631 今しか味わえない
「ウォルト。お前を連行しにきた」
住み家を訪ねてきたボリスにウォルトがカフィを差し出すと同時に告げられた。
「罪状はなんですか?」
「薬の違法譲渡と使用だ。思い当たる節はあるか?」
「結構あります」
「あるのか…」
何人かに飲ませたり処方してる。心当たりがありすぎる。ボリスさんはゆっくりカフィをすすった。
「告発したのは、フクーベの孤児院で病が流行したとき診察した医者と薬の調合を依頼された薬師だ」
「納得です。詰所に行きましょう」
「いやにあっさりしているな」
「事実なので。相手の同意なしに自家製の薬を処方してはならないとカネルラの法律で定められていて、あの時は全員に確認していません」
「飲みたい」と言われたとか、子供達の意見についてシスターからの又聞きだった。実は飲みたくなかった人もいるかもしれない。
「孤児院で事実確認をして、お前の名を聞いたときは驚いた。被害者もなく当人達も問題視していない。本来なら不問に処される事案だが…医者は既に数人から裏を取って直接の確認を怠っていることを知っていた」
「経過観察で確認したときに聞いたのかもしれませんね」
「ふぅ…。お前はお人好しじゃないと知っているが、そんな部分もなくはない」
「どういう意味ですか?」
「医者は誤診の伝播を恐れ、薬師は自己の商売を守ろうと告発した…とは考えないのか?」
「なくはないと思います。けれど、捏造ではないので」
噓なら腹も立つけど事実には変わりない。
「フクーベに行くとするか。この場で取り調べるのが最善だとは思うが」
「気にせず行きましょう。シャノに一言断っておきます。今日中に帰れそうですか?」
「確約できないが帰れるだろう。逃走の恐れもない」
「では、ご飯だけ準備させてください」
シャノに説明して遅くなることを伝えると、興奮してボリスさんに襲いかかろうとした。なんとか宥めたけど、これまでで1番怒ってたな。
何度か訪れているフクーベの詰所に到着した。
「入っていいぞ」
詰所では数人の衛兵が椅子に座ったまま仮眠をとったり書類を書いたりしている。
「今から事情聴取したい。奥の部屋は空いてるか?」
「空いてるぞ……って、お前はブロカニルの時の…」
目が合ったのは、ブロカニル人による衛兵殺害のときに同行していた衛兵。
「なにをやらかしたんだ?」
「自家製薬の譲渡と使用です」
「そうか…。あの時は助かったよ」
「いえ」
律儀だな。
「ココだ」
部屋に入るよう促され、中に入ると質素な椅子のみが置かれた空間。ボリスさんの他に1人加わって、どうやら2人体制で聴取されるみたいだ。もちろん初めての経験。
調書を作成するのと、容疑者が暴れても数で優位に立つタメかな。あと、ボリスさんはボクと知り合いだから避けたんだろう。聴取するのは初見の衛兵。
「では、事情聴取を開始する。名前は?」
「ウォルトです」
「家名は?」
「ありません」
「お前には、フクーベの孤児院における薬の不同意使用の嫌疑がかけられている。細かく言えば、自家製の薬を相手の同意なく譲り使用させた疑いだが、心当たりは?」
「あります」
「孤児院の修道者及び子供達の一部に許可なく薬を飲ませた。合っているか?」
「異論はありません」
「修道者の大多数は「お前に罪はない」と庇ったが、どう思う?」
「気持ちは有り難いんですが、事実は事実です。一部の人には確認をとっていません」
細かく状況を確認してくるので、冷静に記憶にあることを答える。虚偽はない。
「ウォルト。お前は獣人なのに薬を作るのか?」
「はい」
「古くから伝承されて、家庭で作られ使用されている薬は多数存在するが、お前は医者のように病を見抜いた上で調合したと聞いている」
「症状から病を予想して的中しただけです」
「仮に予想が外れていたら?飲んだ者達に被害があると思わなかったのか?」
「その時は回復させる薬を調合してました」
「そこまで考えたうえで自信があったということだな。ちなみに、この場で調合することも可能か?」
「素材と器具があればできます」
「たとえばだが、俺は持病を抱えている。病名がわかるか?」
「喉から胃にかけて炎症があり、吐血するような病。痰血吐症では?」
呼吸と共に血の匂いが漂う。目の充血や声のかすれもあって、そうじゃないかと思っていた。
「正解だ…。薬を作れるか?」
「作れます」
「器具を揃えるから調合してみろ。俺がお前の腕を身をもって証明しよう」
「証明する必要はありません。あの時とは状況が違います。通常なら薬師に依頼するべきですし、貴方は聴取の直前に薬を飲んでいるでしょう?」
息には薬の匂いも混じっている。
「…お前はどういう獣人だ?」
「白猫の獣人です」
知らない衛兵に薬を調合したりしない獣人で、無責任なことはしたくない。
「疑いを晴らしたくないのか」
「供述した通りなので、晴らすべき疑いはないです。この後はどうなりますか?勾留されますか?」
「話に齟齬はなく悪質な行為でもない。通常なら勾留は必要ないが、審官の意見を待て」
「ということは、別に牢に入って待ってもいいんですよね?」
「まぁ、そうだな」
「では牢に行きます」
調書を書いていたボリスさんが溜息を吐いた。
「俺が連れて行こう。静養しておけ」
「そうか。頼んだ」
「貴方に一言だけ。お節介だと思いますが、治らないようなら薬を変えた方がいいと思います」
「薬を変える?」
「配合が体質や症状に合ってない可能性があります。医者に伝えないといつまでたっても完治しません」
「なるほど。そうしてみる」
ボリスさんの後を付いて歩く。
「ウォルト…。さては牢に興味があるな…?」
「実は一度入ってみたくて」
「普通なら寄り付きたくもない場所だ」
「こんな時くらいしか入れないので」
友人や家族が勾留されるのはよくないけど、自分が入るのは一向に構わない。ボリスさんが開けた牢に入ると思ったより中は広くて誰もいない。
「コレが牢…。ほぼ想像通りですね」
「牢屋は観光地じゃないぞ」
「知ってます。柵はもう少し頑丈にしたほうがいいのでは?脆い造りですね」
鉄の柵は表面に錆が付着して、経年劣化も進んでいる。鍛冶を習っているから金属の強度や状態もある程度は判断できるけど、ボクの魔法でも軽々吹き飛ばせそうだ。
「予算がない。それに、この牢は小悪党用だ。凶悪犯用の独房は違う」
「あの~……よければ独房に…」
「ダメだ」
残念。
「時間はさほどかからない。大人しくしていろ」
「脱走はしませんよ」
「わかってる。念押ししておくが余計なことをするな。あらぬ疑いがかかるぞ。いいな?」
ボリスさんは扉に鍵をかけて戻っていく。
さてと……命令されると本能的に反抗したくなるのが獣人という種族の性。余計なことをやりたくなったのはボリスさんのせい。ボクは「やらない」とは言ってないし。詰所に隣接しているからか、この牢には番人もいない。
隅々まで牢屋を観察して思った。まず、とにかく汚い。床には唾を吐いた痕があったり血の痕もある。嘔吐した痕も。怪我人や酔っ払いも勾留しているから…と予想できる。
隅にはトイレがあるけど、仕切りもなくて衛生的に問題あり。犯罪者にも人権があって最低限の環境を整えているとしても使う気にならない。
まず牢を綺麗にしよう。『清潔』で便器の外を綺麗に磨き上げ、中も綺麗にして『浄化』する。汚いのは掃除しない衛兵が悪い。
次に…この牢屋は臭い。脱走防止か大きな窓はなく、ボクでも覗けない高さに空気と光を取り入れる鉄格子付きの小窓があるだけ。頻繁に空気の入れ換えをしなければ染みついた匂いはとれない。床や壁を綺麗に掃除したあと、空気を入れ換えて消臭しよう。衛兵の手間を省くタメなら文句ないはず。
作業すること数分。牢の中だけとはいえ、清潔で快適な空間が出来上がった。寝転んでも問題ないレベルの仕上がりに満足。短時間ならストレスなく過ごせる。
まだボリスさんが戻ってくる気配はない。「さほど時間はかからない」の『さほど』には幅がありすぎる。どのくらい時間がかかるのか不明。
暇なので、いろいろ探ってみることにした。魔法を使って柵の材質、建物の構造、脱出経路などを探り、発見されずに脱走する構想を練ってみた。後先考えないなら柵を破壊するのが最速の脱走手段だ。こっそり抜け出すなら小窓から脱走を図るのが最善。
『鷹の目』を詠唱して鉄格子の隙間から覗いてみると、小窓の外には障害物がない。過去に脱走されたことがないんだろう。ボクなら罠を張る。小窓から魔法の鳥を飛ばして、詰所の入口に向かう。こっそり中を覗くとボリスさんは机に向かって書き物をしていて、ボクのことなど忘れていそう。
『ボリスさん。あとどのくらい時間がかかるんですか?』
鳥を通じて『念話』で話し掛けると、ピクッと反応した。重い腰を上げて牢屋に向かってくる。
「お前は……本当に…」
「綺麗にしておきました」
「余計なことをやるなと言ったはずだ…」
「罰として掃除をやらせたと言い張ってください」
「道具はどうした?短時間でか?…と怪しまれること間違いなしだ」
「誰にでもできる程度の清掃です。ところで、判決はまだですか?」
「まだ30分も経ってない。あと数時間はかかる。誰だって暇じゃないんだぞ」
なんだって?!
「そんなにかかるなら牢に入らなければよかった…」
「お前が入ると言ったんだろ!俺は住み家に帰らせるつもりだったが、先に言われて断る理由がない!」
「確かに…」
もっと直ぐに決まると思っていた。また1つ学んだ。
「暇を潰したいので、魔導書を貸してもらえませんか?」
「そんな大層なモノが詰所にあると思うか」
「魔道具製作の本とか?」
「ない」
「あるのは?」
「犯罪関連の本くらいだ」
「仕方ないので我慢します。貸して下さい」
「お前は……自分の立場がわかってるのか!黙って待ってろ!次に来るまでに元通り牢も汚しておけよ!お前ならできるだろ!」
怒りながらボリスさんは去っていく。また汚せだなんて無茶なこと言うなぁ。指示を無視したとはいえ、綺麗に掃除したくらいで青筋立てて怒らなくてもよかろうに。
ボリスさんは真面目すぎる。そこが長所であり短所だけど、わかりきっていたこと。さて、今からなにをしようか。
2時間ほどして、再度ボリスさんが牢を訪ねてきた。
「お前って奴は…。一体どうやって…」
「ちゃんと汚しておきましたよ」
魔法を使って掃除する前の状態を再現しておいた。汚いけど唾は吐けばいい。血痕は、自分の腕を傷付けて飛散させたり塗りつけるだけの簡単作業。いい具合に焦がしたり『乾燥』させたら完成。
便器と吐瀉物は再現したくなかったので、掃除したことにしてもらおう。やってみると再現も意外に楽しかった。いろんな技法で汚せそう。
ボクは『風流』のクッションに座って愛剣の手入れをしている。ほんの軽く研いだり、隅々まで細かく汚れを磨いたり。さっきまではキャロル姉さん用の知恵の輪を作っていて、牢屋からヒントを得て満足いく作品ができた。
「刑は確定しましたか?」
「先に答えてくれ…。どうやって剣を牢に持ち込んだ…?」
「ローブのポケットに入れてました」
「嘘つけ!どう見ても入らない大きさだろう!」
「魔法で『圧縮』できるんです。こんな風に」
魔法で小さくしてポケットに収める。
「…まぁいい。無罪放免だ。もう出て構わない」
「柵を壊していいですか?」
「ダメに決まってる」
「また汚せと言ったのに?」
「牢を壊せとは言ってない!」
今日のボリスさんは怒りっぽいな。もう慣れてるけど。鍵を開けてもらって牢から出る。
「孤児院のマザーから、既に教会へ嘆願書が提出されていた。修道者や子供達の署名と共にな。お前は犯罪者ではなく救済者であると。無罪であると結審され、さっきの調書も全て破棄される」
「わかりました」
マザーは現場にいなかったのに信じてくれたのか。不満があった人もいたろうに。ボクは絶対に救済者じゃないけど。教会は裁判を取り仕切る場所でもある。孤児院が小さな教会を兼ねているのも赦された1つの要因かもしれない。
「お礼の挨拶に向かいます」
「もう牢に入るような真似をするなよ」
「約束できかねます」
「まさか……独房も見たいとか思ってないだろうな…?」
「………」
歩き出そうとして思い出す。
「そうだ。危うく仕上げを忘れるところでした」
「なに…?」
牢に向けて手を翳す。
『腐敗』
床や壁の表面が、部分的にドロリと崩れ悪臭が立ち込める。
「ぐぅっ…!?」
鼻を覆って顔を歪めるボリスさん。無機物でもほとんどの物質を腐敗させることができる闇魔法の1種。でも、好んで使うことはない。理由は、途轍もなく臭いから。鼻が曲がりそうだ。
「匂いも再現しておきます。約束は守りましたよ。では」
「ちょっと待てっ!もうちょっとやりようがあるだろう!」
「ありません」
これ以上の長居は無用。要望には応えたから、後は任せて孤児院に行こう。マザーや皆にお礼を伝えたい。料理を作らせてもらえないかな?
後日、「どれだけ作業しても匂いがとれず、牢が改修されることになった」とボリスさんから聞いたけど、ボクの魔法のせいじゃない。
綺麗にしてもダメ、汚してもダメならどうすれば正解なのか。無理難題を突きつけたボリスさんに問題があると思う。ボクは排泄物がとんでもなく臭い獣人で、さらにおかしなところがあって撒き散らしてしまった…ということで話は落ち着いたらしい。
失礼な話だけど、「こうなったのはお前が悪い」と断じられてしまった。久しぶりの平行線だ。




