668 救国の英雄からの依頼
フクーベの街。大通りを歩く男女がいる。大柄な男は傷だらけの容姿に剣を携え、小柄な女が隣を歩く。
「ゴードン様。のんびりされてますか?」
「あぁ。ゆったりと空気が流れるいい国だ」
「数日かけて来ましたが、とても平和ですね」
「噂に違わない。数百年戦争が起こっていないのは、王族と国民、双方の努力の賜物だろう」
「モルデヴァとは違う空気を感じます」
「残された自然もそうだが、古くても綺麗な建物が並び、国の豊かさを物語っている。長く平和を保っている証拠だ」
「壊されず、建て直す必要がないということですもんね」
私達の母国モルデヴァは、カネルラから国を2つ隔てた東方に位置して、常に紛争が絶えない地域に所在する。外国からの侵略のみならず頻繁に内戦も勃発する。平和が10年続けばいい方だ。
「国内の情勢が安定しているとはいえ、まさか遠方に旅行に行くとは思いませんでした。国王様も驚かれていましたよ」
「たまにはいいだろう。直ぐには戻れないが、羽を伸ばすなら外国に限る」
「国内で知らない人がいない英雄ですからね」
「よせ。傷面が目立つだけで俺は英雄なんかじゃない」
ゴードン様の歩調が速くなった。照れているのがわかる。
【モルデヴァの死神】の異名で知られるゴードン様は、母国では知らない者がいないほどの猛者。数多くの戦場における勇猛な闘いぶりで他国にもその名を轟かせる。
戦場では敵に死を運ぶ死神と評されるけれど、素顔は不器用で心優しき戦士。高位の冒険者でありながら、国防の要として王族の信頼も厚く、『救国の英雄』とも呼ばれている。
私はゴードン様のお付き兼治癒師だ。元々戦争孤児であった私は、戦場でゴードン様に拾って頂いた恩を返したいと勉学に励み、傷を癒す治癒師になって今に至る。今では戦場だけでなく冒険でも行動を共にする。右も左もわからない少女だった頃から15年以上の付き合い。
「今回は、なぜ旅行先にカネルラを選ばれたんですか?療養なら温泉で有名な国もあります」
カネルラは観光に力を入れている国ではない。緩やかに発展し、残された美しい自然と治安のよさが評価されている小国。ゴードン様はボリボリと頭を掻いた。
「会いたい奴がいてな」
「サバトのことですね」
「話が早いな」
「ふふっ。ゴードン様の考えは手に取るようにわかりますとも」
サバトは小国カネルラに突如現れたというエルフの魔導師だ。誰もが驚く凄まじい魔法を操るという噂がモルデヴァにまで届いた。なんとドラゴン討伐まで果たした魔導師で、情報の正確性で名高いカネルラ王族が事実であることを認めている。
「今からサバトが住むという噂の動物の森に向かう。宿で待っていて構わないが」
「お供します。ゴードン様でもサバトの存在が気になっていたのですね。少しだけ意外です」
「竜殺しと呼ばれる魔導師だ。誰だって気になる」
「モルデヴァでは、ドラゴンの襲来により大きな被害を被った過去がありますが、カネルラはほぼ被害なしだったと」
「あぁ。討伐されたのは間違いなくラードンの希少種。亡骸を確認した知り合いから聞いた。カネルラは無償で情報を公開している」
「他国でも知識を役立て、被害を局限してほしいという気概を感じますね。素晴らしい姿勢だと思いました」
希少な情報は金の成る木。なかなかできることではない。抱え込んで公開に報酬を求めることも他国では普通のこと。人の狡猾さは、ゴードン様と行動を共にする内に学んだ。カネルラの対処には清々しさを感じる。
「サバトを含む数名による討伐でほぼ被害なし。世界の常識ではあり得ないが、ここまで旅して捏造するような国ではないと感じた」
「真実だと思われます。討伐を担ったサバトに会ってどうされるおつもりですか?」
私には理由がわからない。魔導師サバトには、『挑む者を例外なく屠っている』という噂がある。特に外国から腕自慢のような輩がカネルラに入国し、動物の森で消息を絶っているという予想から流布されている噂。
ゴードン様は紛れもない強者であるけれど、腕自慢のような言動をしないことで有名。だからこそ英雄と呼ばれていて、サバトに会って勝負したいのではないと言い切れる。目的が予想できない。
「まぁ、運よく会えたら教えるさ。そうでなければ言うまでもない」
「楽しみにしておきます」
私自身はサバトに興味は薄いけれど、ゴードン様がなにを考えているのか気になる。
街を出てしばらく歩き、動物の森に到着した。足を踏み入れて直ぐにゴードン様の歩みが止まる。
「ゴードン様?どうされました?」
「…フリステア。お前は街に戻れ」
「突然なにをおっしゃるんですか」
「サバトは想像を越える魔導師の可能性がある」
「どうしたというのです?なにを根拠に?」
「この森には結界が張られている。極めて巧妙に、人を判別するかのような結界が」
「結界…?どちらに…?」
「地中だ。俺達の素性を探るように、足元で魔力が微かにうねり変化している。まだ森の入り口なのに…だ」
「私はなにも感じませんが…」
「俺は魔法を使えない…が感知はできる。仮に森全体に結界を張っていると仮定したら、並の魔導師じゃない」
動物の森は広大な面積を誇る。カネルラ国土の4分の1以上を占めると聞いた。そんな魔導師が実在するとは考えにくいけれど…。
「ゴードン様はどうされるおつもりで?」
「俺は行く」
「では、お供します」
「どうなっても知らんぞ」
「サバトに出会っても、挑むつもりではないですよね?戦場より安全なのではないですか?」
「…ふっ。そうかもしれない」
揃って再び歩き出した。ゴードン様が言うには、招かれているかのように足元の魔力が方角を教えてくれるらしい。
「サバトの罠…という可能性はないでしょうか?」
「結界に気付かぬ者が大多数だろう。気付いた者だけを招くのもおかしな話だ」
「輩に命を狙われて警戒しているとか?」
「それはあるだろう。隣には傭兵を多く抱えるアリューシセもある。名を挙げようと挑む者は多いかもしれない」
「そう考えると、森という場所がサバトの優位性ですね」
「あぁ。魔物も多く、辿り着くまでに体力、気力ともに消耗する天然の要塞だ。サバトにとっても条件は同じだが、森を熟知していれば格段に有利」
「ですが、森での戦闘は魔導師にとって不利だと思われます。魔法を放とうにも障害物も多く、どうしても接近戦になりますよね」
「その通りだが、地形や障害物を駆使して詠唱時間を稼ぐこともできる。モノは使いようだ。魔法による罠を仕掛けることもあるだろう。広大な結界を張るくらいだ」
「なるほど」
多くの戦場を経験されているゴードン様は、あらゆる状況に対処できる。心配は無用。
「サバトに用か?」
突然、背後から声がした。ゴードン様と同時に跳び退いて振り向くと…白猫面を被りローブを着た男が立っている。温暖なカネルラに似つかわしくない格好。
白猫面の魔導師…。まさか…。
「…サバトだな」
剣の柄に手をかけたゴードン様が問う。一足で剣が届かない距離でも、サバトとの間に障害物はない。
「だとしたらどうする」
平然とした様子のサバト。見る限り武器も持たず丸腰。しばらく見つめ合ったのち、ゴードン様はゆっくり剣から手を離した。
「…失礼した。モルデヴァから来たゴードンという。こっちの女性はフリステア。旅のお供で治癒師だ」
サバトは私に顔を向け、直ぐにゴードン様に視線を戻す。
「サバトに用があるんですね?」
「貴方に会いに来た」
「敵意はない…という認識でいいですか?」
「一切ない」
ゴードン様は静かに剣を地面に置いた。
「貴方を信用します」
…意外だった。エルフだと聞いていたから、もっと高圧的で意地の悪いことを言うと思っていたら、思いのほか礼儀正しく話せる印象。まるで人間のような対応。
「俺達は誘き出されたのか。まさか会いに来てくれるとは」
「隣を通り過ぎたとき、勘違いかと思いました」
「まったく姿が見えなかったんだ」
「貴方は魔力探知が得意だと感じたんですが、間違いだったようですね」
「…ははっ。どうやらそうらしい」
そんなはずはない…。ゴードン様は、数々の戦場で多くの魔導師と対峙して多くの魔法を打ち破ってきた。気付かせないサバトの魔法が並外れているだけ。
「それで、用件とは?」
「貴方に依頼したいことがある。可能であればだが」
「便利屋ではないですが、聞くだけ聞きます」
ゴードン様は腰袋からなにかを取り出した。
「コレなんだが…まず見てもらいたい」
2人がそれぞれゆっくり歩み寄り、そっとサバトの掌に載せた。指で摘まんであらゆる角度から眺めているのは…指輪?
「未完成の【運命の指輪】でしょうか」
「そうだ。魔法を付与してもらえないだろうか」
「えぇっ?!」
聞き捨てならない。私も近付いて見せてもらう。
「ゴードン様が…」
運命の指輪は、大切な人に贈る…いわゆる結婚指輪で非常に高価なモノ。一般的な結婚指輪と違って、魔道具のように設計者と相談しながら素材を選定する。そして、様々な魔法を付与して着色や整形しながら作り上げる世界に1つしかない指輪。オーダーメイドの最上級。私の知る限り、ゴードン様の周囲に女性の影はなかったはず。ほぼ行動を共にしているのに知らなかった…。
サバトの存在をすっかり忘れ、モヤモヤした気持ちで該当しそうな女性を予想していると、ゴードン様が呟いた。
「お前に渡すんだが」
「オマエという名前の女性は知りません」
「違う。フリステア、お前に渡すつもりだ」
「……え?」
…私に?
「本当は完成してから話すつもりだったが、どうしても付いてくると言うから仕方ない。バレるのは時間の問題。だったらいいかと連れてきた」
「……えぇ~~っ!」
つい大きな声を出してしまった。サバトも大袈裟にのけ反っている。
「わ、私に運命の指輪をっ?!意味わかって言ってます?!」
「当然だ。結婚を申し込む」
「あ、あのっ!私ではゴードン様と釣り合わないというか!」
「嫌か?」
「嫌とかではなく!そもそも、そんな素振りなかったじゃないですか!?娘のように思われてると思ってました!」
「まぁ、そうなんだが」
……そうなんかい!
「出会った頃、泣いてばかりいた娘が立派に成長した。…が、なかなか嫁に行く雰囲気もない」
「で、私の将来を心配してくれたワケですね」
「違う。嫁に行かれるのは困ることに気付いてな。だから俺が嫁にもらうことに決めた」
「こ、困るっ?!そんな理由でっ?!」
「無理にとは言わない。いつ死ぬかわからない不細工なオッサンに嫁ぐのが嫌なら断っていい」
「そういうことを言ってるんじゃないです!」
うぅ~っ!頭が混乱してる!雲の上の人すぎて、結婚なんて考えたこともなかった!一生付いていくつもりだったけど!
「サバト。こういう理由なんだが」
「事情はわかりました。指輪の設計は別の方が?」
「その通り。俺の要望する魔法を付与するのは無理だと故郷の魔導師に言われて、貴方ならどうにかできないかと思って訪ねた。妥協したくない」
「魔導師が無理なら厳しいと思いますが、付与する魔法を教えて下さい」
「まず…」
ゴードン様は付与してほしい魔法をサバトに伝えている。内容を聞きながら思った。さすがに無理がある。付与数も多いし、属性が違う魔法だらけ。しかも全て人間の魔法。相手はエルフだっていうのに。
多くの魔法を付与した方が深みのある色に仕上がることくらい知ってる。けれど、全てを混合するのは常識外れの神業。治癒師の私でもわかるくらい無理。頼まれた魔導師が可哀想すぎる。
「…と、こんな感じの付与なんだが」
できませんって。
「そのくらいならできます」
「そりゃそうですよね……って、えぇっ?!」
今、できるって言った…?
「少しだけ時間を下さい」
指輪を優しく包むように掌を重ねて、サバトの纏う魔力が高まる。とても綺麗な魔力…。
「できました」
開いたサバトの掌には美しく輝く指輪が。銀色だったはずなのに虹色に変化してる。指輪に巻き付く螺旋の光沢が綺麗。信じられない…。本当に成功したの…?
「感謝する…。想像以上の出来栄え…。設計士に見せられた完成図を越える美しさだ…」
「色が合っているかはわかりませんが、魔法の付与は成功して効果も問題ないと思います。満足ですか?」
「あぁ。貴方は凄い魔導師だ…」
「誰にでもできる付与で、他の魔導師に相談すればカネルラに来なくて済んだはずです。用件は終わりですね?」
「あぁ。ありがとう」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
思わず声を上げてしまう。
「フリステア?どうした?」
「あの~…ゴードン様?その指輪…私が頂ける…んですよね?」
「そうだが」
「あのですね……身に着けたら目立ちすぎると思うんです」
7色に輝く指輪なんて見たこともない。存在感が指輪に負けて、私がショボく見えること間違いなし。
「そういう仕様で発注したからな。女は宝石とか煌びやかなのが好きなんじゃないのか?」
「間違ってるとは言いませんが、ちょっと恥ずかしいです。もの凄く注目されてしまいそうで」
「そういうものか。困ったな」
ゴードン様がよかれと思って頼んだのはわかる。細かいことを気にせず、誠実な人柄だから。でも、やり過ぎ感が否めない。
「もしよければ、色を調整してみましょうか?」
「そんなことができるのか?」
「魔力の付与で調整できると思います。せっかくの指輪を身に付けてもらえないのはもったいないので」
「すまないがお願いしたい。フリステア、好みの色を伝えてくれ」
複雑に絡み合った魔力だと思う。効果を活かしたまま変色なんて、いかにサバトといえども……なんて考えは杞憂に終わり、あっという間に希望した色に変化した。本当に凄い魔導師。光沢のある淡い白桃色の指輪を受け取ったゴードン様。
「追加の要望まで聞き入れてもらって感謝に堪えない。本当にありがとう」
「いえ。乗りかかった船です」
「報酬を受け取ってくれないか。グリッラド鉱石といって、モルデヴァでしか採れない希少なモノだ。高く売れるが、エルフの貴方には金よりモノがいいと思った」
サバトは陽の光にすかしたり、じっくり眺めている。
「有り難く頂きます。コレで貸し借りはなしということで。あと、サバトに出会ったことは内密に」
「心に刻んでおく」
凄い勢いでサバトは走り去る。足が速いエルフだ。
「さてと…」
ゴードン様は私に向き直って微笑んだ。
フクーベまでの帰り道。ゴードン様は、先導するように私の前を歩く。
私の左手薬指には…運命の指輪が光っている。改めて結婚を申し込まれ、私は受け入れたから。運気や生命力を向上させる効果があって、治癒魔法の効果も上昇するらしい。心なしか身体が軽いのはそのせいなのか。もの凄く高価な指輪を頂いてしまった。
「この指輪、サイズもぴったりです」
「事前に測っていた」
振り向かずに話すゴードン様。顔は見えないけれど、照れ臭いのかもしれない。ちゃんと「好きだ」と伝えられたし。
「私の記憶にないということは、寝込みを襲ったんですか」
「寝ている隙に測ったが、襲ってはいない」
「本当に私でいいんですね?」
「フリステアがいい」
…後ろから見てわかるくらい耳が赤いですよ。
「サバトに感謝ですね」
「無駄に刺激せずにすんだな」
「まさか姿を消して待ち受けてるとは思いませんでしたね。魔力反応は一切なかったと思います」
改めて凄い魔導師だと思う。今日の出来事だけで身に染みた。噂通りと言っていい。
「もし戦闘になっていたらタダではすまなかっただろう」
「私はともかく、ゴードン様が負けることはあり得ません。向こうは丸腰でしたし」
「甘いな。サバトは化け物だ。凄まじい重圧を放っていた。俺達をいつでも攻撃できたのに見逃す余裕すらある。相当厳しい闘いになった」
「いかに凄くても相手は魔導師ですよ?」
「膝が震えた。会話しながら一瞬たりとも気を抜いてない。早くあの場を離れたかったのは俺の方だ」
「それほどなのですか…」
私にはわからないけれど、勇猛で死ぬことすら恐れないゴードン様がここまで言うなんて…。
「サバトはこの国でも禁忌のような扱いかもしれない」
「なぜそう言えるんです?」
「カネルラは平和な国だが、平和ボケしてない。入国してから手練れにずっと尾行されているのもそうだ」
「気付きませんでした…」
「おそらく暗部だろう。この森に入る直前までだったが、サバトへの干渉を嫌っているか、そういう指示だな。やるべきことをやるからこそ平和を保っている」
「そうなのですね。甘く見ていました」
「とりあえず、無事にモルデヴァに帰れそうだ。暗部は問題行動を起こさない限り手を出してこない。サバトには…戦場で遭遇しないことを祈る」
「珍しく弱気な発言ですね」
「少しは新婚生活を味わいたい」
「改めて言われると恥ずかしいです…」
故郷で結婚式を挙げたらゴードン様と夫婦になる…。まだ実感が湧かない。
「フリステア」
「はい」
「俺は……きっと長生きできない。短い期間かもしれないが幸せにする」
「…あはっ。ありがとうございます」
深く考えるのはよそう。ゴードン様のことを誰より知っている自信がある。一生傍にいて仕えたいと思っていた。夫婦という形になるだけで気持ちは変わらない。男性としても魅力的な人。
「ところで、サバトの付与が無理だったらどうするつもりだったのですか?」
「結婚を申し込むのが遅れただけだ。付与できる魔導師を見つけるまで」
「お婆ちゃんになるまで見つからなかったと思いますよ」
「そうか。考えが甘かったな」
「でも嬉しかったです。ちなみに、子供は何人欲しいですか?」
「……できれば2人」
「ふふっ。頑張ってください」
救国の英雄を照れさせるのは私だけかな。もしそうなら…かなり嬉しいかも。
「それと、今後は様付けはよせ」
「わかりました、ゴードン。コレでいいですか」
「あぁ。それでいい」
「ところで…一応確認するんですけど、今が新婚旅行ということはないですよね?」
「………」
「わかりました!モルデヴァに帰る前に沢山寄り道していきましょう!」
束の間の平和でもいい。カネルラは思い出の地になった。楽しんで帰ろう。




