606 見たこともない星空
カネルラ王城にて。
識者会議後、国王ナイデルは騎士団を統括する立場にある第2王子アグレオと居残りで言葉を交わしていた。
「騎士団が栽培を開始した闘気回復薬の素材につきましては、順調に成長し初の調合に成功しました。回復効果も認められています」
「そうか」
「素材が成熟しきっていない状態での調合であるため、どの程度まで回復が可能であるか見通しは立っていませんが、さらなる向上が期待できるのではないかと」
「引き続き作成を続けよ」
「かしこまりました」
カネルラ騎士団における長年の課題であった、闘気を回復する手段が遂に確立されようとしている。
「アグレオ。此度の回復薬について、やはりあの男が関係しているのか?」
詳しい報告を受けずとも想像はつく。ダナンが突然持ち帰り、「闘気を回復させる効果を持つ素材の種で御座います」と献上されたらな。
「仰る通りです。ですが、ダナンの説明によるとあくまで仲介者であるとのことでした。考案したのはサバトも真似できない技術を持つ薬師であると」
「興味深い…が、その者には会えぬか」
王族が接触を図ることは、サバトの素性を探っていると勘違いされかねない。
「サバトから、信用に足る者にのみ伝えてほしいと要望されたようです。世の中には、表に出ずとも素晴らしい能力を持つ者がいることを伝えたいと」
どの口が言っているのか。本気ならば面白い男だ。
「その者に会えたならば、手厚く礼をするようダナンに伝えてくれ」
「既にボバンと共に考えを巡らせているようです。出会うことがあれば、騎士団を代表して私自身も礼を伝えねばなりません。当然サバトにも」
アグレオもストリアルと同様に邂逅を求めるか。今回はカネルラ騎士団への貢献が計り知れない。統括するアグレオの言葉は至極真っ当でもある。
「また、サバトが作ったとされる製法不明の回復薬も受け取っています。途轍もない回復力であると報告を受けました。伝授された回復薬とは効果が比べものにならないと。おそらく、我々では作ることができない代物であると思われます」
「ははっ!とにかく俺達を驚かせないと気が済まないのだな」
それはさておき、今回の件に関して交渉担当者はどう考えているのか。
「私は驚いたよ。お父様もでしょ?」
夕食後にリスティアの部屋を訪ねた。
「当然だ。過去に多くの者が挑んできた難解な問題を解決したのだから。お前の親友にはできないことを尋ねてみたくなる」
「沢山あるよ」
サバトとの交渉及び対策担当に任命してからというもの、リスティアは態度を軟化させ幾分かサバトの情報を教えてくれるようになった。
極秘だが、約定によりサバトに関連する事項の決定権はリスティアにあり、俺はそれを実行する。この事実を知るのは俺とリスティアのみ。
ただし、いつでも俺の権限によって破棄することができる。リスティアも異議なく納得した。
「サバトは色々なことで私達を驚かせるけど、意図してないの。あらゆる分野に精通してるように感じてるでしょ?」
「実際そうだろう」
「違う。本人も言ってるけどできないことは多い。たまたま問題を解決してるだけ」
「どういう意味だ?」
「闘気の回復薬も、元々は作成をお願いしたわけじゃない。自発的に作ってくれたの。理由はカネルラ騎士にお世話になって、尊敬してくれてるから」
「エルフの魔導師であるサバトが、騎士を尊敬していると言うのか…?」
「ダナンやカリーを蘇らせたのはただの偶然。2人はアンデッドだったけど、その前にアイリスと交流していたから騎士だと気付いて対処してくれた。そして、ダナンやカリーと交流する内にボバンと知り合って、より詳しく騎士を知ることになる。彼等が積み上げてきた歴史や強さを知って、カネルラ騎士を尊敬していると言ってくれた。だから回復薬も作ってくれたの」
思った以上に理解のある男だ。
「なんだって自分が作りたいから作ってくれる。魔法も同じ。魔導師の魔法を見たいから武闘会に出て、闘うなら負けたくないから勝った。見せたい人にだけ魔法を見せて安売りも忖度もしない」
「そうか」
「サバトはずっと魔法や技術を磨いてる。言い換えれば積み上げてきた。だから、共感できるような人達には惜しみなく協力してくれるし、逆に協力もされる」
「興味がない者には協力せず、逆に求めることもしない…か…」
「私を交渉担当にしてくれて嬉しかったから、お父様には教えるね。お兄様達には内緒だよ」
リスティアは首から下げたネックレスを懐から取り出す。いつからかずっと身に付けている愛用の装飾品。ささっと窓をカーテンで閉め切り扉にも鍵をかけた。なにをする気だ?
「よく見ててね」
リスティアが指でそっと宝石を摘まむと、一瞬にして壁も天井も消え失せ美しい星空が現れた。
「なんだ…コレは…?」
まるで、空気の澄んだ山頂に2人で佇んでいるかのようだ…。見渡してもこの空間には俺とリスティアだけ。
「星空を映し出すサバトの魔法なの。驚いたでしょ?」
「あぁ…。見たこともない…」
言葉にならない美しさの星空。湧き上がる感動がある…。とても魔法だと思えない。
「私の誕生日プレゼントに作ってくれたの。寝る前に見るとすごく落ち着く。お母様やお姉様達にはたまに見せてるよ」
「実は…サバトがこの部屋に潜んでいるのではなかろうな…?」
そう思わざるを得ない。
「あははっ。もちろんいないよ。ネックレスは魔道具で、魔法を発動してるのは私の加護の力。消すのも簡単だよ。ほら」
言った通り元の部屋に戻る。
「リスティア…」
「なに?」
「今の魔法は……心が震えた」
「でしょ。実際にサバトが発動したら、もっと凄いことができるからね」
「ルイーナが言っていた…。サバトの真の凄さは、戦闘魔法ではなく人を魅了する魔法にあるのだと…」
片鱗を見た。こんな魔法を数多く操るのなら、リスティアが国賓に見せたがったのも納得いく。
「お母様の言う通りで、ジニアス達の祝宴では予想もしなかった魔法を幾つも見せてくれた。だから、赤ちゃんが一生覚えていてもおかしくない」
「言わんとすることは理解できる」
「もしかしたら、同じような魔法を操る魔導師がいるかもしれないけど、サバトの魔法は心に響いていつまでも余韻のように残るの。とにかくまだ内緒だからね!」
「あぁ…」
不思議な高揚感に包まれたまま部屋を後にした。
寝室に戻り、ルイーナに星空の魔法を目にしたことを伝える。
「御覧になったのですね」
「あぁ…。驚きしかなかった…」
「私はナイデル様に伺いたかったのです」
「なんだ?」
「サバトの魔法を見てどう感じられたのかを」
「驚くことなどないと高を括っていた。武闘会で実際に目にして、ドラゴン討伐という離れ業も知っているからだが…簡単に予想を超えてきた。派手さはなく、ありがちな魔法にすら思えるのに…ただ素晴らしい」
この感情を知らない。高揚しているのは確かだが表現のしようがない。
「私達もそうでした。そして、我慢を強いられるのです」
「我慢?」
「誰かに伝えたいと思いませんか?「見たこともない魔法を見た!」と語りたくなるのです。武闘会で使用した魔法など比べモノになりません。であるのに、口外しないことが見る条件なのです」
「う…む…」
そうかもしれない。この気持ちを立て続けに味わえばさらに強く感じるだろう。酷というもの。
「私にはウィリナとレイがいたので、苦になりませんでしたが」
「以前、俺が国王である上でサバトの魔法が必要であるかは、見た後の俺にしかわからない…と言ったな?」
「はい」
「世の中には、俺が知らぬことなど数えきれぬほどあるだろう。その1つであるのは間違いない。久しぶりに衝撃を受けた」
生まれてから今日まで、魔法で心を揺さぶられたことなどなかった。他の魔法との違いなどわからない。俺に必要なモノかもわからない。ただ美しさに心打たれた。知らない感情に火を灯すような魔法。
「私は魔法の素人ですが、真に凄い魔法というのは瞼の裏ではなく心に刻まれるのだと教わりました」
「わかる気がする」
「あのネックレスは、形成から魔法の付与に至るまで驚くほど短時間で作ったのだそうです。彼は規格外すぎます」
クスクス笑うルイーナ。
「リスティアはこんな心配もしています。「ジニアス達が大きくなったら、サバトの魔法以外では満足できないんじゃないか」と。そして、「魔導師になりたい」と言い出しかねないと。事前に謝られています」
「あり得そうだな…」
定期的に他の魔導師の魔法も見せねばなるまい。未だ白猫の面に執着しているくらいだ。可能性はある。
成長し、魔導師になりたいと言うのなら止めはしない。剣ではなく魔法で己の身とカネルラを守る男になればいい。魔法の才があれば…だが。
「やっとです」
「なにがだ?」
「ナイデル様と…サバトの魔法について語り合えました。この日が待ち遠しかったのです。たった1つの魔法とはいえ想いを共有できたことを嬉しく思います」
「ルイーナ…」
ニコリと微笑む。
「リスティアには怒られるかもしれませんが、サバトの魔法は最高の娯楽です。楽しんでいる内に時間が過ぎ、後には感動と高揚が残ります。武闘会も同様で、観戦した国民も感じたのではないでしょうか」
「魔法で人を楽しませようとする魔導師は他にいないだろう。貴重な魔力を無駄遣いすることになる」
「私が知る限り、ライアンはそうであったと思いますが」
「ライアンが、魔法で人を楽しませようとしていたと言うのか?」
本人の口から聞いたことはない。
「かなり前になりますが、魔法武闘会を観戦中に「魔法の裾野を広げるには、恐れ憧れるだけではいけない。魔法を楽しんでもらう必要がある」とこぼしたことがあります。「余裕もなくなかなか難しい」とも」
「意外だ。知らなかった」
ライアンは俺が知る最高の魔導師だが、厳しく弟子を育てているイメージしかない。人を楽しませる魔法など無縁に感じる。「無駄に魔力を使うな!」と叱咤しそうだが。
「サバトと邂逅した後、ライアンはよく笑っていたと聞きました」
「俺も知っている」
「後継者を見つけて嬉しかったのではないでしょうか。人を楽しませ、魔法の裾野を広げる可能性を感じたのだと思います」
「それがサバトだと?」
「全て私の憶測ですが自信があるのです。ナイデル様は、ライアンの性格にどんなイメージをお持ちですか?」
「自他共に厳しく、魔法においては妥協を許さない生真面目な男だったが」
冗談を言うタイプではなく、自分の信念を押し通す芯の強さを持つ魔導師だった。だからこそ弟子や他の魔導師との衝突も多かったのだが。
「合っていると思います。あくまで一面ですが」
「一面だと?」
「厳しいのは弟子や自分も含めた魔導師に対してのみで、女性や子供には優しいのです。ウィリナやレイも知っていますが、お茶目な一面もある好々爺でした」
「初めて聞いたな。弟子の前では決して見せなかった顔であろう」
「威厳を保ち、厳しく育てる方針だったのではないでしょうか。性格は違えど雰囲気はサバトに似ていると感じます」
「年齢も種族も超えた同族か」
「サバトもライアンを尊敬すべき魔導師だと評したようです」
我の強さに定評のある魔導師が、一度の邂逅で共感するなどあるだろうか。亡くなる直前に話したジグルなら知っているかもしれん。
「ルイーナ」
「なんでしょう?」
「俺がサバトの魔法を目にするにはどうすればいいと思う?」
「簡単で、けれど困難です」
笑って矛盾したことを口にする。
「リスティアに頭を下げて頼む…か」
「いえ。ナイデル様が会いに行けばよいのです」
「俺が?」
「国王として招聘しても王城に来ることはほぼあり得ないかと。仮に現れても魔法は見せないでしょう。ですが、訪ねたなら無下にされることはないと言い切れます」
「そうか。物事の基本だな」
「こちらから出向き相手に礼を尽くす。ダナンもそうしています。王族には困難なのですが」
「国王が危険を承知で森に向かうワケにもいかず、簡単に頭を下げたりしない…か。普通はそうだな」
「普通は…?」
「普通ではない国王ならやるだろう。直ぐにではなくとも」
「そうですね」
互いに微笑み合う。
「その時は、ジニアス達が魔法を見たがっているとお伝え下さい」
「子供を使うとは考えたな。見透かされそうだが」
「私の知るサバトの好きなモノは、魔法と子供のみです。少なくない可能性を感じます」
「リスティアから頼んでもらえばいいのではないか?」
「もしダメでもナイデル様のせいにできますので」
「おいおい。勘弁してくれ」
「ふふっ。申し訳ありません」
若かりし頃に戻ったように冗談交じりの会話を楽しむ。最近ではこんな会話もしていなかった。
「いつの日か…共に見たいのです」
「俺もだ。ストリアルやアグレオもな」
さっきはルイーナの問いに答えを明示できなかったが、魔法を見たい気持ちが拭えないということは、少なくとも今の俺にとっては必要だと言える。
おそらく、純粋に興奮したのが何年かぶりだからだ。忘れていた人間らしさのような気がする。
俺は、国王である前に人間。思い出させてくれた星空に感謝しよう。