網場くんは網をガシャガシャする
エリちゃんの帰り道には、ちょっとコワイ人がいる。
ブレザーの制服を着た、いたって普通の男子高校生。佐久間くんは公園にある金網や柵を見かけると、必ずそれに指を引っかけてガシャガシャする。
ひとしきりガシャガシャ揺らしていると、その音に驚いた人たちは決まって網場くんの方に視線を向ける。気味悪そうな顔をする大人、不思議そうな顔をする子ども。そんな彼らと目が合うと、網場くんはそそくさとその場を去っていってしまう。どうやらただその場にいる人たちを驚かせたくてやっているわけではないようだ。だが、だからこそ「なんであの子はあんなことをするんだろう」と近所の人はヒソヒソ声で話している。
エリちゃんはそんな網場くんを見かけたらなるべく刺激しないよう、こっそりと彼の側を離れ迂回しながら帰るようにしている。
◇
ある日、ある場所にある公園に猫がいた。
僕は特段、動物が好きというわけでもないが「犬派? 猫派?」などと聞かれたら必ず「猫派」と答える。つまり猫は僕の中で、どちらかと言えば好きぐらいの部類に入るものだ。だからその猫を見かけた時もつい「可愛いな」なんて思いながら、しばらくその様子を見ていた。
いるのは何の変哲もない、普通の猫だ。毛色はサバトラ、目がくりくりしていて可愛らしい。首輪をつけていなということは、野良猫か地域猫の類なのだろうか? いずれにせよ不用意に近づいてはいけないな……とぼんやり考えていると、ふいにその猫の方が僕の方へ近づいてきた。
やった、ラッキー。ちょっと撫でさせてもらおうかな、頭の方を触ろうとしたら引っかかれるかな……などと淡い期待を抱いたものの、公園を囲む大きめのフェンスを思い出し密かに肩を落とす。
菱形が規則正しく並んだ、金網のフェンス。半透明に近いが透明ではない、中途半端な壁だ。公園によっては猫の通り道となるような穴が空いていることもあるが、この公園は入り口以外全てフェンスで囲まれている。残念ながら俺と猫のマッチングは、この網によって阻まれてしまったようだ……そう考えていた瞬間。
猫が、フェンスを音もなく「すり抜けた」。
「へっ?」と間抜けな声を上げる僕の横を、猫はさっさと通り過ぎて行ってしまう。残された僕は呆然とその場に立ち尽くし、念のため猫が通ったフェンスをもう一度見直す。
――網の一部が壊れてる? いや、継ぎ目はしっかりしていてどこにも壊れた場所はない。
――網の合間を猫が通り抜けられた? いや、いくら猫が狭いところを通り抜けることができるといっても、この小さな菱形にはまず頭も入らないはずだ。
――猫が幽霊だった? いや、あの猫は確かに影も色もあったし、すれ違った時に存在感のようなものも感じた。生きている、生身の猫に間違いない。
――僕の見間違い? いや、僕は眠ってないし未成年だから酔ってもいない。
間違いない。生きている猫が、目の前にあるはずの網をすり抜けていった。
念のため網の一部を掴み、それを前後にガシャガシャと揺らしてみせる。その固い感触と音は、間違いない。猫も、このフェンスも幻ではなく今確かにここにあるもののはずだ。
それから僕は、フェンスや柵などを見るとそれに指をかけ確かにその存在を確認するようにしている。
量子力学の世界では、壁にぶつかった時それを通り抜けることができる確率は決してゼロではないらしい。あの日、同じことが猫にも起こったのだろうか? そして、これから同じことがひょっとしたら僕の身にも降りかかるのではないか――?
そう考えるとつい、僕は網に手をかけガシャガシャ揺らしてみたくなるのである。