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◇◇◇◇◇◇
「婚約破棄だなんて、あり得ないわ!」
ルピナお義姉様の声が屋敷に響き渡る。
わたしはその声を聴きながら、あぁ、まただわと、溜め息をつく。
わたしが体調を崩していた日に、第二王子ダンガルド様がアイヴォン伯爵家にいらしたのだ。
二年間婚約者としてお義姉様と過ごしていた彼は、苛烈なお義姉様に根気よく付き合っていたと思う。義妹としてお会いしたことはなかったが、使用人の一人としてお姿を見かけることはあった。
仲睦まじい、とは言い難くとも、婚約者として彼はルピナお義姉様に誠意をもって尽くしていたと思う。それでも、今回のお義姉様の失敗は、庇いきれなかった。
「どうしてこのわたしが、修道院へなど行かなければならないのよ!」
感情的に叫ぶお義姉様の部屋からは、割れた花瓶の音も響く。
(誰も、怪我をしていなければよいのだけれど……)
お義姉様付きの侍女達は、お義姉様の扱いに慣れているだろうから、大丈夫だとは思う。それでも、いつにも増して激しい怒りは、お義姉様の立場からすれば当然のことだろう。
聖女の称号剥奪と、第二王子との婚約破棄。そして王都の修道院へ入ることが王命で下されたのだ。
貴族令嬢としての華々しい未来は途絶えたに等しい。
本来なら、高い治癒魔法を使用できるお義姉様が聖女の称号を剥奪されることなどありえない。
けれどルピナお義姉様は聖女であることと、そして王子の婚約者であるのをいいことに、自由奔放に振る舞い過ぎた。
高位貴族に対してはあからさまな対応はせずとも遠回しな嫌味は日常茶飯事。下位貴族に対しては言わずもがな。
けれどそれだけなら、まだ許容範囲であったのだ。
だからこそ、この二年間、お義姉様は聖女であり、ダンガルド王子の婚約者であり続けた。
(でも……辺境伯のご令嬢を悪しざまに罵ってしまうだなんて)
下位令嬢ならば虐げてもいいというものでは決してないが、伯爵令嬢であり、聖女の称号を持ち王子の婚約者であるルピナお義姉様に、下位令嬢ではなす術はなく泣き寝入りするしかなかった。
事件が起きたのは、先週開催された王城でのパーティーでの事。
珍しく、ロルト辺境伯のご令嬢が参加していたのだ。
けれどお義姉様はロルト辺境伯のご令嬢と面識がなかった。
ミミエラ・ロルト辺境伯令嬢は、貴族令嬢にしては珍しく健康的な肌の色と、そばかすの浮かぶ愛らしいご令嬢だったらしい。
ふわふわの毛量の多い赤毛はバレッタでまとめてあってもボリュームがあり、王都の流行からずれたドレスは野暮ったく、お義姉様は田舎の下位令嬢だと思い込んだ。そして即座に嫌味を言ってしまったのだ。
『あらあら、平民がまぎれてしまっているのねぇ? だって貴族令嬢でしたら、そんな流行遅れのドレスなんて恥ずかしくて着れませんもの。皆様もそう思わなくて?』
お義姉様は息をするように人を虐げる。
だから、それも今まで通りのことで、お義姉様にとっては日常のことだった。
違っていたのは、虐げた相手が下位令嬢でも平民でもなく、この国の辺境を守るロルト辺境伯のご令嬢だったこと。
先週開かれたパーティーは、魔の森の一つを殲滅せしめたロルト辺境伯を祝う祝賀会だったのだ。
この世界は魔物の脅威に常にさらされている。
特に世界各地にある魔の森は魔物の巣窟。小さいものだったとはいえ、その内の一つを消滅させることに成功したことは、国を挙げての祝いとなった。パーティーになど出た事のないわたしでも知っていることだった。
だというのに、ルピナお義姉様は主賓の娘を、皆の前で笑いものにしてしまったのだ。
愛娘を傷つけられたロルト辺境伯の怒りは凄まじく、その場で娘を連れてパーティーを辞退。
その後、ロルト辺境伯からルピナお義姉様の聖女の資質に対する疑問と、礼儀をわきまえない傲慢な令嬢を国の顔である王家に、第二王子の婚約者として名を連ねるのはどうなのかと激しい抗議がなされた。
当然だろう。
国の英雄といっても差し支えないロルト辺境伯の訴えははすぐに受け入れられ、お義姉様はすべての地位を失ったのだ。
「わたくしが何をしたというの?! ただ事実を述べただけじゃない。全部あの女が悪いのよ!」
お義姉様の叫び声が響き渡る。
あの女、というのはロルト辺境伯令嬢ではなく、お義姉様が毛嫌いしている庶子の司書のことだろう。絶対に無関係だと誰もがわかる。
けれど誰もお義姉様にそのことを言える人間はこの屋敷にはいない。
婚約破棄と聖女の称号剥奪が告げられて以来、アイヴォン伯爵は次々と高位貴族達から縁を切られ始めて必死に方々に頭を下げて回っているし、アイヴォン伯爵夫人は心労で寝込んでいる。
自慢の愛娘だったのだ、ルピナお義姉様は。そんなお義姉様を王都とはいえ修道院へ入れなければならない事に耐えられなかったのだろう。
お義姉様は叫び疲れたのか、いつの間にか屋敷に響いていた声が聞こえなくなった。
物が壊れる音もしなくなったから、疲れて眠ってしまったのかもしれない。
修道院へは、遅くとも一週間後には入らなければならないらしい。
ならば、あと一週間我慢すれば、もうお義姉様に会うことはないのだろう。鞭で叩かれることも、気分によって食事を抜かれることも、嫌味を言われることもなくなるのだろう。
ほっとする、と言ってしまったら、わたしは酷い義妹だろうか。
虐げられていたとはいえ、庶子の分際で衣食住を保証され、最低限の礼儀作法も学ばせてもらっていたのだから。
ーーだから、だろうか。
伯爵家への恩を忘れて安堵などする恩知らずな娘だから。だから、罰が当たったのだろう。
一週間後。
わたしは、ルピナお義姉様の身代わりに修道院へ入れられることになったのだった。





