589 影、立ち昇る
「くろいウォルトだ!」
「黒猫っていうのよ」
「シャノっていう名前があるんだ」
「シャノ!いいなまえだね!」
リリサイドとドナの親子が遊びに来てくれた。今日のリリサイドは馬じゃなくて人の姿。当然シャノとは初顔合わせ。
「シャノ。友達のリリサイドとドナだよ」
2人の匂いを嗅いで警戒を解いてくれた様子。
「シャノはあったかい~!」
「ニャッ」
抱きついてモフるドナと、大人しくなされるがままのシャノ。身体はシャノの方が少しだけ大きい。
「ドナ。シャノはお腹に赤ちゃんがいるんだ。無茶なことはしないでね」
「あかちゃん!?むちゃしない!」
「妊娠してるのね」
「無事に生まれるまでは、一緒に暮らすことになったんだ」
「祖先と獣人が同居するなんて滅多にないことでしょう。不思議な縁だわ」
「ボクもそう思うよ」
ドナは猫じゃらしでシャノと遊んでる。居間は大騒ぎ。
「ドナ。遊ぶなら外でやりなさい」
「あい!シャノ!そとにいこう!」
「ニャッ!」
共に外へと駆け出した。シャノも少しは身体は動かした方がいいだろう。
「今日はウォルトにお願いがあってきたの」
「なんだい?」
「今からボグフォレスの屋敷に行こうと思う。一緒に行ってくれないかしら?ドナがアーツと遊びたいみたい」
「予定もないから構わないよ」
「ありがとう。私達だけでも行けるけど、森に人が増えて動きづらい。遭遇したくないのよ。貴方と一緒なら極力遭わずに済む」
「気にしないでくれ。そもそもボクのせいなんだ」
「どういうこと?」
ドラゴン騒動について説明する。
「やっちゃったわね」
「大したことはしてないのに、ボクを探す輩が森に入ってきてる。静かに暮らしてるのに迷惑かけてゴメン」
ドナは別として、リリサイドが人を嫌ってることくらいボクでもわかる。理由は知らないけど。
「別にいいわ。聞いたら納得の理由だもの」
「そうかな?それに、近々王都へ行こうと思ってたしね」
「なぜ?」
「役者の友達から劇の観覧に誘われてるんだ。まだ公演が始まったばかりのはずで、観に行く約束をしてる」
「遠いのに律儀なのね」
「ボクの後輩になるから」
「行くとしても、シャノは大丈夫なの?」
「連れて行ってもいいけど、確認するよ」
外に出てシャノに確認する。
「シャノ。ボクらは王都って街まで遠出するんだけど、一緒に行くかい?早くても夜まで帰ってこない」
「ニャッ」
『行かない』と返事が返ってきた。
「ご飯は作っておくから好きなときに食べてくれ。小屋の方に置いておくよ」
「ニャッ」
「ドナ。アーツに会いに行こうか」
「あい!アーツをなげとばす!」
「それはやめなさい」
馬型に変化したリリサイドにドナが跨がる。
「じゃあ、行くよ」
「おかあさん!しゅっぱつ!」
『はいはい』
「シャノ。留守番を頼む。魔物や変な奴が来たら小屋に隠れてくれ」
「ニャ」
リリサイドと同時に駆け出した。
2時間ほど駆けて、久しぶりにやってきた王都。いつもの門番に挨拶しつつ東門を潜り、とりあえずボグフォレスさんの屋敷を目指す。住み家で食事しなかったので、途中の屋台で食べ物を買う。
「ウォルトのニンジンのほうがおいしい!」
「店の近くで言っちゃダメだよ」
門の前に辿り着いて、屋敷の門番に約束はなしに急に来たことを告げる。名前を告げてくれたらわかるはずと伝えた。
「ちょっと待ってろ」
屋敷に向かう門番。
「今の男、獣人がなんの用だ…?って顔してたわね」
「門番は変な奴を屋敷に寄せ付けないのが仕事だ。真面目なだけじゃないか?」
「懐が深いじゃない」
「どうでもいいだけだ。獣人に文句があるなら相手になる」
「ふふっ。貴方はわかりやすくていい」
ボクも同じことを思ったけど、昔より冷静でいられるようになった。今はドナもいるし。しばらく待っていると、執事のドルジさんが現れた。
「ウォルト様。リリサイド様。そして、ドナお嬢様。お久しぶりでございます」
「ご無沙汰してます。ボクらに丁重な挨拶は必要ないです。急に来てすみません」
「なにを仰います。ボグフォレス様がお待ちです。どうぞ中へ」
招かれて中へ向かうと、アーツが走ってきた。
「ウォルト!ドナ!リリサイドも遊びに来てくれたの!?」
「そうだよ……って、えぇっ!?」
「と~ぅ!」
「わぁぁっ!」
ドナがアーツに跳び付いた。勢いを受け止めきれずに尻もちをつくアーツ。
「アーツ、ひさしぶり!ドナ、あそびにきた!」
「いててて…。いらっしゃい!うれしいよ!」
「あそぼう!」
「ちょっ…ドナ!ちょっとまって…!」
アーツは手を引っ張られて連れて行かれた。遊具がある方向だ。
「アーツが怪我しなきゃいいけど」
ドナはリリサイドから「人間と獣人は身体の強さが違う」とうるさく言われてるらしい。賢い子だから大丈夫だとは思うけど…。
「貴族の屋敷に来たら、まずは訪れた挨拶からが筋よ。アーツも習い事の途中だったかもしれない」
「ボグフォレスさんはとやかく言わないと思うけど。リリサイドも止めなかったろう?」
「そうね。無駄だもの」
「ご心配なく。我が主は細かいことは申しません。こちらへどうぞ」
通された部屋には、ボグフォレスさんが独りで待っていた。ドルジさんも退室するように指示される。
「よく来てくれた」
「お久しぶりです」
「久しぶりね。ドナがアーツと遊びたがったから訪ねさせてもらったわ」
「そうか。息抜きにちょうどいいであろう。遠慮なく座ってくれ」
ソファに座ってお茶を頂く。
「アーツは元気そうですね」
「お主のおかげでな。魔力酔いも解消されいつも元気だ」
「ドナが引っ張って行ったから、怪我するかもしれないわよ」
「はははっ!少しなら構わん。アーツも男だ。綺麗な身体でなければならないワケでもない」
ボグフォレスさんは理解がある。
「貴方は貴族っぽくないのよね」
「貴族っぽさとはなんだ?偉そうにすることなら苦手だ。普通に話す方が楽に決まっている。リリサイドは貴族に縁があるようだが、この国の貴族か?」
「違うわ」
「そうか。深くは訊くまい。儂らはただの友人。それでよいのだな」
「そうね」
カリーやリリサイドの故郷がどこなのか知らないけど、近くはない気がする。予想してる国はあるけど、根拠もないし口に出すことじゃない。
「ボグフォレスさん。来て直ぐに申し訳ないんですが、リリサイドとドナをお願いしていいですか?」
「何用かあるのか?」
「劇の観覧に行きます。友人が出演するんです」
「そうか。ゆっくり観てくるといい」
「後でまた伺います」
屋敷の外に出ると、遠くからアーツとドナの声だけが聞こえてくる。
「くっそぉぉっ!負けないぞっ!」
「アーツ、がんばれ!」
どうやら仲良くやっているみたいだ。屋敷を出て劇場を目指す。王都はドラゴン討伐でお祭りのようだとリスティアが言っていたけど、今は名残だけが感じられる。
国民の享楽に一役買った…というのは自惚れだな。ボクの望んだことでもない。むしろ望んでない。劇場に着くと中々の人混み。どうやら満員御礼で入場できるといいけど。
「あら!ウォルトじゃない!」
「えっ?」
この声は…。振り向くとやっぱりシャルロッテさんだった。
「お久しぶりね」
「お久しぶりです」
「同じ日に観覧に来るなんて縁を感じるわ」
「そうですね」
「シャルロッテ。その獣人は誰だ?」
後ろに立っているのは年配の老人。
「バンデッド。彼は、貴方の治療のタメにパナケアをくれた恩人です」
「なに?そうか。あの時は助かった。本当に感謝している」
普通にバラされたけど、貴族と獣人がただの友達と言った方が面倒くさい事態を招きそうな気がする。
「たまたま持っていたので譲っただけです」
「たとえそうでも、儂はそのおかげで完治し、この場に立っている。感謝に堪えん」
「お礼なら、自ら足を運んだシャルロッテさんにお願いします」
「なるほど。紳士ではないか」
「バンデッド!その言い方は、獣人なのに紳士だという意味に捉えられます!」
「儂に他意はないが、誤解させたなら謝罪しよう」
「必要ありません」
…表面だけ上手く取り繕う。言われ慣れてるけど、「その獣人」と言われた時点で『この人間』に腹立たしい。謝罪の言葉を吐いても匂いには変化がなく、平然と嘘を吐く信用できない人種だ。
ただ、今後絡むこともないし、心中を理解してくれたシャルロッテさんの心遣いは嬉しい。
「ゆっくり楽しんで帰ってください」
「ありがとう。そうするわ」
気を取り直して、ゆっくりアンジェさんの晴れ舞台を見せてもらうことにしよう。劇場に入り、アンジェさんが確保してくれた席に座る。前方から4列目中央付近の見やすい席。後ろ姿だけど、シャルロッテさんが最前列に座っているのが見える。髪型が豪華だから判別しやすい。言わないけど、後ろの席の人は迷惑だろうな。
幕が上がり、演劇が始まると拍手が起こる。舞台袖から姿を現したアンジェさんは、主役の雰囲気を纏っていてふと目が合った…ような。気のせいかな?
劇が進むにつれ芝居に引き込まれる。今回は作品の内容を知ってるけど、小説とは違う部分もあって面白い。改竄じゃなくて、より芝居としての見せ方に重点を置いた構成になってる。
やがて、大盛況の中で劇は幕を閉じた。ボクも周囲に負けじと拍手を贈る。シャーリーとガリレオの物語は、心に爽やかな風を運んでくれた。
悲恋の物語だし、やっぱり感情移入するのは難しいけど、ガレオさんとシャルロッテさんの両方を知っているから不思議な気持ちに包まれた。物語の著者ハーレクインであり、主人公シャーリーのモデルでもあるシャルロッテさんは、俯いて微かに肩が揺れてる。満足いく出来だったんだろうか。
舞台上で挨拶する演者達の中で、主役のシャーリーを演じきったアンジェさんの笑顔が弾けてる。声援に手を振る表情が清々しい。
もっと多くの作品で活躍してもらいたいし、それができる演者だと思う。芝居の才能や善し悪しはわからないけど、愚直に努力できる芯の強い人だ。
一度覚悟を決めたら、死ぬ気になればなんだってできる。アンジェさんはより強くなって蘇った女性。これからも応援したい。チケットをもらったお礼も言いたいから、挨拶してリリサイド達の元に戻ろう。
劇場から出ると、出演者達が並んでお客さんに挨拶していた。熱狂的なファンと握手したり会話したりでてんやわんや。ボクも列に並んで少しずつ進む。しばらく待ってやっとアンジェさんの前に辿り着いた。
「アンジェさん。呼んで頂いてありがとうございました」
「気付いてましたよ!来てくれて嬉しいです!どうでしたか?」
「いい演劇でした。これからも頑張って下さい。後ろがつかえているので、コレだけ」
準備していた手紙を手渡す。開けたら花が咲く魔法を付与してある。お祝いに花束を渡したかったけど魔法の花にして正解だった。アンジェさんは抱えきれないほどの花束や贈り物を両手に笑顔だだ。
「家で開けて下さい」
「ありがとうございます!またチケット送ります!」
「はい。またお会いしましょう」
互いに微笑んで別れた。建物の外に出ると、シャルロッテさんとバンデッドさん夫妻の姿があった。
「凄くいいお芝居だったわ…」
「お前が観劇でそこまで感極まるのは初めてじゃないのか?」
「そうかもしれない…。昔の…夢が叶ったからかしら…」
「夢?夫婦での観劇が?」
若かりし頃のシャルロッテさんは、いつか演目に選ばれるような作品を書きたかったのかな。観賞後の高揚した気分を邪魔したくないし、気付かれないよう場を離れようとして…。
「ウォルト!ちょっとお待ちなさい!」
見つかってしまった…。あまりバンデッドさんの前で話しかけてほしくないんだけどなぁ。
「なんでしょう?」
「貴方は今日のお芝居をどう思った?」
「内容を知っている作品であるのに、懐かしさと新しさが同居した感覚でした。ガリレオとシャーリーの、互いに前を向いて未来に向かう姿が印象的で、幼い頃には気付けなかったことです」
「…とてもいい感想でしてよ!」
「ありがとうございます」
正直に言っているだけ。
「私は…大感動よ!時代背景を考慮した演出も素晴らしかった!なにより、シャーリーを演じた女優が素晴らしかったわ!あの哀愁はなかなか出せるモノではないもの!」
「いい役者ですよね。今日は旦那様と観れてよかったですね」
「えぇ…。本当に…」
作者が満足なら脚本家も役者も満足だろう。でも、もう1人の主人公ガレオさんが観たら「演劇は過剰な演出があってこそ面白い。つまり、実話といっても話半分が真実」と笑うな。
この予想は合ってると思う。昔からガレオさんが言いそうなことを予想すると、当たっていたことが多い。今日の演劇は土産話になる。トゥミエの墓前で聞かせよう。
仮にまだ存命中で、「寒空の下でシャルロッテさんを後ろから抱きしめたのは格好よかったです」と言ったら、怒って課題を増やされたはず。初老のガレオさんは、あんな優しい口調の好漢じゃなかった。
半分しか真実がないから面白いんですよね、先生。




