646 人の振り見て我が振り直すべき?
「ごめ……なさ……ハッ…!」
離れのベッドで眠っていたユリアナさんが目を覚ました。上体を起こしてジッと一点を見つめてる。
「私は…死んだの…?」
「生きてますよ」
「わあっ!い、いたの?!」
「ずっといましたね」
どうやら元気だ。
「…あれだけ傷だらけだったのに…綺麗に回復してる…」
「傷薬で治療しました」
「貴方が治療を…?なぜ…?」
「親猫に頼まれたので。貴女を治療してやれと」
「本当に…?猫がそんなことを…?」
「そうでなければ見殺しにしていました。助ける気などなかったので」
突然ポロポロと涙をこぼすユリアナさん。
「私達は…子猫を奪おうとしたのに…」
「貴女の差し金じゃないことはシャノも理解したんだと思います。謝罪に真心を感じたからその程度で済んだ」
「動物学者が動物を攫うなんて…恥知らずもいいところ…。動物に許されるなんて…。うぅっ…」
「貴女はなぜ戻ってきたんですか?」
「謝るタメよ…。親猫の怒りを身をもって感じた…」
「そうですか。ところで、仲間達は?」
「プリシオンに向かった。護衛もいなくなって、もう調査を続けられない。遺体も運ばなきゃいけないし」
今なら冷静に答えてくれるだろうか。
「あの男が子猫を狙った理由に心当たりは?」
「わからない。あるとすれば…研究目的で飼うとか…」
「他には?」
「思い付かない。だって考えたことがない。ただ、プリシオンに戻ったらダウトの身辺を調査するつもりよ」
ユリアナさんはボクを見る。少し怯えたような目で。
「貴方は…人を殺すことに躊躇いがなかった。なにも感じないの…?」
「質問の意味がわかりません」
「私も…殺すつもり…?」
「殺す気なら貴女は目覚めてない。治療もしません」
「そうよね…」
シャノに頼まれてなければ放置していたけど。
「私を…偽善者だと思ってるでしょ…?」
急にどうしたのか。
「なぜ自分が偽善者だと?」
「言動に説得力がない。動物第一で行動しているつもりな、動物を怒らせてしまう。貴方を野蛮だと罵れば身内が原因を作ってる。私って…なに?」
「単にそんな人間というだけで、善に本物も偽物もないと思いますが」
小難しいことを考えてるな。いかにも学者っぽいような、浅ましいような思考に感じる。
「死んだ2人の家族になんて伝えればいいのか悩む」
「ありのまま伝えればいいのでは?獣人に斬りかかって反撃された。猫を誘拐して無残に死んでしまったと」
「貴方って…冷酷とかおかしいと言われたりしない…?」
「さぁ?」
自分の常識に当てはまらない者は総じておかしいと言われる。ボクも昔からそうだった。でも、大抵の者は癖があるけどまともで、本当におかしな奴というのは世界中探しても一握りしかいないと思ってる。
「私達は、プリシオンの王族直々の依頼という理由でカネルラに許可をもらったのよ。国王同士が懇意だから」
「そうですか」
「調査団になにが起きたか調べられるかもしれない。貴方にも調査が及ぶかも。先に戻った者が事情を伝えるだろうし」
「その時はその時です」
「動じないわね」
「回りくどい言い方はやめませんか?」
含みがあるような物言いが段々面倒くさくなってきた。そもそもボクは面倒くさがり。
「さすがにないと思うけれど、プリシオンとカネルラの外交問題に発展するかもしれないということよ。そうなったら……あぁ~!面倒くさい!」
「ソレが本音ですね」
ちょっとだけ共感できる。
「他国の…しかも保護区の動物を攫うという悪行はカネルラの信頼を裏切る。プリシオン上層部の顔にも泥を塗るわ。事実の改竄や隠蔽なんて恥知らずな行為はできない。最悪の場合、学者としての権限も取り消されるかも…。はぁ~…。憂鬱…」
「知らなかったのなら、堂々と主張すればいいのでは?盗人と獣人のケンカに巻き込まれたと」
「貴方が悪者になる可能性すらあるのよ?」
「なにか不都合が?」
「私にはないけど」
「じゃあ、そうすればいい。悩むフリをするのが貴女の言う偽善者というヤツでしょう」
「…ふふっ。笑えてきた!」
なにやら吹っ切れた様子。
「全部余計なお世話ってことでしょ?猫に殺されかけたヘボ学者の気遣いなんてさ」
「別にそんなこと思ってません」
…ん?外から鳴き声が聞こえた。ドアを開けるとシャノと子猫達がいて、元気よく離れの中に入ってくる。
「猫……可愛い…」
シャノだけユリアナさんの傍に来た。子猫達はそれぞれ自由に遊んでる。癒されるな。
「ニャ~ッ。ニャ~」
「奴がそう言ってたのか。眠らされる直前に聞いたんだね」
「親猫は…なんて言ってるの…?」
「攫った男は、子猫達を見て「金になる!」と喜んだ。「ゴヨークが喜ぶ」という言葉も吐いた。意味がわかりますか?」
「本当に理解できるのね…。ゴヨークは…プリシオンの有名な貴族で大商人でもある。そして…闇の売買での顔役だと言われてる大物」
話の流れから推測すると、目的は不明だけど子猫を商人に売るつもりだった可能性が高そうだ。シャノは身体が大きすぎて、隠して運ぶのは難しいと判断されたのかもしれない。
「その商人は、動物の売買も行っているんですか?」
「わからないわ」
「では、過去に保護した動物がいなくなったりしたことは?」
「まだ私達を疑っているの…?気分が悪い」
はぁ…。面倒くさい奴だ。
「疑われたくないなら今すぐ失せろ。ついさっきの出来事を都合よく忘れたのか?お前ならこう言うだろう?「犯人の一味が偉そうに」」
自分を聖人君子だと勘違いする頭のめでたい輩と話すのは疲れて仕方ない。信じていない相手に「信じないのはおかしい」と主張されたら、下らなすぎて溜息が出る。
『人間と会話するときは、礼儀を弁え努めて冷静に話せ。ただし、謙る行為を好機と捉えて図に乗る者が存在する。上位に立つことで理不尽を押し通そうとする。見極めて対応するんじゃ。お前ならできる』という言葉はガレオさんの教え。いつだって獣人にもわかりやすく、シンプルに教えてくれていた。
この人は、まさにそんなタイプの人間で直ぐに上からモノを言おうとする。けれど、完全に逆効果だと気付かない。
「…ちゃんと答えるわ」
「答えなくていいからさっさと出ていけ」
「冷静になりなさいよ。答えると言ったでしょう。保護していた動物が…いなくなったことはある。脱走したということで片付けられているけれど…中にはダウトが飼育担当だった動物もいたはず」
昔から横流ししていた可能性があるということだな。それだけわかれぱ充分。
「ミィ~」
「ニャッ」
子猫達がユリアナさんに興味を示している。
「シャノ。皆が遊びたいみたいだ。いいかい?」
「ニャ~…」
渋々『仕方ない』と許可してくれたので、子猫達をベッドに載せる。
「えっ?!」
「ニャ」
「ニャッ」
子猫達はユリアナさんに近寄って、身体をすり寄せたり手を舐めている。
「私と…遊んでくれるの…?…うぅ~っ…!ありがとぅ~~…!」
自由奔放な行動の子猫達が、この人と遊びたいのなら止める理由はない。おかしな動きをすれば即座に対処するだけ。
「私の顔…ひどい状態じゃない?」
「別に普通です」
ユリアナさんは泣きすぎて瞼が腫れ上がってる。来たときとは別人のようでほんの少ししか目が開いてない。視界が狭いのか手探りでコップを掴み取ってお茶を飲んでいる。
「疑問があるわ。訊いてもいいかしら?」
「どうぞ」
「ダウトが…喚きながら勝手に倒れたのはなぜ?わかっていたから剣を突き立てたんでしょう?」
「未来が視えると言ったら信じますか?」
「信じないに決まってる」
「では、言うことはありません」
獣人が魔法を操るのは同じくらい信じられないことだろう。そもそも正直に伝える必要性を感じない。
「貴方って、私のこと嫌いよね?」
「嫌いです」
「なのに、なぜ助けたり子猫と遊ばせてくれるの?」
「シャノや子猫達には関係ないので。彼女達の想いを尊重したい。あと、誘拐の首謀者じゃないからです」
「思ったことをそのまま口にするのね」
「貴女は違うんですか?」
「虚勢を張らなくちゃいけない時も多い。女性ってだけで舐められることもあるし。気を使わなかったらこんな感じよ」
丁寧な口調より今の方が話しやすい。最初から違和感が凄かった。空元気というか、鈍いボクでも本音で話してないと丸わかりだったくらいに。
「言いたい放題言えば仕事もなくなる。常に本音で語ることを羨ましいとは思わない。まぁ、私の言葉はまったく響いてないでしょ?」
「えぇ。まったく」
「ズバッと言うわね。ちょっとだけ偉い立場だから、普段は周りの皆が意見を聞いてくれる。でも、実際はウザがられてるのかも」
「尋ねれば答えてくれると思いますよ。人の意見を聞く耳があるなら」
「ほん…っとにズケズケ言う!毎回一言多い!遠慮とかしないのっ?!」
「貴女に遠慮する気も、する理由もないので」
「そこまでハッキリ言われると、逆に心地いいわ」
普通に話してるけど、言い辛いことを無理して言ってるように聞こえるのか?だから噛み合わないのかもしれない。
「それにしても、子供の頃から動物が好きで学者になったのに、動物絡みの悪事に加担していたかもしれないと思うとやっぱり自己嫌悪」
「貴女の故意ではなく、いかに優秀な上司であっても1人で組織の全てを掌握できないと思いますが」
「意外。少しは理解があるのね」
「問題は、部下だから疑わないという危機感の欠如で、ボクが攫った男の立場ならその隙を突きます。単純で与し易い上司は楽でしょう」
「言わせておけば…」
「仕事でもなんでも、気を取られると隙が生まれるのが普通じゃないですか?ボクも攫われたことに気付くのが遅れました」
「まぁ…そうかもしれない」
アニカが攫われたときにウイカに言われた「誰だって四六時中警戒していられない」という言葉が身に染みる。けれど、あの失敗があったから直ぐに対応できた。
「子猫達は魔法で姿を消されていた。匂いで気付いたのね」
「えぇ。風下で連れ去ったからバレないと思ったのか、若しくは獣人の嗅覚を軽んじていたか。あるいは、魔法で匂いは隠せないことを知らなかったのか」
「最後の理由はあり得ない。ダウトは、元々プリシオンで名の知れた魔導師だった。問題児だったけれど、将来は確実に大魔導師になると期待されていたほどの実力なのよ。自信家で協調性のない性格でも、役立つ魔法を駆使して調査に貢献してくれた。今となっては…動機が不純だった可能性が否定できないとしてもね」
随分と勘違いされていそうだな。動機云々ではなく、魔導師としての評価が。奴は大したことない技量の魔導師だと断言できる。『隠蔽』もかなり付与が荒くて、魔力の波が歪んで視認できたくらいだ。
猫小屋に魔力が残されていたのも、かなり雑な魔法を使った証拠。ボクでももっと上手くやれる。悪事に魔法を使う奴らで、今まで凄い魔導師に会ったことがない。プリシオンの魔導師のレベルが低いとは思わないから、大魔導師候補は過剰な評価。自負して周囲に吹聴してたってところか。ボクと同じつまらない魔法使いなのに、プライドが高い。
「経歴に興味はありませんが、ボクとは共通点を感じます」
「へぇ。自分が粗暴な男だと認めるのね」
共に未熟な魔法使いという意味なんだけど、なぜそうなるのか。
「奴は粗暴じゃないです。荒々しさの欠片もなかった。ただ、人らしく感情的に行動するだけで」
「感情的な方が人として正しいっていうの?不利益しか生まないでしょ」
「正しいかは知りません。ただ、感情を抑えることで事態が好転することはあるでしょう。今日の貴女のように」
「どういう意味…?私がなにをしたって?」
「詭弁を並べ立てるだけで、ボクの行動を傍観したから生きている。仲間を守ろうと感情的になって、斬りかかった護衛は命を落とした。善意の行動であってもいい方向に転ぶとは限らない。計算高い行動を選択する狡猾な者が生き残る」
彼女が攻撃を仕掛けてきても同じ目に遭わせていた。けれど、そうならなかったのは彼女の計算に他ならない。戦闘は他者に任せ、自分は安全な後方に陣取り、金切り声だけを浴びせて満足感を得るだけの下らない自慰行為。
「信じられない…。無慈悲で暴力的な、頭がイカレた者の発想だわ。自己陶酔した愚者の思考よ。尊重や思いやりが皆無で、独りよがりな論理にしか聞こえない」
「否定するのは御自由に。ボクの言葉も貴女には響かないでしょう。議論する気もありません」
「結論を相手に委ねて、直ぐに逃げるのは卑怯極まりない。臆病者の典型的な心理」
「よほど人心を掌握する術に長けているんですね。ただ、ボクのことを言葉だけなら攻撃しない獣人だと侮っているなら思い違いですよ」
大義名分があると反撃しやすいのは確かでも、虚仮にされて立腹すれば相手が誰であろうと行動に移す。相手によって怒りをコントロールする奴は単なる見栄で、ソイツは心底怒ってなどいない。
獣人は、全ての種族の中で怒りの感情が最も純粋だと思える。だから後先を考えない。人を簡単に殴ったり蹴ったりする。自分が思うように行動し、大きな快楽を得て後悔しながら死んでいく。
以前より我慢できるようになった自信があるとはいえ…ずっとこの煩い女を黙らせたい衝動に駆られている。ボクは賢くも優しくもない獣人。別に粗暴でもなく自分勝手なだけ。
さてと…会話に疲れてきたな。今日は心が回復するまで相当時間がかかる。
「そろそろプリシオンに戻られてはどうですか?」
「そうするわ」
「最後に言っておきたいことは?」
「なにもない」
いつもなら無事に森を抜けられるよう願うけど、そんな気にならないな。街まで護衛するつもりもない。
「ミィ~」
「…これからも元気に暮らしてね。悪者に…攫われたりしないよう気をつけて」
「ニャ~」
「ないと思うけれど…また会うことがあったら…その時は遊んでほしい」
子猫達と別れの挨拶を済ませたユリアナさんと住み家の外に出て、念のため去っていく後ろ姿を見送ることに。
静かに森の中に消えた。よほど運が悪くなければ森は抜けられる。この時間は魔物との遭遇率は高くない。
それにしても…『森に動物の調査に来た』とは冗談がすぎる。『旅行に来た』の間違いだろう。危険な地域に足を踏み入れるのだから、誰かが命を落とすことは想定内。百も承知のはずなのに、理由はどうあれ調査を中止して撤収した。
動物に遭遇する確率が極端に低いのは言うまでもなく、ダンジョン攻略のように積み重ねが重要なのにリスクを嫌っている。何度も訪ねる気なら筋は通る。準備を整えて再訪すればいいけど、あの口振りから直ぐに戻ってくることはあり得ない。
おそらくいい年齢なのに、来るのは初めてだと言った。カネルラは友好的な隣国なのにだ。やる気など微塵も感じない。奴らは動物の森を観光地と勘違いしてる。運がよければ動物に会えるかもしれない…なんて甘い考えの旅行者気分。
既に亡くなっているけど、カネルラ在住で動物の森に何度も足を運び本を書き上げた動物学者がいた。ボクが尊敬する人物の1人である著者は、長い年月をかけて何度も森を訪れ情報を集めながら自分にできることを淡々とこなした。文面には見栄も虚勢もなく、長年の経験と情熱が凝縮された珠玉の1冊。
調査中に魔物に襲われ、片腕を失いながら書き上げた本の巻末には、動物の未来を憂う言葉が控え目に記されていたけど、心打たれた。彼は本当に憂いていた。紡がれた言葉には真実だと納得させる説得力があったから。
それに比べて、一貫性のない発言を繰り返し、芋を引いて逃げ出すような学者達の言うことに頷く者がいるんだろうか?できもしないことを口走らず、「動物に会えたら幸運だ」「可愛いから絶滅してほしくない」くらい言えばよかった。だったら間違いなく本気。まともだと感じたのは、シャノに身を投げだして謝ったことだけ。動物が好きだと言ったことは認める。
住み家に入りながらふと思い出す。
『相手に合わせる努力は必要だが、獣人の本質を隠したり捨てる必要はない。むしろ捨ててはならない。お前であることに誇りがなければ、生きることはただただ辛い』
今日は、なぜかガレオさんの言葉が脳裏をよぎるな…。まだ時期尚早なのか、ボクの理解力が足りないのか。不肖の教え子は実行に移すこともしない。でも、こうして思い出すのだから、ボクにとって意味のある言葉だと思える。死ぬまで理解できないのかもしれないけど。
やっぱりまだまだなのか。それとも、奴らが言うようにボクがおかしいのか。




