688 また来た花街
ある日のこと。事前の連絡なしにキャロルとサマラが森の住み家を訪ねてきた。
「ウォルト、ただいま!」
「おかえり」
サマラと挨拶のハグをする。姉さんの前では恥ずかしいけど嫌ではない。
「恋仲でもないのによくやるねぇ」
「私達は好き同士だからね!」
「そうだね」
「はっ。そうかい。今日は頼みたいことがあって来たんだよ」
「ゆっくり聞くよ。中に入って」
ご飯はまだ、ということでオヤツをつまんでもらいながら料理を作る。
「ごちそうさま!美味しかった!」
「ごちそうさん。相変わらず美味かったよ」
「ありがとう。ところでボクに頼みたいことって?」
「アンタは素人だってわかってるけど、医者の真似事を頼みたい」
「医者の?どういうこと?」
「フクーベの花街で病が流行って、ほとんど店仕舞い状態なのさ。で、ちょっと困ったことになってる」
「重病人ばかりだから?」
「いや。街で男共が勝手し始めたんだよ。おちおち夜出歩けもしない」
「絡んでくる奴が増えたんだよね!無理やり路地裏に連れ込もうってバカも増えててさ!」
「なるほど。花街で遊べない分、関係ない女性に絡むのか」
特に獣人がやりそうなこと。
「医者が診てるんだろう?ボクの出番じゃない気がするけど」
「忘れたのかい?花街のかかりつけの医者をアンタらがぶちのめしたんだろ?ソイツはもう診てくれないらしい。まぁ、当てにもしてないらしいけどね」
そうだった。怒り心頭のクーガーさんを追って、ボクもポポを蹴り飛ばしたんだ。リタさんは花街はいろんな病気が持ち込まれるから医者に疎まれると言ってた。診てもらえなくて苦労しているのなら、ボクにも責任はある。
「ボクはなにをすればいいんだ?」
「アンタが診て薬を作ってくれないか?」
「リタから私達が代わりに頼まれたんだよね!」
「わかった」
「話が早いねぇ」
「姉さんとサマラの頼みだから。ボクにできることはやらせてもらう。期待に添えるかはわからないけど」
「ありがとさん。早速行こうか」
「準備するよ」
携帯用の薬調合セットとありったけの備蓄素材を手に出発する。ハルケ先生に渡す用とは別に、孤児院のラン病蔓延の後に作っておいてよかった。
花街に辿り着くと確かに活気がない。幾つかの店はやってるんだろうけど、歩く人の気配もなければ気分を高めるというお香の匂いも薄い。
先ずはリタさんに会いに行ってみることに。看病兼ねて店で寝泊まりしているらしい。ドーランと一悶着あった店に向かう。
「リタ、いるかい」
店の入口で姉さんが声をかけるとリタさんが出てきた。
「キャロル、サマラ、来てくれたのか。…と、そっちは誰だ?」
「お久しぶりです、リタさん。ウォルトです」
ボクはテムズさんに変装している。場合によっては魔法を使う必要があるかもしれないし、薬を処方するなら人間の方が信用されるだろう。
「変装か…。凄いな…。まったくわからなかった。とにかく来てくれてありがとう」
「患者の皆さんはどちらに?」
「こっちだよ」
案内された場所では数人の夜鷹らしき女性がベッドに横たわってる。額に氷嚢を載せてるってことは熱があるな。不規則な呼吸音と部屋に漂う息の匂い。発汗具合や顔色からしてあの病だと推測できる。
「姉さんとサマラ、リタさんも口に巻いて下さい」
生活魔法『清潔』を付与した布を渡す。
「獣人の皆さんは、おそらくズーノシスに感染しています。できれば部屋の外で待機して下さい。3人とも獣人なので高確率で伝染します」
「それはできない。手伝うよ」
「リタさんは特にです。おそらく既に感染してます。軽い症状が出ていますよね?無理はいけません」
「…っ」
「人間の皆さんはズーノシスではないはずです。今から診断します」
3人には部屋の外で待機してもらって、横になっている人間の女性から症状について話を訊く。変装してきたから、ボクは医者という設定になったらしい。してこなければどう説明したんだろう?
「…リタの知り合いの医者ね?若いけど、新人…?」
「はい。質問に答えていただけますか?」
皆の症状を聞くと、どうやら同一の病で間違いない。特徴としては高熱とめまいと嘔吐。動悸と関節の痛みがあって、両膝の裏と足首が腫れ上がり、立てないくらい痛む。
高確率でエバイル病だ。南蛮地方で流行する病でカネルラでは珍しい。客から持ち込まれた可能性が有力。部屋を出て3人に話しかける。
「病は特定できた。でも、薬を作るには持ってきた素材じゃ足りない。今から採りに行くか買ってくるよ」
「時間が惜しいから買ってきてほしい。金は渡すから自由に使ってくれ」
「わかりました」
リタさんからお金を渡される。
「ウォルト、すまないな。毎回お願いばかりで」
「ボクのせいでもあるので、気にしないで下さい」
「ポポとはどっちみち長く付き合えなかった。アンタやクーガーのせいじゃないよ。客から医者の情報を集めてるけど、なかなか請け負ってくれる者がいなくてさ」
「そう言えば、クーガーさんは?」
「別の部屋で寝込んでる。強情だから自力で治すって意地張ってんだ」
「薬ができたら飲ませてあげて下さい」
「ありがとう。アイツはいつも絡んでばかりなのに優しいな」
「恨みはないので」
サマラと姉さんは出歩かない方がいいと思うから、1人で素材を買いに行こう。店は開いてるかな。
「ごめんください」
「…珍しいねぇ。どうしたんだい?」
やってきたのはバロウズさんの薬屋。素材を分けてもらえないか相談に来た。ランパード商会でもよかったけど、良質な薬の素材は薬屋にある。変装を一旦解いて話しかけた。
「お久しぶりです、バロウズさん。薬の素材を分けてもらいたくて相談に来ました」
「なにがいるんだい?」
「ブリッジ草とカロッツェ、クループラ茸と…」
調合に必要な素材を伝える。
「全部ある。必要なだけ持っていきな」
「ありがとうございます。代金はお支払いしますし、今度採取して持ってきます」
「金だけでいい。毎度礼をしすぎなんだよアンタは。前もいらないってのに持ってきたろ」
「今回は急なお願いなので」
「いいから持っていきな。その代わり、耳の魔道具に魔力を込めとくれ。アンタのおかげでよく聞こえて助かってる」
「お安い御用です」
ボクが作った補聴器を預かって魔力を込める。
「大したもんだよ。アンタにやってもらうと音が澄んで聞こえる。他じゃこうはいかない」
「ボクなりに丁寧に付与してます。バロウズさんにお伝えしたいことが」
「なんだい?」
花街で病が流行していて、街に感染者が増える可能性を伝える。客から伝染が予想されるからだ。薬師は忙しくなるかもしれない。
「なるほど。準備しとく必要があるかもしれないねぇ。思ったより病人が多くなりそうだ」
「夜鷹が元凶ではありませんが」
「わかってるってんだよ。好きで病気を移される奴がいるか。あの子らは仕事してるだけだ。治すタメにアタシらがいる」
バロウズさんにはまたお礼することに決めて花街に戻る。リタさんから一室借りて調合を開始…と思ったけど、今回は病に罹患してない子供達がお腹を空かせてるとのことで、さっと料理を作る。好評みたいで満足だ。
「おいしゃさんなのに、りょうりじょうず!」
「あねさんたちをなおして!」
「おねがい!」
「全力を尽くすよ」
子供達の声援を受けながらだと、薬の調合もやる気が出るなぁ。ズーノシスの薬は二度目だからスムーズにできて、エバイル病の薬は記憶にある調合表に沿って仕上げる。あとは、説明して服薬してもらうだけ。
「ウォルト。アンタは孤児院の件で1回衛兵に捕まったんだよね?頼んだ手前言いにくいけど…またなりかねないよ」
「リタさんの言う通りですが、今回も自分の意志で作ってます。捕まっても後悔も恨みもしません。孤児院のときもそうでした」
「そうか…」
「頼んだら後は黙ってウォルトに任せときな。こうと決めたらやる男だ。無茶なことはしないさ」
「そうそう!リタと仲間が信じるか信じないかだけだよ!」
「花街じゃ法なんて意味ない。世間とは違うルールで生きてる。ウォルトを信じるよ」
できた薬は手分けして飲ませてもらうことにした。サマラはなぜかボクと一緒に行動してくれる。
「サマラ。なんで付いてくるんだ?」
「ん~?予防?」
意味がわからないけど、人手が欲しいから助かる。病人部屋に向かうと、顔見知りのラクンさんやタイニーさんも苦しそうだ。ズーノシスという病気は獣人にとって本当に厄介だと感じる。おそらくクーガーさんも罹患しているはず。
薬の処方と同時に、回復を願いながら魔法も付与した。『聖女の慈悲』の模倣魔法を。ボクの魔法ではどう修練してもステファニアさんのような即効性と回復力は得られなかった。やはり紛い物の力だからかな。
ただし、体力の回復幅が非常に大きいのと、ゆっくり浸透させるように治癒魔法を効かせることができて用途はある。薬との併用では特に相乗効果が望めるはず。
手伝ってくれたキャロル姉さん、リタさん、サマラにもズーノシス予防で薬を飲んでもらって、待つこと30分ほど。
「いやぁ~!一気に楽になったぁ~!」
「すっごくいい薬だ~!効きまくり~!」
獣人の皆は続々動き出す。やっぱりボクの予想より回復が早い。獣人は体力があるなぁ。人間の皆は顔色がよくなって回復してるのが見てとれるけど、まだ起きる気配はない。
ボクに夜鷹の1人が近付いてきた。おそらく牛の獣人。
「お医者さん、ありがと。めっちゃ楽になったよ。お礼に今度たっぷりサービスするからさ……ひっ…!」
ボクの後ろを見て顔が一瞬で青ざめた。振り返ると、なぜかサマラが青筋を立ててる。
「治ってよかったね!まだ寝てたほうがいいんじゃない?無理やり寝ることになるかもよ~?」
「そ、そうしようかなっ…!」
そそくさと離れていく。
「テムズ…。巨乳揃いだからって胸ばかり見ないでよね…」
「み、見てないよっ!誤解されるだろ!」
サマラはジト目でなんてことを言うんだ…。ボクは『頑固』を詠唱して、下心は一切なく診てる。夜鷹の皆は薄着で刺激的な格好してるから。
「私は4姉妹の長女として見張りに来てるからね」
「意味がわからない」
「テムズ、獣人達はもう大丈夫そうだ。人間の皆はどうだ?」
「まず関節の痛みが和らいで、その後ゆっくり回復していくはずです。今日で全快とはいかないかと」
「そうか。充分だよ…。…悪いんだけど」
「他の店の方の治療に向かいますか?」
「頼んでいいのか?」
「薬は余分に作りました。足りなければ追加します」
リタさんは花街全体のことを考えて行動してる。姉さんとサマラから聞いていた。乗りかかった船だし、仲間を救いたいという心意気を感じて薬を作った。
「…おい。薬をくれた医者ってのはお前か?」
クーガーさんが起きてきた。
「悪ぃな……って、猫野郎じゃねぇか…」
「よくわかりましたね」
声も変えて、魔法で体臭を消してるのによく気づいたな。
「舐めんなよ。最初に会ったときそのツラだったろうが。また魔道具か」
そうだった。出会ったときも変装してたっけ。
「…………ありがとよ」
「どういたしまして」
クーガーさんに感謝されると、もの凄くむず痒いな。とりあえず、リタさんが全ての店に声をかけてボクが診断しながら薬を処方する。どうやら他の病は流行してないようなので、回復したら花街は数日で再開できるかもしれない。
「サマラ。あまり病人を威嚇しちゃダメだよ」
やっぱりサマラが同行して、数人の夜鷹を威嚇してる。
「わかってないね。獣人は恩返ししたがるでしょ。夜鷹の恩返しってなにかわかる?」
「店でサービスすることかな」
「わかってる!?」
「リタさんにいつも言われるからね」
「要するに、私はウォルトが好きだから阻止したいの。わかった?」
「そういうことか。もしかして、テムズさんの容姿ってモテるのか?」
「そういう問題じゃないの!あのクーガーでもお礼言ったでしょ!人間は知らないけど、獣人はそういうもんなんだよ!」
「お礼したいって気持ちは嬉しい。でも、ボクはよく知らない人にサービスしてもらいたくない。相手がサマラ達だったらもの凄く迷うかも」
「ふふっ。だろうねぇ~!」
その後は上機嫌になったサマラにも手伝ってもらって炊き出しをすることにした。ほぼ全員がまともに食事もできなかったようで、人通りのない花街通りのど真ん中で栄養満点の鍋を振る舞う。味のベースはキーナグ。
「うんまぁ~!」
「すっごく美味しい~!お医者さん、料理も抜群~!」
「食べ終えたら、まだ寝てる皆さんの分を運んでもらっていいですか?」
「任せて!」
まだ回復してない患者には鍋とカーユを合わせた消化にいい栄養食を作った。
「お医者さん、なんて名前なの?」
「テムズです」
「テムズはなんでもできるね!すごい!」
「そんなことないですよ」
夜鷹の皆は会話する距離が近い。魔法で精神耐性を上げておいてよかった。クーガーさんは会話が聞こえる位置にいるのに黙ってくれてる。いつもなら「嘘吐くんじゃねぇ!猫野郎!」とか言われそう。
料理を追加しているとリタさんが歩いて来た。
「テムズ。まだ寝てる娘も足の痛みがとれてきたって。かなり楽になったみたいだ」
「よかったです。やはりエバイル病だと思うので、次に必要になる薬を今から作りますね」
「世話になってすまない」
「こちらこそ」
「なんで?」
「素人の薬の効果を実際に確認できました。自信はありますが、実証に協力してもらっている形なので」
「利害が一致したってことかな」
「騙してるようで申し訳ないんですが。猫人の姿なら信用されないかもしれません」
「些細なことだよ。私でよければいつでも協力する。お礼はいらないんだろう?」
「はい」
技量を確認できることは、どんなお礼より価値がある。言い方は悪いけど人体実験のようなモノ。ダメだった場合を想定して処方してるけど、素人には変わりない。
「世の中には、資格があっても腕の悪い奴がいて、もちろん逆もいる。裸で仕事する花街の娘達は、虚勢がなんの意味を持たないことを知ってるんだ。自分の信じられる奴に任せたい。私にとってはテムズだよ」
「でも、正しく学んだ知識は大切です。薬で治らなければ医者に頼るつもりでした」
「そうだとしても、テムズの知識に救われた。感謝してる」
「ちゃんとした医師を探した方がいいですけど」
「そうだな、本気出すか!ところで、お礼だとか細かいことは抜きにして店で遊んでいかないか?私はもう完璧に治って…」
「…リタ~!こらぁ!」
「ヤバっ…!見つかった!」
サマラに追いかけ回されるリタさん。元気そうでなにより。
「おい」
話しかけてきたのはクーガーさん。
「なんですか?」
「…お前、なんで変装してんだよ…?」
「獣人より人間の姿の方が薬を信用してもらえると思ったので」
「…別に堂々としてりゃいいだろ」
「いつもバカにしてくるのに、気持ち悪いですね。まだ熱が残ってますか?」
「うるせぇなっ!さっさと帰りやがれっ!このドスケベ野郎がっ!」
ドスドスと足音をたてながら去っていく。なんなんだ一体…。キャロル姉さんも声をかけてくる。
「お疲れさん。今回も世話になっちまったねぇ」
「どうにか上手くいっただけだし、姉さんとサマラが街を歩きやすくなればと思っただけだよ」
「そうかい。ありがとさん」
「本当の医者じゃないから騙して心苦しいけど、少しは役に立てたかな」
「当然だろ。どう見ても元気になってる」
「皆が服用してくれたよ。偽りの姿であっても力になれることはあるかもしれないから、遠慮なく言ってほしい」
姉さんやサマラに頼まれたら可能な限りこなしたい。ボクが無条件に手伝いたいと思える人達の頼みは。
「アンタも遠慮するんじゃないよ。アタイらにはなんでも言いな」
「ありがとう。言わせてもらうよ」
ズーノシスはもう大丈夫。エバイル病の薬を調合したら、一旦彼処に行ってみようか。




