672 消えた後継者
厚い雲に月が隠れた闇夜。
動物の森で静かに行動する者達がいる。プリシオンから密入国した男達は、ある場所を目指し移動していた。
「いいか、ノッカー。メルダーはおそらくこの森で全滅してる」
「はぁん?レーヌは「記憶がない」ってほざいてんだろ?」
「気がついたらズタボロで、カネルラの衛兵に保護されたと言ってる。同行した部下達の行方はわからずじまい」
「どうすりゃそうなるんだ。第一、猫捕まえに行っただけで全滅するか?」
「理由はわからないが可能性は高い」
つい先日、俺達の雇い主が死んだ。側近兼執事に襲われ首を刺されたのが致命傷だったらしい。
表向きは貴族だが裏では闇の売買を行うブローカーだった。死ぬ直前、俺達とは違う子飼いの部隊に「カネルラに行って子猫を攫ってこい」という指示を出したことまでは掴んでる。
そして、派遣された部隊はリーダーを残して消息不明。雇い主の情報源である動物学者からカネルラの『動物の森』で子猫を発見したと聞いた。つまり、この森に来たはず。
「リブラスよぉ。ゴヨークの息子ってのも似たような性格か?」
「まぁ、親父と同じ指示を出すくらいだ。似たようなもんだろう」
当主を失えば息子が後を継ぐ。貴族は世襲で家を代々繋いできた。俺達は新しい当主の命令で動いている。
「ぬけぬけと戻ってきたレーヌをしばき倒して吐かせたってか。貴族ってのは趣味悪ぃ奴しかいねぇぜ」
「「なにも知らない」の一点張りらしいが、容赦なくやられてる。拷問だ」
「死んでたほうがマシだったかもな。俺らも二の舞にならないようにってか。そんなことより、猫は成長しちまってんじゃねぇか?結構経ってるぜ」
「成長すれば価値は下がるだろうが、理由はそれだけじゃなさそうだ。繁殖させようと考えているかもな」
金を儲けることに関しては外道な手段もいとわない銭ゲバ貴族。
「とりあえず、飼い主ってのを探せばいいんだな?」
「おおよその場所はわかってる。このペースなら3時間はかからない」
「結構遠いっての。ペースあげるか」
「ゆっくりでいい。夜明けまでに帰ればいいんだ」
子猫はこの森に暮らす物好きな白猫の獣人に飼われているらしく、情報が確かなら遭遇する可能性が高い。獣人は五感に優れていて戦闘能力も高い。メルダーの件もあって全員で来たが油断は禁物。
通常、猫の獣人といえば獣人の中では身体能力が劣る。獅子や虎、象のような力強さはなく、プリシオンでも強者にいびられているイメージしかない。
だが、ダウトが攫おうとした子猫の所在を直ぐに見抜いたり、迷うことなく学者連中の後を追ってきたと聞いた。感覚に優れていなければできない芸当。そんな奴がいるのなら用心するに越したことはない。猫に手を噛まれるのは御免だ。
それから1時間ほど歩いて気付く。森を進むにつれ、妙な感覚が身体に纏わり付いてきた。まるで…足が重くなったような。
「ぎぃっ…!」
急に仲間が呻き声を上げる。
「どうした?!」
「罠だっ…!足がっ…!」
倒れた仲間を見ると、右足首から出血している。
「いっつ…!傷薬をっ…!」
「俺が塗る」
足首には複数の小さな刃で刺されたかのような痕。傷から推測するとトラバサミのようだが、肝心の罠がどこにも見当たらない。幸い傷は浅く仲間の治療を終えて少考する。
偶然ではないだろう。目に見えない罠が仕掛けられてる?それとも、なんらかの攻撃を受けたのか?明らかにおかしい。一体なにが起こった?
「お前達は何者だ?」
聞き慣れない声がして、ノッカーが素早く反応した。
「そこかっ!」
投げたナイフは空を切り声の主は闇に消えた。姿を捉えられなかったが、間違いなく知らない男の声だった。
「四周警戒しろ。近付いてくる気配を感じなかった。待ち伏せされていたかもしれない」
「ちょっくらビビったぜ」
目を凝らしても男のいた位置には姿はない。だが、話しかけてきたということは目的があるはず。正体不明の罠といい、なにが起こっている?
「がっ…!」
「どうした!?おい!ノッカー!」
見ると喉にナイフが突き刺さっている。
「全員警戒!急襲だ!」
それぞれが行動を起こして木の陰に隠れる。俺はノッカーを引きずって退避。攻撃に気付かなかった。治療は…まだ間に合うか。ナイフを抜けば血が溢れる。だが、抜かなければ傷薬でも傷は塞がらない。
ナイフを抜こうと柄を握った瞬間…。
「ぐあぁぁぁっ…!」
ノッカーが激しく悶えて白目を剝いた。思わず跳び退いて離れる。
握った腕が微かに痺れている…。一瞬だったが、雷系の魔法が発動した。触れると発動するように仕掛けたのか。
対魔法用の戦闘服を着ていなかったら危なかった。手袋をしていても痺れるほどの威力。生身の身体に直接打ち込まれたノッカーはひとたまりもない。やがてピクリとも動かなくなった。結果的に俺がトドメを刺した形。
やってくれるな…。敵意を持つ何者かがこの森に潜んでいて、掴めた情報は魔法を操るということ。ノッカーの喉に刺さったナイフは、ついさっき投擲されたナイフだ。柄の紋様を覚えているから間違いない。つまり、魔道具の類ではなく付与された魔法。
漆黒の森は身を潜めて行動するには好都合。だが、追う者と追われる者、双方に言える。相手は何者だ?何人いる?
このままジッとしていても埒があかない。根比べになろうと、いずれは動くことを決断する必要がある。
先手を取るべきか…。それとも慎重にいくべきか…。まず、攻撃された理由が不明。俺達に恨みがあるとは考えにくい。不法入国者にカネルラが送った刺客という可能性もあるが、あまりにも行動が早すぎる。
イカレた殺人鬼か…。いや、冒険者と鉢合わせた可能性もある。そうだとすれば、始末するか誤魔化して……。
「お前達は何者だ?」
また声が聞こえた。今度は動かず、冷静に声の主を探すとぼんやり白い顔が見えた。
白猫……の獣人…?首から下は暗くて見えないが、顔だけ宙に浮いているかのように白い毛皮が闇に映えている。片眼鏡を着けた妙な出で立ち。
「お前こそ…何者だ?」
「この森に住む獣人だ」
「なに…?」
まさか…猫を飼っているという白猫男?まだ住み家は遠いはずだが。
「もう一度だけ訊く。お前達は何者だ?」
瞬きもせず見つめてくるが、答えるべきではないな。理由もない。
「…なるほどな。道理で同じ匂いがする。子猫達を攫いに来たか」
急に獣人の雰囲気が変わった。
「お前達の雇い主は生きている。若しくは遺志を継いだ者がいるのか…」
「なに…?」
「考えが甘かったようだ」
突如、軽い耳鳴りがした。なんだ…?
「グルァァァァッ!!」
周囲から咆哮が上がる。辺りを見渡すと、木々の隙間に無数の目が光っている。
「魔物…」
かなりの数がいる。マズいな…。この状況で魔物に囲まれるのは相手に隙を与えかねない。
「魔物に囲まれている!個々に撃破しながら集まれ!無理して突破するな!」
「ガルァァッ!」
声を上げたことで動き出す魔物。視界が悪く、状況が悪化するとしても最低限の指示は出さなければ。
フォレストウルフやハウンドドッグが包囲を狭めながら接近してくる。さほど強くない魔物であっても夜の森では脅威度が増す。動物の森は奴らの庭。
それにしてもおかしい。俺達は魔物を刺激しないよう隠密で移動してきたのに、なぜ急に。
「ちぃっ…!」
「なんだコイツら…!いつもと違うぞ…!」
散開している仲間の声が聞こえた。どうやら苦戦している様子。助けが必要か。
「グルル…」
そんな中で目の前に姿を現したムーンリングベア。なかなかの巨体だが負けることはない。幾度となく屠ってきた魔物。雑魚の範疇だ。
「ガアァァッ!」
動きに合わせて冷静に懐に入り込み、急所の心臓を一突き。終わりだ。
「なっ…!?」
深く突き刺したはずの短刀が…皮膚を貫くことなく欠けた。
「ガアァァッ!」
「ぐぁっ…!」
思考が硬直して回避が遅れ、前足で殴られた。肉を抉られて流血してしまう。
「はぁっ…!くっ…マズいっ…!」
この個体は変異体かっ?!俺の知るムーンリングベアと動きも硬さも違いすぎる…!
「グルァァッ!」
「くっ…!」
突進を躱すも、刺激されたかのように魔物達が凄まじい速度で一斉に動き出した。群れで木々の隙間から雪崩れ込んでくる。
「ぎゃぁぁっ!」
「ぎぃあぁっ…!」
抗戦する仲間の悲鳴と、骨を砕き肉を咀嚼するような音が森に響く。普通ならやられることなどあり得ない魔物の集団だ…!この森の魔物はレベルが違うという情報は聞いたこともない…!
「グルル……!」
「くっ…!」
ベアの連続攻撃を辛うじて躱し続けるも、このままでは手詰まり…。
…獣人はどうした?奴も魔物に囲まれているはず。立っていた場所に姿はない。逃走したか。この状況ではそれが最善……。
「ぐあぁぁっ!」
右足に激痛が走り、見るとトラバサミがガッチリ食らいつくように足首を捕らえていた。
「なんだコレはっ…!ぐうぅっ…!」
外そうとしても触れられない!目に見えているのにっ…!やはり魔法かっ…!あの獣人には仲間がいるっ…!
「グルルル…」
にじり寄るベア。逃げられないまでも反撃しなければ…。
「ガアァァッ!」
前足を振り下ろそうとしたベアの…首が宙に舞った。巨体が崩れ落ち、背後に立っていたのは猫の獣人。
「輩のリーダーのようだな。お前に訊きたいことがある」
「お前は……一体なんなんだっ!?」
コイツが倒したのか…。いや、素手の獣人が首を飛ばすのは不可能だ。他に手練れが潜んでいるはず。
「今から幾つか質問する」
「素直に答えると思うかっ!」
「答えなくても構わない。どうやら『虎鋏』1つでは足りないか」
「なにを……があぁっ!」
両手首と左足首に激痛が走る。また魔法のトラバサミがっ…!一段と深くっ…!!
「ぎいぃっ…!ぐぁぅっ…!」
「戦闘服は対魔法効果のある素材で作られているようだが、僅かでも生身の部分を晒してどうする。しかも、魔力感知が鈍って『憎悪』に気付かず、靴も結界の上を素通り。魔物を強化したことすら気付いてない」
なにを言っているのか欠片も理解できないっ…!
「お前は…なんなんだっ?!」
「知る必要はない。最後に身体で最も露出している箇所を噛んでやる。次は装備を改良しておくんだな」
眼前に巨大なトラバサミが発現した。頭を砕くつもりか…!どこに魔導師がいるんだ?!
「待てっ…!答えるっ…!俺達はプリシオンから来たっ!闇商人の…ゴヨークの子飼いだった!」
「だった…?」
「雇い主は死んだ。側近に殺されてな。息子が後を継ぎ、俺達は猫攫いとして派遣された」
「どうやってカネルラに入国した?」
「なに…?」
「もういい」
目の前のトラバサミが大きく開く。
「俺達は森を抜けてきたっ!プリシオンからカネルラに侵入するのは簡単だ!山を越えてこの森に入るだけ!」
ニィ…と口角を上げて嗤う猫獣人。
「そうか。案内しろ」
「え…?」
「プリシオンのお前の雇い主の元に案内しろ」
「冗談言うな…」
「冗談だと思うか?」
コイツは……いきなりなにを言い出すんだ。
「嫌なら構わない」
一瞬で頭がトラバサミに飲み込まれる。
「わかった!案内すればいいんだろ?!」
間一髪、首を挟まれた形で刃が止まった。すぅっと魔力が霧散する。
「2時間だ」
「なに…?」
「2時間以内で着くように走れ」
「無理に決まってる!身体中ボロボロなんだ!」
「治療してやる」
獣人が手を翳して淡い光を放つ。しばらくすると酷かった傷が完全に癒えた。魔法を操っていたのは……コイツだっていうのか…。
「約束は守れ。2時間だ」
「グルルル…」
いつの間にか俺達は魔物に囲まれていた。魔物部屋と見間違う光景。四面楚歌で逃げ場はない。
「ガルルァァッ!」
魔物が俺達に跳びかかってきた瞬間……一瞬で串刺しになる。突如現れた無数の魔法の槍が…全ての魔物を貫いて息絶えてしまった。
なんて奴だ…。詠唱すらせずに…。こんな魔導師が存在するなんて…。白猫の……魔導師……。コイツ……まさか…。
「お前は……竜殺しか…?」
「さっさと先導しろ。それとも…気が変わったか…?」
「…俺に付いてこい!その前に1つ頼みがある!」
「なんだ?」
「もし時間に間に合ったら…命だけは助けてくれ!おそらくレーヌもそうだったんだろ?!」
コレは賭けだ。あくまで推測だが…コイツの正体は噂の魔導師サバト。子猫の飼い主であり、攫いに来たメルダーと抗戦した。魔法の技量からして負けるとは思えず、さらに標的を逃がすとは考えにくい。
レーヌはなにかしらの交換条件を出して生かされたという推測。サバトは、リーダーを判別して生かし情報を吐かせている。当たっていてほしい。
「いいだろう。間に合えばな」
どうやら的外れではなかったか。希望はある。
「よし!行くぞ!」
自慢じゃないが、俺より足が速い奴は獣人でもそういない。コイツがサバトなら正体はエルフのはず。
ゴヨークは辺境伯で、館はカネルラとの国境の傍にある。方向さえ間違えなければイケるはずだ。
なんとか…屋敷まで辿り着いてみせる!
★
「ん…」
リブラスが目を覚ますと知らないベッドの上だった。
「……痛っ!」
身体を動かすと節々が痛む。筋肉と関節の痛み…。あと、顔を殴られたような痛みも。
「目が覚めましたか?」
部屋に入ってきたのは知らない女。
「ココは…?」
「診療所です。貴方は力尽きるように道で倒れていて、運ばれてきたんですよ」
「俺が…?」
全く記憶にない。
「幸い大きな怪我はしてないです。でも、道で寝るのはいろんな意味で危険なので、お酒の飲み過ぎには注意してくださいね」
「なにも覚えてないんだが…」
普段から酒は飲まない。いきなり意識を失ったということか…?わからない。
「お名前は?」
「リブラスだ」
「リブラスさんは運がよかったですね」
「どういう意味だ?」
「貴方はビレバン家の近くの路上で発見されました。事件が起こった直後で人通りも多くなった頃に」
「ビレバン家で……事件?」
ゴヨークの屋敷だ。
「知らないですよね。昨晩、新当主の死体が屋敷内で発見されたそうです。奥様や子供は無事だったようですが、なぜか護衛や側近は全員行方知れずだそうで」
「全員…?」
あの屋敷には、俺達以外の子飼い部隊が交代で護衛に就いている。雇い主の命を守るに相応しい実力最強の部隊。
雇い主が殺され全員が行方不明なんてあり得ない。奴らが犯人で雲隠れした可能性が高いな。もし消されたとすれば、相当な手練れ集団か熟練の傭兵部隊でもない限り無理だと思える。
「犯人は?」
「捕まっていません。真夜中に起きた事件で目撃者はなく、衛兵や騎士団が総力を挙げて調査中みたいです」
「争っていれば怪我の1つも負っているだろう。捕まるのは時間の問題かもな」
「現場に争ったような跡はなかったそうですよ」
「それはおかしい。護衛がいたんだろう?」
「そうなんですが、現場は綺麗だったそうです」
益々アイツらの犯行である可能性が高い。さすがに犯人がいれば争った跡は残る。
「貴方も話を訊かれるかもしれませんね。屋敷の近くで倒れていたので」
「その時はその時だ。やましいことはしていない…はず」
「ふふっ。貴方が犯人で、逃げ遅れた可能性はないですか?」
「冗談はよせ。俺が犯人なら逃げ切っている。自慢じゃないが足は速い。ちなみにどうやって殺されたんだ?」
「現場に行った治癒師によると、悲惨だったみたいですね。獣に引き裂かれたような痕が残されていたと」
「恨みによる犯行か…」
闇商人でもある先代のゴヨークは恨みも多く買っていた。金のタメならあくどいことも平気でやる男だった。後を継いだ息子も手駒として悪事に手を染めていて血は争えない。
「金品の類も跡形もなくなっていて、ビレバン家が行っていた裏取引が明るみに出たみたいですね」
「裏取引が?」
「誓約書の類だけは綺麗に残されていたらしいんです。妙ですよね」
落日だな。取引先は事態を揉み消そうと対応している頃。縁は全て切れるだろう。
ゴヨークが殺され継承者である息子まで殺された。悪事が明るみに出てビレバン家は間違いなく衰退する。
孫はまだ10歳にもなってない。存続できたとしても、真っ当に貴族の道を歩むのも茨の道。プリシオン上層部は事態を重く見て、辺境伯の称号を剥奪される可能性大。
雇い主がいなくなってしまった。今日から無職か。
「しかし…お前は事情に詳しいな」
「こういう話って興味をそそられません?謎が残されるような事件って、いろいろ考えられるじゃないですか。陰謀論とか」
「興味がない」
「動物学者も一緒に消えてしまったみたいなんです。当時屋敷にいたみたいで、事件に巻き込まれた可能性があるんですって」
「そうだとしたら、不運な奴だ」
ゴヨークとつるんでいた奴らか。どうせ動物絡みの取引で呼ばれてたんだろう。表向きは学者とほざいてるが、アイツらも金の亡者。
消えたといえば、俺の記憶はどこへ行ったんだ?思い出そうとしても昨日の記憶がない。一昨日のことを朧気に思い出せるだけ。
嫌なことでもあって、飲めない酒をかっくらったか?だとすれば二日酔いになっていそうなもんだ。
あとで仲間に訊いてみるとしよう。




