578 母は強し
ウォルトは颯爽と森を駆ける。
目指すは故郷トゥミエ。母さんから連絡があって、ハルケ先生とミシャさんの子供が産まれそうだと教えてもらった。陣痛が起こっていると。
山ほどお世話になった2人の子供が生まれる。ボクにとって大きな出来事で、可愛い赤ちゃんに是非とも会いたい。魔法も使い、カネルラ最速を目指す勢いで駆ける。
「ふぅぅ…」
休まずに全力で駆け抜け、予定よりかなり早く到着した。すると…。
「ウォルト~!」
町の入口で仁王立ちの三毛猫母さんが待ち受けていた。これは予想外。
「予想よりかなり速いじゃ…ないのっ!」
「うわぁっ!」
いきなり殴りかかってくる。息を切らしているところに完全な不意打ち。どうにか躱した。
「なんで殴ってくるんだよ!いつもいつも!」
「黙れぃっ!この…ヘタレ白猫がっ!」
「なんなんだ?!話が見えないって!」
「アタシは悲しい…。話を聞いて娘達が不憫でならないんだよっ!」
間合いを詰めて、拳をブンブン振り回してくる。まともに当たったらかなり痛いこと間違いなし。
「娘ってサマラ達のことだろ?!息子なら殴ってもいいのか?!」
「可愛いのは息子より娘に決まってる!」
どうにか猛攻を躱しきって息を整える。
「ふぅ…。気が済んだ」
「ボクは意味不明だよ…」
なんなんだ毎回…?絶対なにか勘違いしてる。
「遊んでないで行くよ。陣痛は待ってくれないんだから。付いてきなさい」
「遊んでるのは母さんだろ」
母さんは真っ直ぐ診療所方面に向かう。
「助産院に行くんじゃないのか?」
「ミシャは診療所で生みたいんだってさ。呼んで来てもらってるんだよ」
診療所に入ると、「うぅ~…っ!」とミシャさんの唸り声が聞こえてきた。
「ウォルト。来てくれたのか」
ハルケ先生が廊下の椅子に座ってる。
「ご無沙汰してます。ミシャさんの様子は?」
「陣痛が始まって結構経つが、まだ生まれない。頑張ってくれてる」
「そうですか」
「ちょっと待ってろ」
先生はミシャさんの声と息遣いが聞こえてくる部屋に入った。少しして大きな声が響く。
「ウォルト~…!頑張ってるよぉ~!いてててっ…!」
気にしなくていいのに…。手助けできないけど、母子共に無事なことだけ祈る。
「ウォルトには一生わからないだろうけど、陣痛は痛いんだよぉ~。腹の中を掻き回されるみたいな痛みなんだから!」
「聞いたことはあるよ」
「何回も来て、どんどん痛みが強くなってくるから、腹だけくり抜いて放り投げたくなる!ミシャは今が一番痛いときかもね!」
「出産は大変なんだな…」
母さんも悪ふざけすることなく、親子揃って静かに待つ。診療所の中には、ミシャさんと助産師さんの声だけが響く。
ミシャさん。頑張って下さい。
しばらくしてハルケ先生が部屋から出てきた。
「ハルケ!どんな感じなの?順調?」
「逆子だ」
「逆子?!」
「母さん。逆子って?」
こういうことはあまり知識がない。
「頭からじゃなくて、足から生まれる体勢になってるんだよ。赤ちゃんによくないの。ミシャにも負担がかかる。ただ、詳しいことは知らない」
「逆さまってことだね」
「なかなか体勢が治らなくてな」
「ミシャを動かしてる?」
「あぁ。だが、なかなか…」
「赤ちゃんが動いてくれたらいいんですか?」
「頭を下に向けてくれたらいいんだが…」
なにか力になれないかな。
「先生。ボクが赤ちゃんに呼びかけてみましょうか?」
「呼びかける…?」
「はぁ?!なに言ってんの!?」
「意味ないかもしれないけど、手助けになるかもしれない」
「子どもを生むのは遊びじゃないんだよ!赤ちゃんに呼びかけるのは、もうハルケ達がやってる!邪魔になるだけだって!」
「真面目に言ってる。母さんと違ってこんな時にふざけたりしない」
「なにを~!」
「静かにしよう。迷惑になる」
「ふぅ~っ!」
ハルケ先生を見る。
「先生、ダメですか?」
「ちょっと待ってろ。ミシャに聞いてくる」
先生は部屋に戻った。
「アンタはなにがしたいの?」
「赤ちゃんが無事に生まれて、先生とミシャさんに笑ってほしい。苦しんでいるなら少しでも楽になってほしい。それだけだよ」
それ以外に考えることがあるのか?ハルケ先生は直ぐに戻ってきた。
「ミシャは構わないそうだ」
「ありがとうございます。直ぐ行きます」
連れ立って中に入ると、貫頭衣姿で汗だくのミシャさんと助産師さん。
「ミシャさん」
「…ウォルト。私に似て…中々言うことを聞いてくれなくてさ…」
「可愛いですね」
「…ははっ。そうかな…」
「少しだけお腹をさすってもいいですか?」
「お願いっ…」
ハルケ先生も頷いてくれる。助産師さんの邪魔にならないようミシャさんの傍に立って、そっとお腹に触れる。
「……ふぅ~っ!」
「ミシャ?どうした?」
「やっぱりウォルトは凄いね~」
「凄いのはミシャさんです」
子供のタメに、そして自分とハルケ先生のために、ずっと腹を掻き回されるような痛みと闘ってる。少しでも痛みが和らげばと『治癒』が全身を巡るよう付与した。赤ちゃんへの影響が不明だから、赤ちゃんのいる場所は極力避けるように。
そして…また魔法を使う。
うん…。そうだ…。応えてくれてありがとう。
「いい子だね。皆が待ってるよ」
笑顔で会おう。
「……んんっ?!いいよっ!赤子が動いてる!頭が下がってきた!」
「本当かっ!?」
「これならあと少しさ!ミシャ!もうひと頑張りだよ!ハルケ!手でも握ってやりなっ!」
「あぁ!」
「…っしゃ!」
よかった。手助けできたかな。
「ミシャさん。頑張って下さい」
「…うん!…ありがとっ!ふぅぅ…っ!気合いっ!」
ハルケ先生に目配せして部屋を出る。それからしばらくして、診療所に元気な産声が響き渡った。
心静かに待っていると、息を吐きながらハルケ先生が出てきた。
「無事に生まれた」
「やったね!ミシャは?!」
「疲れてるけど無事だ」
「それがなによりだね!」
先生がボクの前に立つ。
「ウォルト。助かった」
「語りかける許可をくれて、ありがとうございました」
「もう少ししたら2人に会ってやってくれ」
「はい。先生は今からタバコですか?」
「バレたか」
「ゆっくり吸っていいと思います」
「あぁ。…きっと旨い」
ハルケ先生は微笑みながら外へ向かう。かなり緊張していたはず。続いて出てきた助産師さんも、スッキリした顔で水場へ向かった。長丁場の大変な仕事だと実感する。
「ウォルト。ちょっと部屋を覗いてみようよ」
好奇心いっぱいの三毛猫母さんは本当に落ち着きがない。
「まだやめとこう。助産師さんも入っていいって言ってなかっただろ」
「ちょっとならいいって!母猫を信じなさい!赤ちゃん気になるでしょ!」
「まぁ、それはね」
「よし!ちょっと見るだけだから…」
母さんがそっとドアを開け、隙間から中を覗こうとした瞬間…。
「いったぁぁ!」
急にドアが開いて角が鼻を直撃した。悶絶して顔を抑えながら床で転がり回る。いい歳してなにやってんだか。天罰かな。
部屋から出てきたのは、もちろんミシャさん。足取りもしっかりして腕には赤ちゃんを抱えてる。
「ミーナ、なにしてんの?」
「鼻を打ったんだよっ!低くなったぁ~!」
「元からそんなに高くないでしょ」
その通り。ボクなんてほぼ高さがない。
「ウォルト!さっきはありがとね!」
「お疲れさまでした」
ゆっくり歩み寄ると赤ちゃんは可愛い女の子。既に少しだけ耳が長い。ミシャさんと同じ兎の獣人だ。
「可愛いですね」
思わずヒゲが垂れてしまう可愛さ。
「ウォルトの言うことは素直に聞いてくれたよ」
「聞き分けのいい素直な子です。」
「…ん?こらっ!ミシャ!まだ寝てろって言ったろう!赤ん坊も寝せときな!」
戻ってきた助産師さんに怒られてしまった。部屋に戻ってベッドに横になってもらう。赤ちゃんは傍に添い寝。「しばらく安静にしときな!」とミシャさんに釘を刺して、助産師さんは帰った。
「大袈裟だよ。もう痛くないのにさ」
「そうそう!アタシもウォルトを生んで直ぐに宙返りしたよ!ストレイに怒られたけど!」
「……」
助産師さん曰く、獣人の女性は体力があるから痛みが引くと直ぐに動こうとする。産後は安静にするのが基本だから、「しっかり見張っといてくれ」と頼まれてしまった。
見た目は元気でも出血してるし、予後の油断で内臓から大出血することもあって、何人も亡くなった人を見ているらしい。
ミシャさんの許可を得て、念のため身体を巡るように『治癒』を付与しておく。これで内臓も労れるはず。
「ミシャさん。数日は大人しくしてくださいね」
「大丈夫だ。俺が止める」
「ハルケに私が止められるかなぁ~?」
「止まらなかったら即離縁だ」
「なんでよ!」
「俺はお前を失いたくないし、この子の母親を失う気もない。最善を尽くす。言うことを聞かないなら一緒にはいられない」
「うぅ~っ…!聞くよ!」
「そうしてくれ」
先生がいれば大丈夫。ミシャさんもまんざらでもない顔をしてるし、さすがは番だ。
「ところで、ウォルトは魔法でなにをしたんだ?どうやって逆子を治した?」
「簡単なことなんですけど、まずこうやって語りかけました」
皆に『念話』を飛ばす。
「頭の中に声が…。こんな魔法があるのか…」
「体内での赤ちゃんの動きを魔法で見ていたんですが、語りかけると反応してくれました。その後は……ちょっと目を瞑ってもらえますか?」
「こうか?」
「はい」
魔法を操る。
「…なんだコレは!?」
「私とハルケだ…」
『幻視』で脳内に映像を映しだす。
「2人に手招いてもらったら、ゆっくり手を伸ばすように動いてくれました。早く先生達に会いたかったんでしょう。いい子です」
「お前は…どんな魔法使いだ…」
「ミーナ…。凄い子を生んだね…」
「まぁね!天才魔法猫だから!」
「違うって」
大袈裟なことを言う困った母猫だ。
「ミシャさんも先生もお腹空いてませんか?よければ料理を作りたいんですが」
「よろしく!」
「なんで母さんが答えるのさ」
「私も食べたい!」
「俺もだ」
滋養に富んだ料理を張り切って作ろう。まずは食材の買い出しからだ。
「うっまぁ~い!さすが料理猫!」
「ん~♪最高!出産頑張ってよかったぁ~!」
「美味すぎるぞ…」
口に合ったみたいでよかった。でも、食べる勢いが凄いのは母さんだな…。お代わりしてもらって、作った分は綺麗になくなってしまった。
「美味しかったよ~!ハルケは今のウォルトの料理を食べるの初めてだもんね!」
「あぁ。昔とは全然違うな」
「覚えててくれたんですね」
「よく覚えてる。気持ちがこもってた」
子供だった頃、いつも治療してもらっていたお礼に何度か料理を作らせてもらったことがある。お金は無理だったけど、せめてできることで恩返ししたくて。
「子供のお粗末な料理を食べてもらって感謝してます」
「普通に美味かった。ミシャと変わらないくらいに」
「間違いない!今は比べものにならないけどね!知ってたら美味しい離乳食とか教えて!」
「ボクが考えたのでよければ。それと、先生にコレを」
布袋から取り出して手渡す。
「ノート?」
「自然素材で作れる薬の調合法をまとめてみました。調合といっても特別な器具を使わずに作れて、傷薬やちょっとした病気に使えます」
先生はパラパラとめくりながら目を通す。トゥミエに来たときは、なにかしら医療に役立つことをお願いされてるから、コツコツ書いて準備していた。
「処方はできなくても、役に立つときがあるかもしれません」
「薬師が忙しいときもあるから助かる」
『治癒』を付与した包帯や魔石も役に立っているみたいで、魔力の付与を頼まれた。全力で付与させてもらう。
「またしばらく安心だ」
「あと、コレももらってくれませんか?」
『圧縮』を解除して、作ってきたモノを手渡す。
「これは…揺り籠か?骨組みは…軽いのに随分頑丈に見えるが、素材はなんだ?」
「ドラゴンの鱗です」
「「はぁっ?!」」
先生とミシャさんは驚いた表情。採取したラードンの鱗がちょうどいい大きさだったから、加工して作ってみた。
何枚か採取していて、コンゴウさん達にもお裾分けしたところ、「ガッハッハ!愉快だ!ありがとよ!」と笑って受け取ってくれた。
「なんでそんな素材を使ってるんだ…?」
「ふっふっふっ!私が答えよう!」
なぜか自慢気にしゃしゃり出てくる母さん。
「ウォルトはね、巷で噂のサバトの正体なんだよ!」
「「はぁぁぁっ?!」」
2人ともあんぐり口を開けて固まってしまった。まぁ、先生とミシャさんにはいずれ伝えようと思ってたからいいか。
「最近ドラゴンを倒したらしいね!」
「どうにかね。手伝ってくれた友人のおかげなんだけど、その時に採っておいたんだ」
「驚いたぞ…。お前がサバトなのか…」
「はい。じいちゃんの名前なんですけど」
「あぁっ!どっかで聞いたことある名前だと思ってたのっ!ミーナから聞いたんだ!」
「いろいろと納得いくな」
「そうですか?」
「揺り籠ありがとうね!有り難く使わせてもらう!」
「そうしてもらえると嬉しいです」
その他にも、縫製した絹の新生児服一式を手渡す。「もう充分だ」と言われたけど、他の赤ちゃんにも好評なのでもらってほしいとお願いした。まだまだ足りないと思ってるけど、今日はコレだけ。
「そろそろ帰ります」
「あぁ。また来てくれ」
「ウォルト!また来るのよ!」
「はい。必ず」
今日は長居するのはよくない。親子3人で過ごす初めての日だ。ハルケ先生とミシャさんは、ずっとこの日を待ち望んでいたと思う。また来ることを約束して、母さんと共に実家に向かう。
「今日は父さんにもご飯を作るよ」
「食べる!」
「食べ過ぎだって。お腹壊しても知らないぞ」
「だ~いじょうぶ!そんなヤワじゃないって!」
ホントかなぁ?既にお腹がぽっこりしてるけど、どうせ言ってもききやしないんだよなぁ。
まぁ、それは置いといて。
「母さん、ありがとう」
「なにがよ?」
「お腹を痛めながらボクを生んでくれて」
ミシャさんの出産を目にして、母さんの凄さを再認識した。照れ臭いけど今日は素直に感謝を伝えたい。
ニンマリ笑う三毛猫。
「気にしなさんな!母の偉大さを思い知ったね!恩は4姉妹に返しなさい!」
「なんでそうなるのさ」
「なんででもだよ!」
本人がそれでいいのならいいか。




