淑やかに淑やかに
梅雨。
聞こえ始めた蝉の声。
7月上旬。梅雨はまだ明けてない。
湿度は高いし、蝉の声が聞こえ出してさ、より一層暑く感じる。
「た、担任の……湿木です……。よ、よよよろしくお願いします」
ジメジメした空気に似合ったような先生が出迎えた。
小学校から数えて、転校は5回目。高校生になってからは、初めての転校。
父さんが転勤族でさ、片親だし、父さんの迷惑にならないようにアタシも付いてくしかないんだよね。
今高2なんだけど、高校生のしかもJKの1年って濃いじゃん?慣れた転校だけど、流石に今回は辛かったな。涼風って親友は顔面崩して大泣きしてたし、アタシもボロッボロに泣いた。
「説明は、い、以上になります」
やべえ。全然話聞いてなかった。
湿木の後付いてって、見慣れない廊下を歩く。授業中で、先生の話し声だけが廊下に漏れてる。
2年の階。うるさい。
特に奥の教室がうるさい。
湿木はそっちに歩いてく。
「はぁ」
思わず溜息が溢れた。落ち着きのないクラスって楽しくて良いけど、アレも多いんだよね。
「あ、あの。なな凪原さん。ク、クラスの女子生徒の……あの、特に郷間さんの言うことには従って……ください」
ほれ来た。郷間ってのが力握ってんのね。
湿木から溢れ出るダメ先生感からして、郷間はイジメてる。まだ会ってもないけど、絶対イジメてる。
「先生はさ、それ見て見ぬフリしてんの?」
湿木は顔を前に向けて、何も言わずに歩いてる。
嫌な学校来ちゃったな〜。アタシの偏差値に合うのなんてココくらいしか無かったけど。
いっちばんうるさいクラスに着いちまった。
湿木に廊下で待つよう言われた。呼んだら入れと。
湿木が教室に入った瞬間、湿木をイジるクソつまんねぇ言葉が飛び交った。それに対して下品に笑う声。
「て、転校生……」
転校生ってワードが出た瞬間、クラスの注目は降り注いだ。
「は、入ってきて……ください」
今すぐにでも帰りたいと思ったのは初めてだよ。
重く感じる扉を横にずらし、空気の違う教室内に踏み込む。
「なになに美人じゃね転校生!!」
「美人ってかカッコいい系!」
「マジウザいわぁ、ああゆうタイプ。調子乗ってるよね」
特にうるさいのは、教室の左奥に固まってる女子集団だ。あの中に郷間が居るんだろな。
「名前なに〜」
その女子集団のうち1人、スマホイジりながらチラッとだけ目を向けた奴が居た。
パンツ見えんじゃねえのってくらいスカート上げて、茶髪に長髪、巻いてんねありゃ。眉毛無えんじゃねえのってくらい剃ってるし、合ってない口紅。スマホはキラッキラ。目付き鋭すぎ、アレ郷間じゃね。
いかんいかん。ガン飛ばすとこだった、抑えないと。
アタシは片方の耳に髪を掛け、やっぱり郷間の目を睨んで言っちゃった。
「凪原 楓。よろしく」
郷間らしき奴は、周りでギャーギャー言うギャル達とは違って、ただアタシの目を睨み返していた。
「先生、アタシの席は」
この空気が嫌で、空いてる席を探しながら催促した。
「あ、あそこに……」
湿木が手で差した場所は、とんでもなく美人の前の席だった。
その子は教室の1番右奥の席で、曇天の下、校庭で体育の授業してる人達を眺めていた。
こんな灰色の天気なのに、あの子だけめちゃくちゃ透き通ってる……綺麗な肌。
イケイケでニヤニヤな男子達の横を通り過ぎて、その女の子一直線に歩いた。
「こんにちは!めっちゃ美人。お名前は?」
その子はゆっくりと私を見た。
小さくて整った口で小さく笑ってから。
「私……?」
その後に、遅れて目は笑った。
アタシは、その言葉を理解できなかった。
「え?そうだよ?」
深い意味なんて考えずに、アタシはそう返した。
「ねえねえ〜凪原〜だっけ?その席さ〜誰も居ないよ〜?何に話しかけてるの〜?」
モブギャルのその言葉に続いて、クスクスと笑いが起こる。
湿木を見ても、アタシから目を逸らして、教卓のプリント用紙をジッと見ていた。
情けない。
「その空いてる1番後ろの席の、1個前が凪原の席なー!」
明らかサッカー部の男子達からも、この子は居ない者として扱われてる。
この男子達と、郷間の周りに居る奴らがクラスを占めてる。きっと。
そいつらがそうするのであれば、周りは従うしかないってことね。
まさか、クラス全体で、この子1人をイジメてたなんて。
転校初日の、前で挨拶して、自席に案内された段階で、ここまで明白にイジメって分かるもんかよ。色んなイジメ見てきたけど、これは特に酷い。
「アタシ凪原 楓。あなたと友達になりたい」
「え、何あの転校生。1人で喋ってるよ」
その子は微笑みを止めずに口を開く。
「私に関わると、酷い目にあうよ」
「アタシのことは心配しないで。大丈夫だから」
周りの声は自然と聞こえなくなる。
この子と、2人だけの空間になったみたいに。
「高本 淑音」
「良い名前……」
反射的に言っちゃった。
名前を聞いた後に、窓から入る風で綺麗な黒髪は揺れ、胸元の名札を見た。
淑やかな音。
アタシが来るまで、この子はずっとこうしてイジメに耐えていた。
美人すぎるから?二言目にアタシの心配してくれるような子が、何でイジメられてんの。
妬み。だろうな。
芸能界に居てもおかしくないくらい美人。性格も淑やかで、自分を前に出さなそうだし。だからって、イジメられんのは違うだろ。
郷間を見た。
その集団で唯一、アタシから目を逸らさなかった。
あいつに、淑音が何をした。
部外者もいいとこのアタシが、ここまでする必要は無いけど、体は勝手に動いた。
カバンを自席に置き、踵を返す。
郷間の胸ぐらを掴んでしまう。
「何急に」
「お前郷間?」
「ちょっと!レナちゃんを放しな!」
モブギャルはちょっと無視。
「あのさ、部外者は首突っ込むなよ」
「部外者だから言えることってあるんだよね。お前何様?やって良い事と悪い事の区別もつかねえの?」
郷間は意外にも口を開けない。
ガツガツ来ないタイプで、カーストの上に居る奴が1番タチ悪い。裏でネチネチされて、標的になるのが、学生は1番怖がる。
湿木は授業を始めようとしてるし、周りは今起きてることに目を逸らしてる。
アタシが今何を言っても無駄なんだと、空気が言ってる。
バカバカしくなって、自席に戻った。
「貴女は、大丈夫」
「え?」
カバンから筆記用具を出してるアタシに、淑音はそれだけ言った。
胸糞悪い初日を終えて、淑音と下校した。
自転車通学する人が多い学校だけど、アタシは近くに越して来たから歩きで、淑音も同じく歩きだった。
帰る方向は違ったけど、アタシは淑音に付いてった。
「かくれんぼ、したことあるんだ」
淑音は静かに話し出した。アタシは頷いて聞き入る。
「でも、見つけてもらえなかった。私、存在感が薄くてね。みんな私を忘れて帰っちゃったことがあるの」
淑音の声は、感情が無いように聞こえる。
「学校でもあんなだから、本当に私、みんなから見えてないんじゃないかって」
溜めてたかのように、次々と言葉は溢れる。
初対面のアタシに、話してくれる。なんか、嬉しかった。
「でも今日、貴女に見つけてもらえたんだ」
淑音は、嬉しそうだった……けど、目は笑ってない。途中で「ここまでで良いよ」って言われて別れて帰った。
アタシは夏休みが始まる前まで、淑音とずっと居た。クラスの皆は、アタシを本気で気味悪がってる。アタシは気にしないし、淑音の負担を減らしたかったし。
郷間は、日に日に顔付きが変わっていった。
あの日胸ぐら掴んでから、アタシを恐れたのかい。イジメの主犯がそんな度胸無くていいのかい。と、心の中で嗤ってやった。
そして、夏休みの2日前。
事は進展する。
血相変えた湿木が、勢いよく教室に入ってきた。
「た、高本 淑音が、腐乱死体で、は、発見された……」
後ろの席の淑音を見る。
いつもと変わらない、感情の無い微笑み。
クラスは騒つく。
「高本って、あのちょー美人の?」
「なんで!?え!?腐乱死体って??」
「しばらく学校来てないとは思ったけど、まさか死んじゃってたなんて……」
脳が……追い付かない。
そんな、死んだって、いくらイジメでも、悪質……というか、いや、今実際に後ろに居るのに。
「いくら何でも酷すぎない!?本人居るのにさ!みんな度を超えてるって!!」
アタシの言葉に、クラスは静まり返る。
そして誰かが、口を開いた。
「お前気持ち悪いんだよ。転校初日からずっと独りで喋ってるし」
「それな。誰か其処に居るみたいに喋ってる」
「お前のその幻覚がさ、間違ってないみたいに振る舞うの止めろよ。怖いんだよお前」
「それにさ、淑音淑音ってずっと言ってるし、まさか、本当に"見え"てたり!?」
「ああ!そうじゃん!淑音さんの霊だ!そこに居るんだ!!」
クラスは悲鳴にも似た会話が飛び交った。
「先生!高本のこと詳しく教えてください!」
1人の生徒がそう言った。
アタシは、其処に居続ける淑音を見つめながら、その話を聞いた。
湿木の話と、淑音から聞いていた情報をまとめるとこうだった。
遺体から、死後推定18日が経過。
アタシが転校してきたのが今から17日前。
山に入り、道のりに進んだ一軒家に、一人暮らししてた淑音。その一室で、何かと争った形跡と、無惨にも横たわる遺体は発見されたらしい。
異臭は風に乗った。
ちょっと離れた近隣住民が通報。
他殺だそうだ。
数十箇所に及ぶ刺し傷で、顔面を集中的に……。
ちょっと、深呼吸させて。
ふぅ。
アタシは、クラスの皆に見えるはずも無い淑音が見えてて、ずっと会話もしてた。
でもアタシは、淑音が何かを伝えたかったとも感じなかった。過去の話もしてくれたし、アタシの話も聞いてくれた。
初日に淑音が言った"私……?"って言葉は、"霊体の私のこと?"って意味だった。見えて、会話もできて、淑音も友達が出来たって嬉しそうだった。そう、本当に友達として接してくれてた。
でも、霊体になった淑音から聞くに、学校は嫌な思い出が多かったって。
それでも尚、あの席に居続けたのには理由があるんじゃないかな。
アタシはたまたま見えちゃっただけ。
アタシ以外に、あのクラスで唯一見えてた奴が居る。
先生が淑音の死を告げた瞬間、教室の端で顔を青白くさせたのが1人。
郷間 レナ。
「私みたいな人を、これ以上出したくない」
度々淑音が口にした言葉。
淑音は今も、校庭を見つめてる。
窓を見つめてる。
窓に反射する、郷間を見つめてる。
感情の無い微笑みで。
「かくれんぼ、まだ途中なんだ。だから私は、隠れて鬼を見るの。3人目に手を出そうものなら、私は隠れるのをやめる」
夏休み中、郷間は殺人罪で逮捕される。
郷間の現実からの"かくれんぼ"は、こうして幕を下ろした。