663 机上の暴論
鍛錬で動物の森を駆けるウォルト。
子猫の成長に伴ってシャノ達は森にいる時間が長くなった。ボクも負けていられないので、魔力も体力も鍛えている。今日は少しだけ遠征して駆けている。現在地は、フクーベに近い位置の森の入口付近。
「おぉい!ちょっと待ってくれい!」
遠くから声が聞こえた。匂わないということは、いるのは風下側だな。立ち止まって木々の隙間を見渡す。
「おぉい!こっちじゃい!」
木々の隙間から手を振る男性の姿が見える。
「悪いが、なにか書くモノを持っていないか!貸してほしいんじゃが!」
森なのに書くモノ?歩み寄って、常備している鉛筆とメモできる程度の小さな紙を渡す。
「コレでいいですか?」
「おぉ!すまんなっ!後で紙は返す!」
「別に返さなくても大丈夫です」
見た感じは、先生だった頃のガレオさんと同じくらいの年齢。白髪で背の低いお爺さんは、凄い勢いでなにか書き始めた。紙には数字と記号の羅列されていく。ボクはまったく理解できない。
「むぅ…!?紙が足りん!かくなるうえは…」
着ている白いシャツを脱いで、服に書き始めた。でも、鉛筆では書けないと思う。
「ぬぅぅっ!?」
「もしよければ、コレでどうでしょう?」
近くの木の実を拝借して、搾った汁を鉛筆に付ける。羽根ペンの要領で書けるはずだ。
「なるほどな!恩に着る!」
さらに謎の数字や記号を書き続ける。解読不能だけど、興味をそそられるので黙って隣で見ていた。
「…よし!忘れる前に書けたぞ!」
「この文字の羅列はなにを表してるんですか?」
「興味があるのか?なんだと思う?」
質問を質問で返される。
「薬を調合する割合とか?」
「いい線いっているが違うな!」
「なにかの比率じゃないかと思うんですが、見当付きません」
「はっはっ!初見で当てられてしまったら商売あがったりじゃ」
商売ということは、モノを作る過程だと思う。
「書くモノを借りた礼に、特別にヒントを教えてやろう。ココからココまでは、1つ目の素材の精製過程を表している」
いきなり問題が出される。気になるから解いてみたい。指差された文字列には数字と大小を表すような記号。解読するポイントになるだろう。
素材の精製過程…。幾つかの数字が重なっていて、全てが足されて完成するとしたら…。
「魔道具の設計、若しくは錬金に使用する配合表でしょうか?」
お爺さんは少し驚いた表情を見せた。
「お前さんは…何者だ?」
「猫の獣人です」
「見ればわかる。なぜそう推測した?」
「書かれた記号の大きな分類は3種類。精製には素材の他に2つの要素が必要だと仮定して、魔力と状態変化だと予想しました。内容は一切理解できませんが」
「お前さんの予想は概ね正解だ。ある魔道具の設計に関する数値を表している」
ニカッと歯を見せて笑う。
「突っ込んで訊くが、この1行が表す素材はシルク銀。この部分はトラックバックの精製法になる」
新たなヒント。どちらも精製法は知っている。…ということは、この数値は分量…と魔法の負荷比率か。この記号は減算を表していて…こっちは魔法の頭文字を表すんだな。できるモノがなんとなく予想できる。
「完成形はわかりませんが、熱により状態変化する柔らかい金属ができると思います」
柔らかいのに金属…というのは矛盾してるけど、製造過程から予想できる特徴はそうなる。作るのはかなり困難だろう。
「…ふっ!はっはっ!」
「的外れでしたか」
「お前さん、名をなんというんだ?」
「ウォルトです」
「儂はカステロという。ウォルトは魔道具職人だな?獣人では珍しい」
「ボクは職人ではありません。素人です」
「なぬ?さすがに信じがたい。素人が連想できるようなことではないぞ」
「たまたま予想できました」
素直に答えただけで根拠がない発言。カステロさんは、ふぅ~む…と怪訝な顔。
「つかぬことを訊くが、この式通りで魔道具が作成可能だと思うか?」
「高度な精製なので難しいと思います」
「お前さんが思う改良点があるか?」
「素人の意見はあてにならないと思いますが」
「他者の意見を聞いてみたいんじゃ」
真剣な表情のカステロさん。ふざけているワケじゃなさそう。
「シルク銀は粘り強くて薄く加工しても折れにくい金属ですが、熱に弱い特徴があります。そこに着目しての素材選定だとしても、魔法による状態変化を加えるならエレクトラムのほうが向いていそうです」
しばらくボクの持論を展開すると、静かに耳を傾けてくれた。
「…という理由からなんですが」
「面白い考察だ。魔導師にかかる負担が大きすぎて実行するのは無理だと思える。ところで、お前さんは誰の弟子だ?」
「誰の弟子とは?」
「かなり魔道具に精通しておる。さすがに独学ではあるまい」
ボクにとって魔道具作りの先生は、メリルさんと師匠の2人だ。忘れちゃいけないのがナバロさんから仕入れた愛読書。
「教わっているんですが、この場で名前を言うのは控えさせてください」
「そうか。素晴らしい職人だろう」
「その通りです。カステロさんも職人ですよね?」
「儂は職人ではないぞ」
「えっ?!そうなんですか?」
「魔道具の製造方法を考え、職人に伝える設計士じゃ。作ることはできん。料理で言えばレシピを考えるだけ」
「研究者のようですね」
ボクの中では、メリルさんや師匠のように設計から作成まで1人でこなすイメージ。分業という発想はなかった。でも、メリルさんは魔法を使えないから魔導師と協力している。そう考えたら普通のことか。
「研究者に性質は近いかもしれん。頭ばかり使って、思考が行き詰まると自然の中に身を置く。すると、凝り固まった思考がほぐれて閃きが生まれることがあるんじゃ。この森の空気はとてもいい」
「もしかして…この森に入ったのは初めてですか?」
「普段は北部に住んでいるのでな。初めて来た」
「結構危険な森ですが…」
この辺りは比較的安全だろうけど、息抜きで訪れる場所じゃない。
「わかっとるよ。なんの刺激もない家の中で1日中考えたとていい考えなど浮かばんのだ。緊張感と開放感が思考を柔軟にしてくれる。年寄りの知恵と経験ってヤツじゃな」
「余計な気遣いでしたか」
「閃いたものの、おそらくこの式で魔道具は完成しない。お前さんが言ったように要求が高度すぎて作れる者がいない。だが、いつか現れるかもしれん。空想じみた魔道具は星の数ほどある。世に出ていないだけでな」
「興味をそそられる話です」
「ほぅ。まだ時間はあるか?」
「少しなら」
「では、この魔道具の効果がわかるか?」
リュックから筒状の魔道具を取り出して手渡された。隅々まで観察してみると、とても面白い構造。
「風を起こす魔道具ですね。封入した魔力で冷風と温風を切り替えられます」
「正解じゃ。では、コレは?」
「携帯できる簡易な行灯のような魔道具です。油と魔法の併用ができそうです」
「はっはっ!その通り。最後に…コレじゃ」
掌に載る小さな箱。魔道具から感じる魔力と、開けて確認した中の仕組みから予想できるのは…。
「この小さな穴から外に向かって映像を映し出す。または写真のように撮る魔道具でしょうか?魔力によって切り替えられそうです」
「ふっ…はははっ!正解だっ!」
「全部たまたまです」
「謙虚な男じゃなぁ。軽々当てられて面白くないぞ。今度フクーベで魔道具の展示が開かれるのを知っているか?」
「はい」
ボリスさんが教えてくれた。行ってみたいと思っていたから覚えてる。
「よかったらもらってくれ」
チケットのようなモノを渡される。
「展示の招待券だ。暇なら見に来るといい」
「気持ちは嬉しいんですが、行けないかもしれません。厚意を無駄にしてしまうと思います」
「気が向いたらでいいんじゃ。あらゆる魔道具を見るだけでタメになる。紙をもらった礼に」
「そういうことであれば、有り難く頂きます」
獣人だからとバカにしている様子もない。匂いでもわかる。
「ウォルトよ。正直に答えてくれ」
「なんでしょう?」
「儂が作りたい魔道具……お前さんは作れるんじゃないか?」
「なぜそう思うんです?」
「長年の経験とでもいうか。この式の原形を古い付き合いの魔道具職人に見せたとき、どんな反応をしたかわかるか?」
ボクが魔道具職人だとしたら…。
「素材を入手するのが大変そう…でしょうか?」
「はっはっ!違うな。「無理難題を押し付けるな!」と一喝された。職人というのは、できる自信がなければとにかく誤魔化す…が、お前さんは違う。さも作れるといわんばかりの落ち着いた佇まい」
「作ろうとしているモノすらわかりません。他人事のように感じているだけです」
「ふ~む。正直者だと確信したうえで再度確認するぞ。この設計から作るのは可能ではないか?」
どう答えるべきか…。作れるとは断言できないんだよなぁ…。でも…正直者だと信じてくれる…か。
「失礼なことを言ってしまうかもしれませんが」
「こっちが頼んでおる。忌憚なく言ってくれ」
「わかりました。複雑に加工された素材と魔法について記されていますが、そのままではボクは作れません。ただ、もっと簡略化すれば可能だと思います」
「…なんじゃと?」
表情と匂いが変わった。嫌疑…といった匂いかな。とはいえ信用して話してみよう。気に入らないことを言われたらやめればいい。
「憶測ですが、魔法を駆使すれば素材の加工と融合は楽になります。手順も半分近く減らせるはず」
「面白い。どんな魔法を使えば可能になると言うんじゃい?」
「複合魔法を少々」
必要な魔法について説明する。
「…お前さんの魔法理論はさっぱりわからん」
「あくまで可能ではないかという推測です。聞き流して頂いて構いません」
魔導師なら理解してもらえると思うけど、カステロさんから魔力を感じない。ただ、設計するということは魔法にも精通してるはずだけど…。
「到底可能とは思えんが…試してみたくなる」
ボクがカステロさんなら魔導師に相談する。でも、そんな単純な話ではない可能性が高い。長年魔道具を設計しているベテランが複合魔法を構想に組み込んでいないのだから、付与する順序や非常に繊細な魔法操作を必要とするはずだ。
「ウォルトに1つ頼みたいことがあるんじゃが」
「なんでしょう?」
内容はボクでもできることだ。魔道具を見せてもらったし、さほど難しくないのでさっと終わらせた。
「すまんな。手間をかけさせた礼に、さっき見せた魔道具をお前さんに譲ろう」
「気持ちだけで充分です。見事な魔道具を頂くには釣り合いません」
「遠慮しなくていいんじゃ。お主ならわかると思うが、魔道具はまた作ればいい」
「そう言ってもらえるなら…」
太っ腹な人だ。申し訳ないと思いながらも魔道具を受け取る。詳細な構造を知りたい欲が止められない。住み家に戻ってから研究しよう。
★
「カステロさん。どこに行ってたんです?」
「動物の森じゃ」
「はぁ…。また無茶して…。カネルラの危険地帯で3本の指に入るような場所ですよ」
「そんなことは百も承知。噂と違って清々しかったわい」
儂がフクーベの宿に戻ると、設計の弟子ドルクが待っていた。どうやら心配してくれていたようだ。
「…で、成果はありましたか?」
「出会いが今日の収穫じゃな」
「森で出会いなんかないでしょ。そんなことより写復器は?まさか壊してないですよね?」
「人にあげてしまった」
「はぁ!?展示するタメに持ってきた魔道具ですよ!?」
「重々承知。職人への詫びは儂が入れるから心配するな。そんなことよりコレを見てみろ」
「そんなことって………また新たな構想ですか」
儂がドルクに見せたのは、ウォルトに頼んで書いてもらった魔道具の設計数値。シャツの余白に書かせた。複合魔法を使って儂の求める魔道具を作った場合の設計を、悩む様子もなく短時間でさっと書き上げた。
「…なんですかコレ?複合させた魔法という意味ですか…?いくらなんでも机上の空論すぎます。絶対に作るのは不可能でしょう」
儂の設計をよく知るだけに、反応は予想通りといえる…が。
「魔導師に頼みこんで、同じような効果を生み出してみる」
「無理ですよ。あまりに現実離れしてます。あまり無茶を言うと魔導師から相手にされなくなりますよ」
「夢がないことを言う。面白そうだと思うじゃろ」
「思いません。今はそんなことを考えてる場合じゃないです。魔道具展でカステロさんの評価を上げることだけ考えてます」
大袈裟なことを考えておるな。
「実際に作ったのは儂ではない。名が売れるのは職人だけで構わん」
「ダメです!後進のタメにもっと有名になってもらわないと!技術と知識が融合して最高の魔道具ができるんです!どちらかだけ評価されるのは間違ってます!」
「言わんとすることはわかるが、お前達の実力で有名になればよかろう」
「ぐっ…。とにかく、まだ期間があるので発表する内容の細かい仕上げをやりますね!」
ドルクは魔道具の説明資料を作り始めた。展示品について質問されても即座に答えられるように備えるつもりじゃろう…が、紙に書く必要などない。今回展示する魔道具に複雑な製造方法を必要とするモノはなく、大袈裟なんじゃ。
さて…今日はちと歩き疲れた。椅子に座って考えを巡らせる。
ドルクの意気込みは評価すべき。魔道具製作には職人、魔導師、そして儂らのような設計者、もっと言えば素材を採取する冒険者など多くの者が関わっているが、名を売り世間の評価を受けるのは職人と魔導師ばかり。設計者は表立つ理由もなく、職人から「無茶を言うな」と煙たがられることすらある。
他の弟子も、揃って「もっと評価されたい」と口にする。若者が上昇志向を持つのはいい。若い頃は儂も似たようなことを考えていた。万人に認められたい。名声を得たい。俺達がいなければ魔道具を作れまい…と。しかし、この歳で名誉を求めるのは醜く思える。
歳を重ねると欲が違う方向へ向かい、誰も作ったことのない魔道具を考案して完成させてみたくなった。魔道具の品評会のような催しに参加するより、新たな魔道具のアイデアを練った方がよほど有意義。この歳になって唸らされる魔道具にお目にかかることなどそうそうない。
いつもなら職人が参加するところ、今回は馴染みの職人が急病になって内容をよく知る儂らが参加する羽目になった。正直いい迷惑……とはいえ、弟子達はまたとない機会と捉えて張り切っている。設計者の凄さを世にアピールしたいと。
そんなことより…この設計書よ。面白くてかなわん。ウォルトは間違いなくただの獣人ではない。知識や分析力は職人のそれ。魔道具に精通する獣人に初めて会った。
設計書の内容は、ドルクの言う通り机上の空論に過ぎん。全ての魔道具職人に嘲笑されるようなあり得ない理論……いや、暴論。だが、自信満々に書き上げた男に興味が湧いているのも事実。
ウォルトの記した式は誰にも反証できん。この通りに魔道具を作れる職人がいない。「バカバカしい」と一蹴するのは容易だが、近い未来で何者かが立証するかもしれず、儂にとって希少な説の1つとなった。僅かでも可能性を感じたなら追ってみたくなる性分。
「ドルク」
「なんですか?」
忙しそうにして顔も向けない。
「お前より魔道具の設計に秀でた獣人がいるとしたらどう思う?」
「そんな獣人は存在しません」
実につまらん反応じゃなぁ。存在しない…とは可能性を狭める愚かな思考。若さゆえの浅慮といえばそれまでじゃが、魔道具作りに携わる者としては現実を見すぎとる。
しかし、もっと視野を広げろと言っても無駄。何事も否定から入るな…と口酸っぱく教えてきたのに、ついぞ改善されないまま成長してしまった。
まぁ、ほとんど儂のせいで師匠として完全に技量不足。指導者失格であるのは承知。舐められているとも言えるが、今や叱るのすら億劫。理解する努力を怠る者に向かって幾ら言葉を並べても響かん。
そもそも、儂は弟子を育てる師匠ではない。魔道具の製法を後世に残したくて弟子をとっている。教えられることは教えるが深入りはしない。弟子の承認欲求を手助けするのは儂の役目ではない。聞く耳を持たぬのだから己の力で認めさせるだろう。
この歳になって思う。誰に認められたら満足する?なにを手にしたら満たされる?老いぼれの出した答えは単純。やることに自分自身が納得すればいい。
会話していて似たような匂いをウォルトに感じた。もし展示を見学に来たならば、落ち着いて話を聞くとしよう。弟子よりも話せる男だ。
獣人にしてあの謙虚さ。儂より立派な師匠にいろいろと教わっていそうじゃな。