590 祖父は尊敬されたい
演劇鑑賞を終えたウォルトがボグフォレスの屋敷に戻ると、気怠そうな門番に声をかけられる。
コイツは態度が悪いな。不真面目そうで、門も軽々突破できそうだ。
「おい、アンタ。教えてくれよ。どうやれば旦那に取り入れるんだ?」
「どういう意味ですか?」
「あの獣人の女は愛人だろ?ボグフォレスの旦那はそういう好みなのか?」
「彼女は愛人じゃありません」
「はぁ?仲介人じゃないのかよ」
「ボクは女衒じゃない」
「じゃあなにか?もしかして…お前が相手してんのか?ひゃっひゃっ!」
ゲスは相手にしてられない。東門の門番とは正反対だ。とりあえず…。
『混濁』
無詠唱で魔法を付与すると、立ったまま目玉がグルグル回ってる。眠らせないとこうなるのか。初めて知った。ここ数時間の記憶だけ飛ばす程度に抑えてあるから、直ぐに回復するだろう。
門番が機能しないと困るだろうから、一応ドルジさんに伝えておこう。女衒扱いされたことも包み隠さずに。
「申し訳ございません。門番が客人にとんだ失礼を」
「様子がおかしいので確認された方がよろしいかと」
「心遣い痛み入ります」
ボグフォレスさんは、まだリリサイドと部屋で話しているらしい。ノックして部屋に入ると、眉間に皺を寄せて難しい顔をしているボグフォレスさんがいた。
「む、むぅ…!」
「もう降参したら?」
「待てっ…!こうすれば…。いや…無理か…」
2人はコミリオンで対戦している。子供から大人まで遊べる昔から親しまれる定番ゲームだ。
縦横それぞれ10マスに仕切られた盤の上で、定められた動きしかできない数種類のコマを使って、相手の陣地を占領したら勝利になる。紙や木材で簡単に作れるし、マスとコマを増やすことで戦術が一気に複雑になる。単純なのに奥が深くて面白い。
パッと見てわかるくらいリリサイドが優勢。ボグフォレスさんが逆転するのは困難に思える。
「……この一手か?」
「甘い」
「ぬぅ~っ…!手詰まりだ…」
「私の7戦全勝ね」
「儂も自信があったが…まったく歯が立たんとは。…おぉ、ウォルト。戻ってきていたのか」
「ゆっくり観ることができました」
「ウォルト。貴方もコミリオンできる?」
「一時期はよくやってたよ」
「ボグフォレス。ウォルトとも対戦してみたら?」
「儂は好きだから構わんが」
「ボクも構いません」
かなり久しぶりだ。対面に座って、先攻を決めたら対戦開始。
20分ほど経過して…。
「むむぅぅ~っ…!」
「ボグフォレス。もう降参したら?」
「待てっ…!なにか…打開する手があるはずだ…!」
ボグフォレスさんは盤とにらめっこ。眉間の皺も深い。
「ウォルト。強いじゃない」
「そうかな?久しぶりだけど、最近はコミリオンで勝ったことないんだ」
「さすがに信じられないわ」
「本当なんだけど」
友達がいなかったから、子供の頃は両親やガレオさんを相手にしかやってない。あとはヨーキーとハルケ先生か。サマラは「面倒くさい!」とやりたがらなかったし、両親もヨーキーも好きじゃないから、ほとんどの相手はガレオ先生。
その頃に何度か勝ったけど、ここ何年かは師匠としかやったことがない。暇つぶしに相手をさせられたけど、まったく歯が立たなかった。先を読む力がずば抜けてて、性格の悪さと狡猾さが戦法に反映されてる。とにかく人の嫌がることをしてきた。
負けたくないから考え得る作戦を試しても、ことごとく跳ね返されて「もっと頭を使え、バカ猫がっ!脳みそ溶けてるのか!」となじられるのがお約束だったな。
結局、いなくなるまでに一度も勝つことはできず今に至る。ボグフォレスさんは正統派の戦法で攻めてくるから展開が読みやすい。
「この手なら…どうだっ!」
「コレで決まりです」
「負けたっ!完敗だっ!お主らは強すぎるぞ」
「貴方が弱すぎるのよ」
「ボクが勝てたのはたまたまです」
「そうも反応が違うか…」
対戦を終えたところで、アーツとドナが戻ってきた。
「はぁ…はぁ…。お祖父様……ただいま…」
「ボグフォレスもあそぼう!」
「ははは。儂は無理だ。直ぐに倒れてあの世に行ってしまう」
「えぇ~?!」
前回と同じく土まみれのアーツと、元気一杯のドナ。
「アーツ。怪我はしておらんのか?」
「ちょっとしたけど大丈夫!」
「たのしかったね!」
「うん!そうだね!」
「そうか。浴場で汚れを落としてくるといい」
「よくじょう…?」
「おふろのことだよ!」
「おふろ!アーツ!ドナといっしょにはいる?」
「いいよ!」
「じゃあいこう!」
「仲良く入るのだぞ」
「ドナ。お風呂でふざけたら怒るわよ」
「あい!ふざけない!」
「ドルジ。すまんが準備を」
「かしこまりました。お2人ともこちらへ」
アーツとドナは仲良くお風呂に向かった。
「貴方はどういうつもりなの?」
「なにがだ?」
「普通、どこの馬の骨ともわからない獣人と大切な孫を遊ばせたりしない。貴族ならなおさらよ。しかも、毎回怪我させられて」
「母親が言うことではないな」
「私はドナの好きにさせてるだけ。でも、貴方は違う。言い換えればこちらの我が儘を受け入れている。理由が気になるわ」
「アーツには逞しく生きてほしいのだ。この世には様々な種族がいて、それぞれに特徴がある。人間の知恵、獣人の力、エルフの経験。直に触れ、理解ある大きな男に育ってほしい。ドナと遊ぶのも今しかできないことかもしれん。貴重な機会だ」
「嫌なら断っていいのよ」
「わかっている。嫌ではなくお主らのことも信用している」
噓の匂いはせず心も揺れてない。今のボグフォレスさんは信用に足る人。
「今は甘えさせてもらうわ」
「お主らは、金を無心するでもなく友人としてただ遊びにきているだけ。歓迎しない理由がない」
会話を聞いてると、リリサイドは貴族に詳しい。どんな経緯か知らないけど、少なくとも知人か友人にいたんだろう。ピアノやコミニオンは森に生きているだけで習得できない。
30分ほど経ってドナとアーツが戻ってきた。
「おふろひろかった!およげた!」
「そう。騒いでないでしょうね?」
「はわっ…!ドナ、さわいでない…!」
「アーツ。本当なの?」
「う、うん!ドナはおとなしくしてたよ…」
「だったらいいけれど」
アーツもドナも誤魔化してる。子供らしくていい。
「おふろもおわった!またあそぼう!」
「ごめん、ドナ。ぼくは夜まで魔法の練習をしなきゃ」
「えぇ~。もっとあそびたい」
「我慢しなさい。アーツは魔法の練習をしないと毎日遊べないのよ」
「それはたいへん!がんばって!」
「ありがとう!なかなか上手くならないけど、がんばる!」
ウイカのように魔力の生成速度が早いアーツは、魔法を覚えることで魔力酔いを防げる。日々頑張っているんだ。
「アーツのまほう、みせて!」
「いいよ!………むぅぅ~~……だめだぁ…」
「がんばれ!できるっ!」
「よぉし!……うぅ~~!」
アーツは『炎』を詠唱しようとしてる。ちゃんと印も覚えていて、あと一息。
「だめだぁ~!くやしい!」
「そっかぁ!でも、きっとできる!ドナもべんきょうをがんばって、けいさんできるようになった!」
「うん!やる!ドナに見せてあげる!」
真剣に頑張ってるアーツを、ちょっとだけ手助けしてあげたい。
「ボグフォレスさん」
「なんだ?」
「アーツに魔法を教えていいですか?」
「魔法使いだと伝えてよいのか?」
「伝えなくても教えることはできます。師匠がいるでしょうから、余計なことは言いません。ほんの少しです」
「そうか。是非頼みたい」
「ありがとうございます」
部屋の隅で練習と応援してる2人に近づく。
「アーツ。ちょっといいかい?」
「どうしたの?」
「ボクの言う通りにしたら、魔法が発動できるかもしれない。試してみないか?」
「ほんとに?!やってみたい!」
素直な子だ。なぜ?と疑う気配すらない。
「じゃあ、まず背中に手を添えるよ」
「うん!」
「深呼吸してから肩の力を抜いて印を結ぶんだ」
「ふぅ~~。これでいい?」
「いいよ」
印を見るだけで真面目に修練してるのがわかる。魔導師から基礎を学んでいるから当然。ボクの見立てでは、アーツは魔力操作の初動が上手くできないだけ。コツさえ掴めば直ぐに発動できるようになる。
「目を瞑って炎を想像してみて」
「うん」
「その炎を、胸から腕を通って掌から放つイメージを膨らませるんだ。ボクが合図をしたら、目を開けて詠唱しよう」
「…わかった」
「3…2…1……はい!」
「うぅ~…!『炎』!」
アーツの両手から小さな『炎』が発動した。添えた掌から、ほんの少し魔力操作を手助けした。簡単なことに気付いてないだけだからこれで充分。身体が覚えたはず。
「…できたぁ!ウォルトに言われた通りにやったら、ホントにできたよ!」
「見事だったよ」
「アーツすごい!ほのおでた!」
「忘れない内にもう1回やってみよう」
「うん!」
1人で詠唱させると、何度か繰り返してコツを掴んだようで安定して発動してる。羨ましい才能だ。きっと亡くなった母親を超える魔導師になれる。
「練習は広い場所でやらないとダメだよ。家を燃やしてしまう」
「うん!外で練習する!」
「魔法で大切なのは、できると信じる心なんだ。アーツならどんな魔法でも操るようになれるさ」
「がんばる!ドナにもたくさん見せてあげたいから!」
「みたい!」
ドアがノックされてドルジさんが顔を出した。
「アーツ様、ドナ様。おやつの時間です。お菓子はいかがですか?ドナ様には、ニンジンを使ったお菓子を作っております」
「食べる!おなかペコペコ!」
「ドナもたべる!」
「では、こちらへどうぞ」
2人は部屋から出ていった。
「お主は…大した魔導師だな」
「魔導師ではありませんが、なぜですか?」
「アーツは、真面目に修練しても安定して魔法を発動できず、指導者も少々頭を悩ませていた。たった一度の助言で…」
「たまたまです。あの子は才能に溢れていて、苦労した方が先々役に立つと思いますが、今のままでは違う苦労をすると感じました」
「違う苦労とはなんなのだ?」
「魔力操作の歪みです。何人か独特な魔力操作で魔法を操る魔導師を知っていますが、それぞれ苦労されていました。矯正するなら早い方がいいので」
「そうか。儂には思いもつかない」
アニカやホーマさんがそうだった。魔力操作の歪みは、積み重なると独自の魔力回路を形成してしまう可能性がある。
魔法修練における努力の結晶であり、魔導師の個性だと思うけど、皆が悩んでいたことも知っている。今の内に修正できるなら後に苦労しなくてすむ。
「恥ずかしながら儂も魔法を使えるのだ。自慢できはしないが」
「アーツの才能は貴方から受け継がれたのだと思います」
「儂が教えられるといいのだが、あいにく何十年と昔のことで技量も知識も足りぬ」
「力になりたくて修練されているのがわかります。今からでも取り戻せるかと」
ボグフォレスさんの纏う魔力は以前より磨かれてる。修練している証拠だ。
「お主はそんなことまでわかるのか。儂の我が儘なのだが、祖父として尊敬されたくてな。会話も弾むであろう。ただ、寄る年波には勝てぬ」
「幾つになっても遅いことなどないわ」
「リリサイドの言う通りで魔力は磨かれています。まだまだこれからです」
「私から1つ提案がある。上手くいけば、貴方はアーツに尊敬されると思うわ」
「なに?どうやるのだ?」
「ただし、ウォルトに協力してもらう必要がある」
「内容を聞いていいかい?」
リリサイドの説明を聞く。
「儂も魔法使いの端くれ。魔道具も使わずにそんなことができるとは思えんのだが…」
「ウォルト、どうなの?」
「可能だと思う」
「お主は本気で言っているのか…?」
「2人が戻ってきたらやってみましょう。その前に、修練して感覚を掴む必要があります」
おやつを食べて戻ってきた2人を誘い、5人で裏庭へと向かう。周囲に人がいないことを念入りに確認する。誰の匂いも音もない。
「お祖父様。なにをするの?」
「儂の使える一番の魔法をお前に見せたいと思う」
「お祖父様の魔法?!みたい!」
「期待外れかもしれんが、それでもいいか?」
「みたい!」
「そうか。儂も一度しか使えん。しっかり見ておくのだぞ」
「うん!」
目を閉じて精神集中するボグフォレスさんをボクらは静かに見守る。見ている限り問題はない。静かに魔力が高まっていく。
『火焔』
詠唱すると巨大な炎が発現した。無詠唱の『無効化』でゆっくり掻き消す。
「す、すっごいや!」
「ボグフォレスすご~い!」
魔法を放ったボグフォレスさんは、固まってしまっている。
「なにを呆けているの?しっかりしなさい」
「…あ、あぁ」
リリサイドの呼びかけで我に返った。
「お祖父様、すごかった!なんでみせてくれなかったの!?」
「う、うむ…。儂も滅多に使えないのだ…。若い頃ならできたのだが…」
「そうなんだね!でも、めちゃくちゃかっこよかったよ!すごかった!ぼくも使ってみたい!」
「そうか…。お前なら、儂など軽く超える魔法使いになれるであろう。ハイデマリーの息子なのだから」
「うん!がんばる!」
「儂がこの魔法を使えるのは内緒にするのだぞ」
「なんで?」
「お前だから見せたのだ。命を削るような滅多に使えぬ秘密の魔法ゆえ」
「ないしょにする!長生きしなきゃダメだから、もう使わないでね!おぼえたよ!」
「それは助かる」
駆け寄ったアーツの頭を優しく撫でるボグフォレスさんは、優しい表情のただのお祖父さん。上手くいってよかった。ボクの炎の魔力をボグフォレスさんの体内に巡らせて、『炎』の発動で一気に放出できるように細工した。
「派手な魔法を放って見せるのが、子供は一番喜ぶでしょう」というリリサイドの提案に乗らせてもらったけれど、魔力操作にはコツが必要で発動したのは紛れもなくボグフォレスさんの技量。
「アーツ、まけちゃだめだからね!」
「うん!ドナ、ぼくはやるぞ!」
ドナとアーツは駆け回って盛り上がってる。
「ボグフォレス。貴方も頑張らなくちゃね」
「うむ。孫に負けるワケにはいかん」
珍しくリリサイドが笑ってる。これからボグフォレスさんは魔法を磨くだろう。尊敬されるということは、怠けられないということ。
「ウォルト。噓の片棒を担がせてすまんな」
「気にしないで下さい。修練をこなして、嘘から出た実にすればいいだけです」
魔力の質からして、まだコツコツ修練している段階。孫のタメに修練を再開した優しい祖父が尊敬されるにはまだこれから。
「この歳で困難に挑むことになろうとは。だが、やる気は漲っている」
「尊敬されるには知識くらいは身に付けるべきね」
「いつまでも尊敬される祖父であってください」
ボクも遊びたかったので、ドナとアーツと少しだけ遊んで帰ることに。「みんな泊まっていけばいいのに」とアーツに誘われたけど、シャノのことが気になるからボクが泊まるのは厳しい。リリサイドとドナだけで泊まって帰ったらと提案したけど、2人もやっぱり森に帰るほうが落ち着くらしい。
ただ、改めて泊まりに来ることを約束すると、ボグフォレスさんも「いつでも歓迎する」と言ってくれた。
「みんな!またきてねぇ~!」
「アーツ、またあそぼうね~!」
子供達の友情を微笑ましく思いながら帰路についた。




