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戦国時代 敗者の言い分  作者: 杉勝啓
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佐々成政

俺は少年のの頃より上様・織田信長公に仕え、23歳で黒母衣衆の筆頭になった。

赤母衣衆の槍の又左こと、前田利家とはよきライバルだと思っていた。槍の又左に対し、俺は鉄砲の成政と言われた。


そんな俺の人生が狂い始めたのは上様が本能寺の変で明智光秀殿に討たれたことからだ。秀吉が明智殿を討ったのはよい。上様を跡目を決める清須会議でなんと、奴は信忠公の遺児、三法師様を担ぎ出したのだ。幼い主君など誰が見ても傀儡としか思えぬではないか。上様には信雄様、信孝様、成人している男子がいるのだ。


信孝様を支援して柴田勝家様がたったのは当然と言えば当然か。なのに、又左の奴はあれほど、柴田様に世話になっていながら、賤ヶ岳の戦いでは傍観したのだ。それでも柴田殿は城から、まあ姫(利家の娘)を又左に返した。柴田殿の男らしさに比べて、その後の利家の生き様はなんだ。


柴田様、信孝様もなくなった。小牧・長久手の戦いで徳川家康殿と信雄様が組んで秀吉と戦った。だが、結局は和議を結んでしまった。上様の跡を継ぐのは信雄様をおいてないと考えた俺は徳川殿の支援を得るべく、冬の立山を超えた。世にいうさらさら越えだ。だが、なんということだろう。信雄様が秀吉と和睦したというのだ。これでは大義名分がない。むなしく、また、もと来た道を引き返さなければならなかった。


その後、俺は、表面上は秀吉に従った。ヤツもわかっていたのだろう。俺が心から臣従しているのではないと。肥後一国を与えられたが、国一揆を起こされてしまった。俺の統治能力のなさが原因か。俺にくだされた仕置は切腹だ。もういい。これ以上、秀吉にしっぽを振って生きるのはまっぴらだ。


このごろの厄妄想を入れ置きし鉄鉢袋今破るなり







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