70 薬師の推理
暇なら読んでみてください。
( ^-^)_旦~
男が手にしているのは、少し前にひょんなことから手に入れた傷薬。
綺麗な細工が施された小さな木箱に詰められている。譲ってくれた冒険者曰く、そこら辺の薬屋で売られている薬より遙かに効果が高いらしい。
王都で薬屋を営むガロンは、そっと薬をテーブルに置いて小さなナイフを取り出すと、自分の左手人差し指の先に軽く突き刺した。刺した箇所からプクッと赤い血が溢れ、手に入れた傷薬を一掬いして塗ってみると、痛みが引いてみるみる傷は塞がり止血された。
なるほど。確かに素晴らしい傷薬だ。
感心しきりのガロンは、小箱に入った塗り薬を見つめて隅々まで観察する。
原材料が知っている薬草であることは匂いや色で判断できる。わからないのは、どんな割合や技法で調合したらこれ程の効果を得られる薬に仕上がるのか。若い頃から薬学を学んで、調合などの修行を積んだけど見当付かない。
譲ってくれた冒険者が言うには薬屋で買うより遙かに安価らしく、予約して大量に仕入れたくても入手できる数が少ないため無理だと断られるのだとか。
稀にフクーベに姿を現す商人が売っているらしいけど、購入できるか運次第だという。
この傷薬を作った薬師は回復薬や魔力回復薬も作っているらしく、漏れなく高い効果を発揮するみたいだ。しかも、駆け出し冒険者でも手の届く値段で売られていると聞いた。
回復薬と名が付く薬は高級品で、上位の冒険者や騎士ぐらいしか買えない。単純に材料費や製作期間がかかるから高価になる。
なのに、その薬師は『新人冒険者が買える値段で売ること』を条件に譲渡していて、商人も律儀に約束を守って一切値上がりしないらしい。築き上げた信頼関係があるのだろう。
溜息を吐いて、椅子の背もたれに寄りかかり天井を見上げる。自分もそこそこ腕を上げたと自負していたのに、腕の違いを見せつけられて嫌でも己の未熟さに気付かされた。
ぼ~っと思考の海を泳いでいると、入店を知らせるドアベルが鳴った。ガバッと前を向くとお得意様の騎士がいた。
「いらっしゃいませ。アイリスさん、今日はどういった用件で?」
「傷薬を買いにきました」
目の前の麗しい女性騎士は、カネルラ騎士団の中でも屈指の実力者で昔から贔屓にしてくれている。
彼女は先に開催された武闘会で有名な魔導師と闘って圧勝し、その勇姿を目にして彼女に憧れた女性の騎士希望者が増加しているという。
かくいう俺自身も観戦していて、普段の淑やかさからは想像できない鬼神のごとき強さに少なからず衝撃を受けた。
「傷薬ですか。この辺りから選んで下さい」
傷薬が陳列された棚を指差して薦める。薬には使い手との相性もあるから普段なら細かく用途を確認しながら薦めるけど、常連のアイリスさんには必要ないとわかっているのであえて訊かない。
アイリスさんは、コクリと頷いて品定めを始めた。
★
真剣な表情で薬を吟味するアイリス。その姿を静かに見守るガロン。
「この傷薬を頂きます」
「毎度ありがとうございます」
選び終えたアイリスは薬を手にカウンターに向かい、ガロンに手渡したところでテーブルに置かれたモノに気付く。
コレは…もしかして…。
見覚えのある小箱。ウォルトさんの住み家に置かれていた薬の容器に似ている。綺麗な細工だと見入ったので覚えていた。
「…リスさん…。アイリスさん?どうかしましたか?」
ハッと我に返る。どうやら話しかけられていたようで、恥ずかしい気持ちを抑えながら代金を支払う。私の視線に気付いたのか、薬師のガロンさんが話しかけてきた。
「綺麗な細工ですよね。傷薬なんですけど、非常に効果が高くて珍しいんです。フクーベ辺りで売られているみたいですが、たまたま手に入りまして」
「やはり…」
そうだったのか…と口に出す寸前で口を噤んだ。
たとえウォルトさんが作った薬だとしても、あの人は名前を知られることを望まないだろうし、容器だけを手に入れた誰かが売った可能性もある。余計なことを口にするのは無粋…と思い止まった。
「アイリスさん!もしかして、この薬を作った人を知ってるんですか?!」
時すでに遅し。ガロンさんは興味津々といった様子で見つめてくる。『知ってるんですね!教えて下さい!』という無言の圧力に思わずたじろぐ。
「知っているというか……むしろ知らないと言えるかもしれません…」
しどろもどろになってしまい、ガロンさんの目を見ることができない。それでも精一杯知らないアピールをしたつもりだったけれど、獲物を捕らえる目をしたガロンさんには通用しなかった。
「アイリスさん。この薬を調合した薬師は商売っ気のない人では?」
「うっ…。どうでしょう…」
ないと思う。欲に塗れた獣人ではない。
「効果が高いのにかなり安く売られているらしいです。新人冒険者でも買えるような値段で」
「そうですか…」
儲けは気にしてなさそう。「代金はいりません」と断っている顔が想像できる。
「回復薬なんかも同様の値段で売られているようで、普通ならあり得ないことです。どんな人が作ったのか興味がありまして」
「そうですか…」
猫の薬屋さんです…とは言えない。まず信じてもらえないだろう。私も信じられないくらいだ。
「おそらく、利益を度外視してでもいい薬を作りたいという研究熱心な薬師じゃないかと思うんです」
「そうかもしれませんね…」
★
曖昧な答えを返すアイリスさんに、なにかしら事情があることは察した。
それでも薬師のことを知りたい。とりあえず…アイリスさんは嘘を吐くのが下手そうだ。我が儘だと思いつつも、少しでも情報を引き出せないか挑戦してみることにした。
そもそも、俺の質問に真面目に答えず適当なことを言ってさっさと店を後にすればいいのに、そのことに気付いてない。またとないチャンス。
「これほどの薬を作れるということは、かなり年配で熟練の薬師だと思うんです」
「そうでしょうか…」
あまり年齢はいってないっぽいな。
「若くして作れる様な薬じゃないと思います。少なくとも三十路は越えているんじゃないかと」
「そうでもないかもしれません…」
そんなに若いのか!?…信じがたいな。
「箱の細工を見れば器用だとわかりますね。女性の可能性もあるかと」
「それは…どうでしょう…」
男性ということでよさそうだ。
次の質問は、さすがにあり得ないと思うが……。
「アイリスさ…。失礼ですが、もしかしてその方と恋仲だったりするのでは?」
アイリスさんは美人かつ強いことで有名な騎士だけど、浮いた噂を耳にしたことがない。もしそうなら言葉を濁す理由になる。
「なっ…!なにを根拠にっ!そんなワケないだろう!!」
予想外だ…。思いっきり動揺してるな。言葉遣いまで変わった。当たらずも遠からずってとこか。
顔が真っ赤に染まっているのに嫌そうではないところをみると、照れているということだろう。
作戦が上手くいって知りたいことは大体知れた。最後に1つお願いしてみることに。
「アイリスさんがその薬師に好意を抱いているのはわかりました。誰にも言わないので、少しでもいいからその人の情報を……っ!」
いつの間にか、鼻先に剣が突きつけられていた。なんなら、ちょっと鼻に当たってる…。
顔を赤く染めたアイリスさんがドスの利いた声で呟く。
「黙れ…。それ以上余計な口を叩くなら…斬る…。わかったな…?」
無言で頷く。俺は武闘会のときの色惚け魔導師ナッシュの気持ちを理解した。マジのアイリスさんに剣を向けられたら…怖すぎる。
アイリスさんは1つ咳払いして落ち着いた様子。
「ガロンさんは2つ勘違いしています。1つ目は、その傷薬を作った人物は私の知り合いの可能性が高いけれど、薬師ではありません」
「本当ですか!?作ったのが薬師じゃないなんて…」
知識のない者が調合できる代物じゃない。無資格の自家製薬だっていうのか…?
「薬師じゃないからこそ利益を気にしない。いいモノを作りたいという予想は合っていると思います」
「高く売ることをよしとしないのは、そんなに大層な薬ではないと思っているから…でしょうか?」
「わかりません。ただ、色々な人に使ってもらいたいと考えているでしょう。使う者を選別する人ではないと言い切れます」
「そうですか。しかし、薬師じゃないなら交流は難しそうですね」
「選ぶことはしないと思います。職業も同じではないかと」
「是非その方に会ってみたいですね。それで、もう1つの勘違いというのは?」
アイリスさんは、みるみる顔が赤く染まっていく。
「そ、それは…。私が……そ、その人に、こ、好意を持っている…ということですっ!!」
「はぁ」
しどろもどろな様子を目にして、呆れたような声を漏らしてしまった。
「と、とてもいい人だということは認めますっ!!し、しかし、好意を寄せているかは別ですっ!!」
ふ~ん。
「では、私がその人に会ったとして「アイリスさんは貴方のことなんて全然好きじゃない」と言っていいですか?」
「うぐっ…!そ、それは……」
「貴方はいい人なだけだ。絶対に好きになることなどあり得ない…と伝えても?」
「ま、まったくとは…言いませんが…」
真っ赤な顔でモジモジするアイリスさん。事の発端が自分の軽はずみな発言であることを自覚している俺は、反省の意味も込めて話を纏める。
「わかりました。アイリスさんはその人をいい人だと思うけど、『今は』好意を寄せてるワケではないんですね?」
「そ、その通りですっ!」
「先のことは誰にもわからないけど…ってことですね?」
「そ、そうです!」
「理解しました。変なことを言ってすみませんでした」
「いえ。わかって頂ければいいんです」
「今後とも御贔屓にお願いします」
その後、アイリスさんは傷薬を購入して帰った。
「……はぁぁぁ~。マジかぁ~……」
大きな溜息を漏らす。薬師の情報を得られたことは幸運だったけど……抱いていた淡い恋心が砕け散ったことは不幸だ。
俺は王都で密かに結成されている『アイリス親衛隊』の一員。まさか冗談で言った「恋仲ではないか」という言葉で墓穴を掘ることになるとは…。
アイリスさんは手が届かない高嶺の花。ただ、気真面目で修行ばかりしている女性騎士だと思ってた。堅物で全く浮いた噂がないから、『意中の男性はいない』というのが親衛隊の共通認識で安心して推せる理由でもあった。
そんな神話が木っ端微塵に打ち砕かれた。ただ、自分を驚かせるような男が相手なら納得できる。親衛隊の同志には申し訳ないけど俺にとって尊敬できる男であってよかった。
「アイリスさん…。お幸せに…」
アイリスさんの想い人が作った傷薬を指で掬って鼻の頭に塗る。心と鼻先が痛むぜ…。
「ふっ…」
自嘲的に笑うと、キメ顔のまま濡れてしまった下着を着替えるタメに店の奥へ向かう。
読んで頂きありがとうございます。