696 新旧騎士団長
カネルラ騎士団長ボバンは、執務室にて少々頭を悩ませていた。
幾つかの都市に新たに騎士団の支部が誕生して運営が始まったものの問題続き。最低限の団員は確保できたが、指導者が不足していたり規則の制定などの雑務で支部長達の負担が大きい。
己が度々出張するのは現実的ではなく、もっと王都から人員を派遣して増員すべきか…などとアグレオ様と対策を練る日々。
…と、執務室のドアがノックされた。
「団長、よろしいですか?」
「入っていいぞ」
声の主はトニー。
「失礼します。ベルナルド前団長が来城されました。団長にお会いしたいと」
「直ぐにお通ししてくれ」
「了解しました。失礼します」
しばらくしてベルナルド団長が入ってくる。
「ボバン、久しいな」
「ご無沙汰しております。団長」
「ははっ。なにを言ってるんだ。団長はお前だろう」
「私にとっての団長は貴方です。体調を崩されていると聞いていましたが、顔も出さず薄情な部下で申し訳ありません」
「気にするな。遠い町だ。騎士団長が何日も王都を空けていいはずがない。責務は誰より知っているぞ。少々弱っていたんだが、今は回復した」
「なによりです」
ゆっくりソファに座ってもらい、お茶を淹れて差し出す。
「今日は何用かあっていらしたのですか?」
「騎士団が新体制になって、苦労していないかと思ってな」
「ふんだんに苦労しています」
「はっはっは!正直だな。支部創設はカネルラで初の試み。何事も立ち上げは苦労する。動けるようになって、元団長のよしみで愚痴を聞きに来た」
「心遣い痛み入ります」
悩んでいる事項や困っている事項について伝えると、助言してくれる。ベルナルド団長は昔から相談しやすい人だった。若い頃を思い出すな。
「剣術と同じで、初めから上手くいくと思ってはならない。特に目の届かない場所で起こることには直接関与できないからな。意見を聞いて、信じて任せることが基本になる」
「もっといい案がないか探ってしまうのです」
「負担を軽くしたい気持ちはわかるが、お前が育てた騎士を信じろ。苦労も経験になる」
「支部を任せた騎士は、自分が育てたワケではありません」
「いや。お前は団長になるべくしてなった男。俺とは違う。強さには自信があったが、人心掌握はお前に敵わない。部下の統率でどれだけ楽させてもらったと思ってる。立派に育てていた」
「私はできることをやったまでです。今の私や支部長クラスは団長に育てて頂きました」
ベルナルド団長なら俺よりも上手く騎士団を運営できる。実力もさることながら、大器晩成の叩き上げゆえに新兵からベテランまで指導できる懐の深さを備えていて、運営に関してもそつなくこなしていた。この御方も自己評価が低い。
「謙虚なボバンに頼みたいことがある」
「なんでしょうか?」
「新設された支部の見学と、剣術指導の許可をもらえないだろうか。アグレオ様に話を通してほしい」
「なぜなのか理由を伺っても?」
「あぁ。少し前の話になるが、俺は「もう長くない」と医者から余命宣告された」
「そこまで悪い状態だったのですか…」
「そして、ある魔導師の治癒魔法でおそらく病は完治している。驚くべきことに、4種を混合した治癒魔法だそうだ」
「…まさか」
「察しの通りだ。知り合いなんだろう?剣を交えたが、なかなかの腕前で驚いたぞ」
そんな離れ業ができるのはウォルトしかいない。どんな縁があったのかは今さらだが、やはり俺の信念は間違いない。強者は強者と巡り会う運命にある。
「冥土の土産に…と会いに行って、命の恩人になった。感謝してもし尽くせない大恩人。しかも、俺の弟子になるというオマケつき」
「剣術の…という意味ですね?」
「それ以外にできないさ。治療のお礼に剣術を指南することになった。手を抜くつもりはない。さらに強敵になるぞ」
団長から剣術を学べば、ウォルトの闘いのスキルは一層上昇するだろう。剣術の模倣は不可能だとしても、一流の技を見ることで得意とする防御が格段に進化する。
「冒険者への復帰を勧められた。昔の夢を追ってみるのも一興じゃないかと。確かにいい案だと思ったものの、勢いは続かなくてな。よくよく考えた結果、助けられた命を騎士団のタメに使いたくなった。かといって、引退した身で王都の騎士団に戻れない。陛下より名誉ある暇を与えられたのだから」
「それで、旅人のように新支部を巡られると」
「あぁ。見学と剣術の指導程度であれば了承頂ける可能性を感じた。運営が軌道に乗るまでの間だけでも人手はあって困らないはず」
「団長は…ウォルトの魔法を見たのですか?」
引退後は表舞台に立つことなく隠居生活を送っていた団長。たとえ死の淵から舞い戻ったとしても、騎士団に関わりたいとは急すぎる申し出。考えられるのは、ウォルトが繰り出す魔法。見た者を魅了し打ち破ってみたいと思わせる魔導師。
「魔法は見ていない。見たのは初見の闘気術だ」
「どのような闘気術を?」
「まるで魔法だった。どう闘気を操作すれば可能なのか見当もつかない」
「独学で次々編み出すのです」
「実際に目にして疑う余地はない。ただ、俺が刺激されたのは闘気術の他にもある。ウォルトが『塵化』と名付けた闘気術は、直撃すれば命が砕ける威力だった。俺が驚いたのは、一切躊躇しなかったこと。手合わせで殺気も感じさせず剣を振り切った」
「躱されると確信していたのでしょう」
「たとえそうでも普通はできない。加減も躊躇も当然。なのに剣に迷いがなかった。よく言えば相手を信頼する獣人。悪く言うなら異常。紙一重だな」
「ウォルトは他人の実力を過剰に評価する癖があります。であるのに、無意識に相手の力量に合わせることが得意なのです」
「魔法を使った手合わせもやるべきだったか。アイツの真剣さに刺激され、騎士が闘気術で素人に負ける危機感を覚えた。そんなウォルトと縁を繋ぎ、師弟関係になったことを活かさない手はない」
「師弟関係を活かすとは?」
「引退した老兵も後進に繋ぐ。救われた命で、恩人から学んだことを伝えたいんだ」
打倒ウォルトではなく、ウォルトから学んで後進に伝える…か。アイツは闘気術にしても発想からして違う。しかも余すことなく教えてくれるだろう。俺の場合、倒したいという気持ちと騎士団長としてのプライドが邪魔をしているのは否めない。
「現役じゃない身軽な老兵だからこそできる貢献だが、頼めるか?」
団長は心の内を見透かしたように続けた。
「かしこまりました。アグレオ様を通じて進言させて頂きます」
「助かる。しかし、トニーも昔と比べて精悍な顔つきだった。団員をしっかり鍛えているな」
「まだまだです。とはいえ、幾度か闘技絢爛を申し込まれたりと忙しく過ごしております」
ここ数年なかったことだが、最近は数人から挑まれた。全て返り討ちにしても、恨み辛みはない様子。
「いい傾向だな。最も実戦に近い緊張感を味わえる。若い騎士は血気盛んなくらいでちょうどいい」
「異種戦や大魔導師サバトの出現、支部の創設もそうですが、騎士団を取り巻く環境が変化したと実感する日々です」
「悪くはないだろう?」
「はい」
「お前に挑まれたのが昨日のことのようだ。懐かしいな」
「あの頃の私は身の程知らずでした」
入団して直ぐに団長に闘技絢爛を申し込んだ記憶が蘇る。手合わせで指導員を倒し、先輩にも連戦連勝で有頂天になり、微塵も強そうに見えなかった団長に挑んで手も足も出ず負けた。剣は掠りもせず、打ち込まれた剣は一度も躱せずの完敗。圧倒的な実力差に打ちひしがれた。
「身体中が赤く腫れていたのに、次の日には剣を振っていた姿を覚えている。えらく頑丈だと感心した」
「私には必要な敗北であり、痛みでした。団長に敗れて心を入れ替えたから、今も騎士としてこの場にいるのです」
「俺はお前が後継者になるとわかっていたぞ」
「なぜ言えるのですか?」
「闘技絢爛が唯一の下剋上となる騎士団で、お前に勝る騎士がいなければ必然的にそうなる。騎士は紳士淑女たれ…と言われても、外面の話。内面は実力主義で、説き伏せるより叩き伏せる方が効果的な者もいる。紳士にほど遠い手法であっても」
「今の私は賛同できかねますが」
「ははっ!人徳を積んで立派な騎士団長に成長したな。そんなボバンに問いたい。国民の模範たる騎士が、恩を仇で返すのはあるまじきことだろう?」
「仰るとおりです」
「だが、例外を作らねば勝てない相手がいる。勝つには心を鬼にして騎士道に反する覚悟がいるぞ。アイツは闘いに純粋だ。余計なことは考えず、頭にあるのはただ勝つことだけ。命のやり取りに繋がるとしても、決めたら突き進む強さがある」
団長は目尻に皺を寄せて笑う。
「老婆心ながら言わせてもらう。立場に追われ自らの可能性を狭めてはいけない。お前は歴代団長でも頂点に立てる実力を持つ男。俺が保障する。我が儘ではなく謙虚に生きろ。できる奴には人を頼るのが苦手な者が多い。育てながら頼って次に繋げばいい。俺はそうしてきた。修練の時間を確保できて、部下の育成もできる」
「よい案かと思います」
「人を躊躇うことなく屠る者は精神が異なる。志や使命だけでは太刀打ちできないだろう。偉大な先人達は言わなかったか?」
「仰るとおりです。講義の一環として定期的に精神論を説いてくださいます」
ダナン殿は先の戦争で「覚悟が足りなかった」と言った。ケイン殿達も同様。常に戦場に身を置く傭兵と違って、騎士が人を斬るには相応の覚悟がいる。
「教えて身に付くことではないとしても、伝えなければならないとお考えだな。是非お会いしてみたいが、どちらにいらっしゃるのか教えてもらえるか?」
「もちろんです」
会ってもらいたい。ダナン殿達も同様だろう。…と、ドアがノックされた。
「ボバン。アグレオだ」
団長と共に素早くドアに向かい、一礼して招き入れた。
「ベルナルドじゃないか!元気だったのかい!身体を悪くしたんだろう?」
「回復致しました。軟弱な年寄りでお恥ずかしい限りです」
「なにを言う。まだまだ若いじゃないか。来ているのなら言ってくれたらいいのに。水くさいぞ」
「騎士団の新編に伴う多忙の中、時間を割いて頂くワケにはいきません」
「気にかけてくれていたんだな。もしかして、助力してくれるのかい?ボバンと相談していたんじゃないか?」
アグレオ様も聡明。この場にいる目的を見抜かれた。
「はい。新設された騎士団支部の見学と…」
「よろしく頼むよ。任せる」
食い気味に許可された。
「心遣いに恥じぬよう、全身全霊で承る所存です」
「君とボバンがいれば頼もしい限りだ」
「恐縮です」
「ベルナルドなら父上も反対しないさ」
団長は王族の皆様の剣術指南役だった。立場など関係なく厳しくしごいていたが、長い期間を共に過ごし、陛下や殿下とは深い信頼関係で結ばれている。先人達にとってのクライン国王と同様の存在。
俺は新たに誕生されたジニアス殿下達の指南役を拝命している。重圧を感じざるを得ない大役を任された。
「騎士団は変革の時を迎えている。1人でも多くの力を借りたい。落ち着くまでの間だけでも。僕は、ダナン達のように戦争を知る先人と、ベルナルドのように近代の騎士を知る先人の協力を得られる幸せな統括者だ」
「有り難きお言葉」
「ベルナルドに1つ訊きたい」
「なんなりと」
「サバトを知ってる?」
「命の恩人であります。魔法治療により屍にならずに済みました」
「あははっ!正直に答えてくれてありがとう。勘だけどそんな気がしたんだ。君に会いに行った騎士から、気丈にしていたけど目に見えて瘦せてしまっていると聞いて、悪い状態じゃないかと推測していた。そんな病を治せる者はそういない。見舞いにもいかずにすまなかった」
「私は来て頂いた方が気に病みます」
「うん。わかっていた」
「サバトに関する鋭い洞察に感服致しました」
「洞察というより、サバトはカネルラで重要な役割を担う者と縁を結んでいるからね。ボバンもシノも、亡くなった大魔導師ライアンもだ。ベルナルドだってその1人。彼は意図してないんだろうけど、なぜか父上と兄上と僕は縁がないのはやっぱり出歩かないからかなぁ?要職だと思われてないのか、単純に拒否されているのかもしれない。次に出会うのは…宰相辺りかな?」
アグレオ様は爽やかな笑顔を浮かべた。
「私はサバトが陛下や殿下に会わずにいられるとは思えません。邂逅は時間の問題かと」
「そうか。ちなみに、カケヤは元気かい?」
「息災です。奴の紹介でサバトと知人になりました」
なるほど。先代シノの紹介ならば納得だ。アグレオ様の言葉通り、あらゆる縁を結んでいるなアイツは。
「ははっ。どこまでもだね。あと、父上と兄上にサバトのことは言わないから心配いらないよ。例のごとく内緒なんだろう?心に留めておく。僕も出会うのを楽しみにしているから、ヘソを曲げられてはかなわない。父上、兄上に比べて出会う確率が高いワケだしね」
「殿下はなぜそう思われるのですか?」
「サバトには紹介で会うのが最速の手段だろう?でも、僕らは会う理由がない。興味だけでは門前払いだろうし、意味もなく呼びつけるなんて王族として言語道断。魔法も使えなければ治療を頼む必要もない。報酬も褒賞も受け取ってくれない。…となれば、縁が繋がるのを待つだけ。知人が最も多いのは騎士団だと予想しているから、必然的に僕が繋がる可能性が高いんじゃないかってね」
アグレオ様の予想は当たらずとも遠からずだろう。ナイデル様やストリアル様に比べると、出会う確率は高い。
「レイにも期待されて困っているんだ。妻と息子がサバトの大ファンだから、僕もならざるを得ない。そうだ、ボバンに言っておくよ」
「なんなりと」
「たまに猫の獣人が王城を訪ねてくるんだろう?サバトの関係者じゃないかって城内で噂になってる。対応には注意を払った方がいいかもしれない」
「御忠告痛み入ります」
俺も知っているが放置している。本人だとバレそうな気配すらなく、バレてもウォルトは気にしないことを王女様から聞いている。余計なことをすると逆に怪しまれる…とも仰られた。
呼び出されるのは俺かアイリス、又はダナン殿ということで、おかしいと疑われるのは必然。そこらの獣人が騎士団長を呼び出したとして簡単に対応するはずがなく、王女様の情報収集要員や城下町における連絡関係者だと予想されているようだ。ひょっとしてサバトに繋がっているんじゃないかと。
訪問時に門で待機していたウォルトと数人が話したようだが、どう見ても獣人であることと、珍しすぎる謙虚かつ礼儀正しい言動が王女様の関係者だと匂うらしい。狙わずとも人を惑わせる男。
守衛として最も遭遇しているトニーは、「ウォルトは…サバトに憧れてローブを着てるのかもな!」などと的外れなことを言っている。アイツが気付いたら誰もが気付いていると思っていい。
「誤解のないよう言っておくけど、僕は心からサバトに感謝している。彼の功績は、闘気回復薬の製法、ラードンの討伐、ダナン達先人の蘇生、式典における楽曲の復刻、ベルナルドの治療……知らないだけで他にもあるんだろう。紛れもなくカネルラや騎士団にとって功労者だ。統括者として一言だけでも礼を伝えたい。必要ないとしてもね。だからといって会わせろとは言わないから心配無用だよ。そんなことより運営について話し合おう」
「おかけください」
感謝の念がありながら礼の一言も言えなければ憂いは募る一方。殿下のお気持ちは察して余りある。
だが、ウォルトには関係ない。我が儘で、だからこそ勝手に貢献している。報酬を渡す前提で依頼すれば断られること必至。本当に厄介だが…言葉や手紙で感謝を伝える程度なら可能か。
上手く付き合うには、アイツの思考に合わせる必要がある。性格がわかりやすいから助かっているが、譲歩しない人物と付き合うのは少々気疲れするのは確か。
王女様のように優れた感受性を持ち、相手を尊重する人物なら苦にしないだろう。だが、存在を公にできないことを大きな負担に感じるのは、人並み外れた魔導師で我が儘が許されているから…と言い換えることもできる。
「ボバン、どうしたんだい?悩みがあるのか?」
「なんでもありません」
「じゃあ早速始めよう」
「はい」
色々考えても無駄だな。アイツはなにも望まず、ただひっそり暮らしている。毎度こっちが勝手に絡もうとしているんだ。
今後も余計なことはせず流れを見守るとしよう。そして、俺に出来るのは腕を磨いておくことだけ。




