692 カネルラ人にもこんな奴がいた件
昼間の動物の森。
場違いな格好で木漏れ日の中を歩く集団がいる。
「ヤゲ~ン。目的地まであとどれくらいだぁ?」
「歩いて半刻ほどかと」
「遠いなっ!家主に貴様が来いと言ってこい!」
「仰せとあらば」
「ははっ!真に受けるなよ!俺がまるで悪人みたいだろぉ?」
主人の冗談にも護衛集団の長ヤゲンは笑顔など浮かべない。
軽い口調と裏腹に目が笑ってないからだ。安易な返答をした護衛が、酷い制裁を受けた場面に何度も遭遇した。ナイフでいきなり口を真一文字に切り裂かれた者もいる。
今日はカネルラで5本の指に入る大規模都市ドレクスラの貴族ウラジオール家のプライム様に同行してきた。当主ではなく子息で、いわゆる跡継ぎ。年齢もまだ20代半ばと若い。
一言で表現するなら暴君。態度は尊大で、傲慢不遜でありながら高い教育の賜物か頭脳明晰。自分が優秀であると信じて疑わず、他者を見下し欲しいモノは人であれモノであれ手段を選ばず手に入れる。狡猾でもあり、表立っていないが暴行や恐喝紛いの悪行を働いている。
当主である父ザグレブ様ですら完全には手に負えない問題児だが、他に子がおらず家名を継ぐ嫡男。当主様は誰もが認める人格者だが、子息に甘い部分もあり俺達は護衛の命を受けた。
戯れに付き合わされる形で、カネルラの危険地帯である動物の森に足を運んだ。目的は地獄の魔導師サバトに邂逅すること。カネルラでは貴族、平民関係なくタブーとされている行為。
「父上の承諾を得るのにこれほど時間がかかったのは初めてだなぁ。ヤゲン、なぜだかわかるかぁ?」
「当主様は王族の指示を遵守されているのではないかと」
「そうだ。彼の者には不干渉を貫けとの指示が出ている…けどなぁ、王族の意図はどこにある?」
「サバトを下手に刺激して、国民が被害を被らないよう庇護している…のではないでしょうか」
「ははっ。カネルラ王族はサバトと繋がっていることに誰もが気付いている。なのに、国民は接触するなというのは矛盾してるだろぉ?」
プライム様の言葉通り、国民は気付いている。カネルラ王族は根拠のないことを発信しない。ドラゴン騒動の事実を公表したことで、王族はサバトと交流又は繋がりがあることが判明した。国民は素直に指示に従い、騒ぎ立てないだけ。
「サバトについて尋ねても、王族の回答は「答えられない」の一点張りだ。公表したのに隠蔽などバカげていると思わないかぁ?なぜ王族はサバトを利用しないのか理解に苦しむ」
「利用する…とは?」
「外国へのアピールだよ。魔法後進国のカネルラが、評価を上げるまたとないチャンスだろ。人間だろうがエルフだろうが、凄腕の魔導師を燻らせておくのは愚策に他ならない」
王族の判断を愚策呼ばわりとは…。不敬罪がカネルラにも存在しないからこその発言。
「プライム様は、カネルラの未来を憂いておられるのですね」
「国の発展を願うのは貴族の務めってヤツだな。ふははっ」
…真意は異なるだろう。性格は幼い頃から変わりない。ただ優越感に浸りたいだけだ。可能ならサバトを囲い込み、他の貴族にはできないことを成したと声を上げる。
他国と違い、カネルラで横柄な貴族はことさら嫌われ地位を追われる。王族が国民に寄り添う姿勢を示しているのに、領主制度から続いているだけの貴族家系が傲慢に振る舞うなどあり得なという認識。
過去の貢献が認められる形で相応の権力を与えられているのは、人格者であるという大前提があり、ザグレブ様も例に漏れない。孤児だった俺達を拾い上げ、鍛え育てて護衛として雇ってくれた大恩人。ドレクスラの顔役とも言える御仁。
そんなザグレブ様に、我が儘放題の子息は幾度も制止されているにも関わらず、嫌気が差すほどまでサバトに接触することを提言していた。根負けして許可されたと言っても過言ではない。
俺達はサバトが現れて以降、プライム様に命じられて独自の調査を重ねている。いい加減に辟易していて、最近も些細な情報を得て報告したところ、強く森に向かうことを希望された。
我が儘は今に始まったことじゃないが、果たしてどうなることやら。
「場所については、冒険者から得た情報だと言ったよなぁ?」
「『戦乙女』と呼ばれる冒険者パーティーから得た情報になります。動物の森に白猫の獣人が住んでいて助けられたと。場所の情報は正確だと思われますが、サバトである確証はありません」
「ハッ。バカが売りの獣人でも、こんな森に住む物好きなどいるか。変装か偽装に決まっている」
「しかし、獣人の番もいたという情報です」
「ブラフに決まってるだろぉ。エルフは集団で里に住むという先入観を利用した。そして、獣人に化ければ誰も魔導師と疑わない。お前達だってそうだろ?凡人には効果的で簡単な理屈だぁ。ふははっ」
筋が通るような通らないような理屈。だが自信があるんだろう。勘が鋭いのがこの御方の自慢で、傲慢ゆえに自分の判断を信じる強い意志を持つ。
「俺はサバトの居場所を特定する情報が欲しかったが、王都やフクーベで情報を集めても中々出なかった。憶測だけで森に来るほど暇じゃない。面白くもない森なんぞ、歩きたくもない。…このっ!寄るな虫ケラがっ!」
プライム様は飛んできた虫を手で振り払うが、当たることなくどこかへと消えた。
「虫ってヤツは気持ち悪くて仕方ない…!見るだけで気分が悪くなる!こんな森など焼き尽くしてしまえっ!」
過去に起こったあることが原因で虫が大の苦手。ちょっとしたことで大騒ぎする。とりあえず話を逸らすか。
「私達の任務は、護衛だけでよろしいのですか?」
「サバトの捕縛が必要か…という意味か?奴に会って決める。指示されるまで黙ってろ」
「かしこまりました」
護衛として、当然サバトと交戦する事態を想定している。この森で国外の無法者をことごとく葬っているという噂もあり、俺は単なる噂ではないと踏んでいる。
ドレクスラの衛兵や情報屋から仕入れた情報では、国外の犯罪者や傭兵が動物の森で多数消息を絶っていると聞いた。サバトに遭遇して屠られたという線もあり得る。
サバトを探していた者達が、こぞって森に入り帰ってこない。しかも、そこそこ名の知れた傭兵や犯罪者もどきが…だ。魔物に屠られていたとしても警戒すべき理由になる。
「おい」
突然背後から知らない声が聞こえた。素早くプライム様を守るように包囲する。
目の前には…白猫の面を被りローブを着た暑苦しい格好の不審者。この姿は…噂に聞くサバトの格好だが…。
「お前は……魔導師のサバトか…?」
俺の問いに男は答えない。視線を動かすことなく静かに佇んでいる。
「あ~はっはっ!わざわざ会いに来てくれるとはなぁ!やぁ、サバト。俺はプライム、貴族ってヤツだ。知ってるかぁ?お前に話があって、辺鄙な森まで会いに来てやったぞぉ!」
プライム様はサバトだと断定して話しているが、その通りだろう。この男は……全身から嫌な気配を放っている。遠い距離でもわかるほどに。
「お前、俺の元で働かないか?高額で雇ってやる。凄い魔法を操るらしいじゃないかぁ。一生遊んで暮らせるぞ?金を稼げて人間の女も抱き放題だぁ!」
「凄い魔法…?お前は直に見て言っているのか?」
ぴくっ…とプライム様のこめかみが動いた。お前呼ばわりされるのは初めての経験だろう。お気に召さなかったようだ。
「噂に聞いてるぞ。誰もが驚く魔法を操り、ドラゴンまで討伐するなんて普通の魔法使いには到底できないことだろうがぁ。ははっ」
「世間の噂を鵜呑みにするのは、魔法に無知だからだ」
……くくっ。コイツは……いきなり人を刺激するな…。尊大な態度は同じ。
「俺が無知だと…?貴族に対する口の利き方を知らないようだなぁ……エルフ風情がぁっ!」
「貴族風情に似合いの言葉遣いだろう。偉ぶりたいのなら余所でやれ」
「クソ生意気な奴だぁ。おい!ヤゲン!コイツを捕えろぉ!」
予想通りの展開だ。エルフを相手にいつもの交渉術など通用するはずもない。
「ただし殺すな。のぼせた奴には教育が必要だからなぁ。生かしてドレクスラに連れて帰る。森に隠れる臆病者をな。捕らえたと聞いて、コイツに肩入れする王族がどんな顔をするか楽しみだ」
「肩入れする…王族?」
「お前はこの国の王族と繋がってるんだろ?どんな条件を出してるか知らないが、奴らはお前のことを口外しない」
「だからなんだ?」
「俺は奴らのように甘くない。年端もいかない能なしのクソ王女が傑物と呼ばれる王族と一緒にしてくれるなよぉ。俺に見つかったお前は幸運だぜ。馬車馬のように働かせてやるから覚悟しろっ!いずれカネルラを背負うプライム様に仕えることを光栄に思えっ!」
「お前のような小物がカネルラを背負う?世も末だな」
「小物だと…?誰に向かって言ってんだ!おい!誰でもいいからさっさとやれ!傲慢な世間知らずを黙らせろ!」
仲間の1人が近寄り、腕を掴もうとしてひらりと躱された。
「大人しくしろ!痛い目を見たいのか!」
「できるならやってみろ」
「生意気な奴め…。来いって言ってるだろう!」
再び近付くと、ガクンと崩れ落ちた。
「この程度も躱せない護衛が護っているのは小物で間違いない」
一気に警戒を強める。微動だにせず魔法で眠らせたのか…?いや、麻痺か…?
「図に乗ったエルフがぁ…!なにしてる!さっさとこの阿呆を黙らせろぉ!クビにされたいか!一族を路頭に迷わせてやるぞぉ!」
コイツは本気でやる外道貴族。全員剣を抜いて身構える。
「足や腕を斬れ!コイツが大魔導師なら魔法で治すだろ!」
「了解しました」
剣を向けられてもサバトは身動きすらしない。自然体で立っているだけ。
「まずは動きを止める!……ぐあぁっ!」
1人が跳びかかると同時に、仲間達の腕や足から鮮血が飛び散った。素早くプライム様を抱え、距離をとって木陰に身を隠す。他の護衛もどうにか退避した気配。
「ヤゲン!なんだ今のはっ!?なにが起きた?!」
「わかりません。おそらく魔法で攻撃されましたが…」
奴は詠唱どころか構えることすらしていなかった。魔法だとしたら相当な技量。しかも先手を打たれたのが痛い。正確に把握できていないが、ほぼ全員がダメージを受けたはず。撤退を視野に入れるべきか。
「奴をなんとかしろぉ!いきなり力業に出るような輩はまともな精神じゃない!殺しても構わない!」
お前が言うな…と声を大にして言いたいが、下らないことを考えている余裕はない。サバトが次の攻撃を仕掛けてこないのは、様子見のスタンスなのか?
ひとまず牽制しておく。
「サバト!聞いてるかっ!?」
問いかけに返事はないが続ける。
「お前は敵に回してはいけない御仁を攻撃した!貴族に牙を向くのは重罪!反抗をやめてプライム様に謝罪するなら今しかないぞ!この数の兵士を相手に勝てると思うか!敵対するつもりなら容赦しない!」
カネルラに貴族を特別視する法はないが、サバトは街に行くようなエルフだ。貴族を知っているかもしれない。さぁ、どう出る?
「ククッ…」
嘲笑うような声が微かに聞き取れた。
「…ぐあぁっ!」
突然土の槍が俺の足を突き破った。脛の骨を軽々貫通して激痛が走る。
「ぎゃあっ…!」
「ぐぁぁっ…!」
同時に四方から叫び声が上がる。同じく魔法で攻撃されているのか…!サバトの姿は見えないが顔を出すのは危険。おそらく魔法で居場所を感知されている。胴体に食らえば一撃で致命傷を負う威力。
「ヤ、ヤゲン!どうにかしろっ!貴様は護衛だろうがっ!命懸けで俺を護れっ!」
「お静かにっ…!正確に位置を掴まれて攻撃されてしまいますっ…!」
「くっ…!」
今さら黙ることに意味などないがっ…騒がれると気が散るっ…。傷薬で回復して次の手を打つしか…。
「ごぶぁっ!」
いきなりプライム様の首が捩れて吹き飛んだ。いつの間にか接近してきて、足裏で顔面を蹴り飛ばしたサバトがゆっくり俺に向き直る。一瞬で距離を詰めてきたのか…。
「…お前が護衛のリーダーだな?」
「そうだ…」
「目的はなんだ?」
どういう意味だ…?
「答えないのならいい」
手を翳された瞬間、雷に打たれたように身体が痺れる。死を予感した。
「待てっ!…お前に会いに来た理由はプライム様の言った通りだ。他意はない」
「コイツがなにを言っているのか理解できない。働かせるとはどういう意味だ?説明しろ」
サバトは俺に手を翳して治癒魔法で傷を治療した。凄まじい治癒力で瞬く間に回復する。
「お前……どういうつもりだ…?」
「訊かれたことにだけ答えろ」
「…わかった」
受けたことのない重圧を放っている。相当な手練れだ…。ドラゴンすら倒すのだから当然か…。
「ヤゲンから離れろっ!この傲慢エルフがっ!」
仲間の1人が背後からサバトに斬りかかると、弾かれるように吹き飛んだ。木に激突して倒れ込む。
「やめろっ!」
「静かに話を聞くつもりだったが…お前達は違うようだな…」
「答えるっ!答えるからやめろっ!お前達もサバトを攻撃するのはやめるんだっ!」
仲間の動きが止まる。俺にはさっきサバトがどんな魔法を操ったのかすらわからない。剣を振るより早く魔法が届いた。
下手な返答は間違いなく刺激する。エルフは誇り高い種族だけに、持ち上げておくべきか。
「プライム様は、お前を表舞台に立たせカネルラ魔法の発展を願っている。稀有な魔導師は、存分に力を披露し評価されて然るべきだとお考えだ。都合よく利用するだけの王族と違い、魔法による活躍に期待していて、相応の報酬も準備するということ」
「…下らない」
「なに…?」
「勝手なことをほざき、この期に及んで嘘を重ねる神経は理解に苦しむ」
サバトは目に見える膨大な魔力を纏う。
「待てっ…!なにをする気だっ…?!」
なにをやろうとしてるかわからないが、とにかく危険だっ!簡単に見破られる嘘は悪手だったか…!
「虚仮にしてくれたな」
「くっ…!俺達になにかあれば、ドレクスラから続々と人が送り込まれるぞっ!」
「むしろこっちから行ってやる」
「なっ…!お前は…俺達の存在を知っていたのか…?」
サバトは倒れたままのプライム様に視線を移した。
「……プライム=ウラジオール。ドレクスラではさぞ悪名高いだろう。家を滅ぼした方が国のタメになる」
「ヤゲン!コイツは当主様にも危害を加えるつもりだ!ココで倒しておかねば!うぉらぁっ!」
「よせっ!やめろっ!」
「一気に決めろっ!おらぁっ!」
「全員で囲めっ!逃がすなっ!」
「やめろと言ってるだろう!聞こえないのかっ!」
サバトは俺達の手に負えるような魔導師じゃない。なぜわからないんだ!
跳びかかった仲間達は次々倒れ込む。焦らせることすらできない。全員息があるということは、状態異常の魔法か…。
「なぜ殺さない…?」
簡単に人を屠る力がありながら、生かしている意味をわかりかねる。噂のサバトなら、俺達は既に死んでいてもおかしくない。
「カネルラ人を信じ、民草に感謝する親友がいる。今日は一度だけ堪えると決めた」
「親友…?ナイデル国王か…?」
サバトは答えない。
「のぼせた奴には教育が必要という理屈には同意だ。本当なら教えたくないが仕方ない」
「教える…だと?」
「止めるなら今の内だ」
「くっ…」
意趣返しのつもりか…。迂闊に手を出せば仲間と同じ末路を辿る。森に捨て置かれるだけだとしても危険。
「お前の主人は虫を嫌っているようだが、自分もそう思われていることを知らない」
「なんだと…?」
『虫集光』
サバトがプライム様に手翳すと、身体が微かに光を放って直ぐに落ち着いた。
「………ぶあっ!な、なんだっ!虫がっ…!」
プライム様の身体に虫が集まって目を覚ました。足から登り、頭上から降り注いであっという間に身体を覆い尽くしていく。
「寄るなぁ!離れろっ!あっちへいけ!この虫ケラがぁっ!ヤゲン!助けろっ…!助けてくれっ…!ごぼっ…!ぐぼぁっ…!」
「助けます!落ち着いて下さい!」
いくら振り払っても圧倒的な数に押されて勢いは止まらない、口や鼻、耳から虫が侵入していく。羽虫、芋虫、ムカデ、ウジ、蜘蛛。ありとあらゆる虫が群がる異様な光景。
しばらくすると、暴れていたプライム様が動かなくなった。虫は終わりない吐瀉物のように体内から這い出て森へ散らばる。
「なんてことを…。貴族を敵に回すぞ…」
「虫の魅力を知らないのに森に来るなと言っておけ」
俺の言葉は完全に無視。直情的なこの男と対話できる気がしない。今すぐ逃走してこの場を離れるのが正しい選択だろうが、護衛のみ逃げ帰るなど恥ずべき行動。
…腹は決まった。任務を完遂できなかったことには悔いが残る。仲間達が倒れていくのを、なにもせず立ち尽くしていた自分が情けない。残された俺にできることは…コレだけ。
「…仲間だけでも逃がしてみせる!倒させてもらうぞっ!」
「やってみろ」
剣を握りしめ斬りかかった瞬間、俺の視界は大きく回転し、最後に見たのは地面から見上げたサバトの姿だった。
★
後日のカネルラ王城。謁見の間には、国王ナイデルとザグレブの姿。
拝謁を申し込まれ応える形。
「陛下。この度は、愚息の捜索に御尽力頂き、恐悦至極に存じます」
「行方が知れたことは僥倖だ」
子息のプライムが護衛と共に動物の森に向かい行方不明になったという情報を受け、暗部を通じてフクーベ近郊で調査を行った結果、森の入口付近にて全員発見された。
プライムは無事であったが、数日の記憶を失い精神が不安定だという。毎夜奇声を上げて目を覚まし、昼間も常になにかに怯えて支離滅裂な言葉を口走り荒れ狂っている。医者には「なにかしらの極限状態に置かれたことが原因で、精神を病んでしまったのではないか」と診断されたという。現在は屋敷にて幽閉状態であると述べた。
共に発見された護衛達については、衣服に乱れがあったものの無傷であった。やはり記憶を失っていたが、現在では滞りなく職務に戻っているようだ。
「多大な御迷惑をおかけ致しましたこと、深くお詫び申し上げます」
「気にするな。其方の胸中、察してあまりある」
「陛下の命に従わず、慢心に囚われていた愚息が帰還した喜びを今しばらく噛みしめたく存じます」
「今後は御することを期待している」
「お恥ずかしい限りです。恐れながら、陛下にお尋ねしたいことが」
「なんだ?」
「私が……サバトとの邂逅を願うことは可能でしょうか…?」
サバトならば詳しい事情を知ると考えるのは当然。護衛についても幼き頃より面倒をみてきたザグレブからすれば、気になるところだろうが…。
「橋渡しは不可能だ」
「彼の者と王族の間では、なにかしらの約定が取り交わされているのですか…?」
「約定など存在しない。サバトは、大魔導師ライアンの言葉通り、誠意があり信頼できる者としか交流しないのだ。俺の召喚は断固拒否した」
「なんとっ…!左様でございますか…」
「一度も邂逅していない国王との間に信頼関係など皆無。俺が信じるのは、サバトと交流し、俺自身が信頼する者達の言葉」
「…感服致しました」
「ザグレブ。其方に物申す。人の心はままならぬが、判断を誤るな」
「有り難きお言葉…。しかと心に刻みます」
ザグレブは重い足取りで謁見の間を後にし、ナイデルは少々思案する。
リスティアを通じて確証を得ることは可能だろう。稀代の魔導師は、実際にプライム一行と邂逅したのか、はたまた無関係か。仮に精神を病んだ元凶がサバトだとしたら、一体なにをしたのか。疑問は残るが、尋ねる必要はない。ザグレブは俺の心中を察したであろう。
愚息の言動は俺の耳に届いた。現在は実態を把握するタメに監視の継続を指示している。度を超えた悪行に即時対応する意図もある。
民を虐げる貴族に王族は容赦しない。過去には傲慢な所業を咎め取り潰した家系も数知れず。そして、現代カネルラでは余程の貢献が認められない限り新たな貴族は誕生しない。つまり没落が決定する。貴族がいなくともカネルラに影響はない。
ザグレブは地位を剥奪する動きを警戒していたはず。猶予はないと釘を刺したが選択は自由。由緒あるウラジオール家の存続を選ぶか、それとも違う道を選ぶか。当主の判断次第。
俺は万事に備えるだけ。そして、必要とあれば決断するのみ。優秀で多くの民に慕われる男が判断を誤らぬことを願う。




