616 知らなければよかったのか
「今日もシャノがすみません」
「気にするな」
ウォルトが冷たいカフィを差し出した先に座っているのは、衛兵のボリス。
住み家を訪ねてきたことに気付いたシャノが、跳び付いて爪で引っ掻きまくった。手や顔が傷だらけになって、治癒魔法で治療したけどボリスさんは冷静な態度を崩さない。一方的に攻撃したシャノは、逃げるように猫小屋に入って閉じこもってしまった。基本的に誰にでも懐くのに、なぜボリスさんにだけ敵意を剥き出しにするのか謎。
「よく怒りませんね」
「動物のすることに怒っても仕方ない」
動物に理解があって助かる。
「今日は、ブロカニル人による衛兵仲間の殺害について…判決を伝えにきた」
「どうなりましたか?」
「生存者2名ともに絞首刑に処される」
「そうですか」
「予想していたか?」
「カネルラ人が絞首に処されるのは珍しいですが、外国人による犯罪は刑が重くなる傾向があります」
いかにカネルラが大らかな国と呼ばれていても、侵攻された過去は消えない。犯行に及んだのがブロカニル人ということで、刑が重くなった可能性もある。ただ、憶測で口にすることじゃない。
「お前はそういった分野にも詳しいのか」
「暇な時期に、法律や刑罰について文献で勉強しました」
主にガレオさんの持ってる本だけど、おかげさまでカネルラ憲法や主要な法律は覚えた。
「遺族にとって納得のいく判決でしたか?」
「罵詈雑言を浴びた。犯人ではなく、俺達がな」
「なんて言われたんですか?」
「「なぜ即座に斬り殺さなかった!」「自分の手は汚したくないのか!」と。他にもあるが」
「家族を亡くした怒りの矛先が、衛兵仲間にも向いたということですね」
人には感情がある。衛兵の仲間による仇討ちを望む人もいたということ。
「非難は甘んじて受ける。気持ちは理解できなくはない」
「衛兵の任務に理解を得られなかったことをどう思いますか?」
遺族は亡くなった家族の衛兵という仕事に理解を示していたはずなのに、責められてしまっている。
「やるべきことをやった。できうる限りの説明もしたが…完全には納得してもらえなかっただけだ」
「そうですか」
ボリスさんは法を無視できない。だから真摯に説明したはず。ただ、人を憎む気持ちにカネルラ人の大らかさは関係ない。大らかであってもお人好しではないのだから。
私情を挟まないよう任務をこなすのが衛兵の仕事。けれど、解決すべき事件は多くの私情に塗れている。だからこそ法という感情に左右されない指針が必要だということか。なんとなく理解できるような気がした。
「お前の言う通りになったが、納得したか?」
「衛兵もブロカニル人もどちらも知らないので、納得するもしないもありません。ただ、人は納得しないことを知っただけです」
別に論破したいんじゃない。できるとも思わない。ボクのような奴がいるというだけ。ボリスさんのような考えの人もいて当然。誰もが納得する結末はあり得ない。そんなことはこの人も承知のはず。
以前は、法の遵守を押しつけるようなことばかり口にしていた。今は強要してこないから会話していて楽だ。ボクも意固地にならなくて済む。
「仮に、お前が遺族なら?」
「処刑される前になにかしら行動すると思います。どんな家族だったかによりますが」
「法など簡単に無視する男だったな」
「無法者ですかね?」
「俺に聞くな。ここまでが報告だ。今日は教えてもらいたいことがあってきた」
「ボクにですか?」
「動物の森に詳しいと見込んで聞きたい。芥子の群生地を知っているか?」
「知っている場所は幾つかあります」
「場所を教えてもらうことは可能か?」
「構いませんが、目的はなんですか?」
訊くまでもないだろうけど。
「また麻薬が流通を始めた」
「またとは?」
「このところ麻薬犯罪はなりを潜めていた。おそらく、誰かさんが派手にやらかしたおかげでグループの一味が捕まってしまったからだ」
誰かさんとはボクのことだな。
「ほとぼりが冷めたと判断したのか、めっきり減っていた麻薬の流通がまた始まった。芥子や大麻など原料の入手先は不明だが、捕まえた売人の話だと国外から運ばれたモノの他に、カネルラ国内でも製造されているらしい」
「動物の森の群生地を調べたいということですね」
「協力してくれるか?」
クン、と鼻を鳴らす。
「一応確認しますが、ボリスさんは麻薬をやってないですよね?」
「やってない」
匂いに変化はない。…というか、やっていたら呼気で判別できるけど念のために訊いた。
「わかりました。あと、駆除する目的なら協力できません。芥子の実から採れる果汁は、鎮痛薬の素材として痛み止めの調合に使っています」
「有用なことは知っている。駆除するかどうかは現状や規模を加味して決めることになるだろう。可能性はなきにしもあらず」
「であれば自力で探した方がいいです。ボクにとっては貴重な素材になるので教えられません。栽培していいなら別ですが」
芥子を栽培するには国の許可がいる。許されるのは薬師くらいだろう。ボリスさんが探し出して駆除するのは自由。森に自生する植物は誰のモノでもない。
「自分の存在は法外だと言う割に、律儀に守るべきことを守るな」
「積極的に犯罪者になるつもりはないので」
「お前は痛み止めなど使わないだろう」
「ボクは必要なくても使う人はいます」
痛み止めはナバロさんに渡している。タマノーラで持病のある人や怪我した人に重宝されているらしいから、作るのをやめるつもりはない。
「口振りからすると、さほど群生してないのか?」
「ボクが知る場所は少ない方だと思いますよ。全部採取しても作れる鎮痛剤は20本程度で、再び生えるのにも時間がかかります」
「その程度だと安定した供給は難しいな。となると、この森ではなく違法栽培か…。大麻はどうだ?」
「大麻の方が多く群生しています」
「確認だが、調合に使っているのか?」
「はい。大麻の成分に鎮痛作用はないと云われてますが、上手く調合すれば精神を鎮めたり頭痛に効く薬ができます」
「初めて聞くな」
「世界には少なからず薬として使用している国もあります。あくまで適量が肝なんですが」
大麻も芥子も使いよう。魔法と同じだ。悪用する奴がいるから全てなくしてしまえばいいとは思わない。
「飲んでみますか?カネルラでは合法でも違法でもない薬です」
スティンクバグの臭気にやられた後に飲んだら、頭痛が楽になった。それだけでも作った甲斐がある。
「今はやめておこう」
「違法栽培されているとして場所の目星はついてますか?」
「ついてない。室内で育てているだろうが発見するのは容易じゃない。だが、フクーベに拠点があるとみている」
「よければ探すのに協力します。若しくは麻薬中毒治療の手伝いとか」
「…なぜ急に?」
「シャノが貴方を傷付けてしまったお詫びに」
シャノは相手が動物嫌いなら斬り殺されてもおかしくない行動をとった。ボリスさんが動物好きだから見逃されただけ。ボリスさんが反撃すればボクも黙ってないけど、申し訳なく思う。
「俺は怒ってない。動物は本能で行動する。人とは同列で考えないし、それこそ法も通用しない」
「あくまでボクの我が儘で、余計なお世話だとわかってます」
シャノにとっての脅威を取り除きたいだけ。
「お前の気が済むのなら手伝ってもらうか」
フクーベに到着する直前に魔法で変装する。
「これからどうする気だ?」
「嗅覚には自信があります。上手くいくかわかりませんが、歩きながら大麻や芥子の匂いを探ってみようかと」
特に大麻は強く匂う。芥子は弱めだから難しいかもしれない。
「さすがに無理だろう」
「1人でやるので、ボリスさんは詰所に戻られてください」
「その方が気楽か」
「違います。貴方は顔が知られているかもしれません。前に麻薬組織は手強いようなことを言ってましたよね。いつもと違う変装をしたのも面が割れていないからです」
何度も変装してるテムズさんになるのは避けて、若かりし頃のスケさんとスケ三郎さんを掛け合わせた顔に変身してみた。
「なるほどな。だったら俺も変装させてくれ。付いていく」
「できますが、どんな風に変装しますか?」
「そうだな…」
ボリスさんの要望通りに変装させて、氷魔法の姿見で確認してもらう。
「見事な変装だ」
「…ちょっといいですか?」
「なんだ?」
「さすがに見破られると思うんですが…」
「なぜだ?」
「無理があると思います」
ボリスさんは、なぜか女性に変装することを望んだ。容姿は「その辺にいる人間の女性」という難しい要求で、ボクなりに普通の人っぽい容姿を反映したけど合ってるかわからない。
「完璧だと思うが」
「かなり背が高くて歩き方も男性です。声は魔法で変えられますが、すぐバレると思います」
「ならば、コレでどうだ」
腰を振りながらクネクネ歩くボリスさん。
そういうことじゃない。
「ボクが麻薬組織のメンバーなら、直ぐに見破れるほど違和感があります」
「そうか…。特訓が必要だな」
やめるという選択肢はないのか…。
今日はボリスさんを手伝うと決めたので、黙って従うことにしよう。動きが女性らしく見えるように訓練してみる。どうにかそれっぽく見えるようになった。…けどやっぱり不安は拭えない。
「いくわよ」
「はい」
とりあえず「サブロウ」「アリア」と呼び合うことに決めて、フクーベに入る。
「サブロウ。まずはどうするの?」
「一通り街を歩いてみようと思います」
「わかったわ。貴方ならどこで栽培する?」
正体を知ってるだけに、言葉遣いの違和感が凄いな…。
「堂々と大通りで栽培します。人気のない場所だろうという予想の裏をかくために。微かな匂いは雑踏に紛れます」
「ありそうね」
ボリスさんは、ボクが犯罪者に近い思考を持ってると思ってるっぽい。まぁ、いいか。予想は当たらないと思うし。
ごった返す匂いの中でも嗅ぎ分けられるよう『感覚強化』を使って嗅覚だけを鋭敏にしている。
…と。
「アリアさん。麻薬を吸ってる人がいます」
「なんですって!?」
前を歩いている男から大麻の匂いがする。独特の香りは間違いようもない。
「どうしますか?」
「離れて尾行するわ」
「わかりました」
かなり離れて尾行していると、男は裏通りへと向かう。
「アジトに向かうのかもしれないわ。ここからは人通りが少なくなるから、さらに離れましょう」
男は人通りが少ない場所へと向かい、周りを気にしながら古い建物に入った。
「あの建物はなんでしょう?」
「………」
「アリアさん?」
「あ、あぁ…。接近してみましょう」
平静を装って建物に近づくと、窓はカーテンが閉められていて中は覗けない。ただ、大麻特有の匂いがする。素の嗅覚でも判別できるくらいだ。古い建物ゆえに目張りが甘い箇所から漏れているのだろう。歩みは止めず自然に建物を通り過ぎた。
「間違いなく建物内で栽培されています。訪ねてみますか?」
「私には嗅ぎ取れなかったけれど…場所は覚えたから充分よ。突入は私達に任せて。気付かれる前に移動しましょう」
「わかりました」
その後もフクーベを隈無く歩き回ると、もう1カ所怪しい場所があった。こちらも強く匂ったので間違いない。
巡回を終えて、誰にも見られない路地裏で変装を解く。
「ふぅ。歩くだけで2カ所も発見できるとは思わなかった」
「衛兵は本気で摘発する気があるんですか?」
「なんだと…?」
正直な意見をぶつけると、険しい表情に変化した。バカにするつもりじゃなく、おかしいと感じたらから言わせてもらう。
「明らかに怪しい建物でした。天気のいい日に光を遮っている。周囲に高い建物がなく、日光に当てるために最低限しかカーテンを開けないか、人に見られない屋上や2階で日光を当てていると予想できて、匂いもかなり強かったです」
「人間が嗅ぎ取るのは困難だが…怪しかったのは確かだな」
「犬の獣人に依頼するとか、衛兵に採用するのは無理なんですか?」
「衛兵の採用に種族は問わないが、俺の知る限り採用されたことはない。基本的にお喋りで、守秘義務を守れるか不安なのも一因だろう。決して侮ってはいない」
「理解できます。ただ、全ての獣人がそうではないので一計だと思いました。人間だから立派な衛兵に成長するなら別ですが」
「あぁ…。そうだな」
中毒者の魔法治療については必要ないと言われたので手伝いは終了。少しでも役に立ったかな。
「今回の件についても経過を追って報せる」
「大丈夫です。ただ匂いを嗅いだだけでなにもしてません」
「そうか」
ボリスさんは、なにか言いたそうに見えるけど、勘違いかもしれないし言いたくないことを聞き出すつもりはない。見送ったボリスさんの歩き方が内股だったのだけが心配。
夜に魔伝送器でサマラから連絡が入った。世間話の中で意外なことを言われる。
『そういえば、今日ボリスさんが大怪我したみたい。魔法で治療を受けたけど、様子見で入院だってさ』
「なにがあったんだ?」
『麻薬の取締中に揉めたんだって』
行動が早いな。素早く対処しないと逃げられる可能性も高くなるから当然だけど。
「犯人グループと争ったのか」
『違うらしいよ』
「じゃあ、誰と揉めたんだ?」
『衛兵仲間が麻薬組織とグルだったんだってさ。問い詰めてる最中にいきなり斬られたみたい』
「それは…」
もしかして、建物を発見したときから気付いていたのか…?家主の関係者だったり、巡回で見逃している者が衛兵にいると判断したのかもしれない。
色々な可能性があるけど、ボクに伝えなかったのも納得がいく。衛兵の仕事に誇りを持っているからこそ本人に確認するまで信じたくなかったはず。身内で解決すべき問題に手伝いは必要なかったのか。
『命に別状はないらしいよ。珍しくマードックが見舞いに行ったの。ボリスさんの情報のおかげで組織の輩はほとんど捕まったってさ』
「せめてもの救いだね」
『あのね、マードックからウォルトに伝言があって』
「なに?」
『ボリスさんが「コレが今回の顛末だ」って苦笑いしてたって。なにかしたの?』
サマラに今日の出来事を伝える。
『見過ごせなかったんだね。真面目だから当たり前か』
「この結末は予想しなかったよ」
『でもさ、衛兵にも悪さする奴はいるって思うよね?思ってないとしたら同じ衛兵だけじゃない?』
「そうだね」
『ボリスさんはおかしいよ。相手を斬らなかったらしいから』
「思うように行動したんじゃないかな。本人は納得してると思う。そういう人だ」
たとえ仲間であっても不正を許さず、文字通り身体を張って断罪した姿勢はさすが衛兵。
危険と隣り合わせの仕事だと知っていたけど、自分の正義を貫くボリスさんの行動に、騎士団や暗部のような使命感を感じた。