683 思わぬ伏兵
ウォルトは釣り場でファルコさんと釣り糸を垂れている。
相変わらずボクだけ釣れてない。でも、余計なことを考えず、会話しながらのんびりできているからこれはこれでアリかな。
「シエッタさんは里に馴染めてますか?」
「少しずつな。無愛想で喋るのは苦手だが心配ない。アイツはとにかく賢くて、子供に教えるのも得意だ。飛ぶのも上手くなった。力や体力がないから狩りは苦手でも、罠を仕掛けたりして自分の食い扶持は捕らえる」
「逞しいですね。ファルコさんがいてくれて心強いと思います」
「慣れたら助けは必要ない……っと、釣れた」
「羨ましい…」
教わった通りに釣ってるつもりだけど、一向に上達しない。魚は賢く、そしてボクにだけ厳しいと感じてしまうな。
「お前やシエッタを見てると、獣人でも物書きや学者になれそうだ」
「どこかにいると思います」
「俺には到底できないが、シエッタは1日の大半は机に向かってる。昔の俺なら「そんな暇あるなら飛べ」と言って呆れた。だが、研究とやらも重要だと今は思う」
「資料を読ませてもらいましたが、素晴らしい内容でした」
「アイツの師匠とやらが書いたのが大半だろう」
「研究過程にはちゃんと異なる人物の思考が読み取れました。シエッタさんの意見も確実に反映されていて、魔法の知識は疑いようもありません」
獣人なのに理解度が高いのは、感性と知識の融合だという予想。幼い頃から魔法を学んでいたんだと思う。
「宣言した通り、獣人の魔法を編み出すんだろ?楽しみにしているぞ」
「鍛えたらファルコさんも使えます」
「なに?聞き捨てならんな」
「まだ魔法と呼べませんが、今でも『身体強化』のような効果は発揮できるんです」
当然ファルコさんも獣人の力を纏ってる。
「試してみたりできるか?」
「慣れるまでは途轍もなく気持ち悪くなりますが、やりますか?」
「当然だ」
ファルコさんの背に手を添えて、獣人の力を操作する。
「ぐぅっ…!なっる……ほどなっ…!!」
「大丈夫ですか?」
「続けてっ……くれっ…!」
操作しているのはファルコさんの力。羽から背中にかけて力を行き渡らせる。他人の力もかなりスムーズに操作できるようになった。
「終わりました。空を飛んでみてください」
「…ハァッ!」
天に引き寄せられるかのようなスピードで飛び立つ。上空をしばらく旋回して、ゆっくり地面に降り立った。
「はぁっ…!はぁっ…!コレはっ…キツいっ…!」
「今のはファルコさんの内包する力をボクが強制的に操作しました。修練すれば自分で操れるようになります」
「まだっ…俺は速く飛べるということだなっ…!?面白いっ…!」
「見た感じ、今ので3割消費したくらいですね。鍛えれば使える力の量も増えます」
「どうすれば力の使い方を覚えられる?」
「コツを教えます」
何度か繰り返して感覚を覚えてもらう。
「ひたすら気持ち悪いっ…。できる気がしないぞっ…」
「今のところ、コツコツやるしかないとしか言えません」
「楽して速く飛べるはずがないな。また教わってもいいか?」
「いつでも」
「この力では、他にもなにかできるのか?」
「衝撃波を起こしたりもできます。あと、最近習得した数秒しかできないこともあったり」
「数秒だけ?気になるな」
ファルコさんも獣人だから、獣人の力に興味を持つのは当たり前。
「勝手に『獣化』と呼んでいるんですが、魔法よりも強く全身を強化できます」
「それは…凄まじいな」
「限界を突破する感覚です…が、反動が尋常じゃないのと、とある理由で実用的ではなくて」
「俺に体験させてくれ」
「危険なんです」
「数秒でもか?」
「簡単に言うと肉体強化ではなくタガを外す行為で、他人のダメージは予想できません」
「これから研究するんだろう?鳥の獣人で試すのはどうだ」
「試したいのが本音ですが、タダでは済まない可能性もあります」
「俺がいいと言ってるんだ」
「そこまで言うなら…やります」
ファルコさんの背中に手を添えて、力を操作する。干渉するのは肉体ではなく…脳だ。あらゆる操作を試していて気付いた。力を変質させて、頭のある一部に集めると…。
「グゥゥッ……アァァッ!」
ファルコさんが前方に大きく跳躍した。羽で飛び立ったのではなく、両足での跳躍。高さは軽く身長の3倍は跳んでる。離れた場所に着地して…凶悪に嗤った。
「シャァッ!」
ボクに向かって突進してくる。進路を塞ぐように『強化盾』を展開するも、意に介さず超低空飛行しながらすり抜けてくる。数枚障壁を展開しても、ほぼスピードを落とさずすり抜ける。素晴らしい敏捷性。
だが、ほんの少し時間を稼ぐだけでいい、ボクに到達する直前でファルコさんの動きが止まり、白目を剝いて倒れた。
「ファルコさん、大丈夫ですか?」
「頭が…割れそうなくらい痛む…。足と背中も激痛だ…。力の代償か…」
木陰で横になってもらったまま魔法で治療。自分でも試してるから、効果的な治癒魔法の配合はわかってる。スムーズに治療できた。
「ウォルト。この力は危険だ。限界を超えるというより限界を無視する」
「その通りで、意識があるのに狂戦士と化して制御できません。力が切れると同時に無理した反動で動けなくなります」
「魔法とは全然違う。本能で暴走する感じだ」
「断言できませんが、獣人の凶悪性が前面に押し出される感覚で、異常な恍惚感を味わえますよね」
「あぁ。誰彼構わず……屠りたくなった」
ボクが気付いたのは修練しているときだったし、無理矢理解除して制御できた。もし傍に4姉妹がいたら…なんて考えただけで怖い。
「爆発的に能力を向上させられるとしても、今のままだとタチの悪い麻薬や強化薬と大差ないんです」
「麻薬がどんなモノか知らんが、もの凄い刺激を感じたのは間違いない」
「時間をかけて活用法を探っていきます。協力ありがとうございました」
「ふっ。役に立ったならなによりだ。1つ言えるのは、お前を屠れる気はしなかった」
「数秒しか保たないとわかってましたから」
あの状態で長時間の戦闘は無理。とにかく防ぎきればいい。
「たった数秒でも、生きていると強く感じたぞ。鬱憤が晴れて今は清々しい」
まさにその通りで、爽快な気分になる。抑圧されていた欲望が解放されるとでもいうか、またやりたくなってしまう。力の扱いには注意が必要。
「ウォルトと出会ってから思ったんだが…世の中ってのは知らないことばかりだ。なにも考えずに暮らせば、空を飛び狩りをして、子を作り衰えて死んでいくだけだった」
「ボクも知らないことばかりですが、世界は少しずつ広がってます」
「獣人の魔法使いとドラゴンを倒すことになるとは夢にも思わない。関わりのない亀の獣人と親しくなるとも。お前には獣人の生き方を変える力がある」
「買い被りすぎです。勝手に行動してるだけなのに」
「いや、ある。シエッタもそうなるだろう。お前達のような奴が獣人の在り方を変える。そんな気がしてならない」
ボクには理解できない話だ。まるでガレオさんの教え。
夕日が落ちて、森が夜を迎える前にファルコさんがシエッタさんと一緒に住み家を訪ねてきた。
ファルコさんが獣人の力について話したら、興味が抑えられなくて直ぐに話を聞きたくなったらしく、まだ長距離飛べないシエッタさんだけでは危ないからと付いてきてくれたようだ。
夕食はまだだと言うのでもてなす。譲ってもらった魚をふんだんに使った料理。
「す、凄く…美味しい…」
「相変わらず美味いな」
「口に合ってよかったです」
食後には花茶かカフィ…と思ったけど、2人とも水がいいらしい。
「ウォルト…。獣人の力について…教えてもらいたい…」
「わかりました。ボクが勝手に呼んでるだけなんですが…」
知りうることをシエッタさんに伝える。
「獣人だけが備える力…。聞いたこともない…。私も…保持してる…?」
「もちろんです。ファルコさんに比べると少量ですが」
しっかり視認できる。
「魔力ではない…。なのに操作できる…。技能のようなモノ…?若しくは…」
独り言を呟きながら考えを纏めてるみたいだ。お茶をすすりながら静かに待つ。
「実際に…体感してみたい…」
「気持ち悪くなりますよ」
「ファルコから聞いた…。魔法と違って…私でもできるならやりたい…」
真剣な眼差し。
「わかりました。少し背中に触れさせてもらいます」
「構わない…」
女性の力を操作するのは初めて。シエッタさんはサマラやチャチャより瘦せている。軽めの操作にしておくべきか。そっと背中に手を添えた。
「では、いきます」
シエッタさんの力を操作する。
「………」
目をつむったまま反応がない。声を上げるどころか身動ぎすらしない。心配になってきた。
「大丈夫ですか…?」
「大丈夫…」
「シエッタ。無理するなよ」
「してない…。獣人の力……とても……面白いわ…」
眉間に皺が寄る程度で平然としてる。
「お前、なんともないのか?」
「そんなことはない…。気分は悪い…」
「そうは見えん。俺の手を握ってみろ」
ゆっくり手を動かして、ファルコさんの手を握った。
「…ぐぉっ!?」
ミシッ…と手の形が変形するくらい握り込むシエッタさん。凄い力だ。
「力の操作を…止めてもらってもいい…?」
「わかりました」
力を操作するのをやめた。
「新感覚だった…」
「その程度の反応で済むとは大したモノだ。ちゃんと強化されていたな」
「ボクも驚きました」
「驚いたのはこっち…。ウォルトは凄い…。さすが大魔導師ね…」
「魔法は操ってませんよ?」
「そうだとしても…わかる…。私の師匠より…優れた魔導師だと…」
「なぜそう思うんですか?」
思い違いだけど理由を知りたい。ゴレンさんは魔法研究の成果だけでもわかる素晴らしい魔導師だ。
「私の身体に…魔力を通してほしい…」
「魔力を?」
「ウォルトなら…それだけでわかるはず…」
「両手をお借りしても?」
差し出された細い手を取って、微量の魔力を流してみる。
「…シエッタさん。貴女は……ディートベルクでどんな生活を送ってきたんですか…?」
訊かずにはいられない。驚くべきことに、かなり魔力がスムーズに流れた。絹の上を滑るかのように抵抗なく。魔法使いではないのに魔力の通り道…いわゆる魔力回路が体内に形成されている。
「私は師匠の……研究の役に立ちたかった…。持っていたのは…健康な身体だけ…」
推測するなら…何千何万回と身体に魔力を通されたことで、魔力回路に近いモノが形成された可能性が高い。言い方を変えれば、身を削って魔法研究の実験台になったということ。おそらく自らの意志で…。相当辛い体験をしてきたはず。
「私の獣人の力は…一切の淀みなく操作された…。魔力とは質が違うけど…感覚でわかる…。ウォルトは凄い…」
「凄いのは貴女です…」
ボクは師匠に頼み込んで魔力回路を形成してもらったけど、魔法を操りたくて絶対に必要だったからだ。つまり、単なる我が儘で自分自身のタメ。
でも、シエッタさんは違う。魔法の研究に自分の肉体を差し出している。自分じゃなく魔導師である師匠のタメに。育ててもらった恩があるとしても、生半可な気持ちでできることじゃない。
「獣人の力は…未知の領域…。体験しても気付きはない…。解明しがいがある…。魔法と並行して研究してみたい…」
「よろしくお願いします」
「この力は…危険でもある…。世界の勢力図を塗り替えるきっかけになりかねない…。対魔法効果もあるのがポイントで…魔導師に対抗できるようになれば…人間やエルフに勝る…かも…。かなり未来の話だとしても…ね…」
「そんな凄い獣人が世界のどこかに誕生するかもしれません」
フィガロのように魔法をモノともしない獣人が。
「よく知る者だけに教えた方がいい…。見境なく教えると…目を付けられることになるわ…」
「やってみたいという知り合いにしか教えていませんが、気にする人がいるでしょうか?」
「ディートベルクの魔導師のように…獣人を蔑む者がいる…。自分達は特別だと勘違いして…地位を脅かす存在を認めない…」
「牙を剥くと思われて、潰されるという意味ですか?」
シエッタさんはコクリと頷いた。ボクはそんなつもりはないけど。
「全世界の獣人が力を操れるようになれば他種族にとって驚異ですが、さすがに難しいと思います」
「都合の悪い芽は…小さい内に摘むのが鉄則だから…。森の小さな一軒家から芽吹いて…世界に広がる可能性があることを覚えておいて…」
「わかりました」
「理知的なファルコが興奮してた…。それだけで危険だとわかる…。自制心が強くても…やっぱり獣人だから…」
「俺は速く飛びたいだけなんだがな。別にエルフや人間をぶっ殺そうなんて考えてないぞ」
「そういうことを言ってない…。ウォルトが異常なの…」
「ボクがですか?」
「ドラゴンも倒せる魔導師なのに…目立たぬようにこっそり森で暮らしてる…。本当に獣人…?」
「倒せたのはたまたまですし、もちろん獣人です」
ファルコさんは討伐に自分が関わってることを誰にも言ってない。あえて黙っておく。
「ウォルト…。私達の研究資料を見て…どう思った…?」
「素晴らしい資料でした。ボクは幾つもの技法を学んで、積み上げられた魔法理論に唸りました。まだ寝不足です」
「ふふっ…。よかった…。暴論はなかった…?」
「なかったと思います。ただ、訂正をお願いしたいことが1つだけありまして」
「なに…?」
魔法を同時に四重発動してみせる。片手に2つずつ両手で発動した。
「属性の違う魔法を3種同時に発動できる可能性も…という仮説がありましたが、ボクでも4つできるのでその部分は訂正が必要かと」
「そ、そうね…」
「気になったのはそこだけです。…そうだ。この理論は特に素晴らしいと思いました」
炎の蛇をシエッタさんの身体に巻きつくように発現させる。
「一瞬で…」
「魔力の指向性に関する理論には唸りました。発動のどの時点で指向性を与えるかで操作性に差異が出る。細かい部分まで検証された理論に興奮しました」
「魔力の質量と大気中における変化に関する記述については…?」
「興味深かったです。あまり気にしたことがなかった分野でした」
炎は消滅させて、魔力を圧縮した魔力弾とそうでない魔力弾を同時に発現させて手渡す。もちろん触っても安全。
「軽いけれど…わかりやすい…」
「見かけは同じでも、片方は魔力を何十倍も圧縮して形成しています。質量があるという証明です」
「……師匠がウォルトに会えていたら……最高の笑顔を見れたと思う…」
「ゴレンさんは素晴らしい魔導師です。知識もさることながら、亡くなるまで修練を継続されていたんですよね?」
「なぜわかるの…?」
「また手を貸して頂けますか」
そっとシエッタさんの手を取って、ゆっくり魔力を流す。
「なぜなの…?どうすれば……こんなことが…」
「ゴレンさんの魔力が微かにシエッタさんの体内に残っていました。コレは模倣した魔力です。魔力を見たり感じたら、なんとなくですがどんな魔導師なのか想像できます。派手さを好まず実直に魔法を磨いていた魔導師だと感じました」
ゴレンさんの密度が濃く粒子が細かい魔力。そんな魔力を練り上げるのに、どんな修練や知識が必要か想像できる。
「そうなの…。口数が少なくて…研究と修練ばかり…」
「シエッタさんを見守るかのように残っていた魔力は治癒魔力。亡くなる直前に身体を巡り続けるよう付与されたのではないかと」
娘に健康でいてほしいという願いじゃないだろうか。涙がシエッタさんの頬を伝う。
「師匠が…ウォルトと巡り合わせてくれたのかもしれない…」
「もしそうなら感謝しかありません。ゴレンさんとシエッタさんにはボクの魔法を底上げしてもらったので」
「やっぱり…獣人っぽくない…のよ…」
「そうですか?」
「ふっ。ウォルトはウォルトだ。お前という獣人はこの世に1人。そのままでいい」
「ありがとうございます」
話が終わって外で2人を見送る。
「ご馳走になった。また来る」
「私も…」
「いつでもお待ちしてます」
「シエッタ。抱えてやろう」
「必要ない…」
シエッタさんは自力で浮き上がる。
「ウォルト…。今は私も飛べるわ…」
「今は…?」
大きく羽ばたいて里の方角へ飛んでいく。
「おいっ!待てっ!まだ上手く飛べないくせに…!速いなっ…!」
慌てて後を追うファルコさん。
……あ。平然としてたから、シエッタさんの獣人の力を整えてない…。獣人の力を使って飛んだのか。
操作を感覚で判断していたくらいだ。感受性が高く、しかもボクと同様に魔力に耐性があって高度な知識もある。もしかすると、誰より上手く獣人の力を使いこなすのはシエッタさんかもしれない。
ただ、後日ファルコさんから「あの後、シエッタは直ぐに川に墜落して、その後は飛べずにずぶ濡れのまま里に運んだ」と聞いた。獣人の力より先に飛ぶ訓練をすることになったみたいだ。




