626 アンタが言ったんだろ
「人を見かけることもほぼなくなったなぁ。ねっ、シャノ」
「ニャ」
畑仕事や魔法の修練、森を駆け回るといった日課を終えたウォルトは、シャノの背中やお尻を優しく叩きながら更地で日なたぼっこ中。
もう夕方に近いけど、4姉妹やオーレン達も訪ねてくる予定はない。2人でゆっくり過ごしている。
最近では森を駆けても人に遭遇しないし、住み家に現れることもない。やっとサバト騒動が落ち着いた雰囲気。そもそも、普通に暮らしていたら正体不明の猫面魔法使いを探している暇なんてないはず。誰だって忙しいんだ。
「身体の調子はどうだい?」
「ニャ~」
調子がいいようでなにより。お腹もかなり大きくなって、いつ生まれてもおかしくなさそう。
「ん?」
遭遇しないと言ったそばから人の気配。風上から匂いが流れてくる。知り合いだから問題ない。
「アンタ達は仲良しだねぇ」
「ニャ!」
来てくれたのはキャロル姉さん。シャノが駆け寄って足にスリスリと身体を寄せる。
「ふふ。元気だったかい?」
「ニャッ!」
「そうかい。よかったねぇ」
「姉さん、いらっしゃい」
「今日は仕事も早めに切り上げて、約束通り泊まりに来たんだよ」
「ナァ~」
「ありがとう。シャノも喜んでる。もてなさせてもらうよ」
黒猫コンビは揃って嬉しそう。
「サマラも誘ったけど、ここんとこバッハの調子がよくないらしい。その内泊まりに来るとさ」
「身重だからね」
バッハさんにはナナさんに好評だったつわりが酷い時でも食べられそうな料理を教えてる。サマラは役に立ってると言ってた。出産に向けて大変な時期なのはシャノもバッハさんも同じ。
「ニャ~」
「はいよ。一緒に食べようかね。ウォルト、いいかい?」
「もちろん」
シャノのお誘いで食事にすることに。姉さんは仕事終わりだから、お腹に溜まるガッツリ系にしよう。
「ニャッ!」
「美味かったよ。ごちそうさん」
食後のカフィを淹れて飲んでもらう。シャノを膝に載せて優雅な黒猫姉さん。
「落ち着いて暮らせてるのかい?」
「やっと静かになってきた」
「そうかい。隠れるのも疲れるねぇ」
「好きでやってる。目立ちたくなければ仕方ないよ」
「シャノ。ウォルトはずっとココにいるってさ。いつでも頼りな」
「ニャ~」
実際そのつもりで、帰ってきた師匠に追い出されないことを願ってる。住み家は綺麗に使っているから、出て行ったときと大きく変化してないはず。玄関を壊したこと以外で文句は言われないだろう。
「アンタは1人が気楽だろうけど、他人と暮らせないってことはないんだねぇ」
「なんでそう思うんだ?」
「師匠とやらと暮らしてたんだろ?4姉妹もしょっちゅう泊まりに来てるのは知ってる」
「言われてみればそうだね」
師匠と暮らしていたのは、命を救ってもらった恩返しに家事を手伝っていたのと、魔法を教えてもらっていたから。
フクーベに戻る選択はあり得なかったし、惨めすぎて実家には帰りたくなかったのもある。けど、師匠からココに住んでいいという許可はもらってない。勝手に住み着いた居候猫人。
「そういえば、アンタが住んでた家がとり壊されてたねぇ」
「え?」
「フクーベのだよ。儲からなくて店を畳んだとさ」
「そうか…」
あの店も…閉めてしまったのか。トゥミエからフクーベに出てきて数ヶ月だけ雇ってもらった。住み込みで働いてティーガやラットに出会った場所でもある。
働きは期待されなくて、とにかく人手が必要だったから運よく雇ってもらえた。最初に「適当に頑張れ」と言われたっけ。重量物運びから人運びまでやる人夫は相当キツかった。いつも殴られて怪我をしてたし、そうでなくてもこなすのが困難な力仕事ばかり。頭を使ってなんとかこなそうとしても、単純な身体の強さが要求される。
森に向かう前に辞めたい意思を伝えたとき、引き止められなかったのも当然。ボクは普通の獣人の5割くらいしか仕事をこなせなくて給金も少なかった。フクーベに行くようになっても顔も出してなければ店の前すら通ってない。まだティーガ達が働いているかもしれないし、街外れに建っているのもあって向かう気にならなかった。
「一応言っとこうと思っただけさ。アンタにとっちゃ、ちょっとは恩があったかもしれないと思ってね」
「あの店で雇ってもらえなければ姉さんや友達に出会えなかった。そういう意味では恩があるかな」
「仕事で会ったんじゃないけどねぇ」
「働けたから短い期間でもフクーベにいれたんだ。そうでなければ直ぐにトゥミエに帰ってたと思う」
気が向いたら跡地だけでも見にいってみようかな。
「姉さん。ボクって薄情なのかな?」
「なんだい急に」
「非力な獣人を雇ってくれた店だった。でも特に感傷はない。恩返ししたいと思ったこともない」
「雇うってのは、嫌なら断られるし利益を出さなきゃ容赦なくクビだ。道端で拾ってくれたってんなら恩もあるだろうけど、向こうにも得があるから雇う。別に特別扱いされてなかったんだろ?」
「どっちかというと冷たかった」
「じゃあおかしかないだろ。思うままでいい」
「そうか」
「ニャッ!」
「ははっ。アンタは今のままでいいってさ」
シャノにフォローされる。
「アンタは昔より人を気遣うようになったよ」
「自分では思わないけど」
「昔は全然余裕がなかったろ。今は周りが見えてる。性格は変わってなくても少しずつ変化してるのさ」
姉さんに言われると、そうかもしれないと思える。
「そういえば、姉さんってなんで情報通なんだ?ボクが知らなかっただけで昔からなのか?」
「アンタのせいだ」
「ボクのせい?」
「アンタが街からいなくなって、探してる内に自然と人脈ができた。それがきっかけで広がっていったのさ」
「そうだったのか」
「たまにしか聞くことはないけどねぇ。けど助かってるのさ」
「姉さんならサバトもすんなり見つけられたかな」
「どうかねぇ。アタイは変なことに首を突っ込むのは御免だ。藪をつつきたくないんでね。けど、噂は聞こえてくる」
「どんな?」
「動物の森に入ると、サバトに監視されて出るまで落ち着かないとか、遭遇すると命はないとか」
「遭遇して命を取られるなら噂にならないと思うけど」
監視なんてしないし、無差別に人を攻撃したりもしない。よほど気に食わなければ別だけど。
「どれだけ探しても見つからないアンタは噂の的だよ。フィガロみたいなもんさ」
「フィガロに憧れてるから、あえて無口になるのもありかな」
「こんなとこに住んでて無口だと余計目立つからやめな」
「ニャッ、ニャ」
「風呂かい。一緒に行こうか」
「ニャッ」
シャノと姉さんはお風呂に入るみたいだ。
お風呂から上がったシャノと姉さんの毛皮を魔法で乾かす。
「ナァ~」
「相変わらず見事だねぇ。コレだけで稼げるよ」
「たまに言われるけど、毛を乾かすだけでどうやってお金を稼ぐんだ?」
「女ってのは、アンタが思ってる以上に髪や毛皮を気にしてる。簡単に綺麗になるなら金なんてひょいと払う」
「そうなのか」
毛が綺麗だと容姿も違って見えるのは確か。この感覚は獣人だけらしいけど。
「特に花街あたりじゃ重宝されるだろうよ」
「身なりを綺麗にする必要があるんだろうね」
「商売やる気になったら連絡しな」
「ないから大丈夫」
「そういや、アンタは珍しいモノが好きだろ。いつも世話になってる礼に持ってきたんだよ」
姉さんは持ってきたリュックからなにか取り出そうとしてる。
「なにかわかるかい?」
テーブルの上に差し出されたのは表紙すらない1冊の本。特に珍しい本には見えない。製本の仕方は東洋っぽいな。
「中を見ていいの?」
「もちろん」
魔導書でもなさそうだし、ただの古びた薄い冊子に見える。とりあえず1頁めくって、急いで本を閉じた。
「ちょ、ちょっと姉さんっ!」
「なんだい」
「ボクをからかいすぎだって!」
「今ので見えたのかい?」
「がっつり見えたよ!華画だろっ?!」
男女のまぐわいを描いた絵で、娯楽品として一定の人気があるのは知ってる。見たことのない画風で、やっぱり東洋の本ぽい。
「さぁね。アタイにゃ見えないんだよ」
「見なくていいよ!」
「見たくても見えないんだよ」
「よかっ……えっ?見たくても見えない…?」
「ただの紙束にしか見えないけど、実際は違うんだろ?」
パラパラめくって平然としてる。実につまらなさそう。
「ほれ」
「うわぁっ!」
姉さんは本を広げてボクに向けてくる。
「どんな絵が描いてんだい?」
「言えないって!」
男と女が組んずほぐれつ…ってそういうことじゃない!
「初心なのもいい加減にしな。もう23だろ。珍しいモノが好きだって言うから旦那さんから譲ってもらったんだ。アンタがいらないなら持って帰る。どうすんだい?」
「気になるからちょっとだけ調べさせてくれ」
落ち着け…。姉さんの言う通りなら、確かに珍品で間違いない。こういう時こそ『頑固』の使いどころだ。止められることもない。魔法で心を落ち着かせ、華画を眺めると立派な絵。内容じゃなくて不思議な本に集中しよう。
「姉さんにはまったく見えないのか?薄ら見えるとかじゃなくて?」
「ちらりとも見えない。それがこの本の売りなのさ。けど、女だから見えないワケじゃない。ふざけて商会の売り子に見せたら投げ捨てた子がいたからねぇ」
「何人見えた?」
「10人くらい見せて1人だけさ」
魔力インクで描かれているとすれば絵を隠蔽できるけど、見る人を選ぶようなことはできない。手を翳しても目を凝らしても、絵から魔力を感じない。魔法じゃなくて、ボクには見抜けない隠蔽手段なのかな。
「…ん?」
今、一瞬だけ絵が見えなくなったような…。いろいろな角度から絵を眺めてみると、ただの紙に見える角度がある。
「絵を隠そうとしてるワケじゃないのか」
「カイカセフィアって知ってるかい?」
「初めて聞くよ」
「海にいる生き物らしい。擬態が上手くて、ソイツが吐く体液から作ったインクで描いたらこうなるんだと」
「へぇ~。面白いなぁ~」
絵が溶け込んでるというか、紙とインクが同化して見える錯覚なのかもしれない。かなり古ぼけているけど長期間状態が保存されているのかな。
「なんでボクには見えるのかわからないけど」
「目がいいと見えるんだと。遠くが見えるってんじゃなくて、細かい違いを見抜く目を持ってるって意味でね」
人間やエルフの顔を見分けるのは苦手だけど、鉱物や植物を見分けるのは得意だ。ちょっと試してみたくなったので、魔力インクを取ってくる。
「なにする気だい?」
「同じような絵を描けないかと思って」
「はぁ?」
魔法では無理だけど、『気』による術なら可能かもしれない。シノさんやサスケさんが操る『草隠れ』の遁術は、魔法の『隠蔽』とは異なり周囲に姿を同化させる擬態。
魔力と気を融合させてインクに付与してみる。さっと簡単な絵を描いた。
「…上手く消えないな」
「アンタの魔法でも無理かい。……ふっ。ぷふっ…」
「絵が下手な自覚はあるから笑っていいよ」
「別に……おかしかないさ…。ふっ…!ふはっ…!」
ボクの絵はクールなキャロル姉さんにも通用するのか。紙と同化させるイメージを大きく膨らませてインクに術を付与すると、見えない絵を描けた。
「成功かな」
「呆れたね…。アンタにできないことなんてあるのかい」
「沢山あるよ。もしこの力と同質なら…」
もらった華画に効果を相殺するよう術を付与してみたら、浮き上がって見えたので姉さんに向ける。
「描かれてるのはこんな感じの絵なんだけ…」
「変なモノ見せるんじゃないよっ!」
「痛っ!」
パコーンと頭を叩かれ、姉さんは外方を向いてしまった。
「理不尽すぎる…」
「うるさいね!」
人のコトを初心だとかなんとか言う割に、結局姉さんも似たようなモノ。
「アンタが卑猥な本を欲しがるとはね」
「ボクは一言も言ってないだろ!」
「ニャッ!」
「ケンカはやめろって?アンタに止められたらしょうがないねぇ」
「姉さんが変なこと言うからだ」
「生意気言うじゃないか。4姉妹にバラされてもいいのかい?」
「構わない。皆はボクが普通の男だって知ってる。興味があったとしてもおかしなことじゃない」
「へぇ」
4姉妹は理解を示してくれるはずだ。
数日後にサマラが訪ねてきて、姉さんから聞いたのか「絵を見せて」という要望に応えて素直に見せると、4姉妹が勢揃いして怒られた。
「そんなモノにうつつを抜かすな」…と。姉さんが押しつけて帰っただけで、ボクは欲しいなんて言ってないのに…。




