615 スティンクバグ
今日は久しぶりに『森の白猫』でクエストに行くことになった。目的は素材の採取。正確には素材ではなく生物になる。ウォルト以外のメンバーは採るのが初めてで、道案内をすることに。
向かっているのは森の湿地帯。乾燥した地域が多いけど、アマン川の分流があったり水はけが悪くてジメッとした場所もある。そんな場所に生息する生物が素材として必要らしい。
「知り合いには過酷なクエストって言われたんですけど、難易度はDなんですよ」
「ボクにとってはかなり高難度のクエストだね」
「マジですか?!」
「ウォルトさんが高難度…」
「私達には厳しそうです!」
「皆にとっては大したことないかもしれないよ」
捕まえるのは難しくないけど、ちょっと困った生き物だから。住み家からはさほど遠くない場所にある湿地帯に1時間とかからず到着した。
「いるのはこの辺りだよ」
「まずは俺達だけで探してみます」
オーレン達が捜索を開始する。どこにいるのかハッキリわかるけど、あえて言わないでおこうか。
「それらしい生き物は見つからないな」
「小さいのかな?」
「それとも大きいのかな?!」
アニカがチラッと視線を送ってきたので、「掌に載るくらいだよ」とだけ答えた。あまりヒントを出すと、初クエストの醍醐味がなくなってしまう。
「探すのはスティンクっていう名前だったよな?」
「正確にはスティンクバグだったと思う」
「ん~…。バグって…虫のことじゃなかったっけ?」
「そうなのか?」
「文献で読んだから間違いない!」
アニカは着々と知識を蓄えてる。
「バグは虫だとして、スティンクってなんだろう?多分意味があるよね」
ウイカの言う通りで、その部分が特徴を表している。気付くかな?
「スティンク…。まったく思いつかねぇ。カネルラの言葉じゃないよな」
「クエスト票には『香水用の素材』って書いてたよ」
「ということは、いい匂いがする虫だ!」
再び探し始めた3人。着眼点はいい。今度は見つけられるかな。
黙って待つこと30分。
「知ってる虫しかいないな」
「いないね」
「まったくわからない!あの、ウォルトさん!間違いなくスティンクバグはいますか!」
「この場所には結構いるよ」
3人で予想を始める。
「ほとんど動いてないウォルトさんがわかるってことは、やっぱり匂うんだな」
「でも私達には嗅ぎ取れないよ」
「どうしようか!」
ヒントなしでは難しいかもしれない。ちょっとだけ教えようか。
「皆の予想はいいとこ突いてるよ。スティンクバグは、特徴のある匂いがするんだ。この辺りにざっと20匹くらいはいそうかな」
再び探し始めたので、黙って見守る。さらに10分ほど経過したところで…。
「…ん?」
「なに、この匂い?!」
急に異臭が立ちこめる。
「くっせぇっ!」
「ゴホッ…!ゴホッ…!むせるっ…!」
「オーレン!その臭い足を切り落として、遠くに捨ててよっ!」
「俺の足の匂いじゃないっての!ゲホッ…!」
ボクは随分前から口呼吸している。それでも臭うから困ったもの。ちょっと目に染みるなぁ。
「お姉ちゃん!『風流』で匂いを散らそう!」
「うん!耐えられない!」
「ちょっと待ってくれないか」
お気に入りの手拭いに魔法を付与して、鼻と口を覆ったあと、3人にも魔法を付与したタオルを渡す。生活魔法を編み出した魔導師は偉大。
「ありがとうございます。楽になりました」
「臭かったぁ~!助かりました!」
「焦って風魔法を放つと、虫も一緒に飛ばしてしまう可能性があるからね」
「それにしても、なんの匂いだったんだ…?腐った肉や野菜を煮込んで濃縮したような…とんでもない匂いだったぞ…。涙も出てきた」
「スティンクバグの匂いだよ」
「マジですかっ?!」
「全然いい香りじゃなくて、正反対ですけど!?」
「皆の勘違いなんだ。スティンクは西洋の言葉で『臭い』って意味で、要するに臭い虫ってこと。オーレンが近づいたから体液を放出したんだ」
霧のように噴射される体液は、屈強な魔物ですら逃げ出す臭さで森の嫌われ者。ある意味で最強の虫。
「ほらぁ!オーレンが傍を歩いたせいで、仲間が来たって興奮したんだよ!」
「ふざけんな!間違いなく威嚇だろ!」
虫の気持ちはわかりようもないから、どちらが正しいとも言えない。
「そんなことより、クエストの内容はホントに合ってるのかなぁ?とても香水になりそうな匂いじゃないよね。毒を作る目的だったりして」
「確かに!こんな香水付けてたら、100年の恋も冷めそう!」
「近づくのも容易じゃないよな」
「バグが放つ匂いは、蓄えてる数種類の体液を混合して放出することで臭くなるらしい。それぞれを上手く抽出できたらいい匂いがするらしいよ」
「「「へぇ~!」」」
「矛盾するようだけど、消臭効果が期待できる液も作れるみたいだ」
「「「へぇ~!」」」
師匠の持ってる図鑑に書かれてた豆知識。
「ところで、クエストではどのくらいの数が必要なんだい?」
「最低10匹です。相当臭いんで、マジで怯んでますけど…」
「知らずに近づくと同じことを繰り返すから、いる場所を教えるよ。まずは1匹捕まえようか」
「お願いします」
臭気が霧散してもバグ本体が独特の匂いを発しているので、そっと近づいて刺激しないようかき分けるとやっぱりいた。
「この虫がスティンクバグだよ」
「結構デカいですね…。身体の緑色が草と同化してます」
「結構森に来てますけど、初めて見ます…!クローセでも見たことないです…!」
「水場とか湿地帯を好むんだ。住み家付近だと、川の近くでしか見たことがない」
「あまり臭そうには見えません!」
「アニカ。あまり大きな声を出すと…」
言い切る前に羽を広げて飛び立ったスティンクバグは、お尻から霧のように液体を噴出する。
「ゲホッ!ゲッホ~ッ…!」
「タオルの隙間から匂ってくるっ…!ゴホッ…!ヤベぇ…!」
「近くで刺激したり驚かせると、直ぐに匂いを出すんだ。言うのを忘れてた。ゴメンね」
「こっちこそごめんなさい…!」
全員で一旦退避して離れる。こ~れ~は相当キツい。バグを刺激しないよう魔法でそよ風を起こして匂いを散らす。
「このクエストが困難だって言われた意味がわかるぞ…。臭すぎて辛い。素早く袋に入れて縛るのがいいな」
息をするには空気が必要。魔法を突き抜ける勢いの臭気を多少吸ってしまうのは仕方ない。口呼吸しているのに幾分か吸い込んでるようで、ボクの低い鼻が曲がってしまいそうなほど臭い。
「さっと捕まえようぜ」
「そうしよう!」
捕獲するのは簡単。動きは鈍いから素早く掴むだけ。ただし…。
「オゥエッ…!くっせぇぇ~!」
「くっさぁ!」
「くぅ~っ!きっくぅ~~っ!」
相変わらず臭いなぁ。フクーベの下水道なんて比べモノにならない。皆は凄い。いくら体液を放出されようと、怯まずに手掴みで捕獲して布袋に放り込んでる。臭すぎて涙が出てきた。
「口呼吸も限界なんだけど…」
「なんとかノルマはいけたろ…!」
「キツかったぁ…!」
「ちょっと待ってて」
『清潔』と『風流』の複合魔法を詠唱し、臭気を散らしたあと、布袋の外側に気流の壁を発生させて匂いが漏れないように閉じ込める。
ボクも含めて全員の衣服を『清潔』で綺麗にすると、匂いがとれて普通に呼吸できるようになった。
「すぅ~っ!ふぅ~っ!」
「深呼吸できるって幸せだね!」
「かなりヤバい虫だな。ミーリャ達にも教えておこう」
「せっかくだから皆に言っておきたいんだけど、魔法を上手く使えばもっと楽に捕獲できるよ」
「どうやるのか俺達に教えてください」
「ウイカとアニカで魔法を使ってみよう」
「風魔法はまだ微調整が難しいです」
「言われた通りバグごと吹っ飛ばすかもです!」
「風魔法じゃなくて『睡眠』を使うんだ」
場所を移動して実際に魔法を使って捕まえてみせる。
「こんな風に眠らせてしまえば、手掴みでも無害なんだ。強く握ると起きるけど」
「虫って眠るんですね」
「大抵の生き物は眠るよ」
「その発想がなかったです!勉強になりました!」
「素材として捕獲するなら、体液が多い方がいい。眠らせてしまえば放出される前だから状態もいいし、ギルドに運ぶ間も楽だ」
「なるほど」
「やってみます!」
バグの習性や探すべきポイントを教えると、姉妹は自力で探し出して『睡眠』を付与する。
「まだ動いてる…」
「もっと強めにいこう…」
何度も詠唱して、魔法はちゃんと届いているのに動きは止まらない。
「上手くいかないね…」
「なんでだろう…?」
小声の会話に混ぜてもらおう。
「ちょっと魔法に耐性がある虫なんだ…。標的を小さく絞って、集中して強く当てるといいよ…」
「「やってみます…」」
何度か繰り返していると、眠らせることに成功した。2人は本当に魔法操作が上手い。
「このまま…」
「この周囲にいるバグを捕まえてみます…」
「うん…」
さらに10匹以上を捕獲して、初めての虫捕獲クエストは幕を閉じた。森を歩きながらオーレンにお願いする。
「ギルドへの報告はお願いしていいかな?」
「用事があるんですか?」
「なにもないけど、鼻が利かなくて頭痛が酷い。帰って薬を作ろうと思って」
「大丈夫ですか?!私とお姉ちゃんで看病します!」
「任せてください」
「大丈夫だよ。嗅覚が過敏になってるか、一時的におかしくなっての影響だと思う。薬で治せる」
「俺達が付き合わせたからですよね。すみません」
「そんなことない。自分の意志で参加してる。今回も上手くやれば匂いを嗅ぐことはなかったんだ。でも、皆と同じ気持ちでクエストに臨みたくてね」
「捕獲は経験済みなんですよね?」
「スティンクバグは、師匠も調合の素材に使ってて捕まえに行ったことがあるよ」
今より魔法操作がかなり下手だった頃で、苦しかった思い出が鮮明に蘇った。
「あまりの臭さに気を失いそうになって、『倒れたら死ぬ』と思いながらどうにか乗り切ったのを思い出した。最近、気が緩んでたから丁度よかった」
「緩んでるんですか?」
「魔法の修練をしても、日常生活もあの頃より辛くない。いいことなんだろうけど、「調子に乗るな」って口酸っぱく言われてるから」
劣等感や反骨心を持って、初心を忘れずに鍛えないと能力が伸びない。
「ウォルトさんは我が儘で人の意見を聞かないって言いますけど、やっぱりお師匠さんの言葉は重いんですね」
「命を救ってくれて魔法も教えてくれた恩人で、尊敬してるから受け入れてしまうね。超えたい壁でもあるし」
「まだまだ、ですね」
「うん。師匠から「ちょっとはやるようになった」と言われたい。そのために追いつきたいと思う」
単純に魔法が好きなのと、遙か高みにいる魔法使いの背中を追うことの目的が合致しているから死ぬまで上を目指せる気がする。
教えてもらった技術を、怠けずに磨いていると胸を張って言いたい。師匠の性格を知ってるから、嫌々かつ魔法の欠片であっても教えてくれたことが奇跡的なのかわかる。『魔法を教えるんじゃなかった』と落胆されたくない。
「俺達も追いつきたいと思ってますよ」
「師匠を目指してるの?」
「違います。ウォルトさんに認めてもらって超えたいです」
「出会ったときから認めてる。君達は凄い冒険者だ」
「認められてるのは俺達の将来性であって、現状はそうじゃないですよね?やっぱり追いつけ追い越せでウォルトさんが目標なんです」
そんな大層な獣人じゃないけど、一応師匠だから目標としてもらえるのは嬉しい。
「皆にも負けられない」
「あと、俺達に負けないようお師匠さんを目指したら効率いいですよね」
「確かに。より油断できないね」
追い抜かれないよう努力すれば、自然と師匠との差も詰まるかも。
「質問なんですけど、ウォルトさんとお師匠さんが手を組んでなにかをやるってことがあり得ますか?」
「まずない。向こうがボクを気に食わないから」
「魔法武闘会で対決とかは?」
「ないと思うなぁ。ボクが出ても師匠は出ない。唯我独尊で他人の魔法に興味がないし、気に障ったら会場ごと吹き飛ばしてもおかしくない」
「超絶危険人物ですね。1つお願いしたいことがあって」
「なんだい?」
「ウォルトさんがお師匠さんと本気で魔法戦をやるときは俺達も呼んでくれませんか?こっそり観戦して邪魔しないんで」
「う~ん…。約束はできないけど、見たいなら交渉してみるよ。隠れてもどうせ発見されるから」
「「「お願いします!」」」
「ボクからもいいかな?その魔法戦を見たあと、前にもお願いしたけどボクを森に捨ててほしいんだ。原形を留めてたらでいい」
「約束します」
「でも、お師匠さんに勝ってください!やる前から負ける前提になってますよ!」
「できるなら私達を泣かせないでください」
「ありがとう」
ダナンさん達と接していて感じたことがある。信頼できる誰かに死後の望みを託せるのなら、たとえ命を落とすことになっても全力で事に臨めるんじゃないかって。
「俺達がもっと強くなって、一緒に闘ったらいい勝負ができませんか?」
「勝てるかもしれないけど、師匠とは1対1で勝負したいかな」
「私達はもっと強くなっておこう!いざとなったら闘いを止められるくらい!」
「私は治癒魔法を磨いて、ウォルトさんがどんな怪我をしても治せるようになる」
「気の済むまで闘ってもらって、俺達も気が済むようにウォルトさんを生かせばいいんだよな!」
気遣いが嬉しい。自分は人の輪に入れないと思って生きてきたから、サマラやヨーキーという友人がいるだけでも幸運だった。性格も捻くれてるのに、こんなボクでも仲間と呼んでくれる存在ができたのは奇跡のよう。いつまでも付き合っていきたいと思う。
「最近『無効化』も少しだけ操れるようになった!お師匠さんの魔法でも無効化できるように、これからもやるぞ~っ!」
アニカが勢いで『無効化』を使うと、捕まえたバグを入れてある袋に付与した風魔法が無効化されて、魔法に小さな穴が空いた。
「くっさぁぁ~っ!」
「なにやってんだ、バカ!ゴホッ…!」
「ゲホッ…!」
「ウォルトさん…!お願いします~っ!」
「うん。ちょっと待って」
大好きな魔法と、ちょっと馬鹿馬鹿しくて楽しい時間。ボクの日常と冒険はコレでいいと思える。