10
何事かと、病室から修道女達が廊下に出てくる。
皆が見つめる中庭には、グリフェ様が仁王立ちで立ってこちらを見ている。
わたしが仕組んだ?
一体、何の話をしているのだろう。
わからないけれど、心臓の鼓動が早まった。
帰りかけていたランドリック様も、足を止めてグリフェ様を見る。
「そいつは、皆が知る悪女! わたしが、いまからそいつの化けの皮をはがして見せますわ!」
険しい声とともに真っ直ぐにわたしに指を突きつけてくる。
「グリフェ。あんた急に何言いだすのよ」
騒ぎに気付いたモナさんが、すかさずわたしの横に駆けつけてくれた。
「モナさん……」
「大丈夫よ。あたしがついてる」
小声でわたしに囁いて、わたしの手を握って、背に隠すように前に出てくれる。
それだけで、どきどきとしていた心臓の鼓動が落ち着き始める。
(大丈夫、大丈夫よ。わたしは、何も仕組んだりしていないもの……)
突きつけられている指先に射抜かれそうな不安が書きたてられるが、身に覚えは本当にない。
「グリフェ。お前がルピナを嫌いぬいていることは知っているが、仕組んだというのは何のことだ?」
「ランドリック様! よく聞いて下さいました。ルピナが仕組んだのは、この度のクゼン病の病の悪化です」
「なっ」
ランドリック様も、周りの修道女もざわつき始める。
(そんな……彼女は何を……?)
クゼン病は偶然発症してしまった伝染病だ。
もともと隣国で流行ったこともある昔からある病のはずだ。
わたしに病を作り出す能力などない。
「あんたねぇ! いくらルピナが気に入らないからって、いうに事欠いてクゼン病をルピナのせい? ふざけないで!」
「モナ。私はふざけてなんかいないわ」
「ふざけてなかったらなんなのよ。ルピナは癒しの力を持ってはいるわ。でもね、病を生み出す力なんて持ってないわ。そうでしょ」
「はい。わたしには、そんな力はありません……」
「ルピナだけじゃなく、この王国中どこを探したってそんな能力持ってるやつはいないんじゃない? もしもあったら今頃大騒ぎよ」
呆れたというように、モナさんが大げさなまでに肩をすくめてみせる。
「私だってそんなことは知っているわ。病その物じゃなくても、魔術によって呪いで病に見せかけることはできるけれどね」
ざわりと、周囲の気配が変わった。
疑惑の目が向けられるのがわかる。
小さな、けれど耳に届く囁き声にルピナならあり得るのではと聞こえて、胃がすくむ。
「グリフェ。その発言は王宮魔導師に対する侮辱になるが?」
「何故ですか、ランドリック様」
「もしも国中を巻き込むほどの呪いを発動させられるとしたら、王宮魔導師と同等か、それ以上の魔力保持者、加えて知識のあるものに限られるからだ。また、万が一そういったものが故意に病を蔓延させたとして、我々王族が手をこまねいてみているとでも? 即座に王宮魔導師団に調査と病の解除を命じるだろう。王都に病を蔓延させるほどの大きな魔力が動いたならば、必ず王宮魔導師団は気づく」
「まぁそうでしょうね。でも何事にも抜け道はありますよね」
「ルピナがそうしたっていうの?」
「いいえ、違うわ。私は例として病じみたものを作り出すこともできるでしょうと挙げただけ。モナは勘違いしてるわ。私は、クゼン病の悪化を招いたといったの」
「あんた本当に何が何でもルピナを貶めたいのね。クゼン病の発生は偶然だし、症状の悪化だって偶然が重なったせいよ。ルピナは何一つ悪くないわ。あんただって見てたでしょ? ルピナが倒れるまで治癒魔法を使い続けていたことを」
周囲の修道女達も、モナさんの言葉に頷いてくれている。
本物のルピナお義姉様だったら、一瞬で多くの患者たちを癒せたかもしれない。
だから、本来と比べたら、わたしの治癒能力が大きく劣っていて、患者たちに治癒が行き届いていなかったのは事実だ。
わたしが手を抜いていたと思われているのかもしれない。
けれど決して故意じゃない。
治せるなら、すべての患者の痛みを、苦しみを、即座に取り除きたかった。
「ふふっ、ふふふっ……ふふふふっ!」
モナさんの言葉に、こらえきれないようにグリフェさんは吹きだした。
「ちょ、ちょっとあんた、何がおかしいのよ」
「だって、これが笑わずにいられる? モナはまぁ、いいわ。ルピナびいきだもの。でも王族のランドリック様まで騙されてるんだから、笑ってしまうでしょう?」
ぴりっと空気が凍りついた。
「さっきから何のことを言っているんだ? ルピナがなにを騙していると言いたいんだ」
「何度も言っているわ。ルピナが、クゼン病を悪化させたのよ」
「だから違うって言ってるでしょ! 大体、もしあんたのいう通りクゼン病を悪化させたのがルピナだったら、ルピナに何の得があるのよ。倒れるまで治癒魔法使う羽目になったのよ?」
「それが目的だとしたら?」
「えっ」
即座に言い切られて、モナさんの身体が強張った。
「クゼン病が悪化すれば、ルピナに頼るしかない。この国で治癒魔法が使える癒し手は少ないわ。この治療院にはルピナしかいないぐらいよ。だから皆、彼女を頼った。献身的に見えるように患者を癒す姿に心動かされた者も多いんじゃない? ルピナを嫌ってたみんなもそうだし、王族であるランドリック様でさえも。そうでしょ」
「あぁ、そうだ。ルピナは誰もが知る悪女であり、俺はその罪を許す気はない。だが、この治療院で誠心誠意治癒に当たっていたことは正当に評価されるべきことだ」
「ははっ、ごらんなさいよ。ちょっといいところを見せれば、王族ですらこんな風に騙されてしまうのよ。これがおかしくなくて、何が面白いというの。普段悪いことをしている人間が、ほんの少し良いことをしただけで、まるで聖人君子のように褒め称えられるの。じゃあ、いままで真面目に生きてきた人たちは何なの。悪いことなんて、何一つしていなくて、真面目に患者に尽くしてきた私たちは何?」
グリフェさんの言葉に、再び周囲がざわつき始める。
はっとしたようにわたしを振り返るランドリック様の赤い瞳が、疑惑に揺らいだ。
「……ルピナは、確かに悪女だったのかもしれないわ。だから、この修道院に送られてきた。でもね、ルピナは、この修道院で、治療院で、一度でも誰かを虐げたことがあった? あんたは、ルピナの献身が今回のことだけのように言うけれど、違うでしょう。この子はね、ずっと、真面目に、誠心誠意、修道女として勤め続けてくれているわ。ずっとそばにいるあたしが保証する。ルピナは、あんたが思い込んでいるような子じゃない」
「モナさん……」
思わず、涙ぐみかけた。
わたしを握る手に力が込められる。
(グリフェさんは、どうしてここまでわたしを、いいえ、ルピナお義姉様を憎んでいるの?)
中庭まで少し距離がある。
だからこそ、掴みかかられたりはしていない。
けれどその強い憎しみは、肌に突き刺さる。
「グリフェ。そこまでルピナを責めるのであれば、それ相応の証拠はあるのか?」
「証拠?」
「そうだ。先ほどから何度も言っているルピナがクゼン病を悪化させた証拠だ。あぁ、先に言っておくが、治癒魔法を手を抜いていたということはあり得ないと俺が保証する。魔力を渡すときに、ルピナの身体に残る魔力量を感じ取れていた。間違いなく、枯渇状態だったと証言しよう」
「そうでしょうね。そうでなくちゃ、クゼン病を悪化させた意味がない。魔力の限界まで治療を続けたお優しい聖女を演じるために、わざわざこの状況を作り上げたのだからそうでなくては意味がない。ねぇ、みんな。忘れてはいないかしら。クゼン病には、特効薬があったことを」
「特効薬?」
「そうよ。ルピナとモナが独占していた薬草があったの! 私は偶然、院長先生が話しているのを聞いて知っていたわ。その薬草があれば、クゼン病は悪化しないで済むって」
「独占って随分嫌な言い方ね? あの薬草はちょっと育て方が面倒で、あたしとルピナが先に育てていただけ。当然、院長の許可だってもらっているし、クゼン病が悪化した患者には率先して処方して飲ませてたわ。もう少ししたら、他の人たちにも育ててもらえないか、院長を通して話が出ていたはずよ」
「でも途中から、その薬草を使わなくなった。それは、どうして?」
「それは……」
モナさんが口ごもる。
部屋を荒らされたことは院長先生には伝えてある。けれど治療院が大変な時だから、犯人探しは後回しになっていた。
クゼン病に効くセンナギ草の残りが少なかったこともあって、修道女達の動揺と混乱を混乱を最小限に納める為でもあった。
「その件については、わたくしが証言できますよ」
「院長先生!」
誰かが呼びに行ってくれたらしい。院長先生が穏やかな足取りでこちらに向かってくる。
「事実を話しましょう。センナギ草は、何者かに荒らされ、収穫できなくなりました。皆にこのことを伝えなかったのは、安全であるはずのこの修道院で、混乱を招かない為です。……この修道院には、正門から以外は外部の者は入れないようになっています。正門は、魔導ベルが設置されているでしょう? 皆も、最初にこの修道院に訪れた時に、魔導ベルに認証登録をしたことを覚えていますか?」
そうだ。
初めてこの修道院へ入るとき、門は決して開かなかった。正式な手続きと共に魔導ベルに触れ、そしてそれからは、外出するにも戻ってくるにも、魔導ベルを鳴らせば自動で開くようになった。
つまり、センナギ草を荒らしたのは、外部の犯行ではなく、内部の者の犯行ということになるのだ。
「よく、覚えています。そして、今わかりました。薬草を荒らしたのが、ルピナの自作自演だと!」
「何をおっしゃっているのですか? どうして、わたしがセンナギ草を荒らされたといわなければならないのですか」
「あら、やっと口をきいたわね。モナを矢面に立たせる卑怯者のくせに、自分の罪がバレそうになったとたんにしゃしゃり出てくるなんて。本当にあさましい女!」
吐き捨てるように叫ばれ、俯くしかできない。
「あんたねぇ……自演理由は何だっていうのよ」
「モナはまだわかんないの? この女はね、治癒魔法に頼らざるを得ない状況を作り出したかったのよ。王族であるランドリック様の前で、聖女らしいそぶりを見せれば、また聖女として王宮に戻れるとでも思ったんでしょう。実際、ランドリック様はもう随分とルピナに肩入れしているのだから、その作戦は半分成功していたわよ。でもね、私は証拠を見つけたの」
「どんな証拠だ?」
「薬草園に隠されていたのよ。荒らされて無くなったはずの薬草がね。これがその証拠よ!」
肩に下げていた鞄から、グリフェさんは勢いよく薬草を取り出す。
彼女の手に握られている薬草は、けれどセンナギ草じゃない。
「あんたそれ、どこで?」
「だから薬草園に埋まってたっていったでしょ? 変に土が盛り上がっていて、おかしいなって気づいたのよ。それで私はそっと掘り返したの。そうしたら、薬草が埋められてたってわけ。こんなことをして得をするのは、ルピナしかいないのよ」
ふふんと、勝利を確信した口調でグリフェさんは言い募るけれど、わたしとモナさんにはわかってしまった。ううん、二人だけじゃない。院長先生と、それに、薬草に少し詳しい方なら、気づいてしまったはず。
「グリフェ……あんたは、どうして、それがセンナギ草だと思ったの?」
「見ればわかるじゃない」
「いいえ、グリフェさん。見ても、それはわからないんです……」
「ルピナ! 往生際が悪いわね。これを見てもまだそんなことをいうの? これは、貴方達が育てていた薬草でしょ」
「……ちがうよ、グリフェ。それは、ただの雑草なんだよ」
苦しげに、モナさんが吐き出す。
そうなのだ。
グリフェさんが付きつけてきている草は、センナギ草じゃない。
手の中で土に汚れてくったりとしている草は、薬草ですらない。
それは、モナさんが犯人を騙すためにわざと植えておいた雑草なのだ。
「な、なにをいっているのよ? この期に及んで、貴方たちはまだ嘘をいうの? 二人が育てていたのはこれでしょ!」
「その草はね、あたしが、部屋に置いておいた雑草だよ。白い鉢植えの中にね。本物のセンナギ草は、そんな形をしていないの。調剤室には乾燥させた状態で持ち込んでいたから、見たことがない人も多いと思うけれどね」
「そんな……」
グリフェさんは手の中の雑草を、じっと見つめる。その手が震えている。
彼女も気づいたのだろう。自分が犯してしまった失敗に。





