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第0斤

 12月24日。どこかの店から漏れ出る笑い声とジングルベルを聞きながら、僕は夜の桜木町をカップルの波に流されながら歩く。思うスピードで走れない苛立ちを抑えつつ、左腕に巻いている腕時計で時間を確かめる。


 まずい、早く帰らないと。ああ見えて約束にはうるさいからな、早くしないとまた理不尽な命令をされるに違いない。右手に持っているクリスマスケーキが入った箱をカップルに潰されたり傾けられたりしないようにしつつ、僅かな隙間を縫って彼女の元へと向かう。


 前を歩くカップルが減り始めたのでギアを上げようとした瞬間、ズボンの右ポケットに入れていたスマホが振動し着信が入ったと告げてきた。こんな時に一体誰だと顔をしかめつつも、僕は左手を右手と交差させてスマホを引っ張り出した。


「もしも――」

「早く! 早く来てくれ!」

「だから今急いで――」

「いいからすぐ来てくれ! 俺も一体何がなんだか――とにかく早く!」

「わ、わかったよ。仕方ないな」


 電話を掛けてきた相手は動画撮影仲間の奴で、僕が言葉を言い切る前に矢継ぎ早にまくしたててきた。今急いでるってのに勝手な奴だな。こうやって振り回されるのには大分慣れているけれど。ま、さっさと向かうとしよう。


「すみません」


 僕は一縷の罪悪感を覚えつつも、楽しそうに話しているカップルの恋人繋ぎを謝罪しながら手刀で割り、電話の奴と、彼女が待っているであろう場所へと走った。


「なんなの……? これ……?」

「な……」


 突進するかという勢いで扉を開けて部屋に飛び込んだ瞬間、僕は言葉を失った。手に持っていたケーキがドサリと落ちたことが、遥か彼方で起こった現象かのように思えた。


 電話の奴と共にいた彼女の身体が、まるでドライアイスが昇華しているかのように、末端から白い煙を上げているのだ。


 それだけじゃない。近づいてよく見ると煙が上がっている部分――具体的には両手が、鋭い刃物で両断されているかのように消失していた。そしてそこから絶えず白い煙が上がっていて、何度手をうちわのようにして煙を払っても断面部を確認することはできなかった。出血は確認できないが、彼女の顔は青ざめて恐怖の色で染まっている。


「どうしてこんなことに!?」

「俺だってわかんねえよ!」


 彼女の隣で呆然としていた電話の奴に僕は怒鳴る。僕に怒鳴り返してきてからは奴の口はあんぐりと開け放たれ、全身は凍えてているかのように激しくガクガクと震え始めた。


「彼女に何をした!」

「俺だって……何も……知らねぇよ……」


 奴はそれきり沈黙した。僕は彼女の肩に両手を置き、必死で彼女の名前を呼ぶ。彼女の瞳は僕と焦点を合わせようとはせず、足元に結ばれていた。見ると彼女の足元からも白い煙が上がっていた。僕が踏んでも煙は止まらなかった。キッチンに駆け込み、水道水を鍋一杯に入れてそれをぶちまけても止まらない。寝室から布団を持ってきて投げ飛ばす。止まらない。肘まで消えた。止まらない。掃除機で吸う。止まらない。膝も消える。止まらない。足首を蹴り飛ばす。何も無い。


「助けて……いや……いやああ……」

「なんでだ! なんで消えないんだ! おい救急車呼べ!」

「な……なんて言いゃ……」

「今ここで起こっていることをそのまま伝えろ!」


 奴が震えた手でスマホを操作し、耳に当てる。僕は消えゆく彼女をただ見ることしかできなかった。心臓があるであろう部分も消滅し、恐怖と絶望に満ちた彼女の顔に、掛けられる言葉は、何も見つからなかった。


「いや……いやああああ……」


 彼女が悲痛な声を上げたと同時に、彼女の全身は煙になり部屋の空気と混じって透明になっていった。まるで最初からそこに彼女なんていなかったかのように、彼女は消滅した。


陽咲(ひなた)ああああっ!」


 僕の慟哭に動揺した電話の奴が電話を手から滑らせて硬い床に落とした。声は無情にも部屋に虚しく反響し、返事が返ってくることはなかった。


 以後彼女の行方を知る者は、誰もいない。

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