635 だらしない姉さん
出産を終えて子育て中のシャノは、ずっと子猫に寄り添い、ウォルトは常に親子の動向に気を配っている。
「ニャッ」
「ご飯だね。ちょっと待ってて」
ずっと母乳をあげているシャノは、動いてないのに食欲がいつもの倍くらいあって、作り置きしていたご飯を勢いよく食べてくれる。新鮮な水を切らさず、栄養価の高いご飯を作ってあげたい。想像以上の食欲で材料が不足しそう。
「シャノ。ミルクや食材を街に買いに行っても大丈夫かい?」
「ニャッ」
「早めに帰ってくるから」
『大丈夫』と言われたので、フクーベに向かうことにする。今回はランパード商会に行こう。
ランパードさんの屋敷じゃなく、商会に来たのは随分と久しぶり。フクーベに住んでた頃以来だ。
「いらっしゃいませ~。なにかお探しですか?」
店に入るなり笑顔の第1店員襲来。距離を詰めてくる迅速さが半端じゃない。静かにじっくり品定めしたい性格だから、対応の早さが苦手だったりする。
「売り子のキャロルさんはいますか?」
「あぁ、そっちですか。アソコにいますよ」
「ありがとうございます」
姉さん目当ての客だと思われたかな?実際その通りで、地味な格好をしたキャロル姉さんがカウンターに立ってる。
「姉さん。久しぶり」
「アンタがこっちにくるなんて珍しいねぇ。なんだい?」
「直接言おうと思って来たんだ。昨日、無事に生まれたよ」
「なんだってぇ!?」
驚きっぷりが気持ちいい。隣の同僚も驚いてる。
「伝えに来たついでに買い物もしようと思って」
「ちょっと待ってな!旦那さんに休みもらってくる!」
「夜でもいいよ。迎えにくるし」
「アタイが今すぐ行きたいんだよ!いいから待っときなっ!」
素早くカウンターから姿を消した。言い出したら聞かないのは知ってる。帰ってくるまでに食材を見繕っておこう。姉さんは思ったより早く戻ってきた。
「ウォルト。さっさと行くよ」
「ちょっと待った。まだ食材を選び終えてないん…」
「早くしなっ!」
「せっかちだなぁ。厳選したいからもう少しだけ待ってくれ」
「仕方ないねぇ。金はアタイが出す」
「大丈夫だ。ちゃんと持ってきた」
「出すってんだよ!」
「わかったよ」
姉さんにも一緒に見繕ってもらおう。あぁでもない、こうでもないと2人で選んでいると、店員達の視線を集めていることに気付く。
「妙に注目されてるっぽいけど…」
「アタイが男と親しげに話してるのが珍しいんだろ。無視しときな」
姉さんは昔から変わってない。女性とは普通に話すのに、男にはいつも冷たい態度で接する。なぜボクには好感を持ってくれたのか理由を未だに知らなかったりする。
「キャロル。お熱いね~」
「お似合いですよ!」
「お前が会長以外の男と普通に話してるのを初めて見た。ちゃんと話せるんだな」
「余計なお世話だ。無駄口叩いてないでさっさと勘定しな」
同僚達に勘繰られながら代金を支払って商会を後にする。街を出てから姉さんを背負い全力で駆け出した。
住み家に到着するなり、姉さんは猫小屋に一直線。ドアの前で深呼吸してる。
「ふぅ~…」
「緊張してるの?」
「当たり前だろ。生まれて初めて子猫を見るんだ」
「かなり可愛いよ」
「言われなくてもわかってる」
そっとドアを開けて中を覗く姉さん。小屋の屋根は低いから屈まないと入れない。
「ニャ~」
「シャノ。久しぶりだねぇ。……可愛い子猫ばかりじゃないか。黒猫もいるのかい」
「ニャ」
「連れて帰ったりしないさ」
シャノは『連れて帰っちゃダメだ』と先手を打ってる。母さんのせいだな。
「ご飯は食べてるのかい?」
「ニャッ」
「ちょっと子猫に触れていいかい?優しくするよ」
「ニャ」
「ありがとさん」
姉さんはしばらく同じで姿勢で動かない。落ち着くまで待とう。
「ナァ~」
「はいよ」
ごそごそ外に出てきたキャロル姉さんは意外なことに表情が緩んでる。初めて見る顔で、目も口も眉も『へ』の形。てっきりいつものように慈愛に満ちた顔をしてると想像してた。簡単に言うと、ふにゃふにゃ。
「ウォルト。シャノは腹が減ってるらしい」
「直ぐにご飯を作る。その前に…」
猫小屋に入って子猫達の排泄物だけ綺麗にしておく。清潔にしておかないとどんな病気に罹るかわからない。姉さんもご飯作りを手伝ってくれるみたいだ。
「たまらないねぇ。あの子達に会えて幸せだよ」
「黒猫は特にじゃないか?」
「まぁね。けど、4匹とも同じくらいさ」
さっとシャノのご飯を作る。
「アタイが持っていく」
「水も一緒に届けてくれ」
渡すとあっという間に台所からいなくなった。子猫は何度でも見たい。そして癒やされたいという欲求が生まれる。姉さんはしばらく帰ってこないだろうから、今の内にやれることをやろう。
下半身だけ小屋から出してる姉さんを横目に畑仕事をこなしていく。見てくれてる方が安心して作業できていい。作業の合間にチラッと見たけど、ずっと同じ姿勢はキツいだろうと思って背後から話しかける。
「姉さん」
「ビックリしたぁ!いきなり話しかけるんじゃないよ!」
じゃあ、どうすればいいんだ?突き出した姉さんのお尻が怒ってる。目のやり場に困るな…。
「ずっとその姿勢じゃキツくないか?中の間仕切りを取れば一緒に寝るスペースができるよ」
「その方がいいけどねぇ」
「シャノ。取ってもいいかい?」
「ニャッ」
いい返事をもらえたので、間仕切りを取って姉さんが中に入る。
「シャノが休んでるときに子猫が欲しがったら、ミルクをあげてくれ」
「どうやるんだい?」
哺乳瓶を使ったミルクのあげ方を伝えると、真剣に聞いてくれた。あとは任せよう。なにか異常があれば直ぐに教えてくれるはず。その後も野菜の収穫や種蒔きをこなしていると…。
「…1……2……3匹」
展開している結界魔法の範囲内に魔物か獣が入ってきた。普段なら気にしないような距離であっても警戒は緩めない。ドラゴン騒動のとき以上に猫小屋に近付く脅威に神経を尖らせている。いつもなら気が緩む料理中も決して油断しない。
魔物も人も関係なく、妙な動きを見せたら先手を打って容赦なく攻撃すると決めてる。今回はしばらくうろついて姿を消したのでとりあえず安堵した。
「作業は終わったけど…姉さんはまだ子猫を愛でてるのかな?」
猫小屋を覗くとシャノと目が合った。姉さんと子猫達はすやすや寝てる。
「ニャ~?」
「そんなことないと思うけど、起こすかは任せるよ」
『キャロルは疲れてる?』とシャノに心配された。
「ナァ~」
「それは…大丈夫かなぁ?」
『子猫達をお風呂に入れてほしい』と言ってる。少し匂うけど、水やお湯を身体にかけていいのか。生まれたての身体には負担になりそうな気がして。
「魔法で毛皮を綺麗にしようか?」
「ニャッ」
任されたので『清潔』で毛皮を綺麗にすると、ふわっと仕上がった。本物のぬいぐるみみたいだ。
「…ん。いつの間にか寝てた…のか」
姉さんが目を覚ました。
「おはよう」
「…いいねぇ。綺麗な…毛並みになってるじゃないか。…毛並みといえば…」
「なに?」
「リタから…アンタに訊いてくれって頼まれたんだった…」
まだ眠そうだな。目が半分くらいしか開いてない。
「聞くだけ聞くよ」
「花街に…毛皮絡みで困ってる娘がいるんだとさ…」
「皮膚病ってこと?」
「病気じゃないらしい…。リタじゃどうにもできなくて…アンタの意見を聞きたいって…」
毛皮絡みの問題は自分や友達にも関わる可能性があって気になる。頼りにしてもらえるのは嬉しいけど…。
「花街には行けない。今はあまり長時間住み家を離れたくないんだ。ココに来てもらえたら力になれるかも」
「言っとくよ…。本気で困ってるなら…来るだろ…」
「もう少し寝たら?起こしてゴメン」
「いや…。いい…」
「ミィ~…」
声に反応したのか、子猫が起きて鳴いた。シャノはいつの間にか寝てる。
「ミルクをあげよう」
「…アタイに任せなっ!」
覚醒したかのように跳び起きて、ヘニャッ!とだらしない顔してミルクをあげてる。
「見てて飽きないねぇ」
「連れて帰りたくなるだろう?」
「アンタが羨ましい」
「姉さんも住んで構わないよ」
「誰にでも言ってんじゃないだろうね?」
「一緒に住める自信のある人にしか絶対言わない」
「アンタがある程度我慢できるヤツってことか」
「違うよ。師匠に文句を言われても突っぱねたいと思える人だ」
「そうかい。アンタの師匠ってのは動物好きなのか?」
「好きだと思う」
偏屈で傍若無人で唯我独尊だけど、大自然と生き物は好きだった。魔物は別だけど、無駄な殺生はしなかったし、どちらかというと人を嫌ってる。
「……姉さん。しばらく小屋の中にいてくれ」
「なんだってんだい?」
「魔物が出た。小屋は魔法で防護してるから安心していい」
「はいよ」
猫小屋のドアを閉めると、魔力を高めて探知結界の解像度を上げる。まだ遠距離だけど、住み家に向かって高速で移動してる。独特な動きなので知ってる魔物だと判別できた。
数秒後、森から猛スピードで飛来してきたのは、予想通りキラービートル。大きさはボクの頭より少し大きいくらいで、鋭い1本角が特徴の虫型魔物が集団で現れた。
『憎悪』
魔法で挑発して意識を集めると、陣形を組んで突進してくる。外殻は非常に硬くて、物理攻撃に強く魔法も効きづらい。機動力と攻撃力を兼ね備え集団で狩りをするように行動する知能が高く厄介な魔物。
『捕縛』
魔力の網で包み一網打尽……とはいかない。暴れるように角で網を切り裂いて、再び突進してくる。魔法も無効化する立派な角。何度あの角で肉を切られたり突かれたかしれない。口で齧られもしたっけ。昔はとにかく強敵だった。
ボクの狙いは一瞬でも動きを止めること。そして、陣形を崩して個々を狙いやすくすることだ。
『疾風迅雷』
使うのはリオンさんと闘ったとき以来。雷の刃を全てのキラービートルに命中させると痺れて地に墜ちた。1匹ずつ急所にナイフを突き刺して仕留める。動かなければ隙間から刃物を差し込むのは容易で、傷付けずに討伐完了。
キラービートルの角や外殻は素材として使える。そして、肉は食べると美味しい。大好物だ。さっと魔法で解体して素材を分けておく。
「姉さん、もういいよ」
「そうかい。けど、アタイは出ないぞ」
「ははっ。別にいいよ。暑くないの?」
「大丈夫さ。この中が適温なのはアンタの魔法だろ。住めるくらいだ」
結局、姉さんはトイレ以外で小屋から出ることはなく、シャノと一緒に晩ご飯を食べてから夜にフクーベへと帰った。
キラービートルを使った料理が大層お気に召したようで、姉さんとシャノは山ほど食べてくれたな。多分、猫の好む味だからだと思われる。できるなら子猫達にも食べさせてあげたいので肉は保存しておこう。
その時は、両親にも連絡してみようか。猫が勢揃いで食べたい。




