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戦国時代 敗者の言い分  作者: 杉勝啓


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真田幸村

私の名は真田信繁。だが、なぜか真田幸村という名が広く認識されている。


それはさておき、我が父、真田昌幸は軍略の天才であった。しかし、それをうわまわる女性がいたのだ。それは小松姫。兄、真田信之の奥方だ。孫に会いたいと訪問した父を、小松姫は偽物扱いした上、城に一歩も入れなかったのだ。それでいて、別のところは父に孫に会わせるという情の細やかさ。兄は良い妻を娶られた。並の女性なら、孫に会いたいとやってきた舅を拒んだりはしまい。でなければ、徳川秀忠を足止めして、関ヶ原に遅参されるということまでやってのけた父が負けるはずはなかったのだ。


結局、関ヶ原の戦いにおいて大阪方についた父と私は高野山の九度山に蟄居することを余儀なくされた。、石田殿や小西殿が斬首されたことを思えば命があっただけでも喜ばねばならぬか。おそらく、兄の嘆願もあったのだと思われる。


失意のうちに父は亡くなり、世は平和へと向かっていくかと思われたのだが。方広寺の鐘銘事件をきっかけとして、徳川と豊臣の間で、また、戦が始まった。国家安康、君臣豊楽、家康の文字を分断しているのは家康を呪う印だと。言いがかり以外の何物でもない。


だが、これが最後の戦になるだろう。このまま、九度山に蟄居していればおそらくは天寿は全うできたと思う。だが、血がたぎった。家康相手なら敵に不足はなし。今、一度、戦に身を投じてみよう。


だが、大阪城に集ったのは主家を失った浪人、自ら主家を離れて浪人となったもの。キリシタンであった。また、たびたび、私が献策した策はことごとく退けられた。かって、父は私に言った。

「お前は、わし、以上の知恵者だが、お前の策は取り上げられることはないだろう。なぜなら、お前には名がない」

今なら、父のことばがよくわかる。


それでも、最後には家康を襲撃して、追い詰めてやった。

後世、家康はこのとき、討たれたとか、家康が切腹が覚悟したとか、まとしやかに伝えられたという。



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