557 3度目の手合わせ
裏庭に移動したウォルトはネネと対峙する。
一段と『気』が研ぎ澄まされていて、強者のオーラが強く感じられるな。かなり鍛錬してるのは想像に難くない。
「お前のおかげで、ワタシは現役以上に修練している。暇しなくて済むがな!」
身体のあちこちを伸ばしながら笑顔だ。
「カケヤさんから聞いてます」
「先代も最近雰囲気が変わった。まるで現役に戻ったようだ。お前がなにかしたな?」
「なにもしてません」
「まぁ、そんなことはどうでもいい。ワタシはお前に勝てば気が済む。たとえ変装していようとな」
「変装しても力は変わりません」
「そうか。…お喋りは終わりだ」
ネネさんの雰囲気が変化して空気が張り詰める。
「はぁっ!」
跪いたネネさんが地面に手を添えると同時に、ボクの足元の地面が爆発した。
「つぅっ…!」
予想しなかった攻撃。まさか、地面に力を伝わせて遠距離から仕掛けてくるとは。吹き飛んだ砂利や石から目を守ろうと、思わず手で顔を隠した瞬間にネネさんは間合いを詰めていた。
「オラァァァァッ!」
「くっ…!」
『気』を込めた拳で鬼のような連打を浴びせてくる。掌で受け止めたり捌くので精一杯。大きく躱しても踏み込んで動きに付いてくる。
「オラオラァァ!一気に決めてやるっ!」
かなり間合いが近く、攻撃が速すぎて魔法で受ける暇がない。一気に間合いを詰められて劣勢に陥った。大きく離れようとしても、動きを先読みして付いてくるから常に後手に回る。
「ここまで躱すとは思わなかったぞ!だが…今回こそぶん殴ってやる!オラオラァッ!」
この猛攻を凌ぎきらなければ勝機はない。剣の修練を思い出せ…。近距離での斬り合いを…。一段と集中して、ネネさんの動きの癖が見えてきた。躱しながら予測ができる。
逆手をとって……いや、違う。
「オラァァッ!」
攻撃を大きく躱して距離を取った。
「ふぅぅ…。これも躱すか!勘のいい奴め!」
「かなり危なかったです」
本当に危なかった。癖を見切ったと思えたところで、拳一辺倒の攻撃からハルトさんのように裏をかくような蹴りを繰り出してきた。拳にカウンターを合わせようとしていたから危なかった。
さすが百戦錬磨の暗部。ボクが慣れてくることさえ読み切っている。しかも、今のネネさんは『気』を操っているとはいえ速さだけならサマラを凌ぐかもしれない。
「ウォルト~」
「なんでしょう?」
「ワタシは、お前にお姫様抱っこをされた屈辱を忘れてない!」
「悪気はなかったんですが…」
「ついさっきシュケルにもやらせたがな!そして、ヤることをヤッたんだが!あっはっは!」
言わなくていいのに…。豪快すぎる。スケさんは額に手を当ててなんともいえない表情。
「おかげさまで心技体揃った状態だ。負ける気がしない!」
「ボクも負けません」
「お前に…土を付けてやるぞ」
ネネさんは懐からなにかを投げる仕草。おそらくクナイ。飛び道具の暗器だ。『強化盾』で受け止めた…つもりが止まる気配はなく突き抜けてくる。
「くっ…!」
顔を狙ったクナイを身を捩ってどうにか躱した。掠った頬が切れる。
「ははっ!捕まえたぁっ!」
『魔喰』で『強化盾』を消滅させながら一気に間合いを詰めてきた。さっきのクナイにも『魔喰』を纏わせていたのか。完全に出方を読まれている。
再び防戦一方に追い込まれてしまう。しかもさっきより打撃が速い。完全に捌ききれず腕や肩に幾つかもらってしまう。
「ぐぅっ…!がっ…!」
『身体強化』していても骨に響く。細身なのになんて力だっ…。
「ふはははっ!こんなのじゃ殴り足りないっ…!お前の弱点は女に甘いことだ!そんなことでは暗部にはなれやしない!」
暗部にはなれないし女に優しいつもりもない。けど…このままではマズい。一瞬でいいから隙を作れないか…。
「なにか企んでいるな?顔に書いてある」
すぐにバレてしまう顔が恨めしい。
「実行する前に倒してやる!」
「フッ…!」
「逃がすかぁっ!」
大きく距離をとろうとしてもやはり付いてくる。素晴らしい身体能力と『気』を操る技量。そして的確な行動予測。付け入る隙はココしかない。
「…うっ!」
ネネさんは急にバランスを崩した。
「コレはっ…『泥濘』っ!」
踏み込んだ左足がぬかるみに嵌まった。追ってくるのを逆に予測して、『泥濘』を仕掛けた地帯に誘い込んだ。あえて気付かれにくいよう小さく発動し、その代わり数多く配置した賭け。一瞬の隙で充分。さっと手を翳す。
『睡眠』
「そうはさせん!」
発動した瞬間に、タイミングよく『魔喰』で魔力を掻き消される。読まれていた。
「くらえっ!」
片足で跳び上がり、『泥濘』から足を引き抜いたネネさんは、さらに跳び膝蹴りから連続攻撃を仕掛けてくる。止まる気配はない。
「毎度毎度眠らされてたまるか!」
攻撃を捌きながら感じる。ほんの少しネネさんの動きが鈍った。さっきの『泥濘』で警戒を強めたのか、若しくは疲労が溜まってきたのか。なんにせよ微かに余裕ができた。
「オラオラオラオラ!」
拳を躱したり、掌で逸らしたりしながらひたすら時を待つ。
「はぁ…はぁ…」
この様子は作戦の効果ありか。
「身体が重い…。なにか仕掛けているな…?」
「少しずつですが、『気』を吸収させてもらいました」
『魔力吸収』の応用で、掌からネネさんの『気』を吸収した。魔力や『気』による強化は身体に負担をかける。薬物のように無理やり能力を上昇させているから、絶対量が減ると疲労が襲ってくる。
「猪口才な…。まだ負けてないぞ!」
「わかってます」
並の精神力で暗部は務まらない。シノさんもサスケさんもそうだった。倒れるまで闘い続ける。だから意識を断ち切る必要があるんだ。
「ハァァッ!」
変わらぬ様子で攻撃を仕掛けてくるネネさんは本当に凄い。動きが鈍った分、上下に攻撃を散らして威力を特化するより幅を広げることを優先している。
体力も『気』も以前とは比べものにならない。まだこれほどの力が残っているのか。変わらず気を抜けない。
ただ、押されてばかりでは勝てない。けれど反撃の糸口を掴めない。攻撃を捌くのに集中している間は魔法を詠唱するのが困難。手を翳していてもダラリと下げていても、無詠唱でもそうでなくても、ほぼ全ての魔法を発動する箇所は掌であるからだ。
当然ネネさんは知っているだろう。だからこそ掌を向けられない内は基本的に安全と言える。攻撃は最大の防御。逆手にとれるかもしれない。
「しぶとい奴め!」
「それがボクの信条です」
粘り強く闘って勝機を見出す。
「ハァッ!」
ココだっ!ほんの少し大振りになった拳を掌で横に受け流すと、バランスを崩したネネさんの顔が接近する。
口を開き、声を発するように『睡眠』の魔力を浴びせた。腕が使えなくなっても魔法を操れるように、狼吼の要領で日頃から修練している。
「く…そぅ…」
『魔喰』も掌から発動させる術。今回は掻き消されることはなかった。意識を失ってガクンと崩れ落ちるネネさんの身体を支えると、サマラと同じで驚くほど軽い。どこにあんな力が秘められているのか不思議でならない。
「スケさん。お願いしていいですか?」
「いつもすまんな」
駆け寄ったスケさんがお姫様抱っこで抱えてくれた。これなら屈辱も感じないだろう。
「ウォルト。お前は優しすぎる」
「ボクは優しくないですよ」
「俺の前でネネを殴りたくないんだろう?」
「今回は反撃する余裕が皆無でした。ネネさんは強いです」
引退して長い暗部だと思えない。
「また付き合ってやってくれ。なんせ懲りない嫁だ」
「手合わせならいつでも」
武器や術は得意じゃないと聞いていたのに、見事な扱いを目にして本気具合を感じた。弛まぬ修練は間違いなく自分を高めることを教えてもらった。怠けたら直ぐに負ける。わかりやすくていい。
「スケさん」
「なんだ?」
「ネネさんが起きたとき、怒られタクないんですけどどうしたらいいですか?」
「無理だ。諦めてくれ」
やっぱりか。
「許さん…!絶っっ対に許さんからなっ!勝つまでやってやるっ!」
ネネさんは起きるなり大騒ぎ。ただ、スケさんがお姫様抱っこしたことを伝えると、満更でもない顔をした。
「手合わせしただけで、許されないことをした覚えはないです」
「いいから飯を食え、このっ!」
スケさんと共にネネさんの料理を頂く。……美味しい。豪華な食材を使っているワケじゃない。深い味だとか洗練されていないシンプルな料理なのに美味しい。技術論じゃなくて、スケさんへの愛情が詰まってるからだと思う。
スケさんの身体には、『変身』と同時に魔法で消化器官を作った。前回より上手く構成できた自信あり。付与された『気』を効率よく吸収できるはず。
「こうして見ると、シュケルも普通の人間に見えるんだがな」
「そうか。今日の飯も美味い」
「どんどん食え!バカタレが!」
普通の夫婦にしか見えない…と口にするのは野暮だろうか。
「ウォルト。もっとオーレンを鍛えておけよ」
「なぜですか?」
「ワタシに勝てない男にミーリャはやらん」
「ネネ。無茶を言うな」
「伝えておきます。付き合っていくつもりなら、ネネさんは避けて通れないので」
本人はわかってると思うけど。
「はっはっは!お前は話が早い!」
「オーレンはネネさんを超えると思います。心配していません」
「面白い。期待しておくとしよう!」
食事を終えると、ミーリャとロックがダーシーさんと一緒に戻ってきた。予想していたのかネネさんは皆にも料理を振る舞う。
「美味しい。お母さんの味だ~」
「食え!ロック!お前は相変わらず細いな!山ほど食え!」
「俺はあまり食べれないんだよ。おばさんも知ってるだろ?」
「やかましい!男なら黙って食え!ダーシー、お前に食わせるのは久しぶりだな」
「美味いよ、ネネ。お代わり。シュケルも久しぶり」
「久しぶりだな」
スケさんの『変身』はバレてないみたいでホッとする。
「アンタはおっさんになったなぁ~」
「お前も老けたな。そろそろ40か」
「女性に言うことかっ!気を使え!」
「俺とお前に気を使うもクソもあるか。ガキの頃から知り合いなんだ。今回もお騒がせだったらしいな。いい加減大人になれ」
「うるさいっ!すぐに大人ぶるのは変わってないな!放蕩旦那のくせに!」
夫婦、親子、師弟、幼馴染みが集まる和気藹々とした空間で、ゆっくりお茶を頂きながら和む。
「テムズ。君に言っておきたいことがあって来た」
「なんでしょう?」
「テムズだと?なにを言ってる?ソイツはウォル……むがっ!」
「お母さん、ちょっと黙ってて」
ミーリャが素早く口を押さえた。ネネさんが反応できない速さで。
「ロックに魔法を教えくれてるんだろう?さっき聞いたんだ」
「本当にたまにです。教わることの方が多いです」
「そんなはずない。君はレベルが違う魔導師だ。よろしく頼むよ。ちょっと自信過剰な若者だが才能はあると思う」
「師匠…」
「調子に乗ったら、全力でぶん殴って軌道修正してくれないか」
「そんなことしません。調子に乗れば魔導師として終わってしまうことを、ロックは知っていると思います」
何度か一緒に修練したけど、ロックは真摯に魔法と向き合っている。調子に乗る要素が見当たらなかった。
「これからも導いてやってほしい」
「共に研鑽しますが、ボクらは友人です。師匠はダーシーさんしかいないと聞いています。元気に師匠を続けて下さい」
ずっと尊敬してるのはボクも知ってる。
「ダーシー。テムズに押しつけようとするな。面倒くさがリなのはいつまでも変わらないな」
「違うわい!師匠は何人いてもいいだろう!」
「それはそうだが、師匠たるもの弟子は一生面倒をみる気概でいろ。お前がまともでい続けるためにロックは必要だ」
「もう教えることがないんだよ。生意気に成長してるからな」
「お前も腕を磨け。弟子に負けるな。そして、技量で負けても師匠は師匠だ。以上。反論は受け付けない」
「ぐぐぐっ…。おっさんになって、さらに理屈っぽくなってる…」
師匠はいつまでも師匠。その通りだと思いながら、オーレン達にとってはボクが師匠。教えることがなくなったら、自分が任せられる人に託したくなるかもしれないな。間違いなく任せられる方にはなれないけど。
「師匠。魔法もまた使えるようになったんだから、頑張ってくれよ」
「お前に言われなくてもわかってる。偉そうに言うな」
「あと、万が一結婚するときは教えてくれよな~。教えなかったら恨むぞ~」
ダーシーさんは独身なのか。ロックの口調はちょっと揶揄ってるような感じだ。できないと思ってるような。
「はっ!残念だったな。もう結婚してる、バカめ!」
「うっ、嘘だろっ?!」
「ダーシーさん、本当にっ?!」
「本当かっ?!お前が結婚っ?!」
滅多に動揺しないスケさんまで驚いてる。
「失礼な奴らだ。嘘を言ってどうする。ネネは知ってるよな?」
「ちょっと前に物好きな男と結婚したぞ」
「うるさい。いい男だ」
「なんで言わないんだよっ!お祝いとかあるだろ!結婚式は?!挙げてないのか?!」
「してない。バカ弟子がアタシを奪いに来てはいけないからな!」
「やるワケないだろっ!とにかく旦那に会わせてくれ!俺も知ってる人か?!」
「誰が教えるかっ!アタシを年増扱いした罰だ!死ぬまで後悔するがいいっ!」
「子供かよっ!いい加減にしろ!」
大騒ぎに発展してしまった。でも、皆が楽しそうだからいいのかな。
「マジで信じられねぇ…。年中なにもしない干物みたいな師匠のどこがよかったんだ…?弟子として相手の目を覚まさせないといけないんじゃないか…」
「ぶっ飛ばすぞ!このバカ弟子がっ!」
言い合う姿がボクと師匠のようで、懐かしさを感じる。お茶が美味しいなぁ。帰る前に壊れたドアノブだけ直そうか。




