【短編版】契約結婚初夜に「一度しか言わないからよく聞け」と言ってきた旦那様にその後溺愛されています
唐突に成り上がりヒーローからの溺愛が書きたくなりました。
――それは、絵に描いたような契約結婚だった。
伯爵家令嬢アリアーナは、幼少期から幸せに過ごしてきたとは言いがたかった。
王国ではよく見かける茶色の髪に緑色の瞳をした地味な容姿の彼女は、着飾ることを知らず、しかし聡明だ。
そんな彼女に義母が渡してきたのは、一通の手紙だった。
そこには、伯爵家の令嬢を娶ることで、貴族社会との繋がりを持ちたいという成金の資産家からの結婚申し込みの文面が、事務的に書かれていた。
「まあ……」
頬に手を当てて首を傾げたアリアーナに、冷たい視線を向けてきた義母。
彼女とアリアーナの折り合いは悪い。義妹が婿を迎え、この家を継ぐことができるようアリアーナを追い出したいのだろう。
没落したとはいえ、アリアーナは伯爵令嬢だ。
平民上がりの成金と結婚する必要はなく、地味な容姿だとしても王立学園を優秀な成績で卒業したこともあり選ぶ立場だ。
にもかかわらずアリアーナは、二つ返事でその求婚を受けることにした。
部屋に帰り、棚から一冊の本を取り出す。
アリアーナは、無類の読書好きだ。
結婚相手は、大きな新聞社と出版社を経営している。
結婚したあとは、自由に過ごして良いと結婚申し込みの文面には書かれていたから、本を読むことはきっと今よりも自由だろう。
「……それに、この本とても好きなのよね」
貴族令嬢たちに絶大な人気を誇る一冊の恋愛小説。それは、求婚してきた資産家が立ち上げた出版社から発売されたものだった。
小難しい本ばかり読んで育ったアリアーナは、この恋愛小説に夢中になっていた。
「……愛する人のために成り上がって、ようやく求婚する場面が好きなのよね」
貴族と結婚すれば、社交界で貴族との関わりを密にする必要があるだろう。
もちろん事業家である彼と結婚しても、社交は必須だろうが……。
「お飾りの妻で良いって書いてあるもの」
もちろん、愛されることはないだろうが、両親が亡くなってから愛された経験がないアリアーナは、結婚に夢を持っていない。
それなら、窮屈な貴族社会より貴族と結婚したという肩書き目当ての資産家の妻のほうがよほど自由に思えた。
アリアーナの返信は、『結婚の申し込みをお受けします』という、ごく簡素なものだった。
このあと訪れる、困惑するほど溺愛される幸せな日々を想像することもなく、執事に手紙を預けたアリアーナは眠りについたのだった。
***
そして、結婚式の打ち合わせ。
資産家であるルドルフ・フィンガーは、きっちり5分前に屋敷を訪れた。
完璧に撫でつけられた金色の髪と、夜空のような深い青色の瞳をした彼は、微笑むこともなくアリアーナを見つめた。
「……結婚してから君が享受する権利と資産をまとめておいた。目を通してほしい」
「かしこまりました」
享受する権利なんて堅苦しいし、ちょっと読むのが大変そうだな。というのが、アリアーナの正直な感想だ。
まるで、大事業の契約みたいな分厚い紙の束には、几帳面な字でびっしりと結婚に関する条項が書いてある。
一つ、乙は甲とできる限り朝食をともにする
一つ、乙は体調が悪くなければ甲が仕事に行く際に見送りをする
一つ、乙は屋敷内の設備を自由に使うことが出来る
「………………」
伯爵家の領地の権利は、すべてアリアーナに帰属するという条文は不要だろう。
確かに、この国では通常であれば結婚したとしても、領地の権利は長子にある。
けれど、あらゆる手を使って義母と義妹は、アリアーナからすべてを奪ってしまうだろうから。
そんなことを思いながらも、アリアーナは、細かく定められたそれを丁寧に読んでいった。そして一つの結論に達した。
「――つまり、普通の夫婦ですね」
「……そうか?」
「ええ、こんな風に書かなくても、普通に仲が良い夫婦を目指したいと書けば、それで済むのではないでしょうか?」
ルドルフは少しだけ、いやかなり変わった人なのだろうと、アリアーナは思った。
けれど、書面に理不尽なことは一つも書かれておらず、むしろアリアーナに配慮された内容ばかりだった。
――ただ、その量が多すぎるだけで。
「ふふ、私ばかり得をしてしまいますが、よろしいのですか?」
「え? ……そんなはずは」
アリアーナは、若くして財をなしたルドルフの意外なお人好しさが、心配になってしまった。
そして、なぜか彼に好意を抱く。
「こちらにサインすれば、よろしいのですか?」
それでもこの家を出て、ある程度自由に生きていくチャンスを逃したくはない。
アリアーナは、ルドルフからの求婚を受け入れることにした。
「……本当に、本当に良いのか?」
まるで、魔獣に化かされたかのような表情でアリアーナを見つめるルドルフ。
彼の頬は、心なしか赤い。
アリアーナは、すでにされているルドルフのサインの下に、自身の名前を書き記した。
「さ、結婚式はいつですか?」
「明日にでも!!」
「え……?」
「いや、君にも準備があるだろう。三ヵ月後でいかがだろう。それまで、俺の屋敷で自由に過ごせば良い」
そのまま、アリアーナは手を引かれて少々強引に馬車に乗せられた。
アリアーナは、緑色の瞳をパチパチと瞬いた。
もちろん、結婚前から住み込みで婚約者と暮らすということは、この国ではそれほど珍しいことではない。
――けれど、アリアーナとルドルフは今日が初対面なのだ。
「ちなみに、この契約書の内容は、今日この瞬間から有効だ。君はそれで構わないか?」
「えっと……。私が噂されている通り、とんでもない悪女だったらどうなさるのですか」
「君が社交界で噂になっているような悪女のはずがない」
「……ルドルフ様?」
初めて笑ったルドルフは、やはりどこか心配になってしまうほど純真な印象だ。
「ほら、今日から君の家だ」
「急展開……ですね」
「そうだな、だが契約書にも書いてあったはずだ」
「そうですね。お見送りは一緒に暮らさないと出来ないですね」
アリアーナのことをいないものとして扱うことだって出来るのに、なぜか差し出されたその手は温かい。軽やかにエスコートされ、アリアーナは馬車から降りた。
「ところで、本が好きと聞いたが」
「ええ、どうしてご存じなのですか?」
「……少しだけ、結婚相手のことを調べた」
「そうですか」
それは当然のことなので、嫌な気持ちはしなかった。いくら貴族との繋がりのために結婚するとしても、相手のことを調べるくらいはするだろう。
ましてや、ルドルフは実業家なのだ。
「当商会も関わっている出版社が出した本で、まだ出回っていないものがあるのだが……。もし、興味があれば」
「見たいです!!」
アリアーナが、食い気味に答えてしまったのはしかたがないだろう。
「では、最初に案内するのはこちらだな」
案内されたのは、屋敷とは別棟になっている図書館だった。
明らかに真新しい建物の中には、想像以上にたくさんの本が納められていた。
「……王国中央図書館レベルなのでは」
「さすがにそこまでは。だが、君が好きそうな本は、ゴホンッ」
「え?」
「君くらいの年の御令嬢が好きな本は、王国中央図書館よりもあるだろう」
「わ、わわ!?」
そこには、ルドルフが経営する出版社の初版限定の装丁やサイン入りの本がぎっしりと詰まっていた。
「すごい、さすがです。拝見しても」
「もちろん、すべて君の物だから」
「私、お役に立てるようにがんばりますね!」
「……君にそんなことを期待していない」
アリアーナの浮き足立っていた気持ちは、急速にしぼんでしまった。
ルドルフが必要としているのは、お飾りの妻なのだ。だから、アリアーナは、迷惑をかけないためにも屋敷から出ずに……。
「でも、この図書館の本を読み放題ということですか?」
再び幸せな気持ちになったアリアーナは、単純なのだろう。そこで、はたと先ほどのルドルフの言葉の意味に首をかしげる。
「あの……。このまま、ここで暮らすのですか?」
「嫌か? だが、君はあの家で」
「いえ、荷物とか」
「何もいらない。すべて俺が用意しよう。……いや、何か持ってきたいものがあったか?」
「……いいえ、何も」
アリアーナが、大切にしていたものや高価な物はすべて義妹に奪われてしまった。
だから、あの家に心残りなど何一つない。
そのままアリアーナは、ルドルフの屋敷で暮らすことになった。
***
ルドルフは、その日から毎日忙しく屋敷に帰ってくることはなかった。
もしかすると、外に恋人がいるのかもしれない。
契約結婚を受け入れたときから予想していたことだったので、アリアーナはそれほど気にならなかった。
アリアーナは本を読みながら、侍女に視線を向ける。
「ねえ、この屋敷では私のことをずいぶん大切に扱ってくれるけれど」
「当たり前です」
「そう? 人手がいるときは、お皿洗いでも洗濯でも手伝うから言ってね?」
「滅相もない!」
アリアーナは、正直言って暇だった。
「それに……。朝ごはん」
そう、ルドルフとの契約に書いてあった、共に朝ごはんを食べるという内容は、まだ実施されていない。
見送りに行こうにも帰ってこないからできない。
「それならいっそ、お飾りの妻に徹しろと書いてくれれば良かったのに」
少しでも、期待をしてしまうのは辛い。
それなのに、ルドルフは……。
アリアーナは、ドレスの裾をそっとつまみ上げた。
最高級の布地に、王都で流行のデザインだ。
そして、毎日の食事も美味しくて、欲しいと言わなくてもなぜか与えられる好みの品、好きな花。
まるで、アリアーナのことを知り尽くしているように思えるのは、考えすぎに違いない。
そして、三ヵ月が過ぎてその日はやってきた。
***
三ヵ月ぶりに会ったルドルフは、酷くやつれていた。
「あの、体調は」
「君が気にすることではない」
「心配くらいさせてください」
「君は優しいな」
「家族になるなら当然でしょう?」
「……家族」
結婚するにあたり、アリアーナがしたことといえば、ドレスを選んだことと、ケーキを選んだことくらいだ。
そのほかは、すべてルドルフが準備してくれた。
会場は花であふれ、装飾品とご馳走、何もかもが一流だ。
「お忙しかったのですね」
「……約束を守れなくてすまない。明日からしばらく休みを手に入れたから」
「……っ、では、朝食も?」
「許してくれるなら、ぜひ」
差し出された腕にギュッと腕を絡める。
少しだけ瞠目したルドルフが、アリアーナを見下ろした。
「可愛すぎないか」
「え? 何か仰いましたか」
「いや」
前を向いて歩いて行く。
列席者に義母と義妹の姿を見つけたアリアーナが、少しだけ身体を強ばらせた。
義母と義妹は、形ばかりの笑みを貼り付けて近づいてくる。
「おめでとう、アリアーナ」
「おめでとうございます。お姉様には、本当に平民の妻がよくお似合いですね」
ルドルフが平民であることは事実だが、このような場で言っていいことではないとアリアーナが口を開きかけたとき、ルドルフが彼女の腕を引いた。
「……そういえば、ご領地は今年は荒天で不作らしいですね」
「それが何か」
「当家の備蓄庫を解放したことで、国王陛下からやはり正当な領主はアリアーナがふさわしいとのお言葉を頂きました」
「えっ?」
次の瞬間、ルドルフに引き寄せられアリアーナは思わず目を丸くして彼を見つめた。
「それから、お二人が領地に重税を課していたことで、ほとんどの領民はすでにアリアーナを支持しています」
「……いつの間に」
三ヵ月前は、そんな事実聞いたこともなかった。
アリアーナが、呆然としている間に、この期間に打った手が披露されていく。
ほわほわした気持ちのまま腕を引かれ、誓いの言葉を交わし、口付けは実際にはされなかったが、気がつけば、アリアーナは大きな白い花束を参列者に向かって投げていた。
花束を手にしたのは、なぜか参列されていた第三王女殿下だった。
***
そして、新婚初夜となった。
やはり最高級の絹で出来た夜着に身を包んだアリアーナを腰掛けていたベッドから立ち上がったルドルフが出迎える。
「この結婚は契約結婚だ」
「……存じ上げております」
この三ヵ月、ルドルフはアリアーナとの婚約関係を利用して様々な手を打ち、あっという間にすべてを手中にしてしまった。
アリアーナは、もう自分は必要とされないだろうと思った。
そんなアリアーナの気持ちを知ってか知らずか、ルドルフが言葉を続ける。
「一度しか言わないからよく聞いてくれ」
「……ルドルフ様?」
「俺は、君を初めて見た10年前から愛している」
「え?」
そこからの語りは長かった。
ルドルフが初めてアリアーナを見たのは、まだ彼女の両親が健在だった10年前だという。
「両親から贈られたブローチを身につける君が脳裏に焼き付いて離れなくなった」
「……ええっ?」
「それから、ひたすら働いて、店を持ちここまで上り詰めたのもすべて君に並ぶことが出来る地位に立ちたかったからだ」
ルドルフの商会の躍進に秘められた事実に、アリアーナは何度も瞬きをした。
それからも、母の死後、義母に虐げられていたことも、父の死後都合の良い道具のように扱われたことも、すべて知っていて何とか救うために努力していたらしい。
そして、最後にその言葉は告げられた。
「君にとっては、平民の男などとの結婚は受け入れがたいだろう。いい夢を見せてもらった礼として、領地も俺の財産の半分も契約書通り君の物だ」
「……あの」
アリアーナは、机に置かれた結婚の契約書にもう一度視線を向けた。
驚きと同時に、そこまで見ていてくれたことに喜びを感じる。
けれど、アリアーナはまだルドルフのことを何も知らないのだ。
「……契約を守ってください」
「……え? しかし、俺は君を自由に」
「結婚してくださいませんか? 私、あなたと朝ごはんを毎日食べたいので」
重すぎる愛を前に、愛に満たない興味と好感しかないけれど、アリアーナはルドルフとなら毎朝笑いながら朝食をともに出来る気がした。
微笑む彼女は、彼の手を取った。
二人がおしどり夫婦と言われるまでは、まだ少しの時間がかかるだろう。
アリアーナの恋は、今始まったばかりなのだから。
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