610 黒猫と黒猫
「ね、猫じゃないかっ!しかもアタイと同じ黒猫っ!」
「そうだよ。友達のシャノっていうんだ」
「ニャッ!」
ウォルトが住み家で日課をこなしていると、キャロルが訪ねて来た。いつも冷静なのに見たことないくらい興奮している。
「生きてる内に猫に会えるなんてねぇ…」
「ニャ~」
シャノは穏やかに姉さんに寄り添う。黒猫同士惹かれ合うのかな。
「触れていいかい?」
「もちろん。顎を撫でると喜んでくれるよ」
喉を鳴らして嬉しそうなシャノと対照的に、ちょっとぎこちない動きの姉さん。
「シャノ…。アンタは可愛いねぇ…」
「ニャッ!」
「シャノは身籠もってるんだ。縁があって妊娠中は一緒に暮らしてくれてる」
「そうなのかい。最高に嬉しいことじゃないか」
「ニャ~」
ドナと会ったときにも思ったけど、姉さんは誰かを可愛がるとき慈愛に満ちた顔をする。サマラと同じくピンと立つ耳を除けば人間のような容姿だから表情が豊かだ。
「今日はどうしたの?」
「指輪の魔力込めと、他にも頼みたいことがあってきたのさ」
「なにかの修理?」
「違う。今回は魔道具作りだ」
「メリルさんには?」
「アンタに頼めって言われたんだよ。細かい魔力の付与を頼むのが面倒くさいんだと。あと、忙しそうでね」
「メリルさんが無理なのにボクができるかなぁ」
「聞くだけ聞いて、無理そうならやらなくていい。アンタはプロの職人じゃないんだ」
「そうだね。とりあえず内容を教えてほしい」
姉さんは背負ってきたリュックから素材を取り出してテーブルに並べていく。………なるほど。
「旦那さんから預かった素材だよ」
「作るのは『拡声』の効果がある魔道具?」
「素材を見ただけでわかるのかい」
「作ったことがあるし、よかったらあげるよ」
「はぁ?」
離れから魔道具を持ってくる。
「歌い手の幼馴染みがいるんだ。あげようと思って作っておいた」
「だったらソイツにあげな」
「直ぐに作れるから大丈夫。素材もほぼ同じだから、持って帰るなら早い方がいいだろう?それとも何個か必要なのか?」
「1個でいい。どんな感じが使ってみていいかい?」
「もちろん」
姉さんに使ってもらうと、いい感じに声が響く。
「綺麗に響くじゃないか」
「歌を聴いて声が割れてたら観客も嫌な気分になる。音の響きにこだわって作ってみたんだ」
魔石が主な効果を担ってて、魔力量の調整や圧縮で音の質を変化させることが可能。声を大きくするだけじゃ物足りない。
「魔道具を使うのは歌い手なのか?」
「さぁね。アタイも知らないのさ」
「その人の声を聴けば綺麗に響かせることも可能だと思う。この魔道具は友達の声質に合わせて作ってるんだ」
「アンタは依頼人に会いたくないだろ」
「声だけ拾ってきてくれたら」
「どうやるんだい?」
「声や音を封じることができる魔石に吹き込んでもらえばいい。必要なら渡すけど、相手がこの魔道具で充分ならそれでいいし」
「一応預かっとこうか」
その後しばらくシャノと交流した姉さんは、珍しく帰りたくなさそうに見えた。
そして、次の日。またキャロル姉さんが来てくれた。
「依頼人の声を入れて持ってきたよ。アンタの魔道具を使って驚いたらしい。声質に合わせて作ってほしいんだとさ」
「わかった。細かい要望があった?」
「この紙に書いてあるよ」
どうせなら依頼人に納得してもらえるモノを作りたい。要望があるなら遠慮なく全て書き出してもらうようお願いしておいた。
「ニャッ!」
「シャノ。アタイから贈り物だよ」
姉さんはリュックから小さな毛布を取り出す。ふんわりして気持ちよさそう。
「よかったら寝床にでも敷きな」
「ニャ~」
シャノは喜んでる。姉さんとは気が合いそうだな。
「姉さん、ありがとう」
「なんでアンタが礼を言うのさ?番じゃあるまいし」
「なんとなくね」
猫小屋に運んでシャノの寝床に敷くと、早速丸まって満足そう。
「ところで、姉さんは連日来ていいのか?」
「コレも仕事さ。雇い主に頼まれて来てるんだ」
「なるほど」
録ってきてくれた声を聴いてみよう。
「歌が上手い人だなぁ。いい声だね」
蓄音機から響く透き通るような女性の声は、低音から高音まで変幻自在に色を変える。声に年輪を感じるから依頼人は高齢だと思うけど、実際はどうだろう。
「旦那さんの恩人らしい。昔は歌い手だったんだと」
「音楽関係の修理を依頼してくれる人だね。この曲は自鳴琴で聴いたよ。声質は掴んだから、依頼人の満足いく仕上がりになるかわからないけど今から作る」
「相変わらず仕事が早いねぇ」
待っている間、姉さんにはシャノと遊んでもらいつつ知恵の輪を楽しんでもらう。最近作ってなかったから昨日がっかりされてしまった。急遽作った完全新作が知恵の輪愛好家のキャロル姉さんを満足させられるといいけど。
「アンタの作った知恵の輪は難しすぎるんだよ」
「直ぐに解けたら面白くないから、頭を捻って作ってるんだ」
姉さんが解くのが先か、魔道具ができるのが先か。暗くなる前にはできあがる予定。
「魔道具できたよ」
「腹立つ…。結局アタイの負けかい…」
「解き方を教えようか?」
「必要ない。家でやる」
できあがった魔道具の使い方を説明する。細かい調整を加えて作り上げてるから、使う前に少しだけ複雑な手順が必要。
「覚えるのが難しいねぇ。紙に書いてもらおうか」
「いいよ」
詳細を書いた紙を渡す。
「納得いかなければどう改良してほしいか教えてもらえばできるって依頼人に伝えてくれ」
「アンタは親切だねぇ」
「頼まれたのが姉さんだからだ」
「そうかい。ありがとさん。シャノ、また来るよ」
「ニャッ」
「ウォルト。子が生まれたら教えてくれ」
「直ぐ教えるよ」
食事も終えると外はもう暗くなっていて、姉さんを森の出口まで送ることにする。珍しくシャノも付いてきてくれることになった。よほど姉さんのことが気に入ったっぽい。
2人はボクの後ろを並んで歩く。
「アンタは可愛いねぇ。アタイと一緒に住むかい?」
「ニャッ」
「ウォルトの住み家には勝てないねぇ」
「ニャ~」
シャノは『森の住み家より快適か?』『それじゃ無理』と言ってる気がする。姉さんもそうだけど、サマラやチャチャも意思を読み取れるみたいで、ウイカやアニカはピンとこないらしい。
動物との意思疎通はやっぱり獣人特有の特技なのか?それとも、シャノがわかりやすいだけなのか?
会話が成り立つから、シャノもボクらの言葉を理解してるっぽい。ペニー達もそうだし気にすることでもないかな。
3日と経たずにキャロル姉さんが再び訪ねて来て。飲み物と料理でもてなす。
「依頼人はアンタの作った魔道具に大満足らしい。山ほどお礼を言っといてほしいってさ」
「それはよかった」
依頼人の要望に応えて、室内用や野外用、建物の大きさにも細かく対応できる魔道具を作った。魔石を取り替えるだけで簡単に響きを変化させられる。
「シャノ。仲間に教えてもらった美味しいオヤツだよ。よかったら後で食べな」
「ニャッ!」
今日も仲良く触れ合う2人。情報網を持ってる姉さんは、猫の好むモノを調査するのも簡単だろうな。
「ところで、旦那さんがアンタにお礼したいらしい」
「ちょっとしたお礼なら」
「成長したねぇ」
「必要ないけど、姉さんも含めていろんな人から教わった。お礼を受けるほうが手っ取り早い」
「あまり我慢するんじゃないよ」
「大丈夫。本当に嫌なら断る」
「じゃあ言おうか。アンタの魔道具作りに必要な素材を提供したいとさ」
「なんでもってこと?」
「商会で手に入るモノならなんでも渡すとさ」
「多すぎる。もらえない」
「言うと思ったよ。けど、本当に困ったときだけ言ってくれて構わないらしい。どうだい?」
「それならいいよ」
ボクにとっては素材を入手するのも修練の一環で、基本的に頼むことはない。自分で入手した素材で作るからこそ感動もひとしお。
「報酬だから、アンタから提案してくれると助かるんだけどねぇ」
「別に要望したいことがないなぁ。……いや。1つあった」
「なんだい?」
「こういうのはどうかな。依頼をこなせたら、適正な報酬の額をフクーベの孤児院に寄付してほしい。ボクが貰うよりよっぽど有益だ」
「アンタらしいけど、旦那さんが受けたとして払わなかったらどうすんだい?」
「なにも変わらない。元々報酬はいらないんだ。好きにすればいいさ」
「裏切ったら縁切るだけってことだろ。とりあえず言っとくよ」
報酬についてはランパードさんに丸投げしよう。拒否されても構わないし、反故にしたら姉さんの言う通りになるだけ。
「ボクからも姉さんにお願いがあるんだ」
「言ってみな」
「しばらく一緒に住まないか?」
「はぁ?いきなりおかしなこと言うじゃないか」
「間違ってたらゴメン。姉さんは、シャノに会いたくて毎日来てくれてるんじゃないのか?」
そんな気がしてる。フクーベからはさほど遠くないけど、毎日住み家に来るのは大変だ。4姉妹のように体力も強さも兼ね備えてるならわかるけど、姉さんはそうじゃない。
連日の贈り物もそうだけど、シャノに会う度に嗅いだことのない嬉しそうな匂いをさせてる。
「その通りだよ。それにしても、サマラ達が聞いたら激怒されそうなことをさらっと言うねぇ」
「なんで怒られるんだ?」
「自分で考えな。アンタの気持ちは有り難いけど、ココから仕事に行くのは容易じゃない」
「ボクが背負ってフクーベまで送り迎えするよ」
「妙にこだわるじゃないか」
「お互いのタメだ。姉さんとシャノのね」
「アタイとシャノ?」
「シャノは姉さんに懐いてるし、かなりリラックスしてる。おそらく出産まではあと1ヶ月ない。少しでもいい気分で過ごしてもらいたいんだ」
「そういうことかい」
「もちろん無理にとは言えないけど」
「今度ゆっくり泊まりに来るさ」
「ニャ~」
ずっと姉さんの膝で寛いでいるシャノが鳴いた。優しく撫でながら姉さんが話しかける。
「アンタは可愛い子を生むだろうねぇ」
「ニャッ」
「1人連れて帰ってもいいかい?」
「ニャ~」
「ははっ。そうかい」
『ダメだ』と断られてる。
「ところで、アンタの番はどうしてるんだい?」
「ニャッ」
シャノの答えは、まさかの『知らない』…。ということは、森で元気に暮らしてるかもしれないな。姿を現してくれたらいつでも受け入れるけど、一度も姿を見たことがない。
「元気で生きてるのかい?」
「ナァ~」
立て続けの質問にも『さぁ?』と余裕の回答。動物の番は愛情深い関係じゃないのか。子孫を残すタメに割り切った関係かもしれないな。
「旦那がいなくても子は育つ。いざとなったらウォルトを頼りな」
「ニャッ」
ボクもそのつもりだけど、できるなら雄猫に会ってみたい。
「そういえば、姉さんにあげたい香水があるんだ」
「付けないから香水は必要ない」
「ほぼ匂わないんだ」
「そんなの香水って言えるのかい」
「試しに使ってみてくれないか?役に立つと思う」
調合室から持ってきて渡すと、姉さんは匂いを嗅ぐ。
「いい匂いで、確かにほんのりだねぇ。どんな効果があるってんだい?」
「姉さんは街で輩に絡まれることが多いだろう?指輪の効果もあって目立たなくなったはずだけど、この香水を使えばもっと目立たなくなる」
スザクさんの甥っ子ユーマのアレルギーを抑えるために作った薬と同様の魔法を付与してある。
「本当なら助かる。ありがとさん。けど、なんで急に作ったんだい?」
「あぁ~…。ん~…」
「ハッキリ言いな。アンタらしくない」
「憶測だけど、姉さんの体臭が男の嗅覚を刺激して目立つんだと思う。シャノに会うときは特に強く匂ってて、そのことに気付いたんだ」
「へぇ。…ってことは、アンタにも効いてるってことかい?」
「そうだよ。嫌だろうけど」
姉さんの匂いに惹きつけられていることに気付いた。ボクがフクーベにいた頃に比べると匂いも変化してる。
「ふぅん。道理でね」
「なにが?」
「こっちの話さ。それと、アンタにいやらしい目で見られてもアタイは別に嫌じゃない」
「ありがとう」
「とりあえず試してみるか」
香水を付けるとほぼ無臭になった。記憶にある姉さんの体臭に合わせて調合したけど、上手く相殺できてる。
「いい感じに効果が薄れてる」
「そうかい」
「ニャ~」
姉さんの匂いが好きみたいでシャノは不満げ。住み家にいるときは普通に過ごしてもらえばいい。
「アタイの匂いを消すより、人が寄りつかなくなる香水を考えとくれよ。嗅いだら死ぬとか」
「作ろうと思えば作れるけど」
「冗談だよ!アタイも危なすぎるだろ!」
その後、姉さんとシャノと一緒に猫の獣人の好物を食べた。黒猫と猫人2人が揃って怖い顔になり、パキパキと好物を噛み砕く音だけが住み家に響いた。
★
フクーベにある大きな屋敷の応接室にて。
キャロルから報告を受けるのは、商会長のランパード。
「言われた通りウォルトには伝えといたよ」
「彼はなんて言ってた?」
「素材の提供は必要ない。仕事の報酬をフクーベの孤児院に寄付してくれだと」
「それだけか?」
「それだけさ」
「俺を信用しすぎだろう。渡さなかったらどうする?」
「アンタが信用をなくすだけだ。渡さなくてもウォルトはどうでもいいんだよ。どうせ受け取る気がない。子供達のタメになればって考えてるだけでね。嫌なら受けなきゃいいさ」
「もちろん受ける。彼が納得するなら、こちらからも頼みやすい」
「匿名か旦那さんからってことにしなよ」
「俺経由の匿名ということで寄付する。俺が多めに寄付したと思われてはたまらない。彼は自分に対する評価なんてどうでもいいんだな」
寄付は一種のアピール。好印象を持たれたいと慈善事業に力を入れる者は多い。俺も駆け出しの頃から孤児院に限らず寄付してきた。
儲けて溜め込むばかりじゃ小物も小物。金を有意義に使って世に還元しなければ商人はやっていけないと師匠から教わった。そして、その通りだと思っている。
「だから森に住んでんだよ」
「そうだな。…ところで」
「なんだい?」
「今日は…いつもより淑やかだな」
キャロルがやけに地味に見える。昨日や一昨日はもの凄い色気を感じた。ウォルト君との仲を疑ってしまうほどに。
「そうかい。アンタが妙にいやらしい目で見てくるから、ちょいと対策したのさ」
「バカ言えっ!そ、そんな目で見てないだろっ!」
「別にアンタなら嫌じゃないよ。じゃあね」
キャロルは部屋から出て行った。
……そんなに顔に出てたか?