007話
崖に落ちて、3日経った。
この3日間、私は必死になって、上に登る方法を考えていたのだが、全く思い浮かばなかった。
「……何か思い付きそうですか?」
「いいえ全く。どうしましょう……」
「困りましたね……」
エレナが軽く跳び跳ねながら、そう呟いた。
「……もう怪我は平気そうね」
「あ、はい。脚と腕は治りましたし、肋骨の方も、まだ完治ではないですけど……」
「いや、完治してないなら動かない方が──」
「跳ぶだけじゃユラさんが上がれないし……」
「──って聞いちゃいない……」
やはり、見た目どおりの子供なのだろうか?
自由なところは子供みたいだ。
また、完治していないのに動くのも、子供っぽく感じる。
「──ユラさん、飲み水ってまだありますか?」
「えっと……あるけど、かなり少ないわね」
「そうですか……」
エレナが周りを見渡しながら考える仕草を見せた。
「……うわ、骸骨ある」
「ちょっ、怖いもの見つけないでよ!」
「ご、ごめんなさい……! たまたま目に入って……」
「もう……骸骨だなんて、怖いわね」
「かつてに、誰かがここで死んだと言うことでしょうか……?」
「……私達も、登れなかったらこうなるのよね……?」
「……ですね」
「え、そんなの嫌よ!?」
「……登る方法考えないと……」
エレナって、一体どういうキャラなの……?
真面目なのかそうじゃないのか……よく分からない子ね。
「……ユラさん」
「ん? 何?」
「……くるみさんのこと、どう思ってるんですか……?」
「くるみのこと? そ、そうねぇ……」
いきなり不思議なことを聞いてきて、少し驚いた。
また、エレナの目はかなり真面目なもので、動揺もしてしまう。
くるみのことをどう思っているか……。特に隠すようなものでもないので、私は正直に話す。
「……私にとって、あの子は家族みたいなものよ」
「家族……?」
「えぇ。あの子と出逢ったのは5年くらい前だったかしら……まだ幼くてね。5歳児ぐらいの身長だったの」
「えっ……5年で、5歳児の身長からあの大きさまで……?」
「そうね。でも、人間じゃないし、普通かなって思ってスルーしてたわね……」
「するぅ……とは?」
「あ、えっと、無視するって意味よ」
「なるほど……異世界の言葉ですか?」
「そうよ」
「そんな言葉があるんですね……するぅ、覚えておきます!」
「え、えぇ」
くるみの話から脱線して、スルーについての話になってるけど……。やっぱり真面目なのかそうでないのかが分からないわ……。
「えっと、話を戻すけど……」
「あ、くるみさんの話でしたよね……脱線してましたね」
「え、えぇ。……で、あの子の事だけど」
「はい……」
「初めて会った時は、今のアンタみたいに怯えて、話してくれなかったのよ」
「うんうん……」
「だけど、諦めなかったわ」
「と言うと……?」
「諦めずに、あの子に喋りかけ続けたの。そしたら、心を開いてくれるようになってね」
「おぉ……」
「初めて甘えてきたときは嬉しかったわ。私の名前を呼んで、抱きついてきて……すごく可愛かったわね」
「絶対可愛いと思います……」
「えぇ。そのときのあの子の笑顔を見て、諦めなくて良かったって思ったもの」
「……そんなことがあったんですね……」
「えぇ。それからはあの子も素直になって、私達と普通にしゃべってくれるようになって……なんか、愛着が沸いてた。親みたいな気分になってたのよねぇ」
「……それで、家族のように?」
「そうね。……どうしてこんなことを?」
「あ、いえ……特に理由は……」
「そう……」
エレナは苦笑いをして誤魔化してきた。
しかし……普通に相づちをうったりなど、会話ができてるようで、少しだけくるみに感心した。
初めてエレナに会った時は、絶対、喋らすことはできないと思っていたけど……くるみの努力が垣間見えた瞬間だった。
「……じゃあ、アンタはどうなの?」
「えっ?」
「エレナは、くるみのことをどう思ってるの?」
「えっ!? えぇっと……」
同じ質問をすると、エレナは何故か驚いたような顔をした。
自分が聞かれるとは思っていなかったのかしら? まぁ、私にはそんなの関係ないけど。
「──アンタ、特にくるみには心を開いてるみたいだけど」
「そ、そうですね……」
エレナは覚悟を決めたかのような顔で、私を見た。
「……これはまだ、誰にも話したことがないのですが……」
そう言いながら、エレナは私のとなりに座った。
「……私が人嫌いなのは大体分かってますよね……?」
「えっ、あれって人見知りじゃなくて、人嫌いだったの?」
「はい……」
「そうだったの……」
「……私、ずっと昔はいじめられっ子だったんです」
「えっ……」
「そのときに、人間不信になりました」
「……人が嫌いなのは、それが理由なの?」
「……確かに、あの事も人嫌いの理由ではありますが……もう1つ、理由があるんです」
「その理由って……?」
「……この事は、お兄ちゃん達も知らない話です」
「えっ、エルガも知らないの?」
「はい……親も知らないと思います。これを話すのはあなたが初めてです」
「そ、そうなの……」
「……私達が、普通の人間でないのはもうお察しですよね?」
「えぇ。100年以上生きてて、人間とは思えないもの」
「そうですね……私達は、妖魔人と言う種族なんです」
「デモンノイド……?」
「はい。……私達は、魔物の血を持つ人間なんです」
「魔物の血を……だから長命なの?」
「えぇ。普通の人間とは違い、長命で、魔力の最大保有量もかなり違います。……私達が強いのは、それが理由です」
「なるほど……それと、人嫌いなのにはどんな関係があるの?」
「……私達が長命であること、です」
「……? どう言うこと?」
ちょっとした会話のなかで、色々な事情が分かったが、深掘りする余裕がなく、浅はかにしか把握できない。しかし、エレナは真剣だろうし、話を遮るわけにはいかなかった。
だが、エレナは、話をしていくなかで、目から光が消えていった。
顔を伏せ、感情をみさせないかのようで……話すことさえ苦しそうだった。
「──エレナ、無理しなくて話さなくてもいいのよ?」
「……いいえ、私が話すと決めたんですから……それに、無理しているわけでもありませんよ」
「そう……? 私には苦しそうに見えるけど」
「ッ……見抜いてるんですね……」
「えぇ、まぁね。……まぁ、アンタが話すって言うなら、私は聞くわよ」
「では、改めて……」
「えぇ」
「……ずっと昔、いじめられる前の事でした。私には、1人の友達がいました」
「うん……」
「私はその時期、よく図書館に通ってました。そこで知り合った人間と女の子と、友達になったんです」
「うんうん……」
「その子とは意気投合して、仲良くなれました。あの子に誘われて、町の外に行ったりもして……一緒にいて、楽しかった」
「……」
「……だけど、その子は病を患い……そのまま病気から回復できずに、衰弱して死んだんです」
「えっ……!?」
「私達は、魔物の体質なので、病気などは気合いで治せちゃうんですが……」
「気合いで……」
「人間は生命力そのものが弱いので、そう言うわけにも行かず……」
「そりゃそうよ……」
「……もともと人間がすぐに死んでしまうことは分かっていましたが……初めて──いや、改めて、人間の命の脆さを、思い知りました」
「……」
「いかに人間が脆弱で、儚い存在なのか……そのときに、ふと思ったことがあって……」
「……何を?」
「……人間は、すぐに死ぬ。だけど、私は、これからもきっと長く生きる。……人と関われば、その数だけ死に関わらなければならないんじゃないか、って……」
「ッ……!」
「例えどんな人と関わろうと、その人が自分より先に死ぬのは分かってる。……ならば、見据えた悲しみと後悔よりも、果てない孤独を選ぶ方が、自分のためなんじゃないかって……思ったんです」
「ッ……」
正直、聞いていて恐ろしかった。
人間には思い付きすらしないと思われる考えだった。
だが……エレナがこんな思いを持っているとは思わなかった。
そもそも、いじめられていたり、大切な人を喪ったり、色々と辛い過去があったのに、今はこうして、自分を守るための選択をして、生き続けている。
そのことがすごいと、私は思った。
「……すごいわね、アンタ」
「えっ……?」
「だって、いろんな過去があったんでしょ? そのなかで、暗い未来に気付いて……私なら、耐えられなくて自殺してたと思う」
「ッ……」
「だけど、アンタは自分を守るための選択をして、今も生きている。すごいと思うわ」
「ユラさん……」
「……どうして、話してくれたの?」
「……それは……」
エレナは、私から目をそらし、俯いたが、再び私の目を見て口を開いた。
「……ここからは、くるみさんにも話したんですが……私、変わりたいんです」
「変わる……?」
「はい……」
ふぅ、とエレナは息を吐いて、上を見上げた。
「……今までは、逃げてばかりだった。お兄ちゃんや妹、親に、色々迷惑をかけてきて……そんな自分が、嫌だったんです」
「……」
「……ずっと変わりたいって思ってた。なのに変われなくて、苦しくて……そんな時に、くるみさんの話を聞いて、希望を感じたんです」
「希望……?」
「はい。……ユラさん達なら、私を助けてくれるんじゃないか……って」
「私達が……」
「……自分自身の力で変われないのは情けないけど……それでも、変われるならって思って……」
「……それで私を信用して、話してくれたのね?」
「……はい」
話しきったエレナの目は、澄んでいた。暗い谷の底でも、その瞳は輝いていた。
私は、話してくれたことを嬉しく思った。
「……情けないとは、思わないわよ?」
「えっ……?」
「人を頼ってるわけだし、むしろ人と関われるんだから、私は良いと思うわよ?」
「……言われてみれば……」
「まぁ、人って何でも自力で出来る訳じゃないもの。たまには頼ったって良いのよ」
「……」
「それに、きっとアンタなら変われるわよ」
「えっ……?」
「アンタにはちゃんと覚悟がある。今までも頑張ってきてるんだし、きっと変われるわ」
「ユラさん……」
エレナは少しだけ目を見開いて私を見つめた。
その時だった。
「ッ──! ユラさん!!」
名前を叫ばれた。それは分かったが、反応出来なかった。
目の前が真っ暗になり、体から力が抜ける。
一体、何が……?
「ユラさん……! しっかりして……!!」
エレナの必死な声が聞こえる。
安心させるために返事をしようとするが、声が出ない。
そもそも、体が動かせない。
視界も真っ暗で、何も見えない。
そんな中で、意識が遠退いていくのが何となく分かった。
ボーッとする。
エレナの声が聞こえる気もするが、はっきりとは聞き取れない。
こんなところで、寝ていられないわよね……。
さすがに不味いとは思うものの、体が動かせないので何も出来ず、かえって冷静になってしまう。
エレナに、体を委ねるしかない……。
私は、消えそうな意識を繋ぐために、自分自身に集中した。
○
「ユラさん……! しっかりして……!!」
ユラさんが急に倒れてしまい、私は焦ってしまった。
ふと上を見上げると、青い霧がかかっていた。
毒霧だった。
私自身は毒に耐性があるため効かなかったが、何も知らないであろうユラさんは、何の警戒をすることもなく霧を吸い込んでしまったのだろう。
簡単に解析したところ、毒の効果は麻痺のようだった。
ユラさんは恐らく、脳を含めた全身が麻痺し、倒れてしまったのだと思われる。
このまま吸い込み続ければ、麻痺が後遺症として残る可能性がある。早く上がらなければ危険であった。
「……上がれるかな……」
上がる方法はあるが、少し危険だった。
私には、空を飛ぶ能力がある。それを使えば簡単に上がれるが……1つ不安なことがあった。
私の、魔力の限界だった。
今体内にある魔力だけで空を飛び、この崖を上がり切れるのか……それが不安で、自信がなかった。
もし途中で魔力切れを起こしてしまったら……
私たちはまた底に落ちてしまう。
そうなれば、次こそ命がない。
……それでも、ユラさんを助けなければならない。
私の不注意でこんなことになったんだし、責任はとらなきゃ……。
私はそう思って拳を強く握り、覚悟を決めた。
ユラさんをおんぶし、大きく息を吸う。
ひとつ大きく息を吐き、空を見上げて地を蹴った。
体は、重力に反して浮き上がる。
意識がなくなる前に、と、私は焦りながら地上を目指した。