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プロローグ

 もうだいぶ慣れたと思っていたのに、水の入ったバケツを二階まで運ぶのが重く感じる。そんなに長い距離でもないのに今日はなぜか息も上がった。

 ずきりと腕が痛み、そのせいで普段手慣れた仕事も支障が出ているのだ。 


(ルピナお義姉様は、気まぐれだから……)


 昨日はわたしの声が気に入らないと言い切り、鞭で叩かれた。

 いつものことだ。


 わたしがロザリーナであるかぎり、アイヴォン伯爵家の庶子として生まれてしまった事実は変わることが無い。

 俯けばルピナお義姉様とは全く違う茶色い髪が目の端に映る。


 平民の母から生まれたのに、わたしの容姿はお義姉様と同じ銀髪で、藍色の瞳はアイヴォン伯爵ともよく似ている。顔立ちもそうだ。強いて言うなら、わたしのほうがお義姉様よりも色が少し薄いことだろうか。


 銀色の髪はわたしの方がやや白に近く、藍色の瞳も少しだけ明るい。

 その事がルピナお義姉様の怒りによく触れる。


『お前のような妾の子に似ていると思われるなんて心外なのよ。お前の髪は銀髪なんかじゃない。輝くようなわたくしの銀髪と違って、老婆のように醜い白髪だわ』


 だから瞳の色を変える事は出来ずとも、髪の色だけでも茶色く染めて、出来るだけ目立たないように編んで一つに束ねているのだが、昨日は危うく髪を切られかけた。


『髪を切れば貴族令嬢としての利用価値が無くなってしまいます。アイヴォン伯爵様がどう思われるか』


 そういって侍女のベネットが止めてくれなかったら、今頃わたしの髪は無残にも編んだ毛の根元から切り刻まれていたことだろう。


 庶子とはいえ、わたしはアイヴォン伯爵の娘だ。だから、使用人と同じ扱いを受けながらも、同時に令嬢としての最低限の教育も施されている。


 それは、母を失ったわたしを引き取ったアイヴォン伯爵が後々どこかの貴族に嫁に出すためだ。わたしももう一六歳。

 そろそろどこかの貴族へ政略的に出されてもおかしな話ではない。そこにわたしの意思が反映されることはないだろう。なのに髪が短ければ使い物にならない。


『なにが貴族令嬢よ。卑しい血が流れているくせに! あいつと同じじゃない!』


 そして髪を切られない代わりに、鞭で激しく腕を叩かれた。

 あいつ、というのが、最近ルピナお義姉様の最も嫌っている女性だということもわかっている。

 ハルヒナ子爵令嬢だ。


 ここ最近ずっと、お義姉様はハルヒナ様の悪口ばかりだから。お義姉様の婚約者である第二王子ダンガルド・ルトワール様の側で見かけることが増えたのだというハルヒナ子爵令嬢は、わたしと同じ庶子で、王宮図書館の司書に最近なった人だ。


 第二王子のダンガルド様は読書好きで、公務に空きがあると昔からほぼ必ずといって良いほど図書館にいる。

 勉強嫌いで読書などしたくもないお義姉様にとっては、図書館など最も行きたくない場所だ。

 

 そんな場所で、貴族と認めたくない庶子が王宮の司書として勤め、王子の側にいるのが許せないらしい。

 けれど王子の目の前でいたぶるのはさすがのお義姉様も出来ないらしく、苛立ちを募らせている。


 わたしは、ハルヒナ様ではない。

 けれどルピナお義姉様にとっては、憂さを晴らすのに丁度良かったのだろう。


 ズキズキと痛みを訴える腕は、バケツの重みに悲鳴を上げる。

 わたしは我慢して急ぎ階段を上る。はやく掃除を終わらせないと、また鞭で叩かれるのだから。


「あっ……っ」 


 ずるりと足が階段を踏み外す。


(床を汚したら、また、罰が……っ)


 バケツを離すまいとして、けれどままならずにバケツも身体も宙を舞った。


 瞬間、がしりと身体が受け止められ、手から離れかけたバケツもなんとか手の中に残った。


 振り返ると、赤い瞳と目が合う。

 夜の闇のような艶やかな黒髪。

 精悍な顔立ちにいまは心配げな表情を浮かべて、わたしを抱きとめている。


「大丈夫か?」


「す、すみません」


 わたしは慌てて目をそらし身体を離して、詫びを口にする。

 顔を見られてしまっただろうか。


 ルピナお義姉様によく似た容姿は、眼鏡で隠してはいる。お義姉様がわたしの顔も大嫌いだからだ。


 見たことのない男性だが、服装から貴族だと思う。お義姉様によく似たわたしが義妹だと気づかれるわけにはいかない。メイド姿で使用人と同じことをしていると外に知られては、伯爵家の評判にかかわる。


「ありがとうございました」


 わたしは出来るだけ相手の方を見ないように俯き頭を下げ、その場を去ろうとする。


「待ってくれ」


 けれど二の腕を掴まれた。


「いっ……っ」


「あぁ、すまない! さっきからふらふらとして随分と体調が悪そうだが、怪我をしているのか?」


 気づかなかったが落ちかける前から見られていたらしい。


「……昨日も、転んでしまいまして」


「そうか……少しじっとしていてくれ」


 男性は懐から魔石を取り出すと、わたしの二の腕にそれを当てる。

 柔らかい黄緑色の光を帯びたそれは、わたしの腕の痛みを消していく。


「いけません、これは、治癒魔法が込められているのではないですか。こんな尊い魔法を使用人ごときに使用されてはなりませんっ」


 治癒魔法はとても貴重だ。上位の治癒魔導師は王家より聖女の称号を与えられ、医者が治せない病すらも治してしまう。


 ルピナお義姉様がそうだ。


 アイヴォン伯爵家はもともと治癒魔導師が生まれやすい家系で、ルピナお義姉様は歴代で随一の実力を誇る。その力は、毒ですら解毒出来てしまうほどだ。

 だからこそ、伯爵家という爵位でありながら第二王子の婚約者となれた。


「気づいていないのか? 怪我だけじゃない。熱も出ているだろう。身体が熱い。この魔石は本当に下位の治癒魔法だから、安心して治療させてくれ」


 言われてみれば、今日は朝から身体が辛かった。腕の痛みのせいだと思っていたのだが、熱まで出してしまっていたとは。


「いろいろ……ありがとうございます……」


 治癒魔法のおかげで二の腕はもちろんのこと、息苦しかった身体の痛みがすべて消えている。熱も下がったのだろう。下位でこれほどの力なのだ。最上位の聖女の称号を持つお義姉様の力は計り知れない。 

 

「この家で仕えるのは大変だろうしな。じゃあ、気をつけてな」


 赤い瞳に優しい色を浮かべて、男性は去っていく。

 その背中を見送って、わたしは掃除を再開する。

 バケツの水はほぼ零れていなかった。


(急がないと……)


 そうしなければルピナお義姉様だけでなく、アイヴォン伯爵夫人からも責め立てられるだろう。 

 

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