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「ただの雑草を薬草だと思い込む。それが起こるのは、モナの部屋から盗み出した犯人だけということになる。グリフェ。詳しい事情は客室で聞こうか」
ランドリック様が一歩前に進み出る。
「違う、違う違うっ! 私は見たの、ほんとはルピナが薬草園に何かを埋めて隠すのを!」
叫ぶ彼女に、ランドリック様は軽くため息を零す。
「そうよ、薬草園には他の薬草も埋まってたわ。私には薬草の見分けがつかないからわからなかっただけっ」
「だがルピナが埋めたとするなら、雑草を隠す理由はない。彼女なら、薬草と雑草の見分けがつくのだから」
「こんな、こんなことってない! ルピナは悪女なのにどうしてよっ」
「たとえ悪女だとしても、いわれなき罪で陥れていいことにはならない」
「あるわよっ、私にはあるっ」
「あるわけないでしょう。ルピナに謝りなさいよ」
「あるっていってるでしょ! この顔が、その証拠よ!」
半狂乱に叫び、グリフェさんが顔を覆うヴェールを投げ捨てる。
瞬間、時が止まった。
誰もが息を呑んだ。何人かの修道女は口を押えて目をそらす。
グリフェさんの露わになった顔。
その顔は、半分酷く焼けただれていた。
所々赤く盛り上がり、片目は盛り上がった肉に押されて細く潰れている。潰れていないほうの瞳は大きく愛らしい紺色で、だからこそ、より一層爛れた半面の惨さが際立った。
「あんた、その顔……」
「モナ。さっきまでの元気はどうしたの? 私の顔がそんなに驚く? そうよね、みんな、そう。私だってこんな姿になりたくなかった! だけど、だけどっ、ルピナが、お嬢様を壊したりするから……っ」
グリフェさんの瞳から、涙が溢れだす。
「グリフェっ」
「グリフェさまっ」
リーズルさんとルッテさんが、遠くからかけてくる。
ルッテさんがグリフェさんが投げ捨てたヴェールの土を払って手渡す。
けれどグリフェさんはそれを使わず、握りしめた。
(あぁ、だから、お二人もヴェールをしていらしたのね……)
侍女としてここにいる二人は、修道女のようにヴェールで顔を隠す必要などなかった。けれどあえてそうしていたのは、グリフェさんの為。
顔にやけどを負ったグリフェさんにならって二人は顔を隠した。それは、自分たちの顔をグリフェさんに見せない為。爛れていない素顔を見せることで、グリフェさんが傷つくことを知っていたから。
「……ルピナさん。カミーユ・ラングウィール伯爵令嬢を覚えていらっしゃいますか」
嗚咽を漏らすグリフェさんの背をさすりながら、ルッテさんが問いかけてくる。
カミーユ・ラングウィール伯爵令嬢。
聞き覚えの無い名前だ。
ルピナお義姉様からも聞いたことはない。
頭を振るわたしに、ルッテさんは失望のため息を漏らす。
「そうよね。貴方には、その程度のことだったのよね。貴方にとって、人ひとり追い詰めることなんて、記憶の片隅にも残らない些末な事なんでしょうね」
「でも私たちは覚えてる。ルピナがカミーユお嬢様を虐め抜いてお心を壊したから、グリフェはこんな目に遭ったんだから!」
ルッテさんが怒りの籠った声を上げる。
(お義姉様が虐め抜いた……? けれどリーズルさんのいう通り、お義姉様にとっては、きっと、本当に、覚えてもいないことなのだわ……)
ルピナお義姉様からカミーユ様の名前を、一度も聞いたことがないのがその証拠だ。
「ルピナ。あなたは忘れてるんだろうから、私が思い出させてあげる。私がお仕えしていたカミーユお嬢様はね、本当にお優しい方だった。淡い水色の髪もお美しくてね、彼女が聖女なら、きっと誰のことも分け隔てなく癒してくれるだろうって思っていたのよ。でもね、そう思っていたのは、私だけじゃなかった。誰かがいってしまったのよ、パーティーの最中に、カミーユお嬢様をまるで聖女のようだ、と。ルピナ、ここまで言えば思い出した? あなたの前で起こった出来事のはずだもの」
……わからない。
わたしはルピナお義姉様ではない。
「へぇ? 本当に、わからないの? じゃあ、まだ続けるわ。聖女でないお嬢様が、聖女のようだと称えられたのが、よほど気にくわなかったのでしょうね。その日から、カミーユお嬢様はあんたにいびられるようになったのよ。最初の頃は、お嬢様は気丈にもいつか誤解は解けると笑っていらしたわ。でもそんな日は来なかった。あなたは、聖女の座なんて狙っていなかったお嬢様の髪を、見せしめに切り裂いたのよ! どう? もう、思い出したでしょ? 思いだしてよ、貴方の罪を!」
泣きながら叫ぶグリフェさんに、わたしは返す言葉がない。
けれどそれは、思い出せないからじゃない。
たった一度、お義姉様から聞いたことがあったのだ。
『わたしの座を狙うなんておこがましいのよ』と。ルピナお義姉様付きの侍女たちに、自慢げに話していたのだ。髪を切り落としてやったぐらいで許してあげたのだから、わたくしは寛大でしょうと。
貴族女性の髪を切るだなどと、随分と惨いことをすると思った。名前を聞いたことはなくとも、だから、記憶の片隅に残っていたのだ。
「まって、おかしいわ。ルピナにいびられていたのは、あんたが仕えていたお嬢様なのでしょう? なのになんで、あんたが、そんなことになったのよ」
「お嬢様の心が壊れてしまったからよ! 髪を切られたお嬢様はね、もう、以前のお嬢様じゃなかった。侍女の私を見て、ルピナと見間違われてしまったのよ。この、藍色の瞳が、あんたなんかに似て見えた! 恐慌状態に陥ったお嬢様は、私に紅茶をかけたのよ。泣き叫びながら許してと懇願しながら、私に飛びかかって何度も殴られて気を失ったわ。他の使用人達が私を見つけた時には、もう私のこの顔は治せなくなってた。ねぇ、どうして? どうしてお嬢様はいびり抜かれなきゃいけなかったの? どうして私はこんな顔にされたの? 全部全部、ルピナが悪女だからよ!」
叫んで、グリフェさんがわたしに向かって走り出す。
わたしに触れる寸前で、けれどグリフェさんはランドリック様の手に捕らえられた。
軽く腕を背に捻り、グリフェさんを無力化する。
「カミーユ・ラングウィール伯爵令嬢の件も、そうだったのか……」
グリフェさんを痛ましそうに見つめながら、ランドリック様が呟く。
(あぁ、お義姉様。貴方はどこまで罪深いのですか……?)
恨まれて、憎まれて当然のことだった。
カミーユ様のことを、グリフェさんはとても慕っていたのだろう。だからこそ、心を病まれてしまったお嬢様の側に仕え続けていたに違いないのだ。だというのに、お義姉様を思い起こされる深い青系の瞳だった為に、悲劇が起きてしまった。
「……あんたの身に起きたことは、不幸だと思うわ。でも、それでも、その顔は、ルピナがやったんじゃない。薬草を盗んで、その罪をルピナに着せたかった気持ちもわからなくない。だけど、あんたが苦しめたのはルピナじゃない。この治療院の患者たちだよ」
「わっ、わたしは!」
「あんただってわかってたんでしょ? 患者たちが苦しんでたこと。だからあんたは、薬草がまだ使えるいま、ルピナに冤罪を突きつけた」
嘔吐する患者を懸命に看病していたのは、グリフェさんだ。あの時だけじゃない。いつでも、患者たちを大切にしてきていた。
「グリフェさん……」
「っ、触らないで!」
ランドリック様に拘束されているグリフェさんの顔を、両手で包み込む。
「こんな事で、罪が許されるとは思っておりません。けれど、どうか、癒させてください」
治癒の力を、グリフェ様の火傷痕に注ぎ込む。ぼこぼこと赤く膨らんでいた痕は、ゆっくりと形を変えてなだらかになっていく。時間が経った古傷は、新しい傷よりもずっとずっと治療が難しい。
グリフェさんがこの傷を負ってしまったのは、いつのことなのだろう。
わからない。
わたしはただ、治るように全力で治療にあたるだけだ。
必死に魔力を籠めれば込めるほど、グリフェさんの顔には変化が訪れる。盛り上がった肉で細く潰れていた瞳は大きく愛らしく開き、赤黒く染まってしまっていた肌は、滑らかで柔らかく。白い肌にまで戻せた時、わっと周囲から歓声が上がった。
「治った、治ったよグリフェ!」
「グリフェ様のお顔には、もう何もありません」
ルッテさんとリーズルさんが駆け寄り、涙声で告げた。
恐る恐る、グリフェさんはランドリック様に捕まれていないほうの手で、そっと、頬に指を滑らした。
「うそ……」
「嘘じゃない。鏡はあるか? 誰か持ってきてくれ。この剣でも見えるだろう」
ランドリック様がグリフェさんの拘束を解き、剣を鞘から抜く。
磨き上げられた幅広の刀身は、鏡のようにグリフェさんを映し出す。
「わ、私の、顔……私の、顔がっ!」
「おっと、剣にそれ以上近づくな、危ないからな」
ふらふらとよく見ようと剣に近づくグリフェさんを、ランドリック様が押しとどめる。
「グリフェっ、持ってきたわよっ」
どこかから持ってきた手鏡を、モナさんが手渡した。
「本当に、元に、戻ってる……」
大きな藍色の瞳に再び涙が浮かんだ。
(元に戻せて、良かった)
わたしも思わず涙ぐみたくなる。
古い傷を綺麗に元に戻せるか不安だった。
けれど火傷痕であって毒はなかったからか、元の美しい顔に戻すことができた。もしも毒が関連していたら、わたしでは治すことはできなかっただろう。
鏡を見つめ続けていたグリフェさんが、はっとしたようにわたしを振り返った。
「……ご、めんなさい、ごめんなさい…………っ」
泣きながら詫びる彼女に、わたしは小さく頷いた。
本来なら、わたしが許してもらう立場なのだ。わたしは、ルピナお義姉様としてこの場にいるのだから。
グリフェさんのお顔を元に戻せても、彼女が大切に想っていたカミーユ・ラングウィール伯爵令嬢の壊れた心は、治癒魔法では癒せないのだから。
それでも。
わたしがここで頷くことで、グリフェさんの罪悪感が減ってくれるのならばと思う。
――その後、気持ちが落ち着いた彼女から薬草を埋めた場所を教えてもらい、センナギ草を回収できた。
もう少し遅かったら、きっと腐って使い物にならなくなっていただろう。
わたしとモナさんの部屋で育てているセンナギ草も、無事に育ち切った。
もう、クゼン病に苦しめられることはないだろう。





