人から三人なのだ。それをルピナ一人だけを指名するなどと、ありえない。

 魔獣の討伐には、俺も何度か同行している。あれは、敵の数や強さによるのはもちろんだが、癒し手がいるかどうかでこちらの被害状況も大きく変わる。


「ロルト辺境伯としては、ルピナ・アイヴォン伯爵令嬢への処遇を良しとはしていなかったのだろうね。王都の修道院ではなく、辺境の修道院を最後まで彼は望んでいたのだしね」


 その件はよく覚えている。

 当時は俺としても、王都の修道院では生ぬるすぎる罰だと思っていた。辺境の修道院ですらもだ。ルピナへの罰とするなら、過酷な鉱山で終生工夫達へ尽くせと思っていた。


(だが、いまのあいつは……)


 魔力が枯渇するまで患者へ治癒を施していた姿が思い出される。

 魔力の枯渇は苦しいものだ。

 貧血によく似た症状と、吐き気、眩暈。

 魔力が少なくなればなるほど、その症状は強く出る。


 あの時のルピナは魔力が底を尽きていた。どれほど苦しい状態だったか、一度戦場で経験したことのある俺にはよくわかる。


 日々騎士として鍛えている男の俺でも、膝をつきたくなる苦痛。それを、ルピナは味わいながらも患者に尽くし続けていた。

 生ぬるい環境だなどと、もう口にできなくなっている。


「兄上は何とも思わないのですか。今回の処遇に」


「そういうランドリックは、ずいぶん不満そうだね。私はどちらかといえば喜ぶのではないかと思っていたのだけれど。シュマリット公爵令嬢への彼女の振る舞いには、何度も苦言を呈していたでしょう」


 ベジュアラの事を口にされて、思わず声に詰まる。

 彼女への嫌がらせを許したわけじゃない。

 それは、絶対にない。


 ルピナが王城に現れなくなって、ベジュアラは目に見えて明るくなった。

 ファイライル兄上とも、楽しそうに庭園を散歩する姿もよく見かけている。


 ルピナが王城に自由に登城してきていたころは、ベジュアラはあまり部屋から出たがらなかったと思う。特に、王子宮ならまだしも、王城の中央庭園にはまずいなかった。

 できるだけルピナを避けてのことだとはすぐにわかった。


 ダンガルド兄上が王宮図書館司書のハルヒナ子爵令嬢と親しくなってからは、ルピナはそちらも攻撃するようになったから、ベジュアラへの被害は多少減ってはいた。

 けれどもいつ鉢合わせするかわからない状態での暮らしは、ベジュアラを明らかに疲弊させていたと思う。


 ファイライル兄上がいない時はできるだけ俺が側にいるようにしていたけれど、それでも守り切れるものではなかった。余りにそばにいすぎると、下世話な詮索と、さもそれが本当のことであるかのように噂好きの宮廷雀たちにベジュアラが貶められるからだ。


 俺とベジュアラの関係は、幼馴染で、将来は義姉と弟。

 幼馴染として、未来の家族として大切には思っているけれど、それ以外の恋慕などは持ち合わせていない。


「……ダンガルド兄上は、ルピナに消えてもらいたいのですか」


 ハルヒナ子爵令嬢との仲は、ルピナとの婚約が消えてからも特に進展しているようには見えない。そもそも二人の間には、ルピナが想像したような下世話な関係はない。


 兄上は本が好きで王宮図書館に入り浸っていただけだし、ハルヒナ子爵令嬢も無類の本好きであるというだけ。

 ルピナの聞くに堪えない罵詈雑言にも笑顔で対応し、「図書館で騒がれるのは困りますね」と言ってのけた。


 ベジュアラと同じく小柄な女性だが、本以外に興味がなく、ルピナのことも騒音以外の感情を持っていなさそうだった。


「そう思っていたなら、ランドリックにこの話を持ってきたりはしていないね。私に治癒の力はないし、詰め込んだ知識は実戦で役立つものでもありません。けれど君なら、彼女に同行することも可能でしょう。ルピナ・アイヴォン伯爵令嬢の処遇についてはロルト辺境伯の要望を一度は断っているのです。二度断れば、王家への不信につながるでしょう。かの辺境伯の要望を満たし、なおかつ派遣する騎士の中に王族がいるなら、感謝されこそすれなんら問題にはなりません」


「いや、それは……」


 絶対にロルト辺境伯の思惑とずれる。

 おそらくロルト辺境伯はルピナにさらなる瑕疵を付けたいのではないだろうか。

 そう、魔獣の群れから逃げ、多くの兵士を危険に晒すという愚行などを想定しているのでは?


 いままでのルピナであるならば、そもそも同行すら拒んだだろうが。

 そこまでではなくとも、王都から派遣された聖女として無様を晒せば、今度こそ王都の修道院ではなく、辺境の修道院に移される。

 ロルト辺境伯にとっては、ルピナが魔獣に殺されるのが一番胸がすく思いだろう。


「すでに王命は下され、修道院への連絡が行くことでしょう。ですが辺境へ赴く騎士の手配は、ランドリックが同行するのであれば、君が選ぶことが出来るはずです。……君が嫌がるようなら説得をしようと思っていましたが、その心配はなさそうですね」


 ダンガルド兄上が、眼鏡を正す。

 ルピナと婚約者時代の兄上は、いつも彼女に振り回され、尻拭いをし続けていた。

 婚約者としての義務からだと思っていたが、兄上はそれ以上の想いをルピナに抱いていたのだろうか。


 やけに胸がざわついて、ざわついたことにさらに動揺する。

兄上がルピナを想っていようと、俺には関係が無いのに。


 そうだ、関係ない。

 軽く頭を振って、気持ちを切り替える。

 出立が二週間後なら、早く派遣する騎士を選ばなければならない。









「……ランドリック様?」


 控えめな声に呼ばれ、はっとする。

 窓の外を見ていたルピナが、ヴェール越しにいつの間にかこちらを見ていた。

 兄上との会話を思い出し、過去のことに意識が行き過ぎていたらしい。


「すまない、少しぼんやりしていたようだ。何か気になることでもあるのか?」


 二週間という短い期間ながら、ロルト辺境伯領へ赴く騎士は素行に問題のない者たちを厳選できたと思う。

 ルピナに対しても思うことがない者を選んだつもりだが、どうだろうか。


「いえ、特には……」


 歯切れが悪い。

 ヴェール越しにちらりとこちらを見て、そっと視線を外された。


「見られているような気がしたのです。ですが、勘違いでした」


 あぁ、そうか。

 ぼんやりとだが、ずっとルピナの横顔を見続けてしまっていた。

 ルピナからしてみれば無言で見つめ続けられていたのだから、気になるだろう。


「ロルト辺境伯領のことは知っているだろうか」


 ずっとルピナが行くことを拒絶していた場所だ。

 だがこれから訪れる際に、ある程度は把握しておいてもらいたい。


「はい。毎年魔獣の被害を領地で押しとどめてくださっている土地ですね。この時期には、魔獣の王と呼ばれるモノが出現すると窺っています」


「あぁ、その通りだ」


 あれほど嫌っていた場所であっても、事前に知識は得ていたようだ。

 ロルト辺境伯領は元々魔獣が出る地域ではあるが、冬に差し掛かる前のこの時期の魔獣は凶暴さに磨きがかかる。

 それは、魔獣の王と呼ばれる存在が出現するからだ。

 毎年姿の変わる魔獣の王は、去年は白狼だった。


「魔黒蛇だけは、王として出現しないでくれたらよいのですが」


「何故、その魔獣を?」


「図書館で調べさせていただきました。かの辺境伯領で毒をもつ魔獣は、魔黒蛇だけでした。解毒剤は多く作れましたが、出会わないに越したことはありませんから」


 ……驚いた。

 まさか、魔獣の種類まで調べているとは思わなかった。

 ルピナの治療院での姿はよく覚えている。


 だが、事前に生息する魔獣の種類を調べて、それに対抗すべく薬を持参するなど、誰が予想できた?

 何があのルピナをここまで変えたのか。


 聖女の称号剥奪にダンガルド兄上との婚約破棄、そして修道院での生活。

 何もかもがルピナの傲慢だった心をへし折ったのだろうか。


「辺境伯領での魔黒蛇の出現情報は確かにあるが、数はごく少数だ。それに、あれは魔獣の王となるには種族として弱すぎる」


「死に至る毒を持っているにもかかわらず、弱いのですか」


「そうだ。人にとっては脅威であることに変わりはないが、魔獣の王となる個体は、例年もともと巨体を持つ魔獣だ」


「去年は白魔狼と聞いております。その前は、雪のように白い魔豹でしたでしょうか」


「……よく調べているな」


「上辺の知識だけとなりますが、知らないよりは、知っておきたいと思いましたので」


 遠慮がちに答える姿には、以前のルピナの影は少しも見当たらない。

 図書館へ自ら足を運ぶようになったのは、ハルヒナ子爵令嬢がダンガルド兄上と知り合ってからだ。あの二人の間にルピナが嫌悪するような関係性は断じてなかったと言い切れるが、二人を糾弾する以外にルピナが図書館へ足を運ぶことはなかったように思う。


 そのルピナが、付け焼刃とはいえ魔物の事を調べ、過去の魔獣の王の事すらも理解しているのは嬉しい誤算だ。


「白を纏った魔獣が多いのは、何か理由があるのですか?」


「いや、関連性はない。現に五年前の魔獣の王は月ノ黒熊だった。その前の魔獣王に至っては、魔獣ですらなかったと記録されている」


「魔獣ではない?」


「あぁ。魔蝶の方だった。幻覚に惑わされ、随分と苦戦したらしい」


「蝶は美しいものだと思っていましたが、魔獣の王になるほどなのですから、もともとの存在も大きかったのでしょうね」


「ルピナは幻惑のコートを見たことはないか? 光の加減で独特な色合いに輝くコートだ。主に王宮魔導師団に支給されているが、あぁ、そうだ、今回連れてきている魔術師たちも羽織っている。あとで見せてもらうといい。あのコートは魔蝶の羽を加工して作られている。一匹で、一着作ることが可能だ」


「人一人分の大きさを作れるのであれば、やはり魔蝶となると通常の蝶とは異なるのですね」


「そうだな。だがでかい分、森の中でも視認しやすい。アレは幻覚症状を引き起こすが、いるのがわかれば対処もしやすい」


 魔獣の王都変化した個体はさすがに手こずったらしいが、通常の魔蝶はさして脅威ではない。幻覚症状は厄介だが、魔術師が対応できるし、ルピナを危険に晒すことはないだろう。


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