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◇◇◇ランドリック視点・治療院の惨状◇◇◇

(なんだ、この事態は……っ)


 治療院に入った瞬間、鼻をつく異臭に顔をしかめる。

 あちらこちらから痛みを訴える声が響き、まるで戦場のようだ。


「どうなっている?」


 先日までは、此処までではなかった。治癒の魔石を工面して届けさせ、喉の痛みを訴える患者は隔離していたはずだ。


「ランドリック様。御足労頂き感謝申し上げます。ですが治療院への方には決してこれ以上立ち入らぬようお願い申し上げます」


「いや、院長。それは無理だろう。私はもてなしを期待して来院しているわけではない。正常な運営がされているか、特に貴族出身の修道女が無体を働いてはいないかの監視も含まれている。知っているだろう? だから教えてほしい。いま何が起きているのかを」


 ルピナの監視が目的だった。

 だから、あいつが本性を現して他の修道女を虐げているのなら、私が止めなければならない。けれど、もうそうじゃないことも薄々気づいてはいるのだ。


(意識を失うほど、治癒魔法を施していたからな……)


 優し気に微笑んでいた口元と、懸命に治療を施す姿が脳裏をよぎって離れない。

 ルピナが日々下位の者を虐げるのを見てきたというのに、ほんの一瞬の笑顔と献身的な姿にほだされるなどということは、あってはならない。あいつが、患者を無碍に扱うところを見れば、ほら見たことかと私はまた元の私に戻れる。


 院長の静止も無視して、私は隔離された別館に向かう。異臭はさらに強まり、それでも耐えて足を進める。すれ違う修道女はどの者も疲労が浮かぶ。顔はヴェールで見えなくとも、疲れ切った動きをしているのだ。

 見知った姿の女がいた。真っ直ぐな黒髪を胸のあたりまで伸ばしている修道女。


「お前は、確かモナだな? 先日までは、ここまでの状態じゃなかったはずなのだが、一体何があった?」


「あ、ランドリック様! お世話になっております。先日は、貴重な治癒の魔石をありがとうございました」


「あぁ、挨拶はいい。あの魔石は使っていないのか?」


「いえ、使わせて頂いております。ですが、患者の急変に対応しきれていない状態なのです」


「確か、喉の腫れを抑える薬湯も使っていたのではないか」


「……少し、事情が変わりまして。通常の薬湯を中心に、症状の重くなった患者にそちらの薬湯を使用しております」


 何を言いよどんだ?

 ヴェール越しにも伝わる戸惑いに、違和感を覚える。

 院長からある程度は聞いている。喉に効く薬湯を使用できていると。収束に向かうはずだったクゼン病がこれほどに猛威を振るうとは。


「なぜこうなる前に王家に、いや、私に連絡を取らなかった?」


「手紙は出していたと思いますが……」


 私がここに来れない間に事態が悪化したのか。手紙は私に届く前に握りつぶされたか。

 誰が情報を止めたかは大体予想できている。


 ルピナには敵が多い。

 彼女に煮え湯を飲まされた貴族も、一人や二人ではない。聖女の称号があるせいで、表立って糾弾できなかっただけだ。


 俺もだが、彼女を王都の修道院に勤めさせるのは反対だった。

 もっと過酷な、最果ての修道院へ送るべきだとも主張していた。同じ考えの貴族は何人もいる。だが、ルピナの一度は聖女と認定されたほどの高い治癒能力が惜しまれて、この場所に収容されることになった。


 ならば、ルピナの治癒魔法が思ったほどの効果がないと知れ渡れば、当初の予定通り王都から追い出し、過酷な労働を強いることができると考えたなら、平民が病に倒れようと厭わない。そんな考えを持ったのだろう。


「手違いがあったようだ。治癒の魔石の追加を用意させる。人員も増やしたいところだが、こちらは時間がかかるだろう」


 病が蔓延している治療院に行きたがる者はいない。現に私と共に来ている護衛騎士達も、極めて冷静を保っているがこの場所への嫌悪感が滲んでいる。

 戦場であったなら、鉄錆の臭いに混じった饐えた臭いもありふれているのだが。


「ありがとう存じます」


「引き留めてすまなかった」


 話は終わりだと告げれば、モナは深く礼をして足早に去っていく。


(ルピナの場所も聞いておけばよかったか)


 モナが言いよどんだのは何故なのか。ルピナがかかわっているのか?

 異臭の漂う廊下を進むと、途切れとぎれに争う声が響き渡る。


 ――早く――治療を――――

 ――お願い、この子を――――っ!


(ルピナ?)


 ヒステリックな叫び声に混じってルピナの声が聞こえ、俺は走った。


「何をしている⁈」


 問題の部屋に飛び込んだ瞬間、ルピナがこちらに向かって突き飛ばされた。

 吹き飛ばされた彼女を咄嗟に抱き止める。


「大丈夫か⁈」


「も、申し訳、ありません」


 すぐに身体を起こそうとするが、ふらついているのでそのまま支える。


「早く、早くこの子を助けてよっ! 誰でもいいわ、お願いだからっ」


 ルピナを突き飛ばした女性は、謝りもせずに泣きながら叫んでいる。その傍らにはベッドの上でぐったりと横たわる子供。体中にクゼン病特有の赤い爛れが出ている。苦し気な呼吸はいまにも止まりそうだ。


「何故ここまで放っておいた! 昨日今日の症状では無いだろう!」


「私だってすぐに連れてきたかったわ! だけど、仕事が忙しかったのよっ」


「どうか、落ち着いて下さい。必ず、助けますから」


「おい、ルピナお前なにをする気だ」


 ふらつきながら子供の側に行こうとするルピナの腕を掴んで止める。こんな状態で治療を施したらどうなるか。


「わたしでないと、助けられません。だから」


 掴んだ腕をそっと外される。


「いや、まて。そのまま治療しようとするな。俺の魔力を使用しろ」


「ランドリック様の……? あっ」


 有無を言わさず手をもう一度掴んで魔力を流し込む。治療はできずとも、魔力は豊富だ。だてに王族ではない。


「ありがとうございます。これで、治療が進みます」


 先ほどよりはしっかりとした足取りで、子供に歩み寄り喉元に手を当てる。優しくさすりながらもう大丈夫だと励ます。


「おねぇ……ちゃん……ぼく……」


「すぐにしゃべっては駄目よ。もう少し、じっとしていて」


 子供のいまにも止まりそうだった息は落ち着き、赤い爛れもじゅくじゅくとした痛々しさから、乾いた瘡蓋に変化する。

 片手は喉に当てたまま、もう片方の手で幼子の頭を撫でる姿は、慈愛に満ちている。


「あぁ、あああっ、ありがとうございます、ありがとうございます……っ」


 呼吸が落ち着いて、穏やかな眠りについた子供を、母親が泣きながら抱きしめる。

 まだ完治しているわけではないから隔離は必要だが、すぐに命を脅かされることはなくなっただろう。


「二人を別室に連れていけ」


 護衛騎士の一人に命じて、女性と子供を別の部屋に移動させる。ここは臭気も病状も重すぎる。せっかくおさまった症状も、再び悪化しかねない。


「お前達の仕事ではないことは重々承知しているが、いまは人手が足りない。風魔法による空気の正常化と、動けない者の移動補助を頼む」


 短い返事と共に、護衛騎士達が動き出す。

 私の護衛に残ると言い出すものがいないのも助かる。自分の身は自分で守れるが、王族という立場上一人で出歩くことははばかられる。


「何から何まで、ありがとうございます」


 深々と頭を下げるルピナに、胸が疼く。

 悪女だとわかっているのに、普通に接してしまいそうになる。そんなことをしていたら、待っているのは破滅だけだ。


「……お前のためにしたわけではない」


「わかっております。患者たちの為ですよね。この国の大切な人々です。それでも、わたしは助かりました。ですから、お礼を言わせてください」


「待て、お前は何をする気だ?」


 頭を下げ、次の患者のところへ行こうとするルピナを引き留める。


「頂いた魔力がまだございます。急変した患者はいまの子だけですが、喉の腫れが悪化している患者たちはまだ多いのです」


「それは聞いた。だがお前はもう魔力が底をつきかけているだろう」


「えぇ、ですから、動けるうちに治療を……あっ、なにをなさるのですか?」


(あぁ、くそっ!)


 言い募るルピナの手を引き、強引に部屋から引きずり出す。


「案内しろ」


「えっと……」


「魔力を分け続けてやると言っているんだ。お前が倒れると他の修道女達に負担がかかるだろう。ただでさえ人手不足なところに、お前の面倒まで見なければならないのか? 迷惑を考えろ」


「そうですよね……申し訳ありません。次の患者のところへ案内させて頂きます」


 俯く姿に罪悪感が募る。

 掴んだままの腕の先、指先を見ると、以前よりは少しは荒れが収まっているようだ。治療院に寄付した塗り薬は、ルピナの元にも届いたのだろう。


 無尽蔵ではないが、俺の豊富な魔力は重症患者を治療するに足る量だったらしい。

 ルピナを介して発動する治癒魔法は、次々に患者を癒していく。


「こんな簡単に治せるなら、なんでもっと早く治してくれなかったんだよ……」


 ぼそりと呟く患者をにらむ。


(こいつはルピナの何を見ていたんだ? 寝る間も惜しんで治療に当たっているだろうが)


 ヴェールで顔は見えないが、見えずともわかる。あの異常なまでに整った目元には、いまは濃い隈が浮かんでいるはずだ。


(いや、なんで俺は、この女を庇うようなことを思ってしまうんだ?)


 性格の悪さと容姿の美麗さが反比例したルピナという悪女を、年単位で間近に見続けてきた。

虐げられてきた者たちを思えば、こんな王都の側のぬるま湯のような修道院で過ごせてやっているだけありがたく思えと、罵るべきだ。


 だが、患者の暴言に怒ることもせず、ただ詫びを口にし粛々と治療し続けるこの女を、どうしても責めることができない。

 結局、重傷者を動ける程度まで回復させるだけでも、一日の大半を費やしてしまった。


「今日は本当にありがとうございました。ランドリック様が来てくださったお陰で、皆、持ち直したのです」


「……午後になるだろうが、明日もくる。お前も今日はもう休め」


 深々とお辞儀をするルピナに告げ、馬車に乗り込みながら明日の段取りを思案する。

 ルピナ以外の事を考えていないと、とても冷静さを保てそうになかった。

 


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