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豊臣秀頼
私は豊太閤を父として淀の方を母としてこの世の生を受けた。
私はどうして豊太閤の子としてなど生まれてしまったのか。父と母は私を可愛がってくれたが、その父の盲愛が数々の悲劇を生んだと思えば胸が痛む。もし、私が生まれなければ、秀次殿の悲劇も、関ケ原の戦いもなかったであろうに。
気がつけば、関ケ原のあと、豊臣家は60万石程度の大名並みになってしまっていた。北政所様こと、まんかかさまは豊臣家が60万石の大名に甘んじること、それが豊臣家を守る唯一の方法だと考えていたようだ。
私が大阪城を出て、徳川家に臣下の礼をとればそれですんだかもしれない。
だが、わたしは、関ケ原のあと、主家を失い浪人した者やキリシタンたちが豊臣家を頼って大阪城に集ってきのをどうしても見捨てられなかった。
結果、冬の陣、夏の陣を経て、豊臣家は滅んでしまった。一代の英雄豊臣秀吉が築いた豊臣家を滅ぼした私は不肖の息子であろう。




