608 花が散る前に
ある日の昼下がり。
魔法の修練や体力強化の鍛錬を終えて、更地でシャノと遊んでいたら、何者かの気配を感じた。
魔法で詳細に探知すると、フクーベ方面から2人歩いてくる。歩幅と歩調からすると女性っぽくてかなりゆっくり歩いてる。渡した魔石の反応がないから4姉妹じゃない。遊びながらも意識していると人影が森を抜けた。
目を向けると、魔導師のサラさんと師匠である大魔導師のアニェーゼさんがいる。
「師匠…。着きました…。相変わらず遠いです…」
「若いのにだらしないわね」
シャノと一緒に歩み寄る。
「アニェーゼさん。サラさん。お久しぶりです」
「久しぶりね。ふふっ。可愛い番がいたのね」
「名前はシャノです」
「いい名前だわ。シャノ、私はアニェーゼよ」
しゃがんで差し出された手にシャノはスッと身を寄せた。顎を撫でられてゴロゴロ…と気持ちよさそう。
「いい子ね」
「ナァ~」
「可愛い猫ね。動物に会うのは初めて。私はサラよ」
サラさんも一緒になって身体を撫でる。
「遠いところまでお疲れさまでした。お茶を淹れるので中へどうぞ。シャノ、また後で遊ぼう」
「ニャッ!」
住み家に招いて居間で寛いでもらう。飲み物は揃ってカフィを希望された。
「このカフィは絶品ね。冷やしても美味しいでしょう」
「ウォルトのカフィは抜群に美味しいです。商売すればいいのに」
「ありがとうございます。舐めるくらいでちゃんと飲んだことがないんですけど」
「香りだけで美味しく淹れるのが凄いわ」
アニェーゼさんは血色もよくて、以前より若返ってる気がする。
「アニェーゼさん。身体の調子は変わりないですか?」
「変わらず元気よ。貴方の魔法のおかげでね」
「無責任な発言になりますが、ボクの魔法で治るかは運任せでした。最善を尽くしただけです」
「相変わらず謙虚なのね。ドラゴンまで討伐した魔法使いなのに」
「ご存知なんですね。お恥ずかしい」
「うふふっ。恥ずかしいことなんてない。噂を聞いて我が家の皆も大興奮だった。私は驚かなかったけれど」
「フクーベも大騒ぎだったのよ~」
「友人のおかげで倒せただけなのに、世間を騒がせてしまったみたいです」
「ドラゴンがどんな魔物だったのか、教えてもらっていいかしら?」
「わかりました」
掌の上に『傀儡』で縮小版のラードンを発現させる。サラさんは眼鏡を外したりかけ直したりしてるけど変かな…?
「コレが倒したラードンです。魔法で再現してみました」
「うふふっ。まるで生きているみたいね。それで?」
ラードンを操作して闘いを再現する。幾つかの質問に答えながら、どんな魔法を使ったのかを説明した。
「ありがとう。とてもわかりやすかったわ」
「こんな感じでどうにか倒せたんです」
「どうにか…ねぇ」
「サラさん、どうかしました?」
「別に~。なんでもない」
「うふふっ。気になっていたから聞けてよかった」
「もしかして、そのために来てくれたんですか?」
「それもあるけれど、ウォルトにお願いがあってきたの」
「なんでしょう?」
「私と魔法戦をお願いできないかしら?」
「こちらからお願したいです」
急な提案だけど断る理由がない。是非お願いしたい。
「話が早くて助かるわ」
「その前に、食事はいかがですか?」
「終わった後がいいわ。眠くなってしまうの」
「わかりました」
★
3人で住み家の外に出て「ちょっと準備します」と告げたウォルトは、アニェーゼとサラをほったらかして忙しく動き回る。
「ウォルトはなにをしてるんでしょう?」
「外から視認できない結界を張るつもりよ。動きを見ていればわかるわ。ウォルトの探知結界も地中に張り巡らされている。きっと訪ねてきた輩に絡まれるのね」
「まったく気づきませんでした…」
「ふふ」
かなり巧妙に隠蔽されているけれど、おそらく彼は普通に展開しているだけ。大魔導師と呼ばれる者でも気付く者は多くないでしょう。
私は結界魔法が得意だから気付けた。足下から感じる魔力はウィッチ・イルに展開している結界と同質で心地いい。学んだ技法を活かしてくれているのね。
「お待たせしました。準備完了です」
「お疲れさま。この空間は外からどう見えてるの?」
魔力は内側から辛うじて視認できる。更地から住み家を全て覆う結界。
「普通の森に見えているはずです。光の反射を利用して周囲の木々に景色を同化させました。侵入はされないと思うんですが、触れると結界を張っているのがバレてしまうのが欠点です。まだまだ改良の余地ありで」
「ふふっ。頑張って頂戴。それじゃ、早速お願いできるかしら?」
「はい。いつでも」
サラには離れた場所で観戦してもらって、私とウォルトは適度な距離で向かい合う。
立ち姿からは気負いなど微塵も感じない。そして、絶妙な間合いに立つものだと感心してしまう。気を抜けない絶妙な距離。
威圧感も魔力も感じないけれど、ウォルトは間違いなくカネルラ最高の魔導師。無謀な魔法戦だとわかっていても、弟子の前で無様な姿は見せられない。私にも積み上げてきたモノがあるのだから。
「ふぅぅ……」
静かに魔力を高めても、ウォルトは静観の構えを崩さない。観察するような目を向けてくる。
『氷花』
無詠唱でウォルトの立つ場所に氷の花を咲かせると、素早く後ろに跳び退いた。魔力を感知する能力が段違い。完璧に隠蔽したつもりでも発動する瞬間を完全に見切られている。
「ふふっ。さすがね」
「危なかったです」
「そうは見えなかったわ」
「美しくて危険な魔法でした」
「お褒めに預かり光栄よ」
いい歳したお婆さんが、若者に褒められて純粋に喜んでしまう。『火焰』『氷塊』『風牙』と立て続けに放つも、障壁で難なく防がれた。発動から強固さまで見事すぎて溜息が出そうになる。
「本当に見事ね」
「ありがとうございます」
どんな鍛え方をすれば、この若さでここまで魔法を操れるようになるのか。想像もつかない、口にするのも憚られる修練をこなしているんでしょう。課したのは相当危ない師匠ね。
けれど、若いウォルトは知らないことも多いはず。魔法は奥が深いのよ。私の次の魔法を静かに待つウォルトの周囲で、突然魔力が煌めく。
「なっ?!ぐっ…!」
空中に現れた細かい氷の弾丸がウォルトを襲った。瞬時に障壁を展開されたけれど頬が切れている。この技法は知らなかったようね。初めて真に驚いた表情を目にした。
「この魔法は初めてだった?」
「はい…。魔力に気付きませんでした…」
「ゆっくりしていていいの?」
再びウォルトの周囲で魔力が煌めく。
「フゥッ!」
見事な『無効化』。一息であっという間に魔力を掻き消した……とウォルトは思っているでしょうね。
「ぐぁっ…!」
私の放った『雷撃』でウォルトは痺れる。今のも油断していたわね。時間を置いて発動する遅効性の魔法で驚かせ、次は『無効化』を放った瞬間、地中の結界魔力に乗せてウォルトの足元に『雷撃』を流した。私の魔力と同質だから容易い。
ただ、発動に気付かれないようかなり魔力量を抑えている。込める魔力量が多いほど見破られ易くなるから精一杯。
「お婆さんの魔法でも多少は効いたかしら?」
「効きました…。凄いです…。魔法操作も発想も…」
なにをされたのか、どういう理屈なのかは彼に言葉で伝える必要なんてない。言葉からして既に自分のモノにしている。同じ手は二度と通用しないでしょう。
「魔導師として生涯現役のつもりでも、年を取ると体力も魔力も弱ってしまう。だから、私にとって魔法戦で最も重要なのは知恵よ。うふふっ」
「とてもそうは見えません」
「まだ貴方には見てもらうわ」
私はそのタメに来たのだから。
20分程度の魔法戦を繰り広げて、私は白旗を上げた。
「魔力が切れてしまった。残念だけど、魔法戦はここまでにしてもらえるかしら?」
「ありがとうございました。多くを学ばせて頂きました」
「相変わらず謙虚ね」
「事実です。尊敬しかありません」
歩み寄ってニャッ!と笑うウォルトは、本当に凄い猫の魔法使い。過去に見たこともない。今回の魔法戦では私の魔法を見ることに専念したようで、途中からは見事に受けきられた。
あらゆる手法で攻めたけれど、盤石の防御を突き崩せなかった。逆に攻撃されたのは数回だけで、目的はおそらく私の防御魔法を見ること。経験の少なさを優れた技量と感覚で補い、穴が空くほど魔法を観察され、私の魔力は嘘偽りなく枯れてしまった。
「今日見せた魔法も模倣して構わないわよ」
「ありがとうございます!後で修練させてもらいます!」
「ふふっ。元気がいいわね」
惜しみなく魔法を見せた。私が考案した魔法も含めて操れる魔法は包み隠さず全てを。
「その代わり、頼みたいことがあるの」
「なんでしょう?」
「もし私が死んだら、貴方が私の弟子達に魔法を教えてほしい。お願いできるかしら?」
「アニェーゼさん…。どこか不調が…?」
心配そうな顔をしてくれる。表情豊かで優しい猫人。
「強がりでもなんでもなく絶好調よ。ただ、個人的な望みで憂いをなくしておきたい」
「憂いとは…?」
「弟子達の未来。皆は修練を欠かさないけれど、仕事も日々忙しく修練の時間は限られる。高齢の私に残された時間が長くないことも理解してる。全ての魔法を伝えきれないかもしれない。もしそうなっても、魔法を伝えてくれる者がいたら安心して逝けるわ」
「その役は、ボクよりサラさんやギュネさんの方が適任だと…」
「サラやギュネもまだ全て操れないし、過去にも全て伝授できた弟子はいないの。現時点では貴方にしかお願いできない。私の魔法の全てを見せたし、貴方はきっと習得する。もちろん私が教えるつもりだけど、万が一に備えておきたい。その時は、ウォルトのやり方で伝えてくれないかしら?」
コレをお願いするタメにサラに我が儘を言って連れてきてもらった。「貴女達にはできない」と言われているようで気持ちは複雑だと思うけれど、私の意志を尊重してくれる理解ある弟子。
サラもウォルトが私の編み出した魔法を習得することに異論はないと言った。彼はあらゆる魔法を尊重しているし、自分が操りたいだけで悪用したり自慢げに吹聴することは絶対にない。なにより、私の魔法を後世に繋げたいと言ってくれた。
「私より元気だったライアン君も逝ってしまって、実際に私も危なかった。病床に伏せながら、弟子達にもっと多くを残せたんじゃないかと度々悔いていたのもあって、元気な内に伝えに来たの」
魔法を直接見せてウォルトに知ってもらい、。私の魔法は後世に残すに値するのかを彼自身に判断してもらうタメに。
ウォルトは頭をグルグル回して、やがて止まった。
「わかりました。皆さんに必ずお伝えします。ただ、逝くのはボクが先かもしれません」
「そうなったら責められないわ。魔法使いだと知られず、森で静かに暮らしているのに不躾なお願いをしてごめんなさい。引き受けてくれてありがとう」
「アニェーゼさんの魔法が失われるのは魔法界にとって大きな損失だと思います。ボクのような魔法使いが伝えるのは荷が重いだけで」
本当に嬉しい評価。私の師匠に褒められたよう。
「あの…アニカやウイカにも伝えていいですか…?」
「もちろんよ。傲慢だけれど、貴方もアニカ達も私は弟子のように思っているの。ふふっ」
「そう言ってもらえて嬉しいです」
「でも、決して引退宣言じゃないわ。これからも魔法を磨く。この命が尽きるまで」
「ボクもそうありたいと思っています。この後は、ゆっくり食事でもいかがですか?」
「頂こうかしら」
「準備します」
ウォルトは結界を解除しながら、先に住み家へ戻った。サラが歩み寄ってくる。
「師匠。ウォルトに魔法を当てるなんて凄いです」
「最初だけだったけれど」
「それでも凄いです。アニカやウイカと出会ってからは、魔法の直撃を受けたことがないらしいんです」
「うふふっ。魔法を観察するタメだけにわざと障壁に集中して受け止めてるんだもの。突き崩すのは容易じゃないわ」
仮にウォルトが先手なら一気に形成が厳しくなる。軽く放った魔法が相当な威力で、魔力を大きく削られてしまう。今日も恐ろしさを実感した。
私は初めてライアン君の上に立てたのかもしれない。病に冒されていたとはいえ、彼の魔法ですら届かなかったということ。いかに体調が悪かろうと彼がウォルトに魔法戦を挑んでないはずがない。若い頃から狂ったように修練と魔法戦をこなし、誰彼構わず挑戦して腕を磨いていた。私の知る限り、最も好戦的で負けず嫌いな魔導師。
年老いてなお素晴らしい技量だった。若い頃とは違う形でも常に魔法を磨き続け、生涯魔導師を貫いたに違いない。口が悪くて性格に難ありだっただけで、溜息が出るくらい凄い魔導師だった。聞いていたら「一言多いわ!」と怒る顔が目に浮かぶ。
だって本当だもの。ねぇ?
「師匠。まだまだ元気でいて下さいね」
「そのつもりだけど、なぜ?」
「私達と師匠でウォルトが驚くような魔法を編み出して魔法戦で勝ちましょう!そして…ウォルトの師匠になってください!」
「ならなくてもいいわ。彼の方が技量は上だし、私には貴女達がいる」
サラの言いたいことがわからない。
「ウォルトを弟子にすれば、皆の男性不信も和らぐかもしれません。女性を軽視しない大魔導師がいると知ってもらえます」
「一理あるわ。得ることも多いでしょう」
「そうなんです」
「サラ。弟子云々は別として、私は燃えているの」
「え?」
「今日の魔法戦で心に火がついた。まだ魔導師とし枯れるワケにはいかない」
既にウォルトの魔法を知っていたけれど、実際に魔法を交えて感じた。年老いてなお魔法に対する情熱が心の底から湧き上がってくる。超えたいという憧憬や憤怒、劣等感も入り混じる複雑な感情。けれど、嫌ではない不思議。
大魔導師なんて呼ばれて知らず知らず思い上がっていた。魔法戦でまともに魔法を当てることができないような者が大魔導師のはずがない。心を入れ替えないならかなりのたわけ者。
「気持ちはわかります!負けたくないって思いますよね!」
「えぇ。ウォルトの魔法を打ち破ってみたい。気持ちだけは確実に若返った。ライアン君が出来なかったことを成し遂げて、いつかの土産話にしようかしら」
「ライアンさんに悔しがってもらいましょう!」
「簡単に言うけれど、私が無理なら貴女達が遺志を継ぐのよ?わかって言ってる?」
「ま、まぁ…その時はやってみせます!」
「怪しいわね。ウォルトを弟子にすれば体良く魔法を教えてもらえそう…なんて考えてないでしょうね?」
「そんなこと考えてません」
「ふふっ。嘘を吐いてるときの癖が出てるわ」
弟子は子供と同じ。見抜くのは簡単。
「師匠にはバレますよね…。それもあるんですけど、何度見ても心に響くウォルトの魔法をギュネさんやレスティーナ達にも見てもらいたくて…。絶対に魔法に対する意識が変わります。私はそうでした」
「それは間違いないわ」
他人の魔法を評価できるのは、魔導師と一部の有識者だけというのが常識。大魔導師の称号を得る者は魔導師達が選定し、一般市民の意見は必要なかった。
けれどウォルトは違う。武闘会の魔法戦で観客を魅了し、真の意味で国民から大魔導師と評価された魔導師はおそらくカネルラでは彼だけ。技量は元より魔法の質が違う。見るだけで万人が凄いと判断できる魔導師を彼以外に知らない。常識を根底から覆すような魔法は、いい意味で固定概念を破壊する。
「1つ思いついたわ」
「なんですか?」
「大したことはないけれど、もう少し形になってから教えるわね」
「わかりました」
魔法の未来を担う者達に彼の魔法を見せてあげたい。その時、彼は協力してくれるかしら。




