657 ベクトガリア信仰
早朝。
ウォルトが住み家の外で朝の空気を吸っていると、結界内に人が侵入した。人数は1人。住み家に向かってくる。何者かわからないので警戒は怠らない。
どうやら徒歩で、スピードからすると森の移動に慣れてないようだ。こんな朝早くから誰だろう?
畑に水を撒きながらのんびり待っていると、全く知らない人物が現れた。年齢はまだ若そうな人間の男性。腰に帯剣して白銀の鎧を身に纏い、冒険者というより騎士っぽい雰囲気。
「お前が魔導師サバトか…?」
眼前に立つなり、ぶっきらぼうに尋ねてくる。
「貴方は?」
「誰でもいいだろう」
「そうですか」
ならば、こちらも答える必要はない。とりあえず無視して農作業をやろう。
「おい。質問に答えろ」
答えろ…?
「なぜだ?」
「あまりイラつかせるな。返答によっては斬る」
いきなり現れて…面白いことをほざく。イラつかせているのはどっちか教えてやろうか…。
「できるならやってみろ」
「俺にできないと思っているのか…?」
男は背を微かに丸めて腰の剣に手をかけた。発する匂いからして本気。ならば、相応に相手をする。朝から血気盛んなことだ。
見たところ強者ではないけど、特有のオーラを感じないだけかもしれない。サバトだとわかったうえでの言動だから魔法対策を施しているか。
「…この重圧。やはりサバトか…」
コイツはなにを言っている?ボクが重圧なんて放つワケないだろう。なんにせよ余裕を与えてくれるのは有り難い。魔封じの魔道具を装備しているとしたら、狙うは…首と露出している部位。
今は剣を持ってないから素手か『気』でいく。『気』を使う必要があると判断したら、どんな手を使っても息の根を止める。暗部の情報を漏洩するワケにはいかない。猶予を与えられたなら、時間を有効活用して策を練り、最善策を実行するのがボクの闘い方。言葉の抑揚からしてカネルラ人だけど、気が済むようにやるだけ。
なぜかピクリとも動かなくなった男。さっきまでの威勢のよさはどこへいったのか。
「すまない」
男は剣から手を離し、腰を折って頭を下げた。
「貴方を試すような真似をして申し訳ない。敵対しないと誓う」
…なんだコイツは…?ヤク中か…?言動が意味不明すぎる。
「改めて俺の話を聞いてもらえないだろうか?」
「狂人に付き合ってられるか」
「待ってくれ!頼むから俺の話を聞いてほしい!」
「さっさと失せろ」
「この通りだっ!話だけでも聞いてほしいっ!」
すかさず土下座される。額を地面に付けてひれ伏すような格好。ケンカを売っておいて直ぐに掌を返す行動をとる神経を疑う。
「聞くだけ時間の無駄だ」
「非礼を詫びるっ!この国の未来に関わる話なんだっ!貴方がサバトなら…力を貸してほしい!」
「なにをとち狂ってる。国の未来に関わる話をしたいなら王城にでも行け」
「貴方のことをリスティア様から教わったんだ!」
…なんだと?
「リスティア様から、サバトならあるいは…と教えて頂いた!必要なら他言無用で誠意を持って邂逅しろと!」
噓は…ついていないと思える。
「脅しという下らない誠意は受け取った。失せろ」
「俺がバカだからなんだ!稀代の魔導師を前に、どう話を切り出したらいいのかわからなかった…!下手に出たら話も聞いてもらえないかもしれないと…!頼むから話を聞いてくれっ…!聞き終わったら俺を斬っても構わない!」
「今すぐ斬れ。自分で自分を」
口だけならなんとでも言える。
「…わかった!」
男は右手で剣を抜き、躊躇わずに左腕を切り落とした。
「…ぐうぅぅぅっ…!頼むっ…!コレで足りないならっ……足を斬るっ…!」
「必要ない」
落とされた腕を拾って治癒魔法で繋げる。
「落とした腕が綺麗に…。信じられない…」
「話だけ聞いてやる」
この男、どうやら口だけではないようだ。
住み家に招いて居間で待たせる。冷静さを取り戻すべく料理を作って居間に向かうと、椅子に座る男は縮こまっていた。
「どうしたんです?」
「いや…。失礼なことばかり言っているのに…飯の準備とか…。腕も綺麗に繋げてもらって…」
目に見えて小さくなってる。
「とりあえず食べて下さい。血が流れたので、少しでも回復しておいたほうがいい」
「優しいんだな…」
「自分を斬らせた男を優しいと思いますか?」
おかしなことを言う。今も好き勝手なことを言ってるだけ。
「そうか…。有り難くいただく…」
黙々と食べる男を見ながら考える。リスティアからサバトのことを聞いたと言った。けれど、ボクには連絡がない。なにか言えない事情があるのか?
「凄く美味かったよ…」
「では、話だけは聞きます」
「その前に…貴方は本物のサバトでいいんだよな…?」
「信じないなら話すことはない。とっとと失せろ」
この期に及んでまだ疑うか。
「い、いやっ!信じてるっ!再確認しただけで!……俺は、王都の教会に所属する聖騎士アルバレスだ」
「聖騎士?カネルラ騎士ではなく?」
聖騎士という存在は初めて耳にする。
「国民ではなく、教団を守護する任務がある。今日は貴方に依頼したくて来た」
「依頼とは?」
「カネルラの……次期司教になる男が呪いに苦しんでいるんだ…。解決するのに力を貸してほしい」
意外なことを言う。
「解呪は教会の仕事ですよね」
幼い頃ガレオさんから教わった。その昔、ベクトガリアと呼ばれる天父神を信仰する者達がガリア教団を結成した。現代では、世界に数多くの信徒を抱えていると云われている。
そんな教団の礼拝所として誕生した神聖な場所が教会。ガリア教団は各国で教義を広めるだけでなく活動が多岐に渡り、解呪行為はその内の1つ。
信徒の中でも【聖職者】と呼ばれる人達が操る聖なる力には呪いを解く効果があって、解呪は教団に頼むのが一般的でもちろん無償じゃない。
「その通り…だけど解呪できない。かけられたのは死後の呪いなんだ」
「なるほど」
術者が命を落とすと同時に発動する呪いで、しかも解呪は仕掛けた術者でないと不可能。それが死後の呪い。矛盾しているけど、発動した時点で解呪できないことが確定する。まさに命懸けで暴挙とも云える厄介な呪い。
「聖なる力で呪いを抑えても、身体は徐々に弱っている。このままでは…限界を迎えたとき一気に衰弱する。時間がないんだ」
「解呪すればいいのでは?」
「話を聞いてたのか?!できないから困ってる!」
「死後の呪いにも解呪法はあります。呪いを解呪するには、基本的に同等の代償を必要とする。つまり、誰かの命を捧げるという手段なら可能なはず」
理論上は可能。やるかやらないかという選択だけ。
「呪いに詳しいんだな…。その通りだ…」
「詳しい事情を知らないのでなんとでも言えますが、そこまでする必要はないと判断したんですよね」
「教団をなんだと思ってる!人でなしの集団じゃないぞ!」
「問題は生贄がいないということじゃないんですか?」
「違う!生贄を捧げずに救う方法を考えてほしい!手を貸してほしいんだ!」
おかしなことを言う。
「呪術師を除けば、解呪可能なのは教団だけでしょう。貴方達ができないことを他の者ができると思うんですか?」
「それは…」
「リスティア王女の助言で来たということは、王族も知っているということ。そちらで腕のいい呪術師を探してもらうのが最善だと思います」
「できないんだよ…」
「なぜ?」
「カネルラ王族は教団に関与できない。カネルラに限らないが、遙か昔から教団内部における問題に外部の関与を認めないと宣言している」
「関与したら?」
「王族や貴族であっても敵対するだろう」
強気だな。
「国の動向に左右されない独立組織ですか」
「ベクトガリア信仰は西の国で宗教化され、世界各地で教えを広めた。今でも総本部が発祥の国にある。教会は、教義を広める過程で根付いた支部のような存在で、各国家に帰属しない。協定を破ると教会の機能が停止する」
「解呪行為も停止すると?」
「そうだ。医療行為や祈念、裁判もだ。エルフは知らないと思うが、国民の生活に大きく関わっている」
確かに。孤児院にも教会の息がかかってるはずだ。国家に帰属しないと言いながら、古くから国民生活に多大な影響を及ぼしていて、発言力を持つ存在…か。
国王陛下でも口出しできないからリスティアは連絡してこないんだな。せめてボクの情報を与えて、依頼するかの判断はこの人に任せた。明るみに出たら、この人もタダでは済まないのだろう。所属する教団の信条に反するのだから。
「貴方はなぜその男を救いたいんですか?司教とやらになる者だからですか?」
司教が何者か知らないけど、自分の腕を落としてでも救うべきなのか。
「司教になるのは関係ない。ソイツとは同じ孤児出身で友達なんだ。変わった奴だが、俺は小さな頃に命を救われてる。今度は…救ってやりたい」
「そうですか。サバトに頼もうと思った経緯は?」
「人智を超えた魔法を操るサバトなら……打開策を編みだしてくれるかも…と考えたから」
「買い被りすぎです。それに協力するつもりはありません」
「なんでもする!たとえ解呪できなくても構わない!挑戦だけでもっ……なんとかお願いできないかっ…!」
「仮に協力するとして、どうすればいいんですか?」
「え?」
「王都に来いと言うならお断りです。それに、教団で権力のある立場なら一魔法使いが会えそうにない」
ボクは遠出しない。縁のない面倒事にも首を突っ込まない。少なくとも今は。
「そこは…俺がなんとかする!」
「顔も知らない人を救えると思えません。約束もできない」
「そんなこと言わずに……そうか、報酬か!なにが欲しいんだ!?なんでも言ってくれっ!」
「報酬…?」
言うに事欠いて……頭にくることを…。
「なんでも…と言ったな?」
「あ……あぁ…。俺にできることなら…」
「報酬など必要ない。解呪に協力してほしければ、その男が1人で来い。他者の随行は一切許さない。当然お前もだ」
「それは無理だっ!アイツは弱っている!」
「無理?どこまで図に乗る気だ?譲歩はしない。条件が気に入らないなら好きにしろ」
項垂れて帰っていく。本当なら断固拒否したかった。けれど、話だけは聞くと決めた。
躊躇せず腕を切り落とすなんて誰にでもできることじゃない。ココに来た覚悟と、大切な人を想っていることだけは理解できたから。
でも、だからこそボクに頼む意味がわからない。相手の人となりも知らない。呪われた背景もわからない。ボクには引き受ける理由が1つもない。
数日後。
魔法の修練中に人の気配を感じた。結界内に入ってきたのは1人。随分ゆっくり歩いてこちらに向かってくる。修練は一時中止して侵入者を待つ。
森から姿を現したのは、法衣に身を包んだ若い人間の男性。歩みを止めず、やがてボクの前に立った。
「いい場所で、とても空気がいい」
「感じますか」
「あぁ。お初にお目にかかる。私はフェリペと申す者」
「もしや、教団の次期司教ですか?」
「その通り。貴方はサバトだな。アルバレスが世話になった」
「なにもしていません」
「アイツが切り落とした腕を魔法で繋いでくれたと聞いた。感謝する」
「焚きつけたのはこちらで、感謝は筋違いです」
「そうか。約束通り1人で来たんだが」
「そのようですね。中へどうぞ」
「外で話してもいいだろうか。家の中は暗くて苦手なのだ」
テーブルと椅子を持ってくる。ついでにお茶も淹れて差し出す。
「本当に来たんですね」
「来ないと予想していたのか?」
「来るとしても複数だと予想していました」
「もし随行者がいたら?」
「話すことはなかったです」
「解呪について助力してもらえるだろうか?」
「アルバレスさんにも言いましたが、解呪できる可能性は低いです。それでもよければ」
「構わない」
不思議な雰囲気を身に纏う男だ。放つ匂いがずっと変わらない。こんな人は初めて。
「サバト。貴方はどんな人だ?」
突然曖昧な質問。
「自分勝手ですね」
「他人とは違うと感じるのはどんな時だ」
「物心ついてからずっと」
「貴方は今までになにかを成したか」
「なにも成し遂げていません」
問答はしばらく続いた。全てに答えたけど質問の意図が謎すぎる。
「貴方は真摯な人だ」
「初めて言われました」
「稀代の魔導師と呼ばれ、驚くような魔法を操る。今だって貴方は獣人にしか見えない。実に見事。アルバレスは腕の治療でサバトだと信じたと言った」
それは勘違いで、紛れもなく獣人。でも否定しないでおこう。伝える必要もない。
「幾つもの噂が聞こえてくるが、どれも貴方の真理を表していないと感じた」
「魔法を見ただけで人を判断できるのなら、魔導師は隠れて生きているでしょう」
「逆に、私の噂を聞いたことは?」
「一度もありません」
「私ばかり質問してしまった。聞きたいことがあれば答える」
気になることは幾つかある。
「呪いをかけられた理由と経緯を教えて下さい」
「推測の域を出ないが、原因はおそらく教団の内部闘争。私が将来司教に指名されることをよく思わない者の差し金ではないかと思われる」
「司教とはどんな立場ですか?」
「カネルラ国内に限れば、教団の頂点に立つ聖職者の地位になる」
「なるほど。命懸けで貴方を呪い、死することで得する者がいるんですね?」
「教団内には教義の解釈を違える派閥があり、いつの世も争いは絶えない。私が司教になれば、所属する派閥があらゆることに決定権を持つ。そんな世界なのだ。そして私が逝くまで続く。阻止したい者もいるということ」
「どんな状況で呪いを?」
「礼拝の後、突然私の眼前で信徒の頭部が破裂し、返り血を浴びたことで呪いが発動した」
予想以上に堂々たる行為。内部闘争の疑いがあるということは…。
「対する派閥の聖職者だったんですね」
「その通り。信徒達の面前で生起したことゆえ、誰もが事実を知っている。…が、狂気の沙汰として処理された。この一件により更に対立が激化している」
「フェリペさんが次期司教に選ばれた理由は?」
現職者が亡くなるまで司教は変わらず、しかも派閥があるということは互いに候補を擁立するだろう。なのに、既に決定していることが疑問。この人はまだかなり若い。他にも候補者はいそうだ。
「教皇様が私の聖なる力を認めてくださった」
「教皇とは?」
「ガリア教団における最高権力者。頂点に立つ御方であり、私の力を見て「カネルラはフェリペに任せる」と仰られた」
「教皇の言葉は重いんですね」
「一声で世界中の何万という信徒が動く。そんな御方の決定であっても、対象が亡くなれば仕方ない。ゆえに同派閥の仲間達は私を守ろうとしてくれる」
「権力を握るために、暗殺でもなんでもありになってしまうのでは?」
「貴方の言う通りだ。清廉潔白を謳う教団の歴史は…血に塗れている」
会話していても匂いはほぼ変化なし。感情をまったく読み取れない。今のところ真実を話していると感じるけれど。
「他に質問は?」
「解呪について貴方の見解を聞かせてください」
「スケープゴートにより解呪は可能だが、それは断固避けたい。その場合、生贄の役割を担うのはアルバレスになる」
「なぜです?」
「教団で兄弟同然に育った。私が他者に命を求めない性格を知っていて、実行するとなれば間違いなく自分が立候補する。どうして友を死なせられようか」
「もしや、既にアルバレスさんから提案されて…?」
フェリペさんはコクリと頷く。
「俺が身代わりになる…と説得されたが断った。友の命を捧げられて生きたくなどない。私はただの一聖職者であり、価値があるとも思わない。だが、アイツは諦めず独自に動いて別の方法を模索し貴方を探し出した」
そういうことだったのか。王族に掛け合ったのも、教団の意向を無視したアルバレスさんの独断ということ。フェリペさんの意向すら無視して、ただ友を助けたいという純粋な心意気を感じる。そして、この人もアルバレスさんの気持ちに応えるようとココを訪れたのか。
「ありがとうございました。もう充分です」
「肝心なことを聞かれていないが」
「なんですか?」
「報酬だ」
「報酬を求めて助力するつもりはありません。強いて言うなら、サバトに関する全てを他言しないこと」
「了承した。では、なぜ引き受けてくれるのか」
「単純に死後の呪いに対する興味。そして、アルバレスさんとの約束を守ることだけ」
「私が何者でも関係ないのだな」
「少なくとも協力したいと思えました。期待に添えないと思いますが」
「では、解呪に協力願う」
死後の呪いとはどんなモノなのか知らないし、この人を見ただけではわからない。どうにか解呪することができるだろうか。




