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◇◇◇◇◇◇
「ロルト辺境伯領の魔獣退治に、わたしが同行するのですか……?」
いつものように治療院の仕事をしていた時だった。
院長室に呼ばれて伝えられた言葉に、絶句する。
ロルト辺境伯領では、魔の森がある。
そこでは毎年この時期に魔獣が多く発生するのだ。放っておけば被害は増大し、ロルト辺境伯領だけでは抑えきれなくなる。
だから、王都からも騎士と聖女を派遣して討伐に当たるのだ。
(ルピナお義姉様は一度として同行したことがなかったはずだけれど……)
お義姉様は華やかな事を好む。そして汚いもの、辛いもの、田舎臭いものはお嫌いだ。
そんなルピナお義姉様が王都を離れ、辺境へ赴くことなどありえなかった。
聖女の称号を与えられる前からそうだったし、聖女となってからも一度もない。
なのになぜ、他の聖女達ではなく、聖女の称号を剥奪されたいま、王命が下るのか。
そう、ロルト辺境伯領へわたしが行くことは王命として伝えられたのだ。
拒否権はない。
院長先生が痛ましげな表情でわたしを見る。
「この話は、ロルト辺境伯の要望だと聞いているわ」
「ロルト辺境伯自らのご指名なのですね……」
お義姉様が田舎者だと嗤い者にして侮辱したのは、ロルト辺境伯の愛娘だ。
ルピナお義姉様を決して許すことのない相手の一人だろう。
そんな相手が指名してきた理由を考えると、身がすくむ。
「貴方とかの方との確執はわたくしも聞き及んでいるの。どうか、くれぐれも気を付けて」
「……精一杯、務めさせていただきます」
ロルト辺境伯の名前に胃が痛んだが、わたしは院長先生に頭を下げて退出する。
もう決定事項なのだ。
ならば、精一杯準備を整えて向かわせて頂くしかない。
辺境伯家の支援はないものと思った方がいい。
せめて、同行してくれる王家の騎士達が友好的であれば助かるのだけれど……。
(お義姉様の事を考えると、それも難しいでしょうね……)
騎士達の中には、お義姉様に治療してもらえた稀有な人もいるかもしれない。
けれどルピナお義姉様は高位貴族か、見目の良い騎士しか治す気はないと言っていた。
辺境伯領に行く騎士達の多くは、お義姉様に治してもらえることのなかった騎士達だろう。
どれほど恨まれているかと思うと、俯きたくなる。
そうしていても現実は変わらないのだから、自分でできる精一杯の準備を整えなくてはならない。
わたしの治癒力はお義姉様に遠く及ばず、毒を治すこともできないが、薬草の知識がある。辺境伯領に出る魔獣の種類を調べ、どの解毒薬を多く準備するべきか考えることはできる。
幸いここは王都の修道院兼治療院の為か、図書室がある。薬草や魔獣に関しての蔵書もあったはずだ。
仕事が終わり次第魔獣に関する本を貸し出してもらおう。
思考がどうしても悪い方へ流されていくのを押しとどめ、わたしは急ぎ作業に取り掛かることにした。
ロルト辺境伯領へ行く日は、準備に追われているとすぐに訪れた。
修道院の門の前で、モナさんが沢山の荷物を一緒に持ってくれている。
その中には彼女が寝る間も惜しんで作ってくれた薬が多く入っている。
わたしがロルト辺境伯領へ行くように命じられたのが二週間前。その事を知ったモナさんは、即座に準備を手伝ってくれたのだ。
「ルピナ。ほんとに気を付けてね?」
不安げなモナさんに、わたしは精一杯笑う。
「きっと、大丈夫ですよ」
「あんたは無茶しそうだから、心配なんだよ……」
「モナさんがこんなにも手伝ってくれたんですよ? わたし一人では、到底揃えられませんでした」
「でもあんた、毒の解毒ができなくなってるんでしょ? 辺境伯領の魔獣は毒持ちだって図鑑に書いてあったじゃない」
モナさんはわたしと一緒に辺境伯領の魔獣について調べてくれた。だから、毒のことも当然知っている。
「気を付けなければいけない毒は魔黒蛇です。それ以外は、毒といっても時間経過で治まっていくものだけです。一緒に調べてくださったのだから、ね?」
麻痺毒や激しい痛みや腫れを伴う毒をもつ者もいるが、すぐに解毒しなければ死に至るのは魔黒蛇のみだった。
魔黒蛇はその名の通り黒い鱗を持ち、通常の蛇よりも数倍大きな体を持つ蛇だ。夜間では見えづらいことが厄介だが、その大きさに比例して動きは鈍いとされている。
噛まれさえしなければ毒に侵されることはない。
それに対応できるように、モナさんと共に解毒薬を調合済みだ。噛まれた患部に塗り薬を塗布すればいい。薬湯の方が効きは早いが、事前に作っておくには持ち運びに不便がある。
「あたしもついて行けたらついていくのに。なんだって今回に限って元聖女のあんただけをご指名なのよ」
モナさんにはロルト辺境伯との確執については話していない。
ルピナお義姉様の事を上手く話せないし、モナさんにこれ以上心配をかけたくなかった。
ただ、他の聖女の派遣がないのは気がかりだった。
ルピナお義姉様から聞いていた話では、ロルト辺境伯領への魔獣討伐には、毎年二名の聖女が派遣されていたのだ。
これも、ロルト辺境伯の指示らしい。
直接聞いたわけではないけれど、聖女としての力を誇示し続けていたお義姉様なら、一人でも問題ないだろうということだった。
確かに、ルピナお義姉様なら、通常の聖女達よりはるかに力が強い。
お義姉様に及ばないわたしの治癒能力で、望まれただけの力を発揮できるのかどうか。
「あぁ、わかってるわよ? 聖女でもないあたしが同行したって無意味だって。そもそも同行できないしね。でもあんただけが危険な場所に向かうのを黙ってみてなきゃいけないのが歯がゆいのよ。絶対、無事に帰ってきてよ?」
「モナさん……」
ぎゅっと抱きしめられ、抱きしめ返す。
ヴェール越しに、モナさんが涙ぐんでいるのがわかって、わたしは気を引き締める。
辺境伯領を守ることは、王都を、ひいてはモナさんを守ることだ。
魔獣が王都に押し寄せれば、まず最初に犠牲になるのは力のない平民なのだから。
迎えの馬車が、修道院の門の前につく。
わたしは門のベルを鳴らして開け放つ。
けれど迎えの馬車から降りてきた人物に、わたしもモナさんも一瞬固まった。
(え、まさかそんな?)
見慣れた漆黒の髪と、意思の強い赤い瞳。
「ランドリック様が行くの? えっ⁈」
いち早く復活したモナさんが驚きと喜びの入り混じった声を上げる。
「俺が同行するのは不満か?」
ランドリック様が、ニヤリと笑う。
「いえ、そんな、恐れ多い……」
むしろありがたさしかない。
ランドリック様なら、公平な方だ。悪女であるわたしに対しても紳士的なふるまいを崩さないでくれるだろう。
けれど不機嫌そうな気配はいつもと違って感じる。
わたしたちに対してではなさそうなのが救いだけれど、なにがあったのだろうか。
「ルピナのこと、よろしくお願いしますっ」
ぱっとモナさんが頭を下げる。
「あぁ、当然だな。癒し手を守るのは騎士の義務だ」
軽く苦笑して、ランドリック様がわたしに手を差し出す。
「えっと」
「荷物を渡せ。運び込む」
王族に荷物を持たせる⁈
焦るわたしに、ランドリック様の護衛騎士がすかさず代わりに荷物をもって馬車に積み込んでくれた。
けれどランドリック様はもう一度わたしに手を差し出してきた。
「エスコートだ。手を出せ」
「あ、あの、一人で……」
乗れます、と言い切る前に、強引に手を取られた。
「……ありがとう、ございます」
恥ずかしくて、俯きながら馬車に乗り込む。
ヴェールでランドリック様からはわたしの顔は見えていなくとも、気にしてしまう。
何故王族の彼が辺境領へ行くのか。
そもそも同じ馬車の中にいていいはずがない。
「とりあえず座ったらどうだ」
「あ、はい」
促されて、対面に座る。
「随分、端に座るのだな」
なんとなくランドリック様から離れて座ったのが気付かれてしまっただろうか。
「モナさんの姿を見ていたくて」
これは本当だ。
この席からは、門の前にいるモナさんがよく見える。
さっきまでの不安げな気配はなくなって、いまはにこにことした雰囲気がここまで伝わってくる。ランドリック様がいれば安心だと思っているのだろう。
わたしも同じ思いだからよくわかる。
正直に言うと、辺境伯領でわたしは不幸に合うのではないかとも思っていたのだ。
けれどそれは杞憂だったらしい。
貴重な癒し手である元聖女を、私怨で消費することはなかったようだ。
ゆっくりと、馬車が動き出す。
わたしは窓の外で手を振り続けるモナさんが、遠く見えなくなるまで見続けた。





