539 東洋文化
「これは美味です」
「ありがとうございます」
今日は、元暗部の長であるカケヤがウォルトの住み家を訪ねてきた。
一度やってみたかった野点に挑戦しようと、更地に茣蓙を敷いてお茶を点ててみることに。姿勢を正し所作も美しく凜とした佇まいのカケヤさん。
「ウォルト殿はお変わりないようですね」
「おかげさまで」
「クレナイに絡まれていませんか?」
「前回の手合わせ以降、お会いしていません」
「それならば、私の方が会っていますね」
「クレナイさんは息災ですか?」
「現役時代より元気です。私は今の方がよく会話するので新鮮なのです。ウォルト殿を倒すという目標に向け、一心不乱に邁進しています」
「目標にすることではないですが…」
標的にされるようなことをした覚えはないんだけどなぁ…。
「少し前に、アヴェステノウルの狂犬を葬ったとサスケから聞きましたが」
「キーチの件ですか?」
「その通りです」
「葬ったというより、血闘を申し込まれて倒したというだけです。安易な強さを求める男だったので」
「安易な強さとは?」
「呪術で能力を強化していました。種明かしが済んだ後は、『解呪』で弱体化したんです」
「積み重ねた地力でなければ、崩れ去るのもまた一瞬…ということですな」
「弛まぬ鍛錬を重ねている男であれば、もっと脅威であったはずです」
「なるほど」
カケヤさんがゆっくり茶を点て始めた。相変わらず見事な手際で、スッと差し出されたお茶を頂くと、後を引かない苦味が美味しい。
「結構なお手前で」
東洋ではこう伝えるらしい。完全に本の知識と見様見真似。
「ほっほっほ!思考が柔軟です。突然ですが、少しだけ暗部についての他愛もない話を聞いて頂けますか?」
「是非聞かせて頂きたいです」
「ご存知かと思いますが、我々暗部は元々東洋の暗殺集団が原形。ブロカニルに雇われ、カネルラには敵として侵入致しました」
「はい」
「ですが、戦いに身を投じる内にカネルラ国民の優しさに触れ、国王様の慈悲に感銘を受けたのです。任務中、敵であるにも関わらず傷の治療を受け、温かい食事を与えられ人として扱われた。そして、戦後はクライン国王様に赦された」
「国民は暗殺集団だと知らずの行為だったと思いますが」
クライン国王は知っていながらの判断。そこが大きく違う。
「仰る通りだと推察します。ですが、恩を受けた者達は殺めることができなかったそうです。過去にも他国に潜入し、欺瞞により幾度も類似した状況を経験していながら」
「心に訴えるモノを感じたのでしょうか?」
「私にはわかりかねます。ですが、とにかく衝撃的であったと語り継がれています。それまでの生き方を変えてしまうほどに」
命を奪う側から守る側へと…か。
「先人達は、国民の批判も向けられる憎悪も承知の上でカネルラを守護する集団へと変貌を遂げました」
「辛く苦しい日々を送られたのでしょうね」
想像に難くない。
「後悔は皆無であったはずです。母国では闇にしか生きられなかった者達が、光の…人の暖かさを知り、それでも【暗部】と名を変えた。つまり、強制されることなく自ら進んでカネルラの闇に潜むという決意の現れなのです」
「なるほど…」
深い。そこまで推測したことはなかった。
「暗部の前身は…」
紙に筆で字を書き始める。カケヤさんは達筆だ。
「この字、【翹首】という名の集団でした。東洋の言葉で『強く待ち望む』という意味があります」
「知りませんでした」
文字が格好いいと思ってしまうのは不謹慎だろうか。
「暗部に所属していたからこそ思うのです。先人達は、自分達が誇り高く活動できる場所を追い求め、故郷から遠く離れたこの地で手に入れたのではないかと。望まれなかったとしてもカネルラを想う心は真摯であり、初めて我が儘を通したのかもしれません。そして、今世まで続く組織を作り上げた」
カケヤさんは、ふっ…と目尻を下げる。
重い…。推測が混じっているとしても、シノも務めたカケヤさんの言葉は重い。暗部にしか理解できない苦悩があって、ボクが軽々しく口を挟んでいいことではない気がした。
「なぜ暗部の話を聞いて頂いたのかおわかりですか?」
「ボクが無類の暗部好きだからでしょうか?」
「ほっほっほっ!違います。私は…貴方を暗部に勧誘したいのです。ですから、暗部の成り立ちについて御理解頂きたかった。シノにも誘われたのでは?」
「冗句だと思っていますが」
「あり得ません。あの男は、気の利いたことなどただの一度も言った試しがないのです。つまり真剣であるということです」
もう一杯お茶を差し出される。
「誘われる理由が思い付きません。戦力になれないのに、命令も聞かず輪を乱して迷惑をかけるのが容易に想像できます」
「クレナイに比べると貴方は数段理知的です。彼奴が私の命令に従ったのは半分程度でしょう。つまり、どう扱うかはシノの器量次第。当代のシノは貴方の性格を知りながら誘っている。その点は考慮に値しないのです。そして、シノの発言に軽いモノなどありません」
つまり本気ということか。言い訳がましい理由で濁してはいけない。
「身に余る光栄ですが、ボクは住み家から動くつもりはないんです。この場所で恩人を待ちたいのです」
「なるほど。お師匠様ですか?」
「はい。今のボクがあるのは師匠のおかげで、本人は望まない行動だと知っていますが、納得いくまで待ち続けます」
譲れない思い。師匠が帰ってこないとしても、やっぱり待って住み家を守りたい。ボクの気が済むまで。
「無理強いはできません。そもそも、暗部は過去に一度たりとも勧誘したことはないのです。貴方を除いて」
「そうなんですか?!」
「技量や素質は必要ですが、過酷な鍛錬で身に付けることが可能です。最も重要なのは暗部として生きていく覚悟であり、嫌々で続くような甘いモノではありません。気概を持たぬ者を誘ったとて長く続くはずもない」
それは間違いないと思うけど…。
「ですが、困りました」
「なにがでしょう?」
「部外者に対して門外不出の歴史を語ってしまいました。私の命が危ういやもしれません」
「なんですって…!?」
「現役に追われる立場となります。ウォルト殿に加入して頂けるものだと先走り…。これは参りました」
それなら、ボクが自分に『混濁』を付与して記憶をなくせばいいんじゃ……。
……まてよ。前にも似たような場面があったような…。
「カケヤさん…。さては嘘ですね?」
「ほっほっほっ!バレましたか。さすがです」
シノさんといい見事な嘘を吐く。一切匂いが変化しない。精神力で身体の変化を押さえ込んでいるのか、それとも精神の鍛錬の賜物か。
「勧誘は困難であることは理解しましたが、『継続は力なり』という東洋の諺がありますので、沿うことに致します」
「ありがとうございます。気持ちは嬉しいです」
応えられないのは心苦しいけど、純粋に嬉しい。
…そうだ。
「話は変わりますが、カケヤさんにお尋ねしたいことがあります」
「遠慮なさらず」
「東洋の言葉についてなんですが…ちょっと待ってください」
住み家から魔導書を持ってくる。
「知人から東洋の魔導書を貰ったんですが、読めない文字ばかりで。もしよければ、少しでも読み方を教わりたいと思いまして」
ランパードさんから「お礼に」と渡された魔導書。師匠の書物を使って自分でも勉強しているものの中々解読できない。暗部は、東洋文化に精通していそう。
「拝見します。…読めますが内容は理解できませんな」
「この部分には、なんと書いてありますか?」
難しくて読めなかった一文を指差す。
「『魔力は丹田に集中させよ』とあります。ヘソの少し下部にある急所です」
「ありがとうございます。では、この部分の記述は?」
「『壇中より出でし魔力を、雁下へと移行』とあります。心臓付近から胸の下辺りへという意味です」
「タメになります」
「お役に立てましたか?」
「とても。単語の解読だけでは、やはり想像の域を出ないので助かります。誤認識も多いと思うので」
カケヤさんの説明でイメージは固まった。
「もしかすると上手く発動できるかもしれません」
「是非拝見したいのですが」
「では…」
教わった手法を掛け合わせたなら、自ずと答えは出る。全ての魔導書の著者を尊敬してやまない。ボクのような魔法使いであっても、読解すれば新たな魔法を修得できるのだから。集中を高め、魔力を操作して放つ。
『八岐大蛇』
翳した掌から、8つの頭部を持つ大蛇のような炎が顕現した。
「なんという魔法…。見たこともない」
この魔法の凄いところは…。
「むぅっ…。次は氷とは…」
発動は炎に限らない。どんな属性の魔力であっても同じ手法で同様に発動させることができる。ありそうでない魔法。体内で魔力操作は必要だけどさほど難しくない。
東洋の魔法も面白い。これで正解なのか確認できないのが残念。こんな時、師匠がいてくれたらと思う。
「また1つ魔法を覚えることができました。カケヤさんのおかげです」
「助力できてなによりです。よければ、この魔導書をリン・フランに翻訳して差し上げますが」
「いいんですか?……いえ、やっぱり遠慮しておきます…」
「交換条件で暗部に加入しろなどと無粋なことは申しません。純粋に東洋の魔法を拝覧させて頂きたいのです。我々のルーツであり、日々時間も持て余しておりますので」
「そう言って頂けるなら…お願いしてもよろしいですか?」
翻訳してもらえたら後学にも役立つ。
「少々お時間を頂きます」
「いつでも構いません」
「私から1つ要望がございます」
「ボクにできることなら」
「今から、私と『気』のみで手合わせ願えませんか?引退した身とはいえ、鍛錬は欠かしておりませんので」
「手合わせならば、お願いします」
カケヤさんの操る術を見てみたい。
野点の茶器を綺麗に片付けて、更地で対峙する。改めて観察しても、カケヤさんから強者のオーラは感じられない。元暗部の長でありながら、気配を感じさせないことが凄い。
危険を察知する感覚は鋭いと思っているけど微塵も感じない。暗部の隠蔽術だろうか。まず、ボクの術を見てもらおう。
『泥濘』
「むっ!」
カケヤさんの足下を泥沼に変化させるも、沈むことなく水面に片足のつま先で立つ。スッと後ろに大きく跳び退いた。足下に『気』を集め、反発させて浮いていたのか。勉強になる。
「驚きました。『泥濘』ということは、サスケとも手合わせしたのですね?」
「2回ほど」
「お見事です。では…この術はご存知ですか?」
ブワッ!と一瞬で体毛が逆立つ。危険だ。
『魔喰』を隙間なく全方向に展開すると、視認できないモノが接触しては消える感触。
「お見事。この術を初見で防がれたのは初めてです」
「今の術は一体…?」
「『雲糸』です。切れ味鋭い『気』の糸を無数に放ったのですが、受けられてしまいました」
魔法の『細斬』と似たような術か。ただ、視認できなかった上に、カケヤさんはピクリともに動いてない。どの部位から術を発したのか不明。
「『気』の流れから察すると、発動したのは左手からでしょうか?」
「ほっほっほ!その通りです。本当に素晴らしい目をお持ちで……ぬっ!?」
模倣した『雲糸』を放つと、カケヤさんも身を躱した。
「見事な模倣です」
「糸1本だけならどうにか」
「ふっ…。貴方を見ていると心が躍って仕方ありません。指導者殺しです。これは…どう受けますか?」
「うっ…!?」
なんだ…?!細めたカケヤさんの目が怪しく光り、『鈍化』をかけられたように急に体が重くなる。
「暗部にはこういった術もあるのです」
カケヤさんは、遠目から一気に間合いを詰めてくる。シノさんと遜色ない速さ。間合いに入るなり拳を繰り出してきた。
「今回の手合わせは終いと致しましょう。……なっ!?」
カケヤさんが殴ったのは、ボクの『影分身』。『隠蔽』を解除し、離れた場所に姿を現す。
「本当に驚かされます…。なぜ…?」
「魔法を使って躱しました。すみません」
「この短時間で、私の『憧術』を見破ったというのですか?」
「見破ってはいません。カケヤさんの『気』が一切ボクに接触していないことと、術の効果から推測して精神に効果を及ぼす術だと判断しました。『頑固』や『抵抗』という魔法で相殺したので、手合わせはボクの負けです」
反射的に魔法を操ってしまった。リオンさんやマードックなら、殴られても笑って耐え抜いていただろう。完敗でカケヤさんの言う通りこれで終了。ボクは臆病者だ。
手合わせは負けてしまったけど、貴重な術を見たり、この身で味わうことができた。約束を反故にしたことだけ申し訳なく思う。
「私に有利な条件での手合わせで公平ではありません。お気になさらず」
「そうだとしても、ルールに従わなければただのケンカです。素晴らしい術を見せて頂きました」
「『憧術』の模倣も叶いそうですか?」
「今は発動させる方法が見当もつきません。魔法でなら同様のことができますが」
「見せて頂いても?」
「はい」
即座に無詠唱で『鈍化』を付与する。
「…ふっ!まさしく。お見事です」
「まだまだ未熟で、もっと魔法を磨きます」
「上昇志向の塊ですね。ウォルト殿が望まれるなら、暗部の術について解説などしたいと存じますが」
「い、いいんですか?!」
「私は現役ではなく、貴方は術を操りながら完全に秘匿して頂いている。なんら支障はありません」
「嬉しいです…。一時的にでもカケヤさんに術の師匠になって頂けるなんて…。感無量です」
「ほっほっほっ!師と呼んで頂けるのは光栄ですな」
暗部の術について疑問に思っていたことを全て吐き出すと、カケヤさんは1つ1つ丁寧に回答してくれた。時には実演も交え、詳細に教えてもらう。
素晴らしい時間を過ごせたんだけど…なぜかカケヤさんの目が怖かった。言い方は悪いけど含みがあるような…。考えすぎかな?
★
カケヤは久方ぶりに王都の暗部詰所を訪ねた。要件すら告げていないのに、奥の部屋へと通される。話が早い。
「先代…お久しぶりです…」
「久しいなトビ。お前に伝えることがあって来た」
「なんでしょう…?」
「ウォルトと軽く手合わせをした。想像通りの怪物だ」
「ククッ…。よくご存知で…」
「手合わせの後、ウォルトの『気』を鍛えた。油断するな。そして絶対に勝て。伝えたいのはそれだけだ」
「敵に…塩を送ったというワケですか…」
敵の弱みにつけ込まず、逆に苦境から救うという東洋の格言だが。
「その表現は正しくない。そもそも敵ではない。だが、暗部の術でウォルトの魔法を打ち破ることを期待している」
「言われるまでもなく…。我々のタメにアイツを鍛えたのですね…?」
やはりシノだな。理解が早くて助かる。
「より強敵に成長するだろう。だが、そんなウォルトを倒し仲間に引き入れたなら暗部は飛躍する。その後はお前の扱い方次第」
「お任せ下さい…」
しばらく見ない内にトビの雰囲気が激変している。かなりの圧力を感じる佇まい。腕を上げているのは想像に難くない。修練を欠かさず、さらに高みを目指しているようだな。
ウォルトの出現はトビに任務以外の目標を与えた。騎士団長のボバンもそうであると聞いたが、納得せざるを得ない。
「ところで……手合わせの結果はどうだったのです…?」
「…ふっ。ウォルトは敗北を認めた」
「なっ…!?」
「お前もまだまだ精進せよ」
部屋をあとにする。溢した笑いといい、俺が負けていると予想しただろうが虚言ではない。だが、勝ったなどとは口が裂けても言えぬ。ウォルトは魔法を1つも操っていないのだから。
さて、帰って鍛錬するとしよう。少々、異端の獣人に興奮させられた。血湧き肉躍るとは言い得て妙だ。
実際に指導して、並外れた吸収力と洞察力を目の当たりにした。驚異的な速度で術を体得する様に呆れにも似た感情を抱き、『気』に対しての深い考察に内心唸った。
過去にあれほどまで深く掘り下げようとした者がいただろうか。暗部は、常に術を磨きこそすれ本質に迫る意欲は薄い。任務で余裕がないのも確かだが、『気』はあくまでも『気』であり、どんな性質であるかなど興味もない。
ウォルトは、『気』を根本から理解することで、より効果的に活用する術を探っていた。もはや研究者で俺は教わる立場。独自に新たな可能性を探り、発展させようと魔力や闘気との融合すら模索して構想を隠そうともしなかった。内容が全く理解できなくとも、机上の空論ではなく成し遂げる未来を感じさせた。
末恐ろしい獣人。まさに麒麟児と呼ぶに相応しい。カネルラの未来のタメに暗部へ加入させるべきだ。しかし、俺の心に火が着いたのはウォルトを暗部へ勧誘するタメではない。
師たるもの、弟子に負けるようでは話にならないのでな。




