534 鼠の苦悩
「よぉ。久しぶりだな」
珍しくラットがウォルトの住み家を訪ねてきた。会うのは手の怪我を治療したとき以来。
好物のカフィでもてなす。
「今日は用があって来たのか?」
「この間、リンドルが迷惑かけたらしいな」
治癒院での話を聞いたのか。
「別に迷惑じゃない。単なる意見の相違でボクには理解できなかっただけだ」
「俺が獣人の性質を教えてなかった。だから、お前のことを甘く見てたんだよ」
「甘く見てはいないさ。そう思ってるだけで。基本的に獣人を刺激する人じゃないのはわかってる」
「まぁな。今日は1つ頼みに来た」
「珍しいな。なんだ?」
「リンドルは自分の理想とする治癒院を作る気らしい。もしできたら俺と一緒に行ってくれ」
「別にいいけど、行ってどうするんだ?」
「懲りずにお前を治療の世界に誘いたいんだと。話を聞いてやってくれ」
「断る」
予想できなくはなかった。やっぱりボクの言葉は届いてないんだな。
「頼む。アイツはもう獣人を軽く見てない。だからもう一度だけ話を聞いてやってくれ」
真剣な表情で見つめてくる。ボクが行きたくないとわかったうえで、小細工なしの直球で頼むところにラットの本気加減を感じる。親しくない人に頼まれたら間違いなく断るけど、ボクをよく知るラットの本気。
「…もう一度だけ話を聞く。ただし…」
「気に入らなければ暴れるなりなんなり好きにしろ。治癒院がなくなろうと俺は止めないし、文句も言わない。アイツにも念押ししておく」
「わかった。行くときに誘ってくれ」
「恩に着る」
「そんな必要はない」
ラットの性格はよく知ってる。逆も然り。それでも頼んできたんだから今回だけは行こう。気の置けない友人の頼み。急に姿を消したとき心配をかけた負い目もある。
「お前を誘っても治療の分野は変わらないと言ったんだ。それでも突き動かされるらしい」
「他に誘うべき者がいると思うんだよ。本気で治療の分野を発展させたいなら、ボクなんかに関わってる暇はない」
ボクを誘う暇があるなら、他の治癒師や薬師を育てるべきだ。
「なぁ、ウォルト。お前の魔法を見せてくれ」
「急にどうしたんだ?」
「薬も魔法も実力は似たようなもんだろ」
「あぁ」
「薬の腕は、病気じゃなきゃ見たって飲んだってわからない。魔法なら感じたようにリンドルに伝えられる。お前が大したことないと言うならその方が早いかもしれない」
「なるほど。表で見せようか」
更地に出て念押ししておく。
「ボクは魔法が使えるだけの獣人だ。期待しないでくれ」
「わかってる」
「じゃあ見てくれ」
更地で戦闘魔法から治癒魔法まで披露する。もちろん手は抜かない。
「こんな感じだ」
「……よくわかった」
ラットは上手く伝えてくれるだろう。もう一度話を聞く必要すらなくなる可能性が高い。初めからこうすればよかったのか。
★
フクーベに戻ったラットは、直ぐにリンドルを呼び出した。
「ウォルトに約束を取り付けた。治癒院が完成したら言え」
「ありがとう。さすがだ」
「交換条件で気に入らなければ好きにしろと伝えてある。絶対に軽く考えるなよ。俺には止められない」
「わかっている。甘い考えは持ってない」
洗脳するかのように懇々と教えたからな。もう油断はない…と思いたい。
「で、治癒院の方は進んでるのか?」
「いや。同志というのは中々いないと痛感している…。ウォルトの言う通り、特権階級のような意識を持つ者が多いと認めざるを得ないが、治癒師業界の実情が見えて逆にやる気が出てきたぞ。ウォルトを誘ったおかげといえる」
まぁ、治癒師だろうが魔導師だろうが、基本は商売だ。高い志だけじゃ飯は食えない。リンドルのような奴が珍しいことくらい俺でもわかる。
「ちょっと教えてくれ」
「どうした?」
「治癒師ってのは、血が噴き出すような傷を秒で塞げるのか?」
「血が噴き出すような傷を塞ぐのは熟練の治癒師でも無理だ。秒で止血できるのは精々かすり傷まで」
「じゃあ、腕を切り落とされたら?」
「傷口を塞ぐのに数人がかりだ。代わる代わるでも相当な時間がかかる」
「そうじゃない。完璧に元通り繋ぐのは?」
「無理だ。治癒魔法は万能じゃない。不格好に繋げるだけなら可能かもしれないが、まずまともに動かせるようにはならない。運が必要だ」
「そうか」
「どうした?治療の分野に興味が湧いたのか?」
「そんなワケねぇだろ。もしもの時の話だ」
「腕を怪我させられたからそう思うのも仕方ないが、もっと腕を上げてどんな怪我も私が治してやる!心配するな!」
「あぁ。期待しとく」
……予想通りか。ウォルトはどちらも簡単にやってのけた。爪で深く腕を切り裂き、血が吹き出る傷を秒で治療した。その後、自分の片腕を魔法で切り落として再び繋げたんだ。
目の前で起こっていることが、現実だと思えなかった。一歩間違えれば頭がイカれた奴の奇行。「心配いらない。いつもやってるからな」と笑う姿に狂気すら感じた。
他に見せてくれた派手な魔法にも度肝を抜かれて、次から次へと繰り出される魔法に見蕩れてしまった。炎に氷に雷。なんでもござれの魔法使い。
息をするように難なく魔法を操るウォルトに、魔法の知識がなさすぎてなにも言えなかった。「お前は凄いな…」と口にするのが精一杯で、「魔法使いとしても、まだこの程度なんだよ」と返されただ呆れただけ。
「ありのままをリンドルさんに伝えてくれ」と笑うウォルトを見て俺は思った。治療の分野に誘うのなら薬師としてじゃない。絶対に治癒師としてだ。
どんな素人であっても、アイツの魔法を見れば凄い魔法使いだと断言できる。リンドルにありのままを伝えたら意向にはまったく添えない。
「俺は正直お前を見くびってた」
「なにぃ!?なんの話だ!?」
「お前の勘は想像以上に鋭い」
「意味不明だが、褒め言葉と受け取っておこう!だが調子には乗らない。悪癖を矯正中だからな!」
「いい心掛けだ」
あとは、再交渉を受けてくれたウォルトの希望にも応えなくちゃな。アイツは偏屈な頑固猫なのに、俺の気持ちを汲んで譲歩してくれた。普通の奴が頼んだらぶった切られてるはず。
「リンドル。俺が思うに、お前がウォルトを薬師に誘うことに成功したとしても…」
「なんだ?」
「治療の分野は発展しない……と思っていたが、お前の感覚が正しい気がしてきた」
「閃いたか。わかってもらえたならそれでいい!私は世のためになると確信してる!…が、まったく根拠はない!」
ウォルト…。悪いな…。「アイツは大したことないから誘うだけ無駄だ」と言ってほしかったろうが……無理だ。俺には想像もできない苦労を重ねて身に着けたであろう魔法を、歪曲して大したことないなんて言えない。絶対に言いたくないんだよ。
あまりに見事すぎた。見なければよかったとさえ思う。想像だけならいくらでも誤魔化すこともできたが、見たあとにショボいなんて嘘は言えない。
そんな魔法を操るお前が悪いんだ。




