620 祖先と先祖
ウォルトは思案していた。
今日は朝からシャノの様子がおかしい。いつもは朝早くから動き回っているのに、小屋で横になってる時間が長くて少し息が荒い。
「シャノ。もしかして、生まれそうなのか…?」
「ニャッ」
本人も『よくわからない』みたいだ。初めての出産なのかな?でも、文献にある猫の出産の兆候に似てる。とはいえ、出産でボクが手伝えることはなにもない。ただ、今日は傍にいよう。ご飯はいつもより食べやすいよう工夫して、小屋の中に置いてみたものの食欲もないみたいだ。
シャノを刺激しないような魔法を修練したり、畑を耕しながらたまに様子を見るけど、特に変化はない。ジッと見つめてくるだけで反応も薄い。あまり構うと刺激してしまいそうだから、気にせず普通にしている方がいいのかな。
ただ、よく動き回るシャノが静かなのは気になる。子猫が無事に生まれなかったら…どうする?母子共に無事でいられなかったら……間違いなくボクは平常心ではいられない。
「なんだい。久しぶりに会うのにシケた顔してるねぇ」
「え…?」
急に姿を現したのはアイヤばあちゃん。気配に全然気付かなかった。
「ばあちゃん…。久しぶり」
「久しぶりだ。どうしたってんだい?」
「実は…」
ばあちゃんにシャノのことを説明する。
「なるほどねぇ。ちょいとその子に会わせな」
「この小屋の中にいるよ」
ばあちゃんは迷うことなくドアを開けて、シャノと対面する。身体が大きいから上半身しか入らない。
「綺麗な黒猫じゃあないか」
「ニャ!?」
「アタシはアイヤだ。ウォルトのばあちゃんだよ。なにもしないさ」
大きな身体でどんどん身を乗り入れるばあちゃん。なにをするつもりなんだ…?
「ほれ。いいからさっさとやっちまいな」
「…シャ~!」
シャノが中で大暴れしてる。ばあちゃんはお尻だけ出してピクリとも動かないけど、なにが起こってるのか外からは見えない。しばらくして静かになったら、ばあちゃんが出てきた。
「……大丈夫かっ?!」
顔や身体を引っ掻かれたり、何箇所も噛まれて血が出てる。直ぐに魔法で治療する。
「このくらいで騒ぐんじゃないよ。暴れてちょっとはスッキリしたろ。子供を生む前は人だって妙にイライラしたり甘えたくなる。自分じゃどうにもできない。発散させてやればいいんだよ」
「そうはいっても…」
ボクは猫でもなければ女性でもない。そんな感情を知らない。治療していると、シャノが小屋から出てきた。ばあちゃんに身をすり寄せる。
「ちょっとは気が済んだか?」
「ニャ~…」
シャノは申し訳なさげだ。
「気にすんじゃないよ。アンタらは旦那の祖先だ。サバトに怒られちまう。飯食って動いてりゃ生まれるんだから考えすぎなさんな。とりあえず、一緒に飯食うか?」
「ニャッ」
「そうかい。ウォルト、飯を頼むよ」
仲良く住み家に向かう2人。
ばあちゃんは……豪快だな…。
「ニャッ」
「初めてでも心配しなくていいんだよ。なんとかなる」
「ニャ~」
「腹が大きくなってるからあと少しだろうけど、ハッキリわからないのは人も猫も一緒さ。今日でも明日でも大して変わりゃしない。痛くなるまで森で駆け回ってな。それから帰っても間に合う。アタシがミーナを生んだときは畑仕事してたよ」
「ナァ~」
居間でご飯を食べながら会話する2人。猫の相談に答える熊人…みたいな構図になってるけど、ちゃんと会話が成り立ってるっぽい。ただ、同じ出産経験者でも母さんにはできなそう。
会話が落ち着いたところで確認する。
「ばあちゃん。今日は用があって来たの?」
「タオの薬が切れたんでもらいに来た」
「最近顔を出してなくて気がつかなかった。ゴメン」
まだ余裕はあるだろうと思ってた。結構早く減るな。自分が滅多に飲まないからといって、皆もそうとは限らない。
「日和って使いすぎなのさ。ちょっと調子が悪くなったら直ぐに飲む。元々里にゃ立派な薬なんかなかったのに、アンタのはよく効くもんだから贅沢になっちまった。まぁ、アタシらジジババはいつ死んでもいいけど、今は子供がいるからねぇ」
「子供じゃなくても死んじゃダメだ。それに、皆がばあちゃんみたいに身体が強くないんだ。どんどん使ってもらっていい」
「冗談だよ。アンタにも会いたかったから駆けてきてみりゃ、まさか猫がいるとはね。サバトが生きてりゃ喜んだろうに」
「じいちゃんは猫に会ったことなかったのか?」
「ない。死ぬまで会いたがってた」
望むべくもないけど…じいちゃんにも会わせたかった。
「そんなことより、ちょいと身体を診ておくれよ」
「いいよ。部屋に行こう」
ベッドに寝てもらって身体を診断する。相変わらずあちこち痛めてるな。腰も肩もちょっと首の骨も歪んでる。原因の9割はアルクスさんとの相撲だろう。
わかってるけど止めるようなことは言わない。相撲はばあちゃんの生き甲斐で、ボクにできるのは元気に相撲をとれる身体に戻してあげること。
「治せるけど、ちょっと痛むよ」
「遠慮せずやっとくれ」
グッと骨を押し込んだりしながら魔法で治療する。できる限り痛みを抑えてるつもりだけど、唸り声1つ上げないのが凄いと思う。
「終わったよ」
「ありがとさん。アンタの魔法で治してもらうと、若返ってる気がする。身体が一気に軽くなるんだ」
「実際に若返ってるかもしれない。毛皮の艶や肌の張りがよくなってる」
「はははっ!アタシゃ100まで生きるね!」
「100と言わず、生きられるだけ生きてほしい」
「はいよ。また里の連中も診てやっとくれ」
「わかった」
タオで特に必要な薬を教えてもらい、在庫がない薬は手早く調合することにした。シャノは元気に森に向かい、ばあちゃんは「見せてもらう」と言うので会話しながら作業する。
「アルクスさんやタオの皆は元気?」
「アルクスは相変わらず生意気さ。ジジババもアンタのおかげでバリバリ働いてる。子供らも駆け回って騒がしい」
「それはよかった」
「サマラ達は元気なのかい?」
「昨日も会ったけど、元気だよ」
「その感じだと、まだってことか。アンタは困った孫だよ」
「なにが困るんだ?」
「あの子達は気が長いねぇ。あたしゃ感心する。けど、そうじゃなきゃやってられないんだろ」
「よくわからないこと言うなぁ。…よし。できたよ」
傷薬や痛み止めの他に、解熱剤や滋養の薬も作った。治癒魔法を付与した包帯も渡す。
「仕事が早いねぇ。ところで、アンタが殺した竜ってヤツは美味かったのかい?」
「ばあちゃんも知ってるのか」
「たまにタオに来る行商がサバト好きなもんで、色々と教えてくれるのさ」
「倒したけど食べてないんだ。ちょっとでも食べておけばよかったと後悔してる」
「ははっ!どんな魔物だったんだい?」
アニェーゼさんに見せたラードンを再現した魔法で説明する。
「なるほどねぇ。よくわかった」
「またじいちゃんの名前が悪目立ちしてゴメン」
「バカ言ってんじゃないよ。どうせやるならとことん派手にやりな。サバトもあの世で笑ってるだろうよ。あたしゃ愉快すぎて、酒がすすんで仕方なかった」
「だったらいいんだけど」
「あと、ちょいとサバトに変身しとくれ」
じいちゃんに『変化』すると、直ぐにばあちゃんが抱きしめてくる。やっぱり会いたいんだろうな。
「落ち着くねぇ…。抱きつかれてアンタは嫌じゃないのかい…?」
「全然。抱き合うことをハグっていうんだけど、心が落ち着く効果があるって知ってた?」
「誰が言ったんだい?」
「ウイカに教えてもらった。4姉妹とはしょっちゅうしてる」
「前に来たときもやってたねぇ。そういうことだったのかい」
ばあちゃんと抱き合って思い出す。
「あとで相撲とろうか?」
「今すぐやるに決まってるだろ。かかってきな」
完全なる愚問だった。抱擁なんてそっちのけで、更地に出て相撲をとることに。即席で作った土俵で対峙する。
「魔法でもなんでも使っていい」
「力じゃ適わないけど、魔法は使わない。その代わり獣人の力を使わせてもらう」
「そうかい。準備はいいか?」
「いつでもいいよ」
「ふぅ…。…おらぁぁっ!」
遠慮など微塵も感じさせず、頭からぶちかましてきた。
「ぐうぅっ…!」
獣人の力を纏って受け止めても胸が弾かれてのけ反る。60歳近いおばあちゃんなのになんてパワーだ。加齢で衰えていくはずなのに、以前より力強くなってる気がしてならない。生身だったら間違いなく吹き飛ばされてる威力。
「受け止めるたぁ大したモンだねぇ!けど、一気に決めてやるさねっ!」
ズボンを掴み土俵際まで押し込んでくる…と思いきや、身体を捻って予想外の投げを打ってきた。
「くっ…!」
ばあちゃんの内股に足を掛けてなんとか堪える。
「粘るじゃないか。あたしゃ孫だからって容赦しないよっ!!」
「よく知ってるよ…!うわっ!」
掴んだまま左右に振り回して投げを打ってくる。どうにか反応して躱すものの、反撃する余裕はない。なんとか凌ぎ、がっぷり四つに組んで一息つく。
「昔のアンタからは考えられない。ここまで張り合うたぁね」
「ボクもそう思うよ」
獣人の力を発揮してもまだ劣勢。しかも、今回のばあちゃんは前と違って隙がない。一切油断してない証拠だ。下手に攻撃すると、返し技を食らうのが目に見えてる。
ボクの操る獣人の力は、量が増えてるといっても魔力と違って長く保たない。長期戦になると地力に勝るばあちゃんが圧倒的に有利。互角に闘ったサマラがいかに凄いのか気付かされる。
どう攻めるべきか…。
「仕掛けてこないところを見ると、アンタの力とやらは長く保たないみたいだねぇ。無駄遣いしたくないんだろ?」
マズい。気付かれた。
「うぉらぁぁ!」
「うぉぁっ…!」
また投げ…と見せかけて、ズボンを引き千切らんばかりに身体を持ち上げられ、場外に放り投げられる。綺麗に着地したけど、土俵から出たので相撲はボクの負け。吊られたら抵抗しようがない。
「あっはっは!どうだい!孫に二度も負けてたまるかってんだ!」
「負けたよ。思考を読み切られたね」
悔しいけど完敗。いつまでも強い祖母だなぁ。負け惜しみでもなんでもなく格好いい。
「アンタの操る力ってヤツは面白い。けど、互角の奴と相撲で力比べしたらつまらなくなっちまうねぇ」
「なんでも相撲が基準だね」
「相撲より楽しいことなんて、この世にありゃしないよ」
「ボクにとっては魔法があるけど」
「確かにアンタの魔法は相撲とタメ張るくらい面白い」
嬉しい評価だ。ばあちゃんが好きなモノは、まずじいちゃん。次にじいちゃん。そしてじいちゃん。だいぶ差がついて相撲。あとは大体横並び。相撲に肩を並べるのは凄いこと。
「ところで、アンタが魔法を使って相撲とったらどうなるんだい?」
「使える魔法はいろいろある。でも、直ぐに終わって面白くない」
「アンタが勝つってことかい?」
「そう。反則だから勝っても嬉しくないけど」
「面白いじゃないか!見せてみなっ!」
「じゃあ、1つだけ」
再度土俵に入って対峙する。
「どんな魔法か知らないけど、そう簡単にやられないよ」
「じゃあ、こっちからいくよ」
「きなっ!」
一気に間合いを詰めて身体を合わせる。そして…。
「な、なんだいこりゃ!?」
ばあちゃんを軽く持ち上げて、一切止まることなく土俵の外に押し出した。
「ばあちゃんの体重を軽くしたんだ。今は紙より軽いよ」
「…ははははっ!やられたよ!」
「ね?面白くないだろう?」
「アンタの魔法は不思議と笑っちまうんだよ。あまりにも見事なもんでさ」
「そうかな?」
……ん?遠くからシャノの鳴き声が…。
「ニャ~!」
いきなりシャノが森から飛び出してきた。魔物に追いかけられてる。
「あっはっは!元気だねぇ!」
「笑い事じゃなさそうだよ」
魔物は徐々にシャノに迫る。悪いけど、狩らせるワケにはいかない。手を翳して『雷撃』で上から仕留めた。
「ニャ~」
「気にしなくていい。怪我してるね。治すよ」
傷は『治癒』で綺麗に元通り。
「逃げ切れてよかった」
「ニャ」
「アンタの子は元気に育つだろうさ。びびって家で寝転んでるようじゃ身体も弱っちまう」
「ナァ~」
「やっぱり動いた方がいいのかな?」
「さぁね。ただ、森で暮らしながら子を生んで育てるのが普通だ。この子もわかってる。別に構うなってんじゃない。けど、好きにやらせる覚悟がないなら一緒に住むのはよくない。動物ってのは自然の中で生きるのが当たり前なんだ」
「頭ではわかってるんだ。猫人だからか、どうしても過保護になってしまうけど」
「悪いとは言わないさ。サバトは喜ぶだろうよ」
「なんで?」
「一度でいいから猫と並んで会話したがってた。アンタがいつもやってることだ。小っこい夢だろう?」
「小さくなんかない。理解できるよ」
再びじいちゃんに『変化』する。声もじいちゃんの声に変えた。
「シャノ。ボクのじいちゃんなんだ。優しい男でサバトラの猫人だった」
「ニャ」
ジッと見つめてくるシャノに魔法が見えているかはわからない。
「猫と話したがってたけど、今はもういない。少しだけ隣に座ってくれないか?」
ボクの横に座ってくれる。
「ありがとう」
「ニャ~」
背中を撫でながら他愛のない会話をしていると、ばあちゃんが泣いてる。
「困った魔法使いの孫だよっ…!夢を…見てるみたいだっ…!」
「泣きすぎじゃないか?」
「泣かずにいられないんだよっ…!」
「シャノ。強いのに困ったばあちゃんだね」
「ニャ~」
「やかましいっ!」
ふと空を見上げる。
サバトじいちゃん。いつも名前を借りてばかりでゴメン。ボクは困った孫だと思う。ばあちゃんの傍で見守っているなら、せめて今だけボクに乗り移ってくれないか。
アイヤばあちゃんを抱きしめてあげてほしい。そして、ボクのやってることをどう思うか教えてほしいんだ。




