686 先代の繋がり
シエッタさんから預かっている魔法理論の資料を読み返しながら、1つずつ丁寧に実践していると誰か訪ねてきた。知人はノックの仕方でわかる。
「ウォルト殿。お久しぶりです」
「お久しぶりです、カケヤさん」
暗部の先代シノことカケヤさん。今は現役を引退されて、恐れ多いけどボクに『気』の扱いを教えてくれる師匠だ。
「同行者はどなたですか?」
なぜか離れた場所、森の中にもう1人潜んでる。ノックの直後に一瞬展開した結界で気付いた。
「急な同行でウォルト殿には申し訳ないのですが、どうしても貴方に会いたいという男がおります。私の古い知人であり信用に足る人物なのですが、突然の我が儘ゆえ待機させています」
「その方はサバトに会いたいということでしょうか?」
「まさに」
「カケヤさんの紹介であればお会いします」
「感謝致します。直ぐに連れて参りますので」
カケヤさんの推薦人が情報を漏らすとは考えられない。直ぐに姿を現したのは老齢の男性。白い髪に顎髭を蓄え、所作が美しく涼やかな匂いを漂わせる人物。
「君がウォルトか」
「初めまして」
「俺はベルナルド。カケヤとは旧知の仲だ。君に会いたくて無理を言った。対応してくれて感謝する」
「歓迎します。中へどうぞ」
2人に抹茶と花茶を淹れて差し出す。
「結構なお点前で。また腕を上げておられますね」
「コレは美味いな…」
「ありがとうございます」
一息ついてもらえたかな。
「先代のカネルラ騎士団長にお会いできると思いませんでした」
「俺の素性に気付いていたのか」
「騎士団の皆さんと同じく香る涼やかな匂いと美しい所作。そして、微かに纏う洗練された闘気。騎士団長でなくともかなりの腕前とお見受けします。カケヤさんの知人ということで団長であると推測しました」
「君は…聡明だな」
「シノさんとボバンさんの関係は知っています。騎士団長と暗部の長は交流があるのだろうと」
「ははっ。なるほど」
「ベルナルドさんはなぜボクに会いたいと?」
「うむ」
椅子にかけていたベルナルドさんは立ち上がり頭を下げた。
「偉大な先人達を蘇らせ、カネルラ騎士団に闘気の回復薬を授けた君に心から感謝の意を伝えたかった。騎士団は更に精強な部隊へと変貌を遂げる。ありがとう」
「お気になさらず。回復薬を完成させたのもボクではなく知人です」
すっと顔を上げた。
「一線から退き平穏な生活を送っていたが、君がサバトとして現れてから刺激を受けている」
「お騒がせしてしまってすみません」
「ははっ。久方ぶりにカケヤに会って話したら、サバトと知り合いだと言う。ならばと駄目元でお願いしてみたのだ」
「ベルナルドはウォルト殿のファンのようで。私も意外だと感じております」
「非常に光栄ですが、変な格好で悪目立ちしただけです」
「その辺りはカケヤから聞いている。話は変わるが、今日会えたら君と剣で手合わせしてみたいと思っていた」
「剣でですか?ボクは素人ですけど」
現役ではないといっても、騎士団長と手合わせなんて恐れ多い。操る剣術は気になるけど。
「ウォルト殿。今の此奴は騎士団長ではありません。単に剣を交えてみたいのでしょう。実力はよく知っていますが、貴方が学ぶことは多いと思われます」
「ボクもそう思うんですが、さすがに素人が相手では失礼じゃないですか?」
「やる気はあるという認識でいいのか?」
「お願いしたい気持ちはあります」
「ならばやるのみ!木剣を頼む!」
ベルナルドさんは意気揚々と外に出た。
「彼奴は愚直に生きてきた男なのです。互いに若い頃を知っていますが、今代のボバンとは違い体躯や剣の才に恵まれず、弛まぬ研鑽で騎士団長まで上り詰めたのです」
「努力された方なのですね」
「ウォルト殿の剣は未だ発展途上。奴の剣を見てなにか感じて頂ければ幸いです」
「ありがとうございます」
こんな機会はまたとない。やると決めたからには学ばせてもらおう。
更地に向かうと既にベルナルドさんは集中していた。身体から洗練された闘気が揺蕩っている。
「木剣をどうぞ」
「すまない。大事に扱う」
距離をとって対峙すると、まだ構えてもいないのにスザクさんやボバンさんとは違った威圧感がある。
研ぎ澄まされた刃物を喉元に突きつけられているかのような緊張感。過去に出会った剣士の誰とも似てない。
「手合わせは久しぶりだ」
「胸をお借りします」
「君は見たこともない魔法を操ると聞く。なのに剣で手合わせしたいという我が儘に応えてくれて感謝だ」
「剣技を拝見します」
「剣も修練を積んでいるんだな。佇まいが魔導師には見えない」
「それは魔導師じゃないからですね」
「ふははっ。カケヤに聞いた通りだ。……では、いざ尋常に……」
ベルナルドさんが剣を構えると、空気が張り詰める。
「フゥッ!」
一足で間合いに跳び込んできた。横に躱すと既に剣が振り下ろされている。すかさず大きく跳んで距離をとった。
「素晴らしい反応だ」
「ありがとうございます」
繰り出してくる瞬間以外なにもわからなかった。剣先は動かず、姿勢も変わらずに突然の斬撃。間合いを切るのが精一杯。
「続けて…いく」
再び接近してくる。速い。
「ぐっ…!」
激しい打ち込みを捌くも一気に押し込まれる。纏う闘気の効果か一撃が重く力強い。
「ハァッ!」
「…フゥッ!」
ボクも洗練された闘気を纏って対抗し剣を受け止める。
「見事な闘気を纏っている。現役の騎士にも数名しかいまい」
「アイリスさんとボバンさんに見せて頂いて、模倣した闘気です」
「模倣であっても遜色ない。素晴らしい」
ギリギリ…と全身で押し込んでくる。凄い力だ。とても高齢とは思えない。
「くっ…!」
後ろに下がりながら牽制のタメに頭部を狙った一撃を繰り出すと、上手く躱されてしまった。
「フゥゥ…」
体勢充分でベルナルドさんの闘気が高まる。この気配は…アレがくる…!
「闘気術『薙』」
「グゥゥッ…!ハァッ!」
闘気を木剣に纏わせて、どうにか技能を相殺した。かなり危なかった。
「読まれていたか」
「以前の手合わせで目にしていたので」
「ボバンだな。先代を困らせるとは」
食らっていたら胴体を切断されていたんじゃないか…?木剣なのに尋常じゃない緊張感。
「久しぶりに高揚する。まだまだいくぞ!」
「くっ…!」
繰り出される連撃を捌くのが精一杯。手数の多さではなく、確実で隙のない剣術に対応できず防戦一方。間合いを切っても直ぐに詰めてきて休む暇がない。それでもどうにか距離をとった。
「幾つかは確実に捉えた自信があったが、全て躱しきるとは」
「防御がボクの剣術にとって生命線なので」
剣を交えて幾つか気付いた。ベルナルドさんの剣技はとにかく無駄がない。癖が見当たらず、まったく同じ構えから斬ったり薙いでくる。
さらに全ての斬撃に闘気が乗っている。攻撃のタメではなく、木剣の強化を目的としているという予想。大事に扱うというのはこういう意味か。手合わせとしては折れたほうが安全だ。
「君は闘気の扱いに長けているな。俺に技能を見せてくれないか?」
「では…お言葉に甘えます」
まさに今から試してみようと思っていた。この人がどう対応するのか学ばせてもらいたい。剣を腰に構え、抜刀しながら技能を放つ。
『騎神乱舞』
闘気の刃がベルナルドさんへと向かう。アイリスさんの技能を模倣して改良した闘気術。
「よく知る技能だ。懐かしい。フンッ!」
ベルナルドさんは剣技で闘気の刃を次々と切り裂く。流石の腕前。ただ、この後どう対処するのか。
「…なんだとっ?!」
切り裂かれて分かれた闘気の刃は、増殖するように新たな刃へと変貌を遂げてベルナルドさんに襲いかかる。単純に倍に増えた。
「そうきたかっ…!」
凄まじい速さで刃を打ち消していく。相殺する闘気を纏った斬撃は見事。
「改良されていたとは驚きだ」
「初めて人に見せます。次の技能もです」
「面白い。是非見たい」
剣を構え、闘気の帯を蛇のように刀身に纏わせる。
「見たこともない闘気術だ」
「ボクなりに考案してみました」
闘気の帯には魔法陣のような紋様。この闘気術は、魔力に似た性質を持つ闘気と魔法の術式を組み合わせた。洗練された闘気を剣に纏わせて、間合いを一気に詰めて振り下ろす。
『塵化』
斬撃と同時に闘気が炸裂した。魔法で例えると『爆発』に似た効果で対象を塵と化す…はずだったけど、当然ベルナルドさんは大きく身を躱していた。軽やかな身のこなし。
「なんという威力。受ければタダでは済まない」
「大袈裟です。今ので2割程度ですから」
「なに…?」
「更地を変形させたくないんです。元に戻すのが大変なので」
「ははっ。技能を操るなら、周囲への影響を考える余裕があって然るべきだ……ゴホッ!!ゴホッ!」
ベルナルドさんが口を押さえて膝を付く。慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫…だ…。歳は…とりたくない…。この程度動いただけで……ゴホッ…!」
口に添えた手から血が溢れている。明らかにおかしい。
「さぁ……続きをやろう…。楽しくて仕方な……うっ!」
いつの間にか傍にいたカケヤさんの手刀がベルナルドさんの首の後ろをトンと叩いた。気を失って倒れ込む。
「続行できるか。貴様はココまでだ」
ベルナルドさんを住み家のベッドに運んで横になってもらう。顔色が悪く頬がやつれて息苦しそうだ。
「ウォルト殿。此奴は肺の病に侵されているのです。もう引き返せないほどに」
「そんな身体で…訪ねて来たんですか」
会話中も手合わせでも呼吸に乱れはなかった。精神力で抑えこんでいたのなら凄すぎる。
「高名な医者の診察を受けても答えは変わらず。薬師のみならず私も東洋の薬を処方しました。ですが、一向に快方へと向かう様子すらありません」
カケヤさんは目を細める。
「此奴は若き頃より剣一筋。伴侶も持たず、カネルラ騎士であることだけが誇り。国民を守護するという使命を頑なに守った不器用な男です。凡人でありながら高みを目指し、ひたすら修練に明け暮れる日々を生きた」
初めて嗅ぐカケヤさんの匂いが鼻に届く。この匂いは…おそらく悲しみ…。
「長くないと本人から聞いたのは1ヶ月ほど前になります。此奴と私は腐れ縁。「最期に望みはないか」と尋ねたところ、「サバトに会ってみたい」と。私を困らせるつもりだったのだと思います。しかし、貴方を知っていた」
「それで連れて来られたんですね」
「事前にお伝えしなかったこと、心からお詫び申し上げます。また、此奴が邂逅を望んだのは冗談ではなく紛れもない真意です」
「お詫びは必要ありません。多くを学ばせて頂きました」
鍛え上げられた見事な剣術から学んだことを今後に活かしたい。魔法にも通ずることがある。カケヤさんの表情が緩んだ。
「ウォルト殿に義理がないことは重々承知しております。ですが…此奴の治療を願えませぬか」
「ボクがですか?」
「貴方の魔法と薬による治療を…何卒。既に手は尽くし、失敗したとて露ほども責はありません。一縷の望みであっても賭けてみたいのです」
真剣な表情で頭を下げられる。真っ直ぐに。
「ボクは一向に構いませんが、ベルナルドさんは納得してくれるでしょうか?」
「私がさせます」
「一応本人に確認だけ…」
「息の根を止めてでも納得させますので心配なさらず」
息の根を止めたら本末転倒。
「わかりました。では、魔法による診断から行います」
『浸透解析』で身体の隅々まで確認する。時間をかけてじっくりと。
「解析した結果、右の肺全体に濁り、逆の肺と胃に幾つかの腫瘍が見られます」
「やはり治療は厳しいでしょうか?」
「可能な限り治療します」
「よろしくお願い致します」
まずは重篤な肺から手を付ける。観察した限りではマルコの弟セナが罹患した病に近い。ただし、激しい濁りは重症化していることを物語ってる。
治癒魔法を混合して効果を探り、少しずつ混合の割合を変化させて最適解を導き出した。今回は『聖なる力』が肝の4種混合。かなり絶妙な配合にやり甲斐しか感じない。
「治療を始めます」
患部に魔法を付与すると少しずつ濁りが晴れていく。効果を確認しながら焦らずゆっくり効かせる。ボクは医者でも治癒師でもない。身体の変化を見逃さないよう集中。
付与を開始してから30分ほど経過した。
「肺は綺麗な状態まで回復して腫瘍も消滅を確認しました。引き続き身体に治癒魔力を巡らせます」
「なんと…」
アニェーゼさんの治療でも同様に付与した。効果は未知数だけど意味があったと信じている。ただ、身体に魔力を流して問題が発生。
「そうか…。なるほど…」
「なにか問題が?」
「いえ。仕方ないことなんですが…」
魔力が上手く全身を巡らない。末端に届く前に堰き止められてしまう。ベルナルドさんは闘気しか操れない騎士。アニェーゼさんのように魔力回路が発達してないからスムーズな循環ができない。
1日2日なら問題ないけれど、可能なら身体中を隈なく1週間は巡らせたい。どうするか…。
「魔力の循環は諦めますか?」
「いえ。中途半端なことはしたくないです」
やるなら手を抜かず可能な限りやる。住み家に数日滞在してもらってもいいけど、一時的な魔力回路を体内に形成してみよう。
全身に魔力が行き渡るように血管のように細く長くでいい。骨を循環の媒体にして、表面から肉や血液に魔力を届かせる手法なら負担もないはず。繊細な作業は得意だ。
全ての作業を終えると2時間近く経っていた。
「全て終わりました」
「無茶な要望に応えて頂き、感謝に堪えません」
「所詮素人の治療です。少しでも効果があるといいんですが」
カケヤさんは静かにベッドの横に立ち、未だ眠るベルナルドさんのおでこをペチーン!と叩いた。
「ぬぁっ…!なんだっ…?!」
「いい加減起きんか。身体の調子はどうだ?」
「…不思議と息苦しさは治まっている。調子が戻った」
「吞気なことを…。貴様は……ウォルト殿に感謝せんかっ!」
部屋中に響き渡る大声に思わず耳を閉じた。いつも低音でゆっくり話すカケヤさんが声を張り上げるのは初めて。
「寝起きに大声を出すな。なんだというんだ?」
「ボクが勝手に魔法で治療させてもらったんです」
治癒魔法で治療したことを説明する。
「世話になってしまって面目ない。ありがとう」
「一時的かもしれませんが、病巣は綺麗に取り除けたと思います」
「身体は重いのに呼吸はかなり楽になっている」
「身体の重さは魔力回路の生成が原因です」
魔力回路の構築と魔力の循環について説明する。
「君はそんなことが可能なのか…」
「ボクの最善は尽くしました。気休めですが、効果が期待できそうな薬も調合してお渡しします」
「なにからなにまですまない。見返りも渡せないのに」
「勝手にやったことなので必要ないです」
「此奴の代わりに私がお渡しします。なんでもお申し付け下さい」
「カケヤさんから頂けるなら、気の修練で教えて頂いていることで充分すぎます」
「俺もなにか御礼したい。今すぐではなくても」
「完治した保障もないのに御礼は頂けません」
無責任な言い方になるけど、過去にやったことがあっただけ。言い方を変えればセナやアニェーゼさんのおかげ。素人のボクにできる治療は経験あってこそ。
「もし貴様の体調が回復したなら、ウォルト殿に剣術を指南しろ。惜しみなく全てをだ。それが恩返しとなる」
「そんなことでいいならいくらでもやろう」
「凄く嬉しいです」
ボクの認識では、魔法と同じで剣術にも個性がある。スザクさんもハルトさんも、オーレンやボバンさんもだ。
なのに、努力で磨いたというベルナルドさんの剣術から個性を感じなかった。癖とか特徴も含めて一切の無駄を削ぎ落としたかのように洗練されている。
どうやって剣術を身に付けたのか知りたい。この人が凡人だとすれば、長い年月がかかるとしてもボクでも到達できる領域かもしれないから。
「ベルナルドさんは、ボクよりカケヤさんに感謝された方がよいかと」
「なぜだ?」
「心配されていました。カケヤさんに頼まれたのが治療したきっかけです」
「……死を運ぶ暗部らしくないな、カケヤ」
「ぬかせ。殺したくとも死なぬしぶとい男めが」
2人の間には特別な感情がありそう。親しい友人を作ろうとしない暗部にとって、長年共にカネルラを守護した仲間……大切な戦友という感覚だろうか。
「ウォルト殿。顔に書いていますが、私の真意と異なります。現役時代、この男にはほとほと悩まされました。戦友どころか迷惑しかかけられた記憶がありません」
「迷惑だったのはお前だ。頑固過ぎて部下に嫌われていたのを都合よく忘れたのか。俺は数人から相談されたぞ」
「ふっ。騎士団はボバンの代になって不満が減ったと聞く。やはり人徳だろう。気の利いたことの1つも言えぬ男に求心力など皆無。陛下の慧眼には恐れ入る」
「前任者と違い物静かなシノが選ばれたのは陛下の見事な采配。小言を並べる耄碌した爺は老害にしかならず。部下に寝首を掻かれず幸運だったな」
笑顔で闘気と気を纏う2人。火花を散らして一触即発の雰囲気に見えるけど、ケンカするほど仲がいいと云われているし、気にすることじゃないな。
後日カケヤさんが住み家に来て、ベルナルドさんの体調が回復していると聞いた。おそらく完治していそうだと。そして、わざわざ東洋の珍しいお茶を分けてくれた。
あれだけ言い争いをしていたのに、カケヤさんの放つ匂いは澄み渡る朝のようだった。